清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

再・安全保障関連法案の施行について思うこと

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再投稿にあたって

 

 この拙稿は2年前のものですが、マスメデイアに関する私の雑感をも記しております。修正を加えず、そのまま再投稿致しました。故西部邁氏に私はやや抵抗感がありますが、日本について、氏が「メデイアは立法・行政・司法に続く第四権力でなく、世論を動かす第一権力であり、文明を腐敗させる元凶はデモクラシーにほかならない。」と喝破することに深く共感を覚えております。そして現在の日本は氏が言う、アポピュリズムに覆い尽くされ、ますます危機的状況に向かっているのではないでしょうか。そして国家の独立と自尊を問うことをせず、国を守ることを疎かにした「平和ボケ」のツケがきたのです。

 

 2018年4月13日

                         淸宮昌章

はじめに 

 

 昨年9月に成立した安全保障関連法は先月27日施行されました。今回はその関連法案に関し3月16日から18日に亘り、日本経済新聞の経済教室「動き出す安保関連法」に三人の学者が興味深い見解を載せています。今回はその紙面他を改めて紹介するとともに、真に僭越ですが私の雑感・想いなどを加えてみたいと思います。

 

 その前に改めて感じることは、国会での法案審議です。いつものことですが、ほとんどその法案の中身への審議ではなく関連質疑と称して、常に異常な長時間を割くことです。その結果は私を含めてですが、国民に肝心の法案そのもののへの理解はさせず、その法案を通すか否かだけの国会審議の結果になるわけです。今回も政府のやり方に、野党は国会審議を軽視・無視するもの、民主主義の破壊だと称しますが、果してそれは政権側だけの問題でしょうか。私は日本に議会制民主主義が根付かない要因は何処にあるのか。むしろ根付くことができるのかといった疑問を感じております。それは国会、議員だけの責任ではなく報道機関というか、いわゆる報道するマスメデイアにもその責任があると考えています。

 

 最近ではインターネットといったものが出てきたとはいえ、その根にはテレビ・新聞報道があり、そうした報道番組と称するマスメデイアが国民の世論形成に大きな影響を与えて来ているわけです。従い、すべてのメディアではありませんが、メディアは政府あるいは国会議員等々を単に批判するだけではなく、そこに携わる方々はいたずらな、思いつきの正義でなく、報道はどうあるべきか、権力を掣肘するという真の意義は何処にあるのか。正義の本質は何なのか、自らが改めて反省・再検討をする必要があると考えています。現在においてもメディアは余りにも商業主義に犯されているように思います。私にはそれは一種の知的廃頽の表れと見えます。新聞に対する消費税の軽減を新聞社が主張するには、余りにも悲しい現実にあるのではないでしょうか。

 

その1 冷戦後の環境変化に対応 

            国際協調主義に転換     慶応大学教授・細谷雄一

 

 細谷雄一氏は国際関係論、国際政治史を専攻され、昨年には皆さんにも同氏著「歴史認識とは何か」を紹介いたしました。今回の氏の視点・観点を私なりに要約します。

 

 日本国内では異常なほどの情熱で批判された安保関連法も、実はほぼすべての主要国の政府が歓迎していることを知る必要がある。安保関連法の批判派の一部はそれを「戦争法」として本来の意図をねじ曲げて批判した。他方で当初の政府の説明も誤解を招くもので、安保関連法の成立で、あたかも政府が武力行使をしたがっているかのような誤解を与えた。

 

 この法律の多くの部分は、国際平和協力活動や、国際社会の平和と安定に関するものであり、それはすでに、冷戦後の四半世紀実施してきた自衛隊の活動でもあった。最も重要な変化は06年に自衛隊法を改正して、国際平和協力活動を従来の「付随的任務」から「本来任務」に格上げしたことである。しかし自衛隊が円滑に活動できる運用上の十分な法改正や新規立法をしていなかった。いわば自衛隊が危険な事態に遭遇しないという「幸運」があった。

 

 政府が国民に対して、安保関連法の本来の目的や意図、そして哲学を十分に伝えられなかったことが、国民の不安の源泉の一つであろう。肝要なことは、これまでの安全保障を巡る孤立主義的な哲学から、グローバル化の時代にふさわしい、より国際協調主義的な哲学に転換すること。なぜなら冷戦後の安全保障環境は二つの側面で大きな変化があること。一つは安全保障のグローバル化であり、1990年の湾岸危機とは異なり、朝鮮半島核危機、台湾海峡危機、米同時テロ、そして東シナ海南シナ海での中国の海洋活動の活発化等々、冷戦時代とは質的に大きく異なる脅威が、日本人の安全を脅かすようになったこと。二つは冷戦後の世界における重要な変化はパリ、ロンドン、イスタンブールがテロ攻撃を受けたとしてもそれを戦場とは言えず、「平時」と「戦時」の境界線が極めて不明瞭であり、さらにグレーゾーン領域の拡大が複雑に絡み合っていること。

 

 こうした自衛隊の活動領域の拡大と、国際社会での安全保障協力の拡大、そして軍事情報の共有にあわせて、それにふさわしい法改正と新規立法をしたことが、今回の安全保障関連法の本質的な意義と考える。

 加えて武器使用基準の明確が必要で、政府内でその作業が進められている。日本がより一層、国際社会の平和と安全に貢献できるからこそ、米国、オーストラリア、東南アジア諸国、インド、欧州連合は皆、安保関連法の成立を歓迎しているのだ。あくまでも平和的な手段で、ルールに基づいた国際秩序を強化することが、日本の安全保障政策の根幹的な目標であるべきだ。それは、安全関連法の施行後も変わることはない。

 

 私はこうした見解に共感するところです。

 

その2 非軍事重視の潮流に逆行

            抑止力強化、緊張を招く   成蹊大学教授・遠藤誠

 

 氏は国際政治、平和研究を専攻とされる学者です。同氏の論点を要約しますと、

 安保法制転換の最大の問題は、現実の紛争を直視せず、世界全体の安全保障に関する政策潮流と逆行している。日本は先進的な安全保障を推進する潜在力を持ちながら、軍事安全保障に焦点を置く方向に転換しようとしている。安全法制の審議過程では、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認が自己目的化し、その安保政策としての得失が冷静に議論されたとは思えない。平和構築でも日本の安全保障でも、安保政策の基本は、現行憲法に表現されている平和主義であるべきであり、それは過去の侵略戦争を反省し、同じ過ちを犯さないという周辺諸国への約束であり、戦後日本の安定や日本への信頼もこの憲法を基礎にしており、この実績を安易に捨て去るべきでない。

 

 中国との関係は困難が続くが、中国との間で軍拡競争を展開することは賢明でない。環境問題、感染症、食の安全等々日中、東アジア諸国共通の課題に関し、緊密な協力のネットワークを形成し中国を多国間協力の脇組みの中に取り込むことだ。そして、中国で市民社会を築き社会を変革していく政治勢力を支援し、国際協調の重要性と単独行動のマイナスを理解する人々が力を持てる環境を整えるアプローチこそ必要なのだ。

 

 理想論としてはそうなのでしょう。ただ、氏の見解は果して今の日本が置かれた、或いは世界の現実に正面から対峙しているのでしょうか。氏の見解は日本国内には通用するのかもしれませんが、東アジアだけでなく世界の識者に現実的に共感、賛同を得ているのでしょうか。私は極めて疑問に思います。中国について昨年出版された米国の中国政策にも深く関与した現米国務総省顧問のマイケル・ピルズベリー博士による「China 2049」には、騙し続けられてきた同博士の反省が衝撃的に綴られています。世界最大の経済力と軍事力を以ってしても中国の民主化市民社会への変革は現実できなかったわけです。況や日本においてそんな力量があるでしょうか。残念ですが、それが今の日本の現実ではないでしょうか。中国は何百年前とうか、紀元前といってもいいくらいの「中華民族の偉大な復興」を目指しているのであり、そこには市民社会とか市民の人権等々は一顧だにしていないのでは、ないでしょうか。習近平が失権したとしても、中国共産党独裁政権は倒れることは、この先何十年に亘りないと、私は考えます。ソ連崩壊とは別の次元である、と考えるべきではないでしょうか。

 

 別の観点から見たスティーブン・ローチ著「アメリカと中国 もたれ合う大国」を合わせ読まれることをお薦めいたします。

 

 その3 日米同盟の深化に有益  豪・韓・印との連携重要 

                    元米大統領補佐官 マイケル・グリーン

 同氏の要点は以下のとおりです。

 

 集団的自衛権の認識、武器輸出三原則の緩和、日米防衛協力のガイドラインの改定は、今の国際環境の現実を踏まえての日本の法律・政策の自然な推移だ。そもそも集団的自衛権の問題は、民主党政権下でも議論された経緯であり、このことを多くの人が忘れている。

 

 安倍首相は今回、内閣法制局による「アリバイ」を撤廃し、域内の安全保障に対する脅威に日米両国が共同で行動を起こせるようにした。この地域の新たな地政学的現実を踏まえれば、これは必要な措置である。北朝鮮がミサイルや核開発に躍起になり、中国が沖縄県尖閣諸島や、沖縄本島から南シナ海につながる「第一列島線」を事実上制圧しようとしている現在、日本はまさに最前線に位置する。日本に必要なのは、米国に巻き込まれない方策ではなく、日本列島と西太平洋の防衛に米国を巻き込むことだ。 日本のせいで中国との紛争に「巻き込まれる」可能性に米国の専門家が警鐘を鳴らしたのが、安倍政権の発足当時だったのは皮肉なことだ。中国政府は米国のこうした危機感に乗じて、日米同盟の分断を画策した。

 

 情報活動、ミサイル防衛など両国は更なる融合を図り、豪州更にはインドをはじめ他の友好的な海洋民主国家との連携を図るべきだろう。目的は中国の封じ込めではなく、中国の期待を現実的なものに戻すこと。現状を変えようとして攻撃的な行動をとれば、地域大国が対抗して協力と結束を固めることを中国政府が理解すれば、より好ましい方向に軌道修正するだろう。その結束は究極的には抑止力として働く。

 

 私は共感し賛同を覚えます。一方、最近の共和党・大統領候補のトランプ氏が日本を含めた海外米軍基地の引き上げ等々の発言がアメリカ国民の相当程度の賛意を得る、そうしたアメリカ市民の感情・現実も我々は肝に銘じておく必要があるわけです。自らの国は自らが守るとの国民の意志は欠いてはならないのです。

 

おわりに

 

 続いて、日経新聞の3月27日の紙面「安全保障関連法29日の施行 防衛新時代 Interview 識者はこう見る」に驚くべき記事がでたわけです。

 

 それは中国を代表するという国際政治学者の精華大学教授の閻学通氏が次の

ように語った、とするものです。

 

「安全保障関連法による日米同盟の強化は戦争回避には不利に働く。米国は同盟強化によって日本やフィリピンに中国と対決する意思を固めさせた。米国の同盟国との代理戦争が起きる可能性はむしろ高くなった。だから中国は国防の強化をしている。(中略)中米間には核抑止が効くので直接戦争をすることはない。米国の同盟国は米国の同意がなければ戦争をしない。だから中国の外交政策の本筋は米国にある。日本やフィリピンとの戦争を回避するために中国が努力する必要はない。中日の国民感情が悪化した最大の要因は安倍政権の対中政策だ。安倍政権は安保法などの国内政策を実現するための中国との敵対関係を必要としている。」

 

 このインタビュー発言は本当に事実通り訳されているのでしょうか。もしそれが事実としたら、それは恫喝以外の何物でもりません。「China 2049 」でピルズベリー氏が述べた中国人民解放軍の「タカ派」と何ら変わらず、国際政治学者とは到底思えません。又、氏が挙げた事実もここ5,6年の中国の動きとは大きく異なるのではないでしょうか。

 中国との関係が急速に悪化したのは民主党政権時で、尖閣諸島近辺で日本の巡視船に中国漁民船を衝突させたのも2010年9月です。しっかりした歴史観を持たず、腰の定まらない民主党政権が慌てふためき、尖閣諸島の一部を日本人の個人所有から国有化に移行させたのも2012年9月です。その報復でしょうか、その時、レアアース輸出を大幅削減し、軍が管理する立ち入り禁止地区に侵入したとして日本の民間人4人を逮捕。更には中国全土で官製反日デモを起こさせたのも弱体した民主党政権時であり、安倍政権時代ではありません。方や、それに先立ち当時の民主党小沢一郎が100名ほどの国会議員を中国に引き連れ、一人一人が当時の胡錦涛国家主席と壇上で握手させるという、異様な光景がテレビ画像で流されました。あのような卑屈な外交をしたのも民主党政権の時代でした。

 

 皆さん、いかが思われますか。我々は改めて戦後日本の外交史を再検討し、その現実を認識する必要があるのではないでしょうか。侵略戦争という原罪を背負い、その贖罪意識から来る日本人の一連の思考・行動が日本自らを縛っているのかもしれません。細谷雄一著「歴史認識とは何か」、服部龍二著「外交ドキュメント 歴史認識」には中国、韓国に翻弄された日本の外交史が記されています。

 

2016年4月13日

                        清宮昌章

 

参考図書

 

マイケル・ピルズベリー「China 2049」(野中香方子訳 日経BP社)

ステイーブン・ローチ「アメリカと中国 もたれ合う大国」(田村勝省訳 

                         日本経済新聞

原彬久「戦後政治の証言者達」(岩波書店

細谷雄一歴史認識とは何か」(新潮選書)

服部龍一「外交ドキュメント 歴史認識

長谷川三千子「正義の喪失」(PHP文庫)

山本七平「あたりまえの の研究」(ダイヤモンド社

選択 4,5月号

文藝春秋4月号

海外事情1,2,3、