清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

この1年のブログ「淸宮書房」を省みて  

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1.はじめに

 

 昨年6月の「自らの後半の人生を省みて」の投稿は何か自慢めいた内容なので、少々不安を持っていましたが、多くの方から好評を頂きました。加えて、各時代、各場所での先輩、後輩からも心温まるメールをも頂き、何かほっとした次第です。尚、昨年の7月時点では、フェイスブックによれば上記投稿が72篇の中で一位となっている一方、弊ブログ「淸宮書房」のアクセス数もお陰様で39000台になろうとしておりました。

 

 因みに、二位は同年4月20日の投稿で、コロナ禍にも関する「この一ヶ月半、ブログ『淸宮書房』の投稿を省みて」でした。三位は2018年7月の投稿で、従来の一連の流れからは少し異なりますが、吉祥寺の古本屋で偶々見いだした、「小島政二朗著『小説 長い荷風』に遭遇して」で、私の高校時代の思い出をも付記しました。四位は2016年9月の投稿「再度・堀田江理『1941 決意なき開戦』を読んで」です。本書は日本の真珠湾攻撃に到るまでの八ヶ月を当時の社会状況、文化人・知識人、近衛文麿、大手新聞のマスメデイア等々、詳細に記されたものです。五位は2020年3月の「加藤陽子著『天皇と軍隊の近代史』を読んで思うこと」です。歴史とは何か、過去の痛苦を忘れないことや、戦争の前兆に気づくことだけが戦争を考えるときに、それほど万能な処方箋ではない。言葉の力で21世紀を生きていかなければならない若い世代に本書は語り掛ける、というものです。

 

 尚、現在は投稿も90篇となり、お陰様でアクセスも48000台になろうとしております。加えて、注目記事も「補足」に記したように大きく変動しております。

 

 方や、昨年11月には心カテーテルの手術で3日間の入院をも経験しました。私は何の仕事もしていないので、コロナ禍の中で自粛という言葉は私には不釣り合いですが、自分なりに自粛生活を続けております。何故か、半年以上になる頸椎ヘルニアによる右手の痺れも完治し、パソコンも、読書も、テニスも、日常生活には何らの支障もなく、健康な身体に感謝、感謝の日々を送っております。ただ、自らも最終章にきていることを承知してきた為でしょうか、佐伯啓思氏が今年の5月に発刊された「死にかた論」(新潮社)も読み始めております。尚、氏の著作は私なりに大分読んでおり、大いに啓発させて頂くと共に、新たな観点で私が事象を見るようになったと思っています。

 

 コロナ・パンデミックは経済のみならず、日本及び世界の情勢に今後どのような影響を及ぼしていくのでしょうか。加えて、中国共産党独裁政権の動向は極めて重大な結果をもたらすと、私は幾度となく触れて来ました。米国トランプ政権の出現とアメリカ社会の分断現象の現実。そしてバイデン政権の今後の有り様は米国のみならず、世界政治・経済に大きな影響を与えると思いますが、中国共産党独裁政権の動向、中華大国の復権を掲げる危険性は収まるどころか、そのコロナ禍に乗じて益々強硬に、中国共産党百周年にあわせ、強引に「一帯一路」の政策を推し進めていくでしょう。

 

 我国は大きく変貌した現状にどう向き合い、戦前・戦中のみならず、敗戦後の日中関係の経緯・結果の歴史事実を踏まえ、この平和ボケから脱却し、価値観を共有する各国と共同し、日本の有り様・行動を明確・鮮明に打ち出して行くべきと私は考えます。極東の一番端っこにある日本は覇権を求めるのではなく、「自由で開かれたインド太平洋構想」への積極的な参画が重要です。

 

2.「新聞と戦争」他を読んで

 

 そうした現状下、昨年の7月改めて北岡伸一・細谷雄一編「新しい地政学」(東洋経済新報社、2020年1月出版)、並びに朝日新聞出版「新聞と戦争」(2008年6月出版)、及び同出版「新聞と昭和」(2010年6月出版)、加えて、むのたけじ著「戦争のいらぬやれぬ世へ」(評論社、2007年4月出版)に眼を通し投稿致しました。尚、「新しい地政学」は地政学とは何かを改めて見る上で、大いに参考となりました。1年前の投稿に補足、下記の再投稿を致しました。

 

 尚、朝日新聞はいつから現在のような在り様になったのか、ある種の興味があり、朝日新聞中国総局編「紅の党 完全版」(2013年出版)の広告欄に載っていた上記「新聞と戦争」及び「新聞と昭和」を取り寄せたわけです。両書とも極めて真剣に取り組んで良書ですが、僭越ながら期待した半分というのが私の実感でした。以下は単なる私の感想ですが、記して参ります。

 

 「新聞と戦争」によれば、戦前の朝日新聞の論調が軍の論調に沿う、否、宣伝機関となったのは1931年の満州事変からだと記しています。では、何故そうなったのかについては明確な分析をしてこなかった。そうしたことが、戦後から今日に到るまで、朝日新聞の質を大きく落として行ったことに繋がったのではないでしょうか。もう二十年前になるでしょうか、私はそれまでは朝日新聞の何十年にわたる購読者でしたが購読を止めました。

 

 尚、本書の中で、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授が報道の自由が守られている現在の米国さえ(イラク戦争に関してですが)、メデイアは十分な役割を果たせなかったわけで、自国の戦争を批判的に報じることは、今も決して簡単な課題ではない、と指摘しつつも次のように語っています。氏の指摘に賛同しており、そのままご紹介します。

 

 日本が第二次大戦へ向かう最大の節目は、1931年の満州事変だった。当時、満州にいた朝日新聞の特派員と日本の関東軍が密接な関係だったことや、事変は関東軍の謀略ではないかと疑った人々が朝日の本社にはかなりいた事実を、連載「新聞と戦争」は明らかにした。

 しかし朝日はその疑いを公には問題にしないまま、「満州国」が作られていくという悲しい道を日本はたどった。朝日新聞が関東軍による満州事変を結局認めてしまった要因は、(1)軍や右翼からの外部的な圧力、(2)国益への配慮などによる自主的な規制、(3)新聞が売れなくなることを恐れる社益の顧慮、の三つだ。「新聞と戦争」もそれを詳細に指摘したが、どの要因が最も重かったか結論は書かず読者の判断に任せている。(新聞と戦争 564、565頁)

 

 残念ながら、本書に続く「新聞と昭和」にもそうした流れであり、朝日新聞の質がここ三十年数年になるでしょうか、急速にその質を落としていくことに繋がった、と私は考えます。

 

 むのたけじ氏については以前より取り上げておりますが、終戦の日、朝日新聞を辞め、秋田の横手でタブロイド版「たいまつ」を発行し続け、101歳で亡くなられるまで現役を貫いたジャーナリストです。私が学生時代、氏の「たいまつ16年」は私に大きな感動を与え、引き続き氏の著作を次々と読んで行きました。僭越な言い方ですが、私は氏の全てに賛同しているわけではありません。むのたけじ氏が92歳の時、本書の中に対談形式として登場して参ります。同時に、氏は「戦争をいらぬ、やれぬ世へ」を発刊しており、その中で氏は次のような印象深い指摘をされております。

 

 私は天皇年号の昭和11年、1936年に新聞記者になりましたが、この時まで新聞社というのは自分たちを言論機関と称しておった。それはまさにジャーナリズム、報道ということです。あそこに何があったというストレートニュースを積み重ねることで、その背後にあるものを一つの思想の体系まで編み上げる作業なんだ。だから言論機関だ。ところが大本営報道部というものが軍閥の中枢部に出来たら、新聞社は自分らを報道機関と言い換え始めた。その時に批評・評論・主張・思想の形成という部分が弱まったのではないかどうか。・・(中略)ジャーナリズムがジャーナリズムになるためには、絶えざる自己反省、自己点検、内部でその仕事に携わる人たちの、己の姿を歴史の節目、節目に立ち止まって点検し、一つの合意ですね、確認し積み重ねて行く、その作業が大事なんです。・・(中略)ジャーナリズムの仕事で生きる人間は反権力になる必要はないんですよ。ならなきゃいかんのは権力に対しして自分という独立の、権力に対等の自分をつくることなんです。・・(中略)ジャーナリストは誰でもなれるが「権力に対して対峙しながら、独自の存在である」という自分をつくる、そういう意欲をもっている、これ一つだけが条件だろうと私は思う。(本書95,96,111頁)

 

 如何、思われるでしょうか。加えて現在の新聞各社、更にはジャーナリストと称する、否、称される方々は如何でしょうか。

 

 現在では新聞各社は報道しない自由もあり、報道機関とさえ言えず、大衆に単なる迎合するマスメデイアになっているのではないでしょうか。方や、その影響力は時の世論を左右するほどの強大な力を持ち、誰も制御できない危険性、自浄作用が効かない落とし穴に落ち込んでいるのではないでしょうか。その要因のひとつは新聞各社が種々の新聞以外の事業に手を伸ばし、大きくなりすぎた経営にあるのかもしれません。いずれにもせよ、そうしたマスメディアの弊害・危険性に関しては、幾度となく私なりに触れてきましたが、自分なりにもう少し調べてから、感想などは後日、改めて記したいと思っております。

 

 方や、マデレーン・オルブライト「ファシズム」(みすず書房)、ジェイソン・スタンリー 棚橋志行訳「ファッシズムはどこからやってくるか」(青土社)、エリカ・フランツ「権威主義」(白水社)、デイヴィッド・ランシマン「民主主義の壊れ方」(白水社)等を読んでおります。民主国が専制国家、権威主義へと変貌する事実を物語っています。後日、私なりの感想など記して見たいと思っています。

 

2021年7月1日

                       淸宮昌章

 

 

蛇足 ブログ「淸宮書房」の注目記事(2021年6月29日 時点)

 

第一位

佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通してhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2016/07/01

 

 佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通して 再投稿に際して 東京経済大学・名誉教授の色川大吉氏が月刊誌、今年「選択6月号」の巻頭インタビューに【コロナ禍という公害の教訓】として、「今回のコロン禍によるパンデミックと地球温暖化は、根底でつながっているのではないか。コロナ禍が世界中の人々に強制的な行動変容をもたらしたおかげで、北京では青空が見える日数が増え、ベニスでは運河の水も澄んだ。コロナ禍と地球温暖化は一本につながっているようだ。ごく短期間に地球規模で人々の行動が変わるのは歴史上始めてのこと。人間の飽くなき欲望が、新たなウイルスを生む土壌なのかもしれない。少なくとも世界規模で弱者や貧…

 

第2位


弊ブログ「淸宮書房」を顧みて  
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2021/05/25/142850

 

 弊ブログ「淸宮書房」を顧みて このコロナパンデミックにあって、ある種の思いを感じながら、かっての自費出版「書棚から顧みる昭和」と同じような思いで、今まで弊ブログに投稿した90篇に近い駄文の中から5篇を選び、この4,5月に亘り「再投稿にあたって」を加え、私なりの感想、思いを改めて加え、再投稿致しました。 私が取り上げた諸氏による著作それぞれに直接の関連性はないのですが、私自身の想いは一貫性をもっている、と考えています。尚、現下の自粛生活のためでしょうか、お陰様で弊ブログへのアクセスがここに来て増え、4万7,000台に近づいております。加えて、この数ヶ月でその注目記事の順位も私自身も驚くほど、大き…

 

第3位

吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2021/06/16/140521 

 吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて 再投稿にあたり 本投稿に関しては、2016年12月19日、続いて2019年12月19日に改めて「再投稿にあたって」を加えました。長い投稿なので二回に分けた投稿した次第です。戦後74年になるにも関わらず、その戦後を未だ脱却できない、という私の想いを綴ったものです。 尚、元になる投稿は2012年にイアン・ブレマー著「Gゼロ後の世界・・主導国なき時代の勝者はだれか」、及び、高坂正尭没後20年にあわせ編纂された「高坂正尭と戦後日本」、加えて、高坂正尭とほぼ同年の三谷太一郎氏の「戦後民主主義をどう生きるか」を読み比べ、私の感想などを織り込んで記したも

 

第4位


小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/07/11/123752

 

 小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して 再投稿 一年ほど前に投稿したもので、私のかすかな思い出も入れながら記したものです。何故か、この11月に入り、66編の投稿の中で注目記事の5番目になっております。その理由は分かりませんが、今までの投稿の中では少し趣が異なっております。何か嬉しくなり、改めて、以下ご紹介する次第です。 2019年11月21日 淸宮昌章 はじめに 東京都武蔵野市吉祥寺に所用があり、その帰り道、とある古本屋を覗きました。神田以外ではほとんど姿を消した、かっての風情を残す古本屋で見つけたのが掲題の本書です。 私は文学について素養がないこともありますが、永井荷風については「濹東綺譚…

 

第5位

渡辺浩平著「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」を読んでhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/08/15/151039

 

 このコロナ禍の中で思うこと 昨年(2020年)9月28日、定期健康検診の際、心電図の微妙な変化から狭心症の疑いとのことで、総合病院での検査の結果、11月24日入院、25日心カテーテルの手術、27日退院。今まで何の症状もなく、掛かり付けの先生に見つけて頂き、事なきを得、何か寿命が長くなったのです。このコロナ禍にあって、その感染・予防・治療に懸命に対応されている医師の方々、並びに看護師の皆さん、スタッフ、職員の方々を目の当たりにし、感謝と共に何か複雑な想いを抱きました。入院は初めての経験でもあり貴重な体験を致しましたが、コロナ禍は決して他人事ではありませんでした。中国共産党独裁政権の,、何か他人事…

 

                                                                     以上

 

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