清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通して

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佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通して

 

再投稿に際して

 

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 東京経済大学・名誉教授の色川大吉氏が月刊誌、今年「選択6月号」の巻頭インタビューに【コロナ禍という公害の教訓】として、「今回のコロン禍によるパンデミックと地球温暖化は、根底でつながっているのではないか。コロナ禍が世界中の人々に強制的な行動変容をもたらしたおかげで、北京では青空が見える日数が増え、ベニスでは運河の水も澄んだ。コロナ禍と地球温暖化は一本につながっているようだ。ごく短期間に地球規模で人々の行動が変わるのは歴史上始めてのこと。人間の飽くなき欲望が、新たなウイルスを生む土壌なのかもしれない。少なくとも世界規模で弱者や貧者に多大な被害を及ぼしたという点で、公害と本質を同じくしているのは間違いない。この機に我々は生きることの意味や、何が正義か、何が豊かさかを考え直さなければならない。新しい価値観や思想を示さなければ、コロナ禍は何の教訓も残さないことになる」と記されております。

 

 色川大吉氏は学徒出陣を経て復員後、東大文学部を卒業後、東京経済大学教授として、一貫して民衆の視点に立ち、昭和史、自分史等々を発刊されております。私は氏の「昭和史世相篇」、「ある昭和史」、「昭和へのレクイエム」、「若者が主役だったころ」等々、大分読み込んでおります。「選択6月」の巻頭インタビューで、現在95歳になられるお姿を久し振りに拝見しました。色川氏とは直接の関連はありませんが、今から5年ほど前の下記の弊投稿を読み返し、若干の補足をし、再投稿もそれなりの意義があるかも、と思ったところです。長いブログですが、改めて一覧頂ければ幸いです。

 

 2021年6月7日

                         淸宮昌章

 

 

はじめに 

 

 舛添知事の辞任に関する一連のテレビを中心とした報道に皆さんはどう思われますか。私は、またも始まったという実に不快な思いを禁じ得ません。

 

 なにも舛添元知事を応援するということではありません。ただテレビに出てくる司会者、コメンテーター等々による、独りよがりの思いつきの正義といったものに私は強い嫌悪感を抱くわけです。情報がテレビから他の媒体に移行しているとはいえ、その元になっているのはテレビ等の報道によるものが多く、そうした報道に世論と称するものが大きく左右される、その現状に不快を感じるわけです。

 

 加えて、テレビ等に現れる皆さんの応答はどういうわけか、「都民として舛添知事の言動は許せない」となるわけです。何故、「私は許さない。反対です」とならないのでしょうか。そうした第三人称的表現はいつ頃から出てきたのでしょうか。なにか全てが第三者的表現になっており、そこにはあるべき個人が存在していないように私には思えるのです。

 

 いずれにもせよ、今回の一連の舛添辞任事件はテレビで名前を売り出し、そして正義とは全く別物である、テレビ等の商業主義に裏切られた、と私は考えます。舛添元知事の自信過剰のなせる仕業なのか、あるいはマスメデイアを軽んじた結果なのか。指導者たる者、あるいは目指す者、公私の区別は当然のことですが油断は禁物、責任をとらないマスメデイアは要注意なのです。

 

 今回の事件とは直接関係するわけではありませんが、大野裕之著「チャップリンとヒトラー」はメデイアについて、一つの参考になるように思います。本書は1889年4月16日生まれのチャップリンと、4日遅い同年の4月20日生まれであるヒトラーとの戦いを描いた映画「独裁者」の誕生に至る経緯を綴った研究書です。「独裁者」はチョビ髭の放浪者チャーリーが登場する最後の作品であるとともに、チャップリンが台詞を喋った最初の作品です。

 

 加えて、史上初めてそのキャラクター・イメージを全世界に行き渡らせたメデイアの王様チャップリンと、イメージを武器にメデイアを駆使して権力の座についたヒトラーとの対比を描いたものです。今日の我が国のメデイアを考える上でも極めて参考になると思います。本書の中で、いわゆる時の進歩的知識人といわれた高見順でさえ、戦前においては映画「独裁者」に対し、「天に唾するような結果」との酷評が戦後、百八十度変わってしまうことを嗤うのはたやすい。しかし、より注目すべきことはメデイアが作り出す世論と称するもの、時の流れ・リズムである、との大野氏の指摘があります。

 

古川隆久著「昭和史」への違和感

 

 古川隆久氏については、優れた著書「昭和天皇 理性の君主の孤独」を以前、御紹介致しました。今回は同氏が若い方々にも読んで頂きたいとの思いもあり、本書を著わしたようです。ただ、戦前・戦中・戦後を一冊の新書版で綴るのは、少し無理ではなかったかな、と僭越ながら私は感じております。

 

 著者は昭和史をみる観点として、一つは庶民の視点を重視したいこと。二つは国際関係を重視したいこと。三つは少数者の観点を忘れないようにしたい、記されております。そのような観点からもあるのでしょうか、主要参考文献には私がさほど目を向けてこなかった文献も数多く、改めて一読を感じました。著者は最後の章で「昭和天皇は、一生のうちに最高権力者と国民の象徴という、全く異なる立場を経験し、戦後は毀誉褒貶のはざまで苦しんだ。昭和という時代の複雑さを体現した一生だった。」(370頁)、本書を結んでいます。

 

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 かの高名なヴァイツゼツカー大統領の「荒れ野の40年」、「愛国心を考える」、「基本法と共に40年」等々の演説集を読んだ読んだ影響でしょうか、古川氏の今回の著書で私が違和感をもった箇所をあげます。第4章・民主化と復興の中で古川氏の次の指摘です。

 

 だから、東京裁判や戦犯裁判は、ドイツにおける戦犯裁判と同じく、史上空前の犠牲を出した大戦争、という不条理な愚行によって家族や友人を亡くし、営々と築いてきた生活を壊され、心身ともに傷ついた内外の人びとのまっとうな怒りに、人類社会が対応するために必要な手続きだったといわざるをえない。(古川隆 昭和史 244頁)

 

 私が何故に古川氏の指摘に違和感を持つのか、以下、私なりの感慨をご紹介したいと思います。

 

佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」への私感

 

 前回の2016年4月13日の拙稿「安全保障関連法案の施行について思うこと」の最後に、「・・侵略戦争という原罪を背負い、その贖罪意識から来る一連の思考・行動が日本自らを縛っているのかもしれません」、と記しました。そのようなあやふやな私の感慨に本書は明快なひとつの回答を与えてくれました。尚、本書はニューヨーク駐在時代にお世話になった取引先銀行の支店長で、帰国後は副社長等々歴任された方で、30数年経った現在でもお付き合い頂いております。そして数ヶ月前に本書を紹介して頂いた次第です。

 

 佐伯氏はその序論に記しています。長くなりますがご紹介します。

 

 愛国心について書くことは難しい。ひとつの理由は、この主題がどうしてもある種の価値判断や態度選択を迫るところがあるからだ。愛国心という言葉を聞いて全く無関心というならともかく、多少とも関心をもつ者であれば、この言葉に対して全面的に価値中立的、あるいは感情中立的というわけには行かないであろう。

 

 どこか身の引き締まる思いをもつ者もいるだろうし、逆にほとんど反射的な嫌悪感に襲われる者もいるであろう。どちらにしても、これほど評価の分かれる観念はそれほど多くはない。愛国心を論じるということは、多少なりとも思想的に踏み絵を受け踏まされるようなところがあり、それゆえわざわざ、頼まれもしないのに自ら進んで踏み絵を踏もうなどというもの好きもあまりいない。・・(中略)愛国心を論じるにはもうひとつの困難がある。(中略)愛国心というのに対する今日のわれわれの態度が、奇妙にねじれ、いわば抑圧と暴発のはざまにあって不安定に揺れ動くものになっているからである。その理由は簡単である。今日の日本の愛国心の問題は「あの戦争」と切り離すことができないからだ。そもそも「あの戦争」を、大東亜戦争といったり、太平洋戦争といったり、あるいは十五年戦争といってみたり、アジア太平洋戦争と呼んだり、しかもその呼称そのものに党派制が生まれてくる、といういささか異常な事態を思い浮かべてみただけでもこのことは明かであろう。呼称が定まらないという異常さは、戦後日本のナショナリズムの問題の特異な性格へと直結してくる。(12頁~20頁)

 

 以下、私なりに要約しますと、この問題を複雑にしたのは、「あの戦争」をただ敗北の戦争であったとういだけでなく、道義的にも誤った戦争であり、日本は、ただ英米と戦って敗れたのみならず、アジア諸国への侵略戦争を仕掛けるという誤りによって大戦を引き起こしたのであり、それゆえ断罪されてしかるべきある、という価値が付加された。これが戦後日本の公式的な戦争解釈であり、戦後平和主義や民主主義の基底においていっさいの疑問を拒絶したのが戦後日本の思想空間であり、その思想空間にしっかりと胡座をかいたのが左翼であった。

 

 一方、保守派は「積極的な戦争解釈を打ち立てるというよりは、左翼的な「侵略戦争史観」の公式化に対する反発的なニュアンスが強く、「アジアの開放」という「意図」も無視しえないし、当時の列強による帝国主義的国際状況とアメリカの圧力を無視しえないという。

 だが、ここで奇妙なねじれができてしまっている。通常は反体制を自認する左翼が実はどっぷりと戦後体制の公式的価値観に浸かっており、通常は体制派とみなされる保守派が、戦後の体制的(公式的)価値を批判しているからである。

 

 上のような序論から本書は始まり、第一章「愛国心という難問」、そして、ナシナリズムや愛国心についての思想的で概念的な事項に関する第二章「愛国心と愛郷心とナショナリズム」、第三章「愛国心と近代国家の論理」等々と展開していきます。

 

 今回も、本書全体を解説するのではなく、私が共感、感銘を受けたところを紹介致します。従い、著者の言わんとすることとは異なり、私の単なる勘違い、誤解も多々あるかもしれませんが、ご容赦願います。

 

 その1 愛国心と二重価値

 

 第一章「愛国心という難問」で、著者が戦後日本は、価値観の上で「二重国家構造」となっていった。公式的には戦後は戦前の否定の上に成り立った。しかし非公式には誰もそれを額面通りには受け入れなかった。多くの人は、戦争についての無条件の反省をあたかも踏み絵を踏むかのようにいくぶん躊躇しつつも表明し、他方で「誤った戦前」と「自由と民主主義の正しい戦後」という公式的対比は、敗戦日本を国際社会に復帰させ、復興するための、なかばやむをえない手続きだと考えた。公式的には、自由・民主主義・平和主義という「普遍的価値」を唱え、非公式には「日本的なもの」への関心を保ち続けるわけという「二重価値」を作り出した。その公式的価値は保坂正康がいう「顕教」である一方、非公式な日本的なものは「密教」とも称すべきで、その「顕教」が力を持った、と著者は指摘しています。

 

 さらに、戦後の知識人の世界にあっては、「ナショナル・アイデンテイテイ」に関する思考や概念は極力回避されるといった偏った傾向が醸成されてきた。戦後日本の社会科学の大勢は、体制批判を行うという批判主義的ポーズを衣装として、実は最も「戦後体制」に寄り添ってきた。それは戦後の公式的言説の代弁者を引き受けてきた。丸山真男に呪縛されてきた。「愛国心はなくならない。ではそれを民主化すればよい」という議論において、戦後日本の愛国心という問題の決定的な論点が抜け落ちており、良かれ悪しかれ戦後日本の愛国心は、もっと屈折したもの、いわば心理の下層に鬱屈して捉えがたいある種の感情を含んでいる。そのことを直視することを戦後の知識人はタブーとしてきた、との著者の指摘です。

 

 その2 負い目とはなにか

 

 前回の拙稿「安全保障関連法案の施行について思うこと」において、私は「侵略戦争の原罪・贖罪意識」という表現をしました。対し、碩学の著者は「負い目」という心に刻むような表現をされております。改めて私は納得というか、共感を覚えたところです。

 

 佐伯氏は第四章「負い目をもつ日本の愛国心」で、8月15日を「終戦記念日」とするが、それはなんの記念日であろうか、と問うわけです。丸山真男のように、この日を境にして新生日本が立ち上げられたという、意味があるだろう。しかしそれはひとつの価値観であり、さらにいえば占領政策を行ったアメリカの価値観で或る。進歩的知識人が理想化した戦後民主主義と平和主義は、実はGHQによってもたらされたもので、そこには敗戦と占領という現実が横たわっていた。この現実から立ち現れる「傷つけられた誇り」に蓋をして、そのいっさいを忘れたかのように振る舞う戦後知識人の倒錯こそが、鬱屈したナショナリズムを生み出す。実際には戦後左翼知識人の多くは、戦争中は愛国主義者であった。

 

 とすればそこにはどうしても「負い目」があるはずで、それはまさに「日本人であるという意識を持って死んでいった者」への「負い目」以外の何ものでもない。あの戦争において、あたかも「犬死」であるように扱われた死者たちへの鎮魂はどうなるのか。戦後という、のっぺりした時空の中で、表面的には民主主義がにぎやかで騒々しい大衆政治を実現し、ありあまるほどの国民的資産を何に投資してよいかわからずに呆然としている今日の「日本人」を見たとき、この平和と繁栄を、戦前の「過ち」を改めたからというだけで礼賛できるのであろうか。それでわれわれは「死者」への責任を果たしたことになるのだろうか、と佐伯氏は鋭く突きつけています。

 

 私が以前にご紹介してきましたが、「死者の目になりかわって戦後を見てきた」吉田満についても本書は多くの頁をさいています。以下触れてみます。

 

 「戦艦大和ノ最後」に記された臼淵大尉の「敗レテ目覚メル。ソレ以外ニドウシテ日本ガスクワレルカ」という臼淵大尉の証言を引用し、続けて「臼淵が、そして彼とともに多くの志ある青年が、死を代償に待望した輝かしかるべき日本の戦後社会は、同世代の最も傑出した才能、三島由紀夫によって、完全に否定されるに至るのである。・・(中略)政府から金をもらって特権的な立場において優雅な大学教授をやりながら反政府的言辞を弄して平和や民主を唱える知識人を、いかにも良心的で「進歩的」として賛美するメデイア。「恐るべき俗化の時代」とはこのような欺瞞を醜悪とも薄汚くとも思わなくなった戦後の「進歩主義」的精神であった。三島はそこに耐え難い腐臭を嗅ぎ取ったわけである。(本書 221,222頁)

 

 その3 歴史観と愛国心を問う

 

 東京裁判を受け入れることの意味あいは何か。重要なのでその全文を以下紹介します。

 

 日本、ドイツ、イタリアは同盟国であったが、それを皆ひとくくりに世界制覇の意図をもったフアシズム、という一語でくくることができるのか。特に、ナチス・ドイツと日本の天皇制・軍国主義は同一視できるのか。ドイツの場合に決定的な問題のひとつは明確な意図をもったユダヤ人殲滅であったが、これに相当する意図的計画は日本にはなかった。

 

 あの戦争をフアシズムの世界支配から自由や民主主義を守る戦いとみなすのはあくまでアメリカの立場であり、それ自体が、また後述するようにひとつの歴史観を体現したものであった。日本はその種の歴史観は果たして共有しているのであろうか。

 

 軍国主義的な戦争指導者と、彼らの犠牲になった国民という分離は果たして可能なのか。むしろ、開戦にいたる経緯においては、マスメディアも含めて、国民の大半は積極的に戦争を支持もし、日本の「国力の増進」に喝采を送ったというべきではなかったか。

(本書 273,274頁)

 

 この三つの論点について、多くの者は決して納得できているわけではなく、ここに歴史観の二重構造ができた。公式的には東京裁判の判決だけではなく、ひとつの歴史観としての「東京裁判史観」まで受けいれたかのように見做した、との著者の指摘です。

 

 私が先にあげたドイツの敗戦40周年に際しての大統領ヴァイツゼッカーの国会演説との比較において、古川隆久氏が日本の「あの戦争」をドイツのそれと同一するかのような指摘に私は違和感を持つわけです。

 

 さらに著者は第六章「日本の歴史観と愛国心」へ論を進めます。学徒兵が戦地に携えた「万葉集」にも言及し、日本人の精神に流れるものを模索しながら、日本の歴史観、愛国心とはなにかを進めて行きます。

 

 

 その4 もうひとつの愛国心とは

 

 一般的には日本の近代史において、明治の国家建設は誇るべくものであったが、昭和に入り統帥権を盾にとった陸海軍の独善と暴走によって戦争が引き起こされた。すなわち、基本的に明治以降の日本の近代化は評価されるものの、昭和の時期、とりわけ満州事変以降の一時期は本来の近代化からの逸脱であった。これは司馬遼太郎、丸山真男にも共通する見方である。しかし、事態はそれほど容易なものではない。明治の近代化は肯定されるべきだが、問題は昭和の軍部独走にあった、という了解は妥当であろうか。歴史事実の検討ということではなく、論理の問題、日本の近代化というロジックに内在する思想の問題においてなのだ、と著者は指摘するわけです。続いて、以下のように論を展開致します。

 

 昭和の大戦へ向かう日本には、当時の政治指導者たちの無責任、軍部の専横、外交の失敗などといういかにももっともな解説ではとても了解できないある「流れ」があり、その「流れ」が、政治家も外交官も、軍人も、国民を丸ごと飲み込んでいったのではなかったのだろうか。歴史学がいかにそれを迷妄と呼ぼうと、そのような感じ方が「日本」の中にあることは歴然としている。このように考えたいのである。(310頁)

 

 さらに西田幾太郎の京都学派の問いかけ、哲学も歴史観は、戦後いっさいかえりみられることなく排斥され、あるいはきびしく封印された。だがその問いかけは本当に間違っていたのか。そして以下のように続きます。

 

 丸山真男は、西欧と比した場合の、日本の後進性を、まさにこの天皇像の中に見いだした。日本の天皇は、西欧の立憲君主とは異なり、国家の源泉であり、本来は私的で個人的なものであるはずの価値や信仰を天皇が独占し、それが国民全体の価値となった。その結果、日本では個人の私的領域が十分に自立できず、すべてが「お上の意思」にしたがうという全体主義国家へと移行していった、というわけである。(366,367頁)

 

 しかし、それはあくまで西欧近代国家を基準にしたものである。問題は何故に日本が矛盾を抱えた天皇制を国家の中心に据えなければならなかったか。明治維新が「革命」であると同時に「復古」でなければならなかったか。明治維新は西洋の衝撃のもとで日本を近代化するという大事業の機転となったのであり、その近代化は日本の歴史的伝統と、その伝統にまつわる本来の日本的精神への復古でもあったはず。日本が西欧型の近代国家建設に遅れをとったと批判しても意味はない。明治以降の日本の近代なるものが、いかにして西洋中心に拡張する世界の中で日本の独立を確保するか、という世界的状況への苦肉の回答だったということだけであろう。

 従い、明治以降の日本近代化の帰結としていえば「大東亜戦争」こそ、まさにその種の戦いであった。こういう理解は当然でてくるであろう。そしてこの宿命的な性格は、敗北の美学という哀調を持った悲劇的性格へと結びつけられていった。いかなる戦争にあっても生じる残虐、非人道、大量殺傷という普遍的な悲惨の中にあって、日本の「あの戦争」をすこしばかり特異なものにしている悲劇的な性格は、日本の近代化のプロセスとその帰結としての「日本的精神の敗北」という自意識にあるだろう。いわゆる特攻こそがその悲劇的性格の象徴であったと、著者は記しています。そして、「日本の愛国心」とは何かについて改めて検討するわけです。

 

 あの戦争については、アジア・太平洋戦争という「侵略戦争史観」と大東亜戦争という「解放と自衛の戦争史観」に二つが対立しあい、日本の「愛国心」へ向かう態度も常にこの対立に焦点を当てたもので、この二つの「史観は」永遠に和解し得ない。そして「愛国心」という概念はこの構図に対する評価を示す象徴的概念になっている、すなわち侵略戦争史観=反愛国派、大東亜戦争肯定論=愛国派という図式である。

 

 しかし、この時代に生きた者たちは、目の前の戦争が侵略戦争か解放戦争かなどと考えて戦争に臨んだわけではないし、戦争の意味を正義の観点から評価しようとしたわけでもない。彼らは、ただ苦難の中で、戦争というものを経験したのであり、その限りで、戦争の意味づけなどとは関係なく、程度の差はあれ「愛国心」を発揮しようとしたというほかはない。ここでは「愛国心」に良いも悪いもない。地獄のような戦場へは行きたくない、死にたくない、とんでもない戦争である、というのはしごく当然の感情であろう。だがそこに作動する、決して声高に叫ぶものではない、底辺の「愛国心」というものがその悲痛を支えようとするだろう。かくて二つの「史観」のもう一歩奥底には、戦時という経験の中で、出征する兵士たちの心情とある程度つながった「愛国心」のありようがあったであろう。しかも、戦争が悲惨なものとなればなるほど、「愛国心」も悲劇的な調子を帯びてくる。(387頁)

 

 万葉時代から見られるわれわれの奥底に沈殿している「日本の精神」や「日本の歴史認識」に遡ることが必要なのではなかろうか。その上で、この(表面上は)豊かで平和な時代だからこそ、あの日本の歴史の中でもっとも苦悩に満ちた時代の人々の生をある共感を持って想起したい。われわれの生きているこの時代の対極にあったような時代、日々死と直面していた時代にあって、人々を支えた「日本」というものの表像について想起したい。そうしたことにより、われわれは、ささやかながら「伝統」の正当な継承者になっていることができるのであろう、と著者は本書を結んでおります。如何思われるでしょうか。

 

 2016年7月1日

                        淸宮昌章

 

参考図書

 

 佐伯敬思「日本の精神」(中央公論社)

 大野裕之「チャップリンとヒトラー」(岩波書店)

 古川隆久「昭和史」(ちくま新書)

 同   「昭和天皇」(中公新書)

 永井清彦編訳「ヴァイツゼッカー大統領演説集」(岩波書店)

 吉田満「鎮魂戦艦大和」(講談社)

 同  「戦中派の死生観」(文芸春秋)

 同  「散華の世代から」(講談社)

 江藤淳「言語空間」(文芸春秋)

 司馬遼太郎「昭和という国家」(NHK出版)

 丸山真男「現代政治の思想と行動」(未来社)

 選択2016年5,6月号

 他