清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

故・西部邁に改めて思うこと

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再投稿に当たって

 

 私自身がこの8月で81歳。人生の最終章にいるとの思いに加え、このコロナ禍が佐伯啓思著「死に方論」を取り上げ読んでみようと思った理由でしょうか。「死に方論」については私なりの感想などは後日、記したいと思っております。

 

 方や、3年ほど前になりますが佐伯氏の盟友とも言える西部邁の著作を取り上げ、西部邁の本論・本質とは別の事かもしれませんが、私なりに感じる事などを記しました。今回、その投稿を改めて再読し、若干の補足し、以下再投稿致します。

 

 2021年7月6日

                          淸宮昌章

 

はじめに

 

 2018年4月8日に投稿した「三年前を振り省みて」の中で、何故か急ぎ、西部邁氏の自裁直前の二作である「保守の遺言」、「保守の真髄」と「虚無の構造」を読み進め、近いうちに私なりの感想など纏めたい、と記しました。加えて、更にその二年前の4月13日に、投稿「安全保障関連法案の施行について思うこと」の冒頭に、「再投稿にあたって」を加え、氏の視点の一端「メデイは立法、行政、司法に続く第四の権力ではなく、世論を動かす第一権力である。デモクラシーは文明を腐敗させる。」を紹介したわけです。

 

 因みに、最後の著作「保守の真髄」の、その「あとがき」の日付は2018年1月15日、その発刊は同年2月27日。そして、自裁は1月21日です。

 

 ご存知のように、氏は1960年安保闘争時の闘士で、公衆の面前で逮捕、留置所の生活をも経験しております。そのときの全学連元委員長・故唐牛健太郎とはその後も友人関係を続けておりましたが、氏は唐牛健太郎とは異なり、22歳で左翼からは切り離れました。その後は東京大学の教養学部教授として、更には四十五年間に亘る執筆活動を続けられてきました。余談になりますが、唐牛健太郎に対し西部氏が日米安全保障条約を読んだことがあるかとの問に対し、唐牛の答えは「日米安全保障条約なんてものは一度も見たことはないとのこと」でした。

 

 本論とは全く別の私事で恐縮しますが、1960年の安保闘争時、私は大学一年で、デモにも参加しております。ただ、われわれ学生達と、ほぼ同年代の機動隊員に対する、学生たちの「権力の犬」等々の下劣な罵詈雑言の叫びに私は嫌気がさし、そんな単純な理由で私は離れました。その安保闘争も東大生・樺美智子さんの死亡を機に岸政権は退陣、池田内閣になっていきました。そして、その後、全共闘時代の大学紛争等々が起こります。その余波でしょうか、商社業界でも従来とは大きく異なる労働組合運動・闘争が盛んになり、私も一商社の労働組合の本部執行員の三役の一人に選出され、23波のストライキをも率いた一員でした。その後、僭越ながら私と本部執行委員との大きな考えの相違は埋まらず、私は執行委員を降りました。そして労働組合の執行委員の身分上の異動協議期間の一年の期限切れと同時に、ニューヨーク駐在発令。そして六年間の駐在時に役職となり組合員の立場は消え、人事総務本部発令となり帰国。今度は労働組合と団体交渉でも組合側とは正反対の会社側に立つ立場となり、私の心境は極めて複雑なものでした。そして労使正常化を掲げた七年間を体験したわけです。三十代の組合活動、ニューヨーク駐在6年の帰国後7年間は人事総務本部企画担当。その後も5年間は初代海外事業部長として、中国を除く全海外現地法人・駐在事務所の統括。その途上、労使問題も抱えた子会社の代表者として本社を離籍し、合理化に伴う関東化学印刷一般の支部である当該労働組合との団体交渉を含めた経営の5年間。一段落した段階で私は本社とはかみ合わなくなり、任期満了で退任。

 

 62歳で自由の身となりましたが、次々と要請され、某建築企業の裁判闘争の解決。続いて業歴60年の非鉄・機械の中堅専門商社の社長である友人が急死。急遽その経営を友人の家族、及び死去した友人の学友達から懇請され、それこそ精魂全てを傾けた6年間。旁ら、訪問介護のNPO法人への監事と運営の支援活動、等々長年続けてきましたが、今から9年前の72歳で、強引のきらいはありますが、全てを退き、現在の気ままな、ある面では何か申しわけない感もある日々を送っております。

 

 そうした経緯の中で多くの方々との出会い・遭遇に恵まれたこと。加えて常に支援してくれた友人達に感謝しております。そんな半世紀の仕事人生が私の考え方、物事に対する視点・観点に少なからず影響を及ぼしているかもしれません。

 

 そうした私の人生後半の半世紀を、2020年6月15日に「自らの後半の半世紀を省みて」として、弊ブログ「淸宮書房」に投稿しました。好評だったように思っています。ご興味があれば、それを綴った下記ブログをクリック頂ければ幸いです。

 

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2020/06/15/170317

 

 横道にそれますが、当時は総評と同盟の時代から、現在の連合に変わりました。今の連合は果たして労働組合の上部団体と言えるのでしょうか。経営者団体とは異なるでしょうが、何を目的としているのか私には不明です。単なる時の政権を批判、反対するのみの団体と私には映るのですが、如何でしょうか。もっとも、労働組合そのものが大きく変貌しておりますが。

 

 話を戻します。西部氏の著作は物事を極める長年の研鑽によるものでしょう、幅広い学識による展開です。今回、取り上げた氏の著作については、何時ものように、その全体を紹介するのではなく、その一部を切り取った、私なりに感じたことを記したものにすぎません。皆様には思想家である氏の著作を改めて読まれることをお薦め致します。

 

その一 西部邁の自裁

 

 故・唐牛健太郎の未亡人である唐牛真喜子氏は数年前になりますが、その三年近く前から癌に冒され、しかし何の治療も加えず、西部氏を含め誰にも知らせないまま、氏が病院に訪れた二日後に71歳で亡くなります。「多くの女の常として公の場に顔を出すことが少ないまま、亡夫の思い出を抱懐しつつ、日常の仕事を反復しつづけたのであろう。」(保守の遺言290頁) と記しております。その未亡人に対し、西部邁氏は実現することはなかったのですが自裁用に短銃の依頼、更には西部氏の独身のままでいる娘さんにも時々声をかけてやってくれとも依頼していたとのことです。また、かって交通事故で死ぬ目に遭わせた氏の妹さんが58歳で亡くなるまで、マザー・テレサめいた生き方をされていたとのことが記されております。

 

 前回も触れておりますが、私は何か、氏に引っかかるものがあり、一度も氏の著作には触れてきませんでしたが、氏の自裁に接し、その著作の三作を読み進め、初めて西部邁という思想家の一端を知ったわけです。氏の最後の著作「保守の遺言」の「あとがき」に、自裁の日をも決められたと私は思う中で、次の如く記しております。

 

 (中略)自分のことについても比較的多くのことを人間解釈の何はともあれ僕の人生にピリオドを打ってくれた題材として書き喋ってきたものの、ほぼ間違いなくそのすべてが時代の重さにふみにじられ時代の風に吹かれてとんでゆくのだと確信できる。その意味では人は一人で生まれ一人で死ぬこと以外には何も残すことがないといった虚無の感が否応もなく押し寄せる。しかも多くの人が、やるべきこととやりたいことと、やれることをやりつくしたあとで、僕と似たような気分で生死したのであろうと考えると、まあ、人生の相場はこんなところかと思い定めるしかない。

 何はともあれ僕の人生にピリオドを打ってくれた平凡社の金澤智之氏と高瀬康志氏には、こんな縁起のかならずしもよいとはいえない本のお付き合いして下さったことに感謝を述べておきたい。また自分の娘智子に口述筆記の謝辞を述べるのはこれで二回目と思うが、三回目は断じてないので安心してくれといっておく。

 なお自分の息子一明夫婦をはじめとして、昔同じ屋根の下で暮らした兄正孝の夫婦、妹倫子の夫婦、亡妹容子の夫そして妹千鶴子の夫婦、西部むつ子の皆さんにも、さらに亡妻の姉、弟、妹たちにも、僕流の「生き方としての死に方」に同意はおろか理解もしてもらえないとわきまえつつも、このあとがきの場を借りてグッドバイそしてグッドラックといわせていただきたい。(保守の遺言 301頁)

 

 如何でしょうか。このような「あとがき」を目にするのは初めてですが、私は氏の思想の裏側、奥底にある氏の心優しさを感じるわけです。

 

その二 「戦後の完成」をもたらした破壊者の群れ

 

 氏は保守思想に必要なものは「矛盾に切り込む文学のセンス」と「矛盾に振り回されない歴史のコモンセンス」と記しています。小林秀雄、田中美知太郎、福田恆存、三島由紀夫などを挙げるだけで、その見当がつくはずだと。次のように述べています。

 

 保守思想は人間の心理や社会の制度に矛盾が孕まれていることを鋭く意識している。一例を「自由」という理想の観念をとってみれば、現実それは「秩序」という現実と一般に鋭く対立している。また自由は「平等」というほかの理想とも衝突を演じることが多い。それらの葛藤の有り様を見抜くには文学的なセンスがなければならない。なぜといって文学とは、少なくとも上出来のそれにあっては、人間心理の葛藤のただなかに切り込もうとするところに成り立つものだからである。そういう文学者がほとんどいなくなっていることは認めなければなるまいが、それは現下のマスソサイアテイのしからしむるところであって、そんなものに迎合するのは文学でないとしておけばよいのである。(保守の真髄 238,239頁)

 

 そして、戦後の育の者たちが各界の指導層に姿を顕した平成時代について述べていきます。即ち、その時代の性格を端的に表わしたのが、細川護煕元首相の自らを「破壊者、革命家」と呼んでみせた発言録である。この政治家は良家のポッと出であるためにかえって正直に、平成改革なるものの軽薄さを露骨にあらわしてくれた、と記しています。

 

 今回の都知事選他の際にも細川氏が何故か顔が出てくるのを、私は異常に感じていたところです。鳩山由紀夫元首相は少し次元の違う方と思い、その対象からも外れますが、細川護煕氏と同様、小泉純一郎元首相然り、と私は考えるのです。

 

 西部氏が指摘するのは第一に「政治改革」での小選挙区制がもてはやされたこと。第二に「財政改革」で、赤字国債の累積を気にかけることは、それ自体は当然であるが、「ツケを子孫に回す」という主張。第三に「行政改革」ということで、無条件で「小さな政府」を正しいとしたこと。第四に「郵政改革」が天下の正義のように喧伝されたこと。そのような流れの中で、確認すべきことは二つに過ぎない。一つにはこの改革騒ぎにおいては、一貫して「政府批判」が文句なしの正義と見立てられていたこと。正に「天に唾する」ようなものである。二つには構造改革とは何ぞやということであって、本来ならばストラクチャー(構造)という言葉は歴史的に形成されきたった物事の在り方のことを指すのである。つまり、時間と費用をかけて少しずつしか変えられないし、また変えてしまっては単なる破壊に終わってしまう、それが構造をめぐる変化というものである、と論じております。「保守の遺言」では、以下のように記しております。

 

 そうした伝統の喪失は現代日本人の利便姓や収益姓に心を奪われてしまったことの結果である。そして世間で文化といわれている慣習体系の多くがそうした利便姓・収益姓に奉じるための見世物になってしまった。一言でいえば日本はJAP.COMに変じてしまい「新規なものの流行」という溶液のなかに融解してしまったのである。・・(中略)それは直接的にはアメリカニズムという名の近代主義に飲み込まれてしまったことの結果といえようが、深層では近代主義がこの列島において(明治この方、時折に日本主義への浪漫的な回帰があったものの)批判も受けないままに追い求めつづけられてきたことの結末だったといってさしつかえない。僕のいいたいのは日本人の伝統喪失は、アメリカのせいではなく、日本人自身が選んだ道程だということである。(保守の遺言 287頁)

 

 私は昭和の時代を何か突然変異かの如き断続的史観には批判的で、氏の指摘に深く共感を覚えます。

 

その三 人生の最大限綱領

 

 1874年生まれのイギリス人、G.Kチエスタトンの「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友人、一個の良い思い出、一冊の良い書物」を、氏は若者に語りかけていたとのことです。そして、この四点セットを獲得する難易度を難しい順に並べると、思い出、友人、女性、そして書物となろうと記しています。

 

 その理由を以下の如く述べております。私には難解ですが分るような気がし、以下ご紹介致します。

 

 思い出や友人を得るのが難しいのは(戦争のような)死活の場面を共有することが少なくなったからだ・・。いささか強引だがそれらにたいし性格付けを施してみると、思い出は慣習的・歴史的なもの、友人は技術的・交換的なもの、女性は政治的・決断的なもの、そして書物は価値的・文化的なものと類別することができよう。そして価値と決断を結びつけるのが個人主義的な行動類型であり、交換的なものと歴史的なものを結合するのが集団主義的な行動パターンだとすると、難しいのは後者の集団主義の良き行為であり、易しいのは個人主義の良き振る舞いのほうだといえよう。(保守の真髄 251頁)

 

 そして次のように氏は述べています。

 

 いうまでもないことだが、勇気ばかりが大事なのではなく、正義も思慮も節制もそれぞれ重要な徳義ではある。しかし勇気は外面的な観察可能な振る舞いだという意味において最も論じやすい徳義ではある。だから勇気をもって徳義の代表とみなした上でいうと、現代人は「死を覚悟した勇気」をもって異性に接近したり、友人と固く団結したり、書物の行間を見据えたり、記憶の意味するところの奥底まで解釈するという努力をなおざりにしていると思われてならない。(保守の真髄 252頁)

 

 如何でしょうか。手厳しい指摘ではないでしょうか。

 

おわりにあたり

 

 毎回のことですが、消化不足の上に、今回は西部氏の自裁の報道に接し、何か急ぎすぎたきらいもあり、このような拙稿になり恐縮しております。今現在、なにやらメデイアは民主主義の破壊とひたすら報道しておりますが、その前に民主主義とは何かを根本から問い直すことが必要です。今月8日の拙稿でも若干触れましたが、マスクラシーにおける「メデイアは(立法・行政・司法に続く)第四の権力である」などといわれるが、既存の三権は専門人たちの勧告を受け入れて世論の傾きに身を合わせようとしている以上、世論を動かすものとしてのメデイアこそが第一権力だと、トックヴィルは百八十年前にその事実をアメリカ社会に見届けたのである、と氏は記しております。

 

 そして、「日本政治の(対米追従による)長きに及ぶネジレはついに、内政においては共産党が、外交においては自民党が、それぞれかろうじてリアリティを保ちえている、というところまできてしまった。これら七十年余間の宿敵同士の手打ちは、少なくとも今後二十年間は、想像外のことなので、日本国家は見通すかぎり壊滅の道をひたすらに歩むであろう。そうみるのは、想像を超えた予想どころか、予想を超えた予測に属する、つまり相当に確実なことだといってさしつかえあるまい。」(保守の遺言 153頁)

 

 私も然りと思うところです。ではどうすればいいのか。いずれにもせよ、もう少し勉強してから、改めて何らかの私なりの感想など記してみたいと思っております。

 

 2018年4月17日

                          淸宮昌章

 

参考図書

 

 西部邁「保守の遺言」(平凡社新書)

 同  「保守の真髄」(講談社現代新書)

 同  「虚無の構造」(中公文庫)

   2018年「海外事情3・4」(拓殖大学海外事情研究所

 同「選択4」

 他

 

 

 

この1年のブログ「淸宮書房」を省みて  

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1.はじめに

 

 昨年6月の「自らの後半の人生を省みて」の投稿は何か自慢めいた内容なので、少々不安を持っていましたが、多くの方から好評を頂きました。加えて、各時代、各場所での先輩、後輩からも心温まるメールをも頂き、何かほっとした次第です。尚、昨年の7月時点では、フェイスブックによれば上記投稿が72篇の中で一位となっている一方、弊ブログ「淸宮書房」のアクセス数もお陰様で39000台になろうとしておりました。

 

 因みに、二位は同年4月20日の投稿で、コロナ禍にも関する「この一ヶ月半、ブログ『淸宮書房』の投稿を省みて」でした。三位は2018年7月の投稿で、従来の一連の流れからは少し異なりますが、吉祥寺の古本屋で偶々見いだした、「小島政二朗著『小説 長い荷風』に遭遇して」で、私の高校時代の思い出をも付記しました。四位は2016年9月の投稿「再度・堀田江理『1941 決意なき開戦』を読んで」です。本書は日本の真珠湾攻撃に到るまでの八ヶ月を当時の社会状況、文化人・知識人、近衛文麿、大手新聞のマスメデイア等々、詳細に記されたものです。五位は2020年3月の「加藤陽子著『天皇と軍隊の近代史』を読んで思うこと」です。歴史とは何か、過去の痛苦を忘れないことや、戦争の前兆に気づくことだけが戦争を考えるときに、それほど万能な処方箋ではない。言葉の力で21世紀を生きていかなければならない若い世代に本書は語り掛ける、というものです。

 

 尚、現在は投稿も90篇となり、お陰様でアクセスも48000台になろうとしております。加えて、注目記事も「補足」に記したように大きく変動しております。

 

 方や、昨年11月には心カテーテルの手術で3日間の入院をも経験しました。私は何の仕事もしていないので、コロナ禍の中で自粛という言葉は私には不釣り合いですが、自分なりに自粛生活を続けております。何故か、半年以上になる頸椎ヘルニアによる右手の痺れも完治し、パソコンも、読書も、テニスも、日常生活には何らの支障もなく、健康な身体に感謝、感謝の日々を送っております。ただ、自らも最終章にきていることを承知してきた為でしょうか、佐伯啓思氏が今年の5月に発刊された「死にかた論」(新潮社)も読み始めております。尚、氏の著作は私なりに大分読んでおり、大いに啓発させて頂くと共に、新たな観点で私が事象を見るようになったと思っています。

 

 コロナ・パンデミックは経済のみならず、日本及び世界の情勢に今後どのような影響を及ぼしていくのでしょうか。加えて、中国共産党独裁政権の動向は極めて重大な結果をもたらすと、私は幾度となく触れて来ました。米国トランプ政権の出現とアメリカ社会の分断現象の現実。そしてバイデン政権の今後の有り様は米国のみならず、世界政治・経済に大きな影響を与えると思いますが、中国共産党独裁政権の動向、中華大国の復権を掲げる危険性は収まるどころか、そのコロナ禍に乗じて益々強硬に、中国共産党百周年にあわせ、強引に「一帯一路」の政策を推し進めていくでしょう。

 

 我国は大きく変貌した現状にどう向き合い、戦前・戦中のみならず、敗戦後の日中関係の経緯・結果の歴史事実を踏まえ、この平和ボケから脱却し、価値観を共有する各国と共同し、日本の有り様・行動を明確・鮮明に打ち出して行くべきと私は考えます。極東の一番端っこにある日本は覇権を求めるのではなく、「自由で開かれたインド太平洋構想」への積極的な参画が重要です。

 

2.「新聞と戦争」他を読んで

 

 そうした現状下、昨年の7月改めて北岡伸一・細谷雄一編「新しい地政学」(東洋経済新報社、2020年1月出版)、並びに朝日新聞出版「新聞と戦争」(2008年6月出版)、及び同出版「新聞と昭和」(2010年6月出版)、加えて、むのたけじ著「戦争のいらぬやれぬ世へ」(評論社、2007年4月出版)に眼を通し投稿致しました。尚、「新しい地政学」は地政学とは何かを改めて見る上で、大いに参考となりました。1年前の投稿に補足、下記の再投稿を致しました。

 

 尚、朝日新聞はいつから現在のような在り様になったのか、ある種の興味があり、朝日新聞中国総局編「紅の党 完全版」(2013年出版)の広告欄に載っていた上記「新聞と戦争」及び「新聞と昭和」を取り寄せたわけです。両書とも極めて真剣に取り組んで良書ですが、僭越ながら期待した半分というのが私の実感でした。以下は単なる私の感想ですが、記して参ります。

 

 「新聞と戦争」によれば、戦前の朝日新聞の論調が軍の論調に沿う、否、宣伝機関となったのは1931年の満州事変からだと記しています。では、何故そうなったのかについては明確な分析をしてこなかった。そうしたことが、戦後から今日に到るまで、朝日新聞の質を大きく落として行ったことに繋がったのではないでしょうか。もう二十年前になるでしょうか、私はそれまでは朝日新聞の何十年にわたる購読者でしたが購読を止めました。

 

 尚、本書の中で、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授が報道の自由が守られている現在の米国さえ(イラク戦争に関してですが)、メデイアは十分な役割を果たせなかったわけで、自国の戦争を批判的に報じることは、今も決して簡単な課題ではない、と指摘しつつも次のように語っています。氏の指摘に賛同しており、そのままご紹介します。

 

 日本が第二次大戦へ向かう最大の節目は、1931年の満州事変だった。当時、満州にいた朝日新聞の特派員と日本の関東軍が密接な関係だったことや、事変は関東軍の謀略ではないかと疑った人々が朝日の本社にはかなりいた事実を、連載「新聞と戦争」は明らかにした。

 しかし朝日はその疑いを公には問題にしないまま、「満州国」が作られていくという悲しい道を日本はたどった。朝日新聞が関東軍による満州事変を結局認めてしまった要因は、(1)軍や右翼からの外部的な圧力、(2)国益への配慮などによる自主的な規制、(3)新聞が売れなくなることを恐れる社益の顧慮、の三つだ。「新聞と戦争」もそれを詳細に指摘したが、どの要因が最も重かったか結論は書かず読者の判断に任せている。(新聞と戦争 564、565頁)

 

 残念ながら、本書に続く「新聞と昭和」にもそうした流れであり、朝日新聞の質がここ三十年数年になるでしょうか、急速にその質を落としていくことに繋がった、と私は考えます。

 

 むのたけじ氏については以前より取り上げておりますが、終戦の日、朝日新聞を辞め、秋田の横手でタブロイド版「たいまつ」を発行し続け、101歳で亡くなられるまで現役を貫いたジャーナリストです。私が学生時代、氏の「たいまつ16年」は私に大きな感動を与え、引き続き氏の著作を次々と読んで行きました。僭越な言い方ですが、私は氏の全てに賛同しているわけではありません。むのたけじ氏が92歳の時、本書の中に対談形式として登場して参ります。同時に、氏は「戦争をいらぬ、やれぬ世へ」を発刊しており、その中で氏は次のような印象深い指摘をされております。

 

 私は天皇年号の昭和11年、1936年に新聞記者になりましたが、この時まで新聞社というのは自分たちを言論機関と称しておった。それはまさにジャーナリズム、報道ということです。あそこに何があったというストレートニュースを積み重ねることで、その背後にあるものを一つの思想の体系まで編み上げる作業なんだ。だから言論機関だ。ところが大本営報道部というものが軍閥の中枢部に出来たら、新聞社は自分らを報道機関と言い換え始めた。その時に批評・評論・主張・思想の形成という部分が弱まったのではないかどうか。・・(中略)ジャーナリズムがジャーナリズムになるためには、絶えざる自己反省、自己点検、内部でその仕事に携わる人たちの、己の姿を歴史の節目、節目に立ち止まって点検し、一つの合意ですね、確認し積み重ねて行く、その作業が大事なんです。・・(中略)ジャーナリズムの仕事で生きる人間は反権力になる必要はないんですよ。ならなきゃいかんのは権力に対しして自分という独立の、権力に対等の自分をつくることなんです。・・(中略)ジャーナリストは誰でもなれるが「権力に対して対峙しながら、独自の存在である」という自分をつくる、そういう意欲をもっている、これ一つだけが条件だろうと私は思う。(本書95,96,111頁)

 

 如何、思われるでしょうか。加えて現在の新聞各社、更にはジャーナリストと称する、否、称される方々は如何でしょうか。

 

 現在では新聞各社は報道しない自由もあり、報道機関とさえ言えず、大衆に単なる迎合するマスメデイアになっているのではないでしょうか。方や、その影響力は時の世論を左右するほどの強大な力を持ち、誰も制御できない危険性、自浄作用が効かない落とし穴に落ち込んでいるのではないでしょうか。その要因のひとつは新聞各社が種々の新聞以外の事業に手を伸ばし、大きくなりすぎた経営にあるのかもしれません。いずれにもせよ、そうしたマスメディアの弊害・危険性に関しては、幾度となく私なりに触れてきましたが、自分なりにもう少し調べてから、感想などは後日、改めて記したいと思っております。

 

 方や、マデレーン・オルブライト「ファシズム」(みすず書房)、ジェイソン・スタンリー 棚橋志行訳「ファッシズムはどこからやってくるか」(青土社)、エリカ・フランツ「権威主義」(白水社)、デイヴィッド・ランシマン「民主主義の壊れ方」(白水社)等を読んでおります。民主国が専制国家、権威主義へと変貌する事実を物語っています。後日、私なりの感想など記して見たいと思っています。

 

2021年7月1日

                       淸宮昌章

 

 

蛇足 ブログ「淸宮書房」の注目記事(2021年6月29日 時点)

 

第一位

佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通してhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2016/07/01

 

 佐伯啓思著「日本の愛国心 序説的考察」等を読み通して 再投稿に際して 東京経済大学・名誉教授の色川大吉氏が月刊誌、今年「選択6月号」の巻頭インタビューに【コロナ禍という公害の教訓】として、「今回のコロン禍によるパンデミックと地球温暖化は、根底でつながっているのではないか。コロナ禍が世界中の人々に強制的な行動変容をもたらしたおかげで、北京では青空が見える日数が増え、ベニスでは運河の水も澄んだ。コロナ禍と地球温暖化は一本につながっているようだ。ごく短期間に地球規模で人々の行動が変わるのは歴史上始めてのこと。人間の飽くなき欲望が、新たなウイルスを生む土壌なのかもしれない。少なくとも世界規模で弱者や貧…

 

第2位


弊ブログ「淸宮書房」を顧みて  
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2021/05/25/142850

 

 弊ブログ「淸宮書房」を顧みて このコロナパンデミックにあって、ある種の思いを感じながら、かっての自費出版「書棚から顧みる昭和」と同じような思いで、今まで弊ブログに投稿した90篇に近い駄文の中から5篇を選び、この4,5月に亘り「再投稿にあたって」を加え、私なりの感想、思いを改めて加え、再投稿致しました。 私が取り上げた諸氏による著作それぞれに直接の関連性はないのですが、私自身の想いは一貫性をもっている、と考えています。尚、現下の自粛生活のためでしょうか、お陰様で弊ブログへのアクセスがここに来て増え、4万7,000台に近づいております。加えて、この数ヶ月でその注目記事の順位も私自身も驚くほど、大き…

 

第3位

吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2021/06/16/140521 

 吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて 再投稿にあたり 本投稿に関しては、2016年12月19日、続いて2019年12月19日に改めて「再投稿にあたって」を加えました。長い投稿なので二回に分けた投稿した次第です。戦後74年になるにも関わらず、その戦後を未だ脱却できない、という私の想いを綴ったものです。 尚、元になる投稿は2012年にイアン・ブレマー著「Gゼロ後の世界・・主導国なき時代の勝者はだれか」、及び、高坂正尭没後20年にあわせ編纂された「高坂正尭と戦後日本」、加えて、高坂正尭とほぼ同年の三谷太一郎氏の「戦後民主主義をどう生きるか」を読み比べ、私の感想などを織り込んで記したも

 

第4位


小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/07/11/123752

 

 小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して 再投稿 一年ほど前に投稿したもので、私のかすかな思い出も入れながら記したものです。何故か、この11月に入り、66編の投稿の中で注目記事の5番目になっております。その理由は分かりませんが、今までの投稿の中では少し趣が異なっております。何か嬉しくなり、改めて、以下ご紹介する次第です。 2019年11月21日 淸宮昌章 はじめに 東京都武蔵野市吉祥寺に所用があり、その帰り道、とある古本屋を覗きました。神田以外ではほとんど姿を消した、かっての風情を残す古本屋で見つけたのが掲題の本書です。 私は文学について素養がないこともありますが、永井荷風については「濹東綺譚…

 

第5位

渡辺浩平著「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」を読んでhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/08/15/151039

 

 このコロナ禍の中で思うこと 昨年(2020年)9月28日、定期健康検診の際、心電図の微妙な変化から狭心症の疑いとのことで、総合病院での検査の結果、11月24日入院、25日心カテーテルの手術、27日退院。今まで何の症状もなく、掛かり付けの先生に見つけて頂き、事なきを得、何か寿命が長くなったのです。このコロナ禍にあって、その感染・予防・治療に懸命に対応されている医師の方々、並びに看護師の皆さん、スタッフ、職員の方々を目の当たりにし、感謝と共に何か複雑な想いを抱きました。入院は初めての経験でもあり貴重な体験を致しましたが、コロナ禍は決して他人事ではありませんでした。中国共産党独裁政権の,、何か他人事…

 

                                                                     以上

 

、…

                          

 

イアン・ブレマー「Gゼロ」後の世界、三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」、並びに「高坂正尭と戦後日本」を読んで見て  

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イアン・ブレマー「Gゼロ」後の世界、三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」、並びに「高坂正尭と戦後日本」を読んで見て

 

その2・三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」と「高坂正尭と戦後日本」

  今回も同様ですが、上記二著の解説あるいは概要ではなく、両書を読んで行く中で、私が共感したところ、あるいは気になる箇所の記述であることをご了承願います。

 

両氏の敗戦時の思い

 

 三谷太一郎氏は1936年に岡山で生まれました。そして、敗戦当日の感想を次のように記しています。

 

 空爆によって家を失った私の一家は父の出身の農村に移り住み,そこで敗戦を迎えた。八月十五日の記憶はもちろん鮮明であるが、とくに忘れることができないのは、その日の新聞に載った大日本政治会総裁南次郎大将の敗戦を語った談話である。当時の私には、もちろん南次郎についての知識はほとんどなかったが、「南次郎」という名前ははっきりと覚えている。南談話の中で、私を刺激したのは、敗戦の原因として、「国民の戦争努力の不足」を挙げた点であった。自分自身でも意外であったのは、当時の私はこの談話に心の底から憤激した。私は生まれて初めて、日本のリーダーの責任感の欠如に対しての根本的な不信感を持った。振り返ってみると、これが戦後への私の態度を決定する最初の要因であったと思う。そしてそれが記憶としての戦争を歴史としての戦争に結びつける媒介契機となったと思う。(三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」 242,243頁)

 

 方や、高坂正尭氏は1934年生まれ、敗戦時11歳の氏が京都府の北端、丹後半島の疎開先で敗戦を聞いたあと、父に送った手紙は次のとおりです。

 

 大へんくやしい事です。しかし一度大詔が下りましたから、せいぜい勉強して真に何も彼も強く偉い日本を作りあげとうと思います。ついに我等は科学戦に破れた。きっと仇を討とうと思います。(高坂正尭と戦後日本 3頁)

 

 人はどういう環境、星の下に生まれるかで、人生が決まるとも言われます。両氏の観点は、私なりに両書を読んでいく上で、参考というかある面で、なるほどと思った次第です。両氏は歴史家・政治学者、国際政治学者でもあります。従い、両氏が多くの共通の知友との巡りあいと交友がありながらも、その生まれの環境が両氏の現状を観る観点・思想が異なってくるのかもしれないと、思ったところです。

 

三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」

 

 氏の言う戦後民主主義とは、いわゆる今時大戦の戦後にとどまらず、歴史上の日本の民主主義は、明治10年代の自由民権運動が西南戦争に極まる一連の士族反乱が起こした内戦の「戦後民主主義」の波頭であり、日本の歴史上の民主主義は、いずれも全て何らかの「戦後民主主義」であった、という見解です。著者は次のように延べています。

 

 私の「戦後民主主義」がそれに先立つさまざまの歴史上の「戦後民主主義」と異なるのは、それが単に権力形態の民主化や民主的政治運動の勃興のような外面的な政治史的事実として現れるだけではなく、個人の行動を律する道徳原理として内面かされているという点にある。いいかえれば、私の「戦後民主主義」は私の「個人主義」と深く結びついているという点で、それに先立つ歴史上の「戦後民主主義」とは異なる独自性を持っている。(同書 251頁)

 

 政治社会を生きる

 

 そうした観点に立ち、本章を展開していきます。冒頭で次のように述べます。

 

 現在の日本の政治社会は政治的疎外感の感覚が、国家の経営にあたっている政権の側にも、政権の外の市民の側にもある状況だと思います。そういう意味では、二重の政治的疎外感です。そうした政治的疎外感によって、現在の日本の政治社会には亀裂が生じていると見ています。

 

 まず、国家の経営にあたっている現政権の政治的疎外感とはどういうものかということですが、安倍晋三首相に代表される現政権には、戦後の日本というのは真の日本ではない、つまり戦後日本,そしてその痕跡がのこっている今の日本というものは真の日本が疎外された形態であるという、そういう意味での政治的疎外感があると思うのです。

 

 ですから安倍首相は、真の日本(それは端的に言えば、安倍首相の祖父岸信介の象徴される日本)を取り戻すということをよく言うわけです。それは彼なりの,政治的疎外感を克服したいという願望だと思います。

 

 それに対して現政権の外部にある市民の側・・もちろん安倍首相に同調する人たちも少なからずいるわけですけれど・・にもまた政権に対する政治的疎外感があるように思います。市民の側も、安倍首相が今の日本に対して持っているような政治的疎外感を、現政権に対して持っているということです。(同書 2、3頁)

 

 そして、現在の集団的自衛権の問題は単に安全保障環境の変化に応じた国家の安全の確保ということにとどまらず、自覚的に考えているかどうかはともかくとして、日本の政権の側から見ると、日本の政治社会を変えようとする態度が見える。即ち、日本の政治社会を国際的なアナキーの中にあえて投じるように思え、そこに根本的な疑問を感じる。歴史を振り返ると、日英同盟も日独伊三国同盟も、いずれも戦争の導火線になった。今日の日米同盟は戦争の導火線となった過去の二つの同盟と何処が違うのか。果たして「抑止力」は「抑止」機能を発揮しうるのか、それをはっきりさせることが歴史を学ぶとうことなのだ。集団的自衛権はまさに、敵の存在を強調し、敵に対する恐怖あるいは憎悪を政治社会の統合手段とする、可能性をはらんでいる。それは自由な政治社会の再建という観点からおそれる。加えて、確かに悪は存在し、自由と正義を求める政治社会がそのような悪と非妥協的に敵対せざるを得ない場合もあることは否定しないが、そのような戦術的あるいは戦略方法論の問題は具体的な状況に応じて論ずべきである。その結びとして、次のように記しています。

 

 「悪でもって悪をとりのけることは、できないのだ」というトルストイの命題は、要するに「抑止力」のような必要悪の観念の否定を意味するものであります。それはトルストイが歴史認識の蓄積としての聖書から得た心理であり、聖書的なリアリズムの極地を表現したものと考えます。(同書 23頁)

 

 如何でしょうか、私には氏の見解は迂遠すぎて理解不能、と同時に違和感をも禁じ得ません。

 

2 知的共同体を生きる 

 

 本章において、氏は二人の精神的リーダーを挙げます。一人は新渡戸稲造で、戦前の日本が最も国際主義的であり、かつ最も自由主義的であった時代を代表している。方や、南原繁は、戦後の日本において旧体制の崩壊の中で、「国民共同体」を再生させる新しい精神的秩序の理念を吹き込み、実際にそれを建設する指導的役割を果たしたと、しています。続いて丸山眞男の断片的な回想、国際歴史共同研究のリーダーとして細谷千博、想像力を媒介とする政治リアリズムの坂本義和、さらには中央公論の編集者・粕谷一希、弁護士・中坊公平等々の方たちとの関わり、さらには追悼記を載せています。興味深い人々との知的遭遇の章でもあります。尚、民法学者の平井宣雄の三回忌において、令息が生前「人間が生きていく上で最も重要なのは、体力や気力ではなく、判断力だ」と言われた、とのことです。私には強く印象に残りました。

 

「高坂正尭と戦後日本」

 

 本書は細谷雄一慶應義塾大学教授が代表となる「高坂正尭研究会」の研究成果で、同教授他12名の諸学者が高坂正尭氏の業績、あるいはその思い出を記したものです。それぞれ貴重且つ興味深い記述ですが、全部を紹介するのではなく私なりに記憶に留めておこうと考えた箇所を以下、記していきます。

 

1・安全保障政策の専門家としての高坂正尭

 

 本書の序章で、五百旗頭真氏は次のように述べています。

 

 ハーバードから帰国したばかりの高坂正尭は、1963年1月号の中央公論に「現実主義者の平和論」の論文を発表した。それはよく知られるように戦後日本の知的世界を風靡していた丸山眞男や坂本義和らのリベラル進歩主義に立つ平和論を批判しつつ、国際環境の中で日本に平和外交を提案する論文であった。帰国早々、粕谷の力ある説得に乗って書いたところ、「パラシュートで降りたら地上は敵ばかり」という状況であったと、高坂は苦笑することになる。

 

 そして、60年代は日本は経済的巨人になったかもしれないが、「臆病な巨人」でしかない。自ら考え、決断し、作り出していくことのできない文明では、国際政治の荒海の航海を全うできないのではないか。「1960年代は退屈な時代であった」。それは闘争と欠乏のない「平和の退屈」と「豊かさの退屈」にくるまれた時代であった。そこには「生命以上の価値」のために生命を犠牲にすることを迫られる「真実の時」は存在しない。この社会には、「自主性を口にする集団主義」「決意なき革命論」「道義なき平和国家」がはびこっている。非のうちどころない60年代の成功のさなかにあって、高坂はその内にひそむ脆弱性と精神的歪みを見落とさなかった。自己決定する者にのみただよう風格が、経済主義の日本から失われようとしているのではないか。(9頁)

 

 (中略)・・高坂が親密な感情を持って支えようと関与した政府は佐藤内閣だけであったろう。70年代以降の高坂は頼まれた仕事に応ずる形で、政治への一定の関与を折々に行うことになる。とはいえ、その頻度は小さくない。というのは、安全保障政策を扱える専門家は戦後日本におおくなかった。猪木正道や佐伯喜一がその長老格であったが、彼らにしてもデイテールについては高坂に頼ることが多かった。もっと若い世代の北岡伸一や田中明彦が登場するまで、政策的センスのある民間の安全保障専門家は高坂が代表する状況が続くことになる。(12頁)

 

 また、1970年代の高坂は,論壇での活躍と政府への関与において多忙な毎日を過ごす中で、18世紀の近代ヨーロッパがつくった勢力均衡が崩れゆく世界を描いた「古典外交の成熟と崩壊」を著わします。細谷雄一教授は、その本書で高坂が読者に伝えたかったのは、歴史を学ぶ魅力であると同時に歴史を学ばないことでわれわれが現代を相対化できず、他国を相対化できない危惧であろう。それは容易に「道徳的唯我論」に帰結し、多様性の精神を摩滅させてしまう。高坂は、この著書の最後を「古典外交の精髄はわれわれに深い叡智と貴重な示唆を与える」と、記しています。

 

2・高坂正尭の安全保障の観点

 

 自らの愚かな戦争に深手を負った戦後日本は、「自分の安全を自分で守るという自治」を放棄した。それを高坂は「典型的な小国の外交」もしくは「準禁治産者になった」とすらいう。「しかし、それからわれわれは卒業しなければならないのであります」。自分で責任ある決断をし、行動しなければなければ、道徳的な構造が朽ち果てる、と高坂は警告する。・・(中略)「国際政治は軍事問題と無関係ではありえない。秩序を維持するには力も必要だからである。もっとも力も必要なのであって。力が必要とうわけではない。だから、日本の重点は軍事力以上の部分に置かれるべきであろう」と、湾岸戦争翌年の1992年にも論じている。それは、現代における軍事手段の極大化が軍事力の行使を制約したとの基本認識に立つものである。

 

 日本が安全保障上とるべき措置として高坂が説いたのは、自衛隊のPKOへの参加(同前、92年)と、集団自衛行使の解禁であったと思われる。「日米同盟の運営のために、言い抜け、詭弁の類が積み重なって、ストレイト・トークがおよそ不可能に近い状況だと言ってよい。常識的に言えば日米は共同防衛を行っているのだが、日本には集団的自衛権があっても行使はできないという類の議論はその最たるものである。・・それは行動する世界の人々の言葉とはほとんどなんの関係もない。(22、23頁)

 

3・高坂正尭の中国論

 

 高坂は中国の台頭についての分析を必要と考えながらも、次のように述べていると、森田吉彦大阪観光大学教授は指摘します。

 

 中国問題は21世紀全般の最大の問題だが、それは私たちの世代の問題ではなくて、君らの世代の問題だよ」とよく言う。・・(中略)より基本的には、中国の在り方とそれが提示する問題は、この何年間のあいだにおこったこととも、歴史書に書いてあることとも違う。まず、中国が弱かったときの行動様式、たとえば以夷制夷は現代中国外交の例外しか説明しない。共産主義政権といっても、それで説明できることはきわめて少ない。それに、強い中国が中国文明圏を作ってこの地域を安定させることは世界化時代にはありえない、といった具合である。部分にも歴史にもとらわれない中国論の出現を、私は心から待ちわびている。(101,102頁)

 

 そして、高坂の中国論は、「革命的状勢」として中国を捉えると共に,日本人の「アジア」への思いからはっきりと距離をとる立場から始って、やがてその「中共革命の挑戦」の危険性と、「戦争責任」を抱える日本の脆弱性を認識する方向へ進んだ。それは彼にとって、日本文明の基礎にもかかわる問題だったのである。これらの問題は日中国交正常化によって一応の区切りがつくはずであったが、彼の希望的観測とは異なり、そうはならなかった。「戦争責任」を世代交代と共に「歴史認識」の問題へと移行していく。しかし、この問題が本格化するのは高坂逝去の後のこととなった。中国経済の拡大についても同様である。(126頁)

 

 加えて、箕原俊洋神戸大学院教授は次のように記しています。

 

 現在の東アジアの国際政治情勢と照らし合わせて、とくに先見の明が感じられるのは、中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに頼るといった戦後日本の安全保障政策の根幹が壊れ始めるという指摘である。これはまさに現在の尖閣諸島を巡る日中両国の攻防につながるものであり、大国中国の出現が国防の観点から日米関係の性質を大きく変貌させるであろうという予言は高坂がきわめて正確に将来の国際情勢を読んでいた証左である。(140頁)

 

 方や、猪木武徳大阪大学名誉教授は、「一億の日本人に関連づければ、理想は大事だけれども、理想だけを語って現実を批判するようなことではなく、達成可能な目標を設定して励むことの方が大事だ、と。これはおわかりのように進歩的文化人批判です。当時の日本人が社会主義に幻想を持って現実の日本を批判する。日本は遅れている、近代化の遅れを強調する日本批判論を高坂先生は切り返すんです。「ある国の、長所だけをみて短所を切り離すことは、軽薄であり、危険である」。と(238頁)

 

むすびにかえて

 

 高名な政治学者且つ歴史家でもある、お二方に関する著作が2016年5月,9月にそれぞれ発刊されました。私としては興味深く読んだ次第です。ただ、もし高坂正尭氏が存命であれば、この大きく変動する世界情勢の中にあって、日本はどうあるべきか改めて聞いてみたいと思うところです。平和ボケの中、更にこのコロナパンデミックに乗ずるが如き共産党独裁政権の異常な行動に対し、我々は何を考え、行動すべきなのか、本投稿を再投稿することも意義があると考え、殆ど補足も加えず再投稿しました。

 

 尚、日頃から日本のマスメディアの危うさ、危険性を私なりに憂慮しているわけですが、「高坂正尭と戦後日本」の最後の章に、ジャーナリストの田原総一郎氏が興味ある余談を記しています。私にはとても印象に残る箇所で、むすびにかえて、以下、ご紹介致します。

 

 筑紫哲也という人がいました。ご承知のように、彼は朝日新聞の記者出身ですが、私が「サンデープロジェクト」をやっていた当時、TBSで夜11時から番組のキャスターをしていました。私と彼と仲がよかったんです。二人の共通認識は,テレビはどれほどいい番組でも視聴率を取れなければ打ち切りということ。たぶん雑誌も同じでしょうけど。だから最低視聴率・・彼は「生存視聴率」と言っていました。・・「サンデープロジェクト」も、彼の「筑紫哲也NEWS23」も7パーセント。7パーセントを取らないとどんな偉そうなことを言ってもダメ。ただし10パーセント以上は取らない。10パーセント以上取ろうとすると、別の番組になってしまうんです。早い話、10パーセント以上の番組というのは、概して世論に迎合したものです。世論迎合とは要するに偉いもの、権威あるものを叩くこと。今なら、原発反対を挙げ、東京電力の悪口を言い、強そうな人や組織を叩く。視聴者のカタルシス、それが世論迎合です。(同書 277頁)

 

 2021年6月21日

                            淸宮昌章

 

参考文献

 

 三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」(東京大学出版会)

 五百旗頭真・中西寛編「高坂正尭と戦後日本」

 細谷雄一「安保論争」(ちくま新書)

 佐伯啓思「反・民主主義」(新潮新書)

 他

イアン・ブレマー「Gゼロ」後の世界、三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」、並びに「高坂正尭と戦後日本」を読んで見て

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イアン・ブレマー「Gゼロ」後の世界、三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」、並びに「高坂正尭と戦後日本」を読んで見て

 

序章 日本を取り巻く現国際状況

 

 イスラム国の出現、テロの続出に加え、数々の民主義国家が専制国家へ。英国がEUを離脱し、ジョンソン首相に交代。イタリア憲法改正反対での首相交替、加えて米国内のみならず欧米との亀裂をもたらしたアメリカ大統領トランプと退場、そしてバイデン大統領の登場。フランス、ドイツの首脳交代の可能性等々と欧州、アメリカが近来にない激しい状況変化に遭遇しています。そのような状況下、この6月13日、主要7ヶ国首脳会議(G7サミット)が70項目に亘る共同宣言を出しました。その宣言には1975年のランブエイ以来、サミットの歴史で初めて共同宣言に「台湾海峡に平和と安定」を記しました。海上、空、宇宙、そしてサイバー空間に軍事力を増大させる共産党独裁政権の中国の現状にG7が如何に共同して対応していくか、正に問われています。                                                                                                                                                                            地政学的に見ても世界は大きな曲がり角に来たように考えます。その中で我が国は、何を覚悟し、どう対処し、進めて行くべきなのか。没後20年になりますが高坂正尭なら、どのように現状を判断するのかと、私は、ふと思いお越しました。今回、改めて掲題の著書を取り上げ、読み比べをして見ようと思った次第です。

 

 

その1 イアン・ブレマー「Gゼロ後の世界」

 

 今から9年ほど前になりますが現在の国際上の大きな変化を見通していたかのように、イアン・ブレマー博士が、主導国なき時代の勝者はだれかと、Gゼロ後の世界」を著わしました。トランプ大統領の出現は別としても、今の世界の状況を予期していたかの如き分析です。最終章の第6章で以下のように記し本書を閉じています。

 

 一方、ワシントンは、Gゼロの世界におけるアメリカのリーダーシップの限界を受け入れなければならない。アメリカ人は死活的な国益が危機にさらされる場所では、それがどこであれ、今後とも世界に深く関わらなければならない。また、アメリカのリーダーシップを求める声に応えつづけられるように、費用対効果の高い方法を探さなければならない。アメリカの先見性ある政策立案者たちが、この移行期の時代を利用して、アメリカと共通する価値観と利害の上に成り立っている伝統的な同盟国との関係を深化させると同時に、新たなパートナーや同盟国を探し出すならば、彼らは、来るべき新たな世界にとって必要不可欠な存在となる新生アメリカの構築に向けて、決定的に重要な一歩を踏み出していることだろう。(同書 245頁)

 

 尚、本書の中でアジアについて極めて重要な指摘しています。

 これからもアジアは、世界で最も不安定な地域のままであること。そして中国、インド、日本が長期に亘り良好な関係のまま共存する見込みは極めて低いこと。アジアは世界経済の成長を動かすエンジンとしての役割をいっそう強めるだろうが、この地域が安全保障上の危険性を、あまりにも多く抱え込む状況は変わりない、との指摘です。

 

 地上、海上・海中、空、宇宙、更にはサイバーに於て、急速に軍事力を強め、このコロナパンデミックに乗ずるが如く、中華大国の復権を掲げる「一体一路」を強引に進める中国共産党独裁政権の現習近平主席の登場前ではありますが、中国について興味深い記述をしております。

 

 Gゼロ世界において中国の発展が予測可能な経緯をたどる見込みは主要国の中で一番低い。インド、ブラジル、トルコは、過去10年間の成長をもたらした基本公式をそのまま使えば、あと10年は成長しつづけることができるだろう。アメリカ、ヨーロッパ、日本は、長い成功の歴史を持つ既存の経済システムに再び投資することだろう。方や、中国は、中産階級が主流となる近代的大国をめざす努力を続けるために、きわめて複雑で野心的な改革を推進しなければならない。この国の台頭は不安定、不均衡、不調和、持続可能不可能だ・・中国共産党指導部は、次の発展段階を迎える中国の舵取りをする自分たちの能力が、確実とはほど遠いものであることを承知している。(同書 188頁)

 

 加えて、アメリカのソフト・パワーもまた、かけがえにないアメリカの貴重な資産であり、標準中国語が、世界で一番人気のある第二言語として、英語にとって変わることはない。従って中国がG2になることはあり得ないとの断定です。では日本についてはどうでしょうか。以下の通りの指摘です。

 

  Gゼロは、リスクにさらされる国のコストとリスクについても高めるだろう。これは、アメリカの力と、アメリカが自国の力を同盟国防衛のために使う意思に、大きく依存する国である。数百年に及ぶ日本と中国の緊張関係は、そう簡単には緩和されることはないだろう。なぜなら、日中両国の日和見主義的な政府関係者たちが、国民を煽り立てて相手国の不信感を増長することで政治的得点を稼ぐ手法を、あまりに頻繁に使うからだ。・・しかも、個人が利用できる情報通信機器が、燎原の火のように普及したため、国民の怒りは空前のスピードで一気に高まる。しかし、日本の指導者たちは、中国が地域的影響力を拡大し続けることは知っていても、今後アメリカが、日本の利益を防衛する意思と能力を、どの程度持ち続けるかについて知る術もない。台湾も同じ懸念を抱えている。(同書 173頁)

 

 今日の現状を見て如何に思われるでしょうか。まさに日本は9年前にも、現在でも、そのような状況にあるのではないでしょうか。上掲のケント・E・カルダー著「日米同盟の静かなる危機」と共に合わせ、本書を改めて読むことをお薦めします。

 次の本投稿の主眼である、その2・三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」と「高坂正尭と戦後日本」に歩を進めます。

 

参考文献 

 

 イアン・ブレマー・北沢格訳「Gゼロの後の世界」(日本経済新聞社)

 ケント・E・カルダー 渡辺将人訳「日米同盟の静かなる危機」(ウエッジ)

 細谷雄一「国際秩序」(中公新書)、岡本隆司「中国の論理」(中公新書)

 海外事情 2016年10、11月、選択 同年12月、 他

 

 2021年6月19日

                 

                          淸宮昌章