清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

阿南友亮著「中国はなぜ 軍拡を続けるのか」他を読んで

 

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阿南友亮著「中国はなぜ 軍拡を続けるのか」他を読んで

 

 再投稿にあたり

 

 2019年3月2日の日経新聞の「米、WTO改革で提案」に記事によれば、スイスのジュネーで2月28日に開かれた世界貿易機構(WTO)の一般理事会で米国が中国などを念頭に、経済発展を遂げた国は「発展途上国」としての恩恵を受けられなくする規定の導入を提案したとのこと。仮に中国が途上国でなくなれば通商交渉での立ち位置は大きく変わり、中国は反対しているようです。「月の裏側にロケットを飛ばした国を誰が途上国とみなすだろうか」と米国代表は中国を皮肉ったようです。方や、中国の習近平国家主席は2018年11月、パプアニューギニアで開かれた太平洋経済協力会議(APEC)で、中国は途上国のリーダーとして「中国はどれほど発展したとしても、常に途上国の一員のままだ、常に途上国の側に立っていると。」述べています。

 

 中華民族の偉大なる復興を掲げ、軍拡を強力に進め、「一帯一路」を掲げる現状の中国は複雑怪奇とも言うべき姿ではないでしょうか。歴史上、中華民族、中華大国とは何であったのでしょうか。私には中華大国という実像が浮かんでは来ないのです。このコロナ禍のパンデミックの最中、むしろそれに乗ずるが如き中国共産党独裁政権の進展は決して世界諸国民を幸せにするとは、私は思えないのです。

 我国はその中国、そして中国の影響下にある朝鮮半島国家に隣接していることを再認識しなければならない、と考えております。私はこれまでも言い続けていますが、一国平和主義は通じない現状に日本は置かれている、と考えております。後2ヶ月そこそこで、このコロナ蔓延が収まる可能性はない中、東京オリンピックの開催国である日本は何故、その中止を言いだし得ないのでしょうか。東京オリンピックは残念ですが「平和の祭典」にはならない、と考えます。

 

 私のブログ「淸宮書房」の発足は5年ほど前になります。追補を入れますと90篇近くになります。改めて、そのブログの趣旨について付言しますと、私の人生に大半を過ごした昭和の時代を自分なりに再検討し、今を観ようとの思いです。尚、その投稿の中では日中関連が9件、日韓関連が7件となっております。ここに来て日韓関係がある面では最悪になったこと。方や、香港問題、ウィーグル問題等を含め中国共産党独裁政権の急速な進展のためでしょうか、日中、日韓に関した弊投稿が注目記事の上位に復活してきております。

 そんな経緯もあり、以下の著作等を改めて目を通し、中国と我国との関係を改めて考えたいと、若干の補足をし再投稿した次第です。

 2021年5月10日

 

  1.デイヴイッド・アイマー著「辺境中国」(発刊 2018年4月5日)

 

 著者は英国のジャーナリストで、新疆、チベット、雲南、東北部の、中国の謂わば少数民族への旅行・感想記です。中国に関しては知っているようで知らない、況んや1949年の中華人民共和国成立以降についても、その実態は驚くほど知らない自分を本書で気づかされました。

 

 東西4000キロのアメリカ本土よりも、更に東西に距離のある中国では時差を設けていないこと。しかも中国本土の、むしろ東側に位置する北京、共産党の牙城の北京に標準時間を設け、それを全土に押しつけていること。東西に大きく隔たり、距離を持つ国で標準時間をひとつにしている国は、アメリカ、カナダ、ロシア、インドネシア等々を含め、世界では中国しかない事実です。何故でしょうか。敢えて言えば共産党政権の支配がそれほど強い、あるいは強くなければ共産党独裁政権が続かない、ひとつの証左かもしれません。そこには国民の利便、経済的要素よりも、より重大な観点があるのでしょう。

 

 加えて、中国の人口です。公式な統計はないようですが、その人口は6億の農民を含め14億人を超えると想います。「中国には漢族以外に一億人近い国民がいる。彼らは公式には認められた55の少数民族に属し主に国境地域に居住している。それは国土の約三分の二に相当する広大な地域で、多くはどちらかといえば最近になって中国に吸収された。ほかにも400ほどの民族グループがあるが、いずれも5000人に満たず、与党である中国共産党から少数民族として公認されていない。・・(中略)少数民族の多くは中国人にとっても謎だ。彼らは漢族の中心地域から数千キロ離れた辺境の地に暮らしている。西と北の辺鄙な砂漠、南西は熱帯のジャングル、そして中国最東北部一体に今も広がるシベリア風の亜寒帯林、話す言葉も違えば、共産党から不信の宗教を信奉するケースもあり、ほとんどの場合民族・文化的な漢族よりも隣国の人々のほうがよほど強い。そんなつながりがあるため、中国の辺境では国籍という概念が曖昧で、人が所持するパスポートは民族性ほどには重視されない。その結果、国境地域は内部に火種を抱えている。『山高く、皇帝遠し』という中国の古いことわざは、地元の人びとに対する北京の支配力は弱く、その威光は疎んじられるといった意味だが、今もそれが心に響く土地だ。」(本書10、11頁)

 

 続いて、中国は外部からの影響をほぼ遮断した国家であると言われるが、中国は、「周囲から切り離されているどころか、中国は近隣諸国と分かちがたく結びついている。中国の陸の、国境線は2万2117キロにわたり、世界最長だ。ロシアと並び、中国が隣接している国は14カ国で、これはどの国より多い。北東、南西、そして西側を、ひどく孤立した東南アジアの国々、中央アジア諸国、アフガニスタン、ブータン、インドにパキスタン、モンゴル、ネパール、北朝鮮、ロシアに囲まれている。・・(中略)歴史をねじ曲げ、共産党はあの手この手で、国境地方は中国の一部となって久しいと主張する。党や過去の皇帝達がこうした地域を武力によって、たかだか60余年前に占領したことを認めようとしない。少数民族が党の支配や党の配下ではるかに豊かな生活を送るようになり、中国の一部であることに満足していると断言する。チベットや新疆といった、きわめて御しがたい地域の掌握は、大規模な駐屯軍に頼りきっているにもかかわらずだ。」(15,16頁)と著者は記しています。

 

 著者はそのような視点から、新疆、チベット、雲南、東北部への旅を通じ、少数民族と中国共産党政権の支配の現実を描き出しております。共産党政権及び人民解放軍及び中国人民武装警察、人民警察、中国民兵、等々による強烈な支配の一端を見ます。私はこれが共産党独裁政権の一端だ、と思っております。なお、本書は大作ですが、楊海英著「モンゴル人の中国革命」(2018年10月10日)と合わせ、お読み頂くことをお薦めします。

 

 2 阿南友亮著「中国はなぜ軍拡を続けるのか」(発刊 2017年8月25日)

 

 著者の阿南友亮氏は1972年生まれ、現在は東北大学院法学部研究科教授です。中国との付き合いは長く、中国を訪れたのは1976年の4歳の時です。その後は小学4年から中学二年の夏まで両親と北京に暮らし、旅行好きの両親に連れられ外国人に開放された間もない中国各地を巡った。又、内モンゴルの草原を馬で駆け抜けといった楽しい思い出と共に、文化大革命の余韻がまだ残っていた当時の中国社会は、日本で住んでいる小中学生では、まず経験しないような暴力的で凄惨な場面にも幾度か遭遇した。そして、慶応大学院生時代には北京大学国際関係学院に留学し、多くの中国の友人とも知り合い、友人と共に、友人の故郷である「黄土高原」と呼ばれる実家、「ヤオトン」と呼ばれる伝統的な横穴式住居に招かれた。村には水道がなく、人々は村にひとつしかない井戸から水を汲んでいた。陽が落ちて涼しくなると、友人の家族が屋外に宴席を設けてくれ、ビール瓶を片手にその父親とも語り合い、「国民党の時は生活が苦しかったと親からよく聞かされたが、共産党の世になってもやっぱり生活は苦しい。革命をやっても苦しさは変わらないのなら、これからも変わらないさ」(342,343頁)と、著者は本書の「あとがき」に記しております。

 

 なお、本書は第30回・アジア・太平洋賞を受賞されておりますが、中国共産党政権と人民解放軍との歴史を含め研究し詳述した、中国論です。私は極めて興味深く読ませて頂きました。本書の見解、観点には勿論多くの批判、反論はあるでしょうが、今後の日本の在り方を考える上で極めて重要な参考書である、と考えます。なお、蛇足になりますが教授の院生には中国からの留学生もいることです。

 

 その1 中国の軍拡と日中関係

 

 著者は、本書の冒頭で以下のように記しています。重要な視点なので、長くなりますが、以下、ご紹介致します。

 

 1937年から続く外交関係の断絶に終止符を打ち、安定した互恵関係を構築する。これが、1945年を境に民主主義と平和主義の看板を掲げるようになった日本と、1949年に大陸で新たに誕生した中華人民共和国の共通課題となった。

 

 両国が1972年の国交正常化を足がかりとして、この共通課題に取り組み始めてからすでに40年以上が経過した。この間、両国の貿易額をみれば、実に三百倍以上拡大している。人の交流も活発化し、交流の形は多様化している。

 しかし、現在、日中の互恵関係は、風前の灯火とさえいえるような不安定な状況にある。72年以降、日本が積極的に支援し、経済的相互依存の関係を築いてきた中国は、今や安全保障上の懸案事項として日本の前に立ちはだかる存在とみなされるようになった。

 

 1978年に平和友好条約を締結し、互恵の道を歩み始めたはずの日本と中国との間で、なぜ、再び軍事的な緊張が高まっているのか。本書では、近年の日中関係ならびにアジア・太平洋地域の国際関係を考えるうえで避けては通れなくなった軍事的緊張という問題の背景について考察する。・・(中略)ではなぜ共産党は、90年代に入ってから中国国内においてに日米に対するネガテイブナ言説を意図的に流布するようになったのか。実は、この点を明らかにすることが、日米と貿易で互恵関係を深めつつも軍事的には対峙するという中国共産党政権の一見不可解な姿勢を理解するうえで一つの鍵となる。

 

 ・・(中略)日中関係をどう捉えるかという問題は、個々人の情報量、情報の入手経路、情報を整理・解釈する際の鋳型となる価値観などによって大きく左右される。しかし、日本が長年にわたって資金と技術を投入し、文化・経済交流を活発化させてきた相手が経済発展の成果を軍事力に転化しつつ、日本を含む周辺諸国ならびに米国に対する態度を硬化させているという情勢認識に対してはさほど異論がないように思われる。

 

 日本が重層的な互恵関係を築くにいたった中国において、空前の規模で軍拡が推し進められ、それが日本ならびにアジア・太平洋地域全体の安全保障をゆさぶっているという矛盾とどう向き合うべきか。この難題に取り組むにあたっては、そもそも軍拡がなぜ展開されるに至ったのかという根本的な問題を議論する必要がある。(本書14~18頁)

 

 そうした視点に立ち、共産党が軍拡を本格的に推進するに至った政治的背景と経緯、軍拡の諸側面、そして軍拡の日中関係の影響について論じていきます。その政治的背景と経緯については1970年半ばから2000年代初頭、即ち鄧小平から江沢民政権の時期に焦点を当てていきます。極めて興味深く、共感を覚えるところです。

 

 その2 対中政策のオーバーホールの必要性

 

 第二次天安門事件(1989年)以降の中国共産党は、中国の外に敵がいるというプロパガンダによって中国社会の不安を煽ることをその安全保障の一手段としてきた。そして共産党は、独裁に固執する限り、国内外に対する不安から解放されることはないし、中国の民間社会において安心が定着するのを妨害し続けるであろう。なぜなら、そうした安心が広まれば、民間の不満は爆発し共産党に集中する。

 

 尖閣問題の処理も以前のように「棚上げ」状態にするという処理の仕方で作用される性質の問題ではなくなっている。それは現代中国の政治構造に直結した問題であり、共産党が統治を続けるうえで欠かせない営みになっている。

 

 日本の対中政策は、オーバーホールの時期を迎えているのである。これまでの日本を含めた西側と中国の関係が中国の民主化には寄与せず、逆に独裁政権の体力を増殖させ、それが中国国内ならびに国際社会における緊張増大をもたらした現実に正面から向き合う姿勢が求められる。経済で結びついてさえいれば、日中関係は安定するという言説は、もはや説得力を失った。独裁政権を主たる交渉・交流相手としてきたこれまでの対中政策は、確かに日本に一定の経済的利益をもたらしてきたが、リスクとコストが年々高まっており、日中の平和的共生関係の持続可能性を危うくしている。既存の日中関係は、(日本側が過去における贖罪との観点もあったとしても)、日本側が天安門事件の象徴される中国の人権問題に欧米に先立ち、事実上目をつむることによって成り立ってきた。共産党の独裁の下で、中国の民衆の基本的人権が蔑まされていることについて、日本人としてどう考えるのか。

 

 と著者は問うています。

 

 このような観点・視点にたち、本書は、第Ⅰ部・現代中国における独裁・暴力・ナショナリズム、第Ⅱ部・毛沢東が遺した負の遺産、第Ⅲ部・分岐点となった八〇年代、第Ⅳ部・軍拡の幕開け、第Ⅴ部・軍拡時代の解放軍 について論じていきます。今回も本書全体を紹介するのではなく、私が共感を強く覚えた箇所に付き、記して参ります。

 

 その3 軍拡の原風景・第二次天安門事件と漂流する中国の近代化

 

 「中国社会が比較的自由であった1980年代には、少なからぬ研究者が、当時の中国の指導者であった鄧小平が進めていた『改革・開放』路線の行き着く先は民主化、すなわち議会制民主主義への移行であると予想していた。・・(中略)国民によるデモに対し警察が催涙ガス、ゴム弾、警棒などを使うという光景は民主主義国家と言われる国において決して珍しいものではない。

 

 1989年の第二次天安門事件は、そのような生やさしいものではなかった。この事件では、警察ではなく、本来は国防を主たる任務とするはずの軍隊が、装甲車や戦車を並べて、自動小銃に実弾を装填して民衆に向けて発砲した。そこから垣間見えるのは、国家、特にその主権を独占している共産党と主権へのアクセスを事実上持たない民間社会との間に共存する根深い相互不信と緊張状態である。・・(中略)中国社会の内部対立は、その後の20年間でほぼ中国全土に拡散し、慢性化した。中国国内において急増した『群体性』事件はこのことを端的に物語っている。」(21~23頁)と述べ、天安門事件が軍拡の原風景、謂わば原点だ、との指摘です。

 

 そして、1989年の天安門事件は、主として学生を中心とする都市住民と共産党の衝突に対し、ここ過去15年間で急増した群体性事件の中身は、農民暴動なのです。これまで共産党がその代表を自認してきたその農民(農業戸籍保持者)は中国の人口の6割を占めております。今後の中国の行く末を観る上で極めて重要な判断材料でもあり、方や人民解放軍という暴力装置が中国国内の秩維持に関して中心的な役割を果たしいくこと、即ち人民解放軍は国軍ではなく共産党の軍隊であることを鮮明にしたわけです。国家主席でも共産党の総書記でもなく、人民解放軍のヘッドである中央軍事委員会主席が最高の権力者になっていたのです。そして、「軍事の管制の意義は、匪賊の殲滅・慰撫と自衛団体の掌握をつうじて中国における暴力行使のメカニズムが基本的に共産党の一元管理下に置かれることになった点にもみいだせる。数百万規模の軍隊を骨幹とし、数千万規模の民兵組織を網羅した圧倒的な暴力行使なメカニズムの独占。これこそが一党支配体制の不動の基盤となり、社会主義体制への以降に必要な権力の裏付けとなった。」(108頁)

 

 言論の自由は大規模かつ綿密な監視体制のもとで著しく制限されるに至りました。現在の習近平政権は「七不講(七つの禁句)」を中国の言論界に示しております。即ち「普遍的価値、報道の自由、市民社会、市民の権利、党の歴史的な誤り、特権資産階級、司法の独立」という七つのキーワードについて大学やメデイアなどにおいて語ることを禁じている、と著者は指摘しております。そして以下のように記しております。

 

 天安門事件に象徴されるように、共産党は、本格的な制度改革を先送りし、中国の骨組みの弱さに起因する不満を暴力で抑え込むという選択をおこなった。それ以降、共産党が推進してきた軍拡は、脆弱な社会統合の補強材という役割をはたしてきたといえる。そして、このような軍隊による骨組みの補強と同時に、共産党は90年以降、「中華民族」というフィクションを活用して中国の骨組みの弱さを覆い隠そうと画策するようになる。(47頁)

 

 その4 個人独裁のカオス

 

 1976年までの中国は、毛沢東による個人独裁という側面の強い時代であり、毛沢東という一個人の主観に人間が振り回され続けた時代であった。中華人民共和国における毛沢東の施政を「暴走」や「失政」と評価する研究者は、中国内外に大勢いる。そうした評価に主要な根拠となっているのが、1958年から始めた農業の集団化と農民の動員を基礎とする食料・鉄鋼の大増産を図ったが、結果的には4千万人の餓死者(当時の人口は約6億人)出した「大躍進」。それに続く1966年に始まった「文化大革命」である。大躍進以降の混乱の中でフラストレーションを募らせていた若者による党幹部に対する物理的・心理的攻撃は瞬く間に暴走し、「大躍進」の最中に毛沢東を継ぎ、その修正を図る第二代国家主席になった劉少奇、及び鄧小平等を追い落とすべく、起こした「文化大革命」という権力闘争になります。大学生、高校生、中学生を「紅衛兵」として動員し、「造反有理」「革命無罪」を叫びながら、まずは文芸・学術界の住人、そして劉少奇をはじめとする共産党の高級幹部達、即ち中華人民共和国の樹立に貢献した祖国の立役者たちを次々に襲撃し、彼らを悲惨な死や発狂へと追い込んだのです。この迫害の司令部となったのは、毛沢東の妻の江青を中心とする「四人組」であり、解放軍や民兵から奪った兵器を用いた武力紛争が全国で頻発。党組織はもとより社会全体の秩序が大きく崩れ、暴力、恐怖、猜疑心、絶望が民衆の生活を支配するようになった。なお、その結果責任については毛沢東にはいかず、「四人組」に全てを押しつけたわけです。その「紅衛兵」も1967年初旬には、今度は厳しく弾圧され都市部の若者数百万人が厳しく弾圧され、農村へと追放。この世代はまともな教育を受ける機会を奪われ、長期に亘って僻地で孤独かつ過酷な生活を強いられることとなったわけです。習近平国家主席もそのひとりです。

 

 続いて、「国家主席をはじめとする有力指導者、建国の英雄、有能な官僚、著名な作家や学者などが無知蒙昧な子供の暴力にさらされる国。それが文化革命時代の中国の現実であった。・・(中略)一方、文革を生き延びた共産党の幹部たちの間には、文革中に中国社会、特に若い世代が彼らに対しておこなった残忍な仕打ちの数々が深いトラウマとして残った。このトラウマが1980年代に沸き起こった学生主体の『民主化』運動に対する共産党指導部内のパラノイアの源となったといわれている。」(89~90頁)と、著者は記しております。

 

 その5 「改革・解放」の光と影 鄧小平の登場、そして拝金主義の万延

 

 毛沢東時代のカオスから脱却させるという重責は、1978年から党中央の実権を掌握した鄧小平に委ねられます。中国内戦の初期段階から政治委員として各地の戦場を転戦し、頭角を現したカリスマ性を保持した最後の指導者です。毛沢東が1976年9月に死去すると、「四人組」は解放軍が加わったクーデターによりあっさりと一網打尽となります。そして、鄧小平による「改革・開放」という経済成長重視の路線が打ち出されます。鄧小平は共産党独裁支配に固執し、国政選挙、三権分立、言論の自由と言う議会民主主義の導入は頑として反対します。その上で、地方経済活性化に向けた地方政府への計画経済から市場経済への段階的移行、農業集団化という方針の放棄、経済特区の設置とそこへの外資系企業の誘致、地方経済活性化に向けた地方政府への権限委譲、国営企業の自主性の尊重、私営企業の奨励、等々の政策に変換します。しかし著者は軍拡の必然性として次のような興味深い視点を述べております。

 

 ただし、「改革・開放」は、それまで共産党が統治の拠り所としていた社会主義との兼ね合いで党内に対立と緊張を惹起した。これは、中国に繁栄をもたらすうえで決定的な役割をはたした資本主義諸国、特に米国と日本を念頭に中国が軍拡を推し進めるようになった背景の一つとして見落としてはならない問題である。(140頁)

 

 一方、この「改革・開放」が始まった段階では中国の人口10億人のうち約8割人が農業戸籍保持者であり、その農業集団化の放棄は市場が機能を回復されると共に郷鎭企業と呼ばれる中小企業が新芽のように次々と誕生した。がそれは農民に対する共産党の束縛の部分的解除と共に農民の社会保障制度の消滅となり、今後の中国の大きな課題の一つになっているわけです。その段階では、農民の一割近くを餓死させた毛沢東時代の施政が余りにも過酷であった為に農民の不満は大幅に軽減され、農民の慰撫におおむね成功したのです。

 

 経済発展を促進するために社会主義からの脱却を図ることと、共産党の独裁的な地位を維持するという本質的な矛盾を抱えた、この「改革・開放」は、外国企業の外資導入先ずもって始めた。そして当該沿海都市を管理下に置いているのは地方の共産党委員会で、1990年以降は半官半民の企業や民間企業も台頭しては来るが、それも共産党幹部のファミリー・ビジネスに連なるもので海外からの資金はそこに流れていったのです。共産党は、80年代をつうじて急速に拝金主義に染まっていきます。1985年に発覚した海南島自動車横流し事件は、その典型例の一つです。

 

 要するに「改革・開放」は、民間を潤す前に、政治権力を一手に握っている共産党幹部とその一族や取り巻き、及び解放軍の幹部を大金持ちにしたのである。鄧小平にしても、彼の後を継いで党中央のトップに立った江沢民、胡錦濤、そして習近平にしても、その一族はご多分に漏れず富裕族の一角を占めている。欧米圏で贅沢な暮らしを満喫している一族のメンバーは少なくない。このことは中国でも公然の事実として知られている。(153頁)

 

 GDP世界第二位の経済を誇る現在の中国は資本主義の欧米諸国、日本を含め見られない極端な格差拡大、拝金主義が横行しております。果たしてそれは改善していくでしょうか。共産党独裁政権が続く限り、続くと言わざるを得ません。

 

 その6 胡耀邦の失脚と第二次天安門事件(1989)

 

 この拝金状態に鄧小平の子飼の胡耀邦が党内で改革を唱え、そして民主化要求運動が学生中心に起こります。鄧小平は梯子を外し、胡耀邦を総書記から解任します。胡耀邦の憤死に伴い、民主化運動の第二次天安門事件が起きます。即ち国防を主たる目的としたと見られていた軍隊の人民解放軍が戦車、装甲車を繰り出し、その人民に銃を発射し鎮圧していったのです。解放軍は完全に共産党の軍隊であることを明確に示したのです。では何故それが成功し、共産党支配体制の致命傷にはならなかったのでしょうか。著者は次のような興味深い指摘をされております。

 

 一点目は、中国における社会統合の度合いの低さである。1989年の時点で中国社会のマジョリテイを占める農村社会は、まだ都市部との接点が弱く、首都の北京や複数の大都市で起きた「民主化」運動と共産党との暴力的な衝突の余波は、農村部まで広がらなかった。

 二点目は、鄧小平の神話のような軍歴が一般将校に対して発揮した権威と、解放軍の「現代化・正規化」を痛感していた将校たちからの支持、及び軍将校団の既得権益集団への吸収。

 三点目は、中国に経済制裁を科した西側諸国の態度の変化である。西側諸国の経済制裁は、共産党を窮地に陥れたが、その民主化運動を擁護するよりも共産党との早期関係回復を模索したこと。そして、西側諸国の制裁解除の口火を切ったのは日本であった。1972年以来積み重ねられた日中の関係修復の実績が水泡に帰す事態を回避することが日本の国益に適うと考え、他国に先駆けて制裁解除に踏み切った。日本は当時の中国共産党が喉から手が出るほど欲しかった対中円借款を1990年に再開し、中国からの要請によって92年の天皇訪中を実現させた。

 

 その後の中国、江沢民の時代とその後の時代の日中関係を振り返ってみて、私は早まったというか、後悔というか、何か複雑な想いを抱きます。皆さん、如何思われでしょうか。

 

 その7 ポスト天安門期の危機が生んだ新指導部と軍拡の幕開け

 

 共産党としては80年代に関係修復が進んだソ連を筆頭とする東側陣営との結ぶ付きを強めたが、1989年以降、東欧では社会主義政権が相次いで崩壊し、1991年には東側の総本山のソ連も瓦解した。その崩壊は中国共産党指導部に解放軍の忠誠心を確保する努力を怠ってはならないという教訓を与えた。と同時に、ソ連との対立が深刻だった時期には頼もしくみえた西側諸国の軍事力も、天安門危険以降は一転し、警戒を要する対象となった。特に1991年の湾岸戦争において発揮した西側諸国の最先端の戦争遂行能力は、共産党と解放軍を震え上がらせたといっても過言ではない、と著者が記しています。改めて注目すべき視点ではないでしょうか。

 

 内憂外患の中、鄧小平がその後継者として指名したのは国際社会では無名の江沢民で、天安門広場での学生デモに呼応した上海市内の動きを封じ込めた手腕が買われたのです。毛沢東の個人独裁の悪弊を克服すべく集団指導体制にこだわった鄧小平が、軍歴のない江沢民に二人の上将を後見人に付け、党総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席を兼任させたのです。極めて皮肉なことですが、如何に鄧小平が民主化を恐れた証左でもあります。そして、江沢民はその就任と同時に解放軍の装備と将兵の待遇を改善すべく国防費を大幅に増やすと宣言。加えて、解放軍にビジネスをさせるということで解放軍の能力と共産党への忠誠心を高めさせていきます。1989年以降の国防費の急激な増加、即ち軍拡化の道を歩め、「『社会主義市場経済』体制のもとで、共産党は改めて権限・財源の中央集権化を進め、党の意向を反映する形で国営企業の合理化に着手すると同時に外資を含む私営企業にも党委員会のネットワークを張り巡らし、経済に対するグリップを強めた。これにより、市場における競争のいかんにかかわらず共産党が潤うという仕組みができあがっていく。」(216頁) 

  

 そして、文化・教育政策を見直し、思想統制、即ち中華民族という概念を声高に打ち出し、強化し今日に至るわけです。「貧富の格差拡大に伴い、『階級矛盾』が激枠化する社会状況が生起した。そこで、本来は『階級矛盾』の解消のために『民族』の枠を超えて『階級闘争』を遂行することを使命とするべき共産党が。『民族』の枠組みを強調することによって『階級』をまたぐ社会的団結を奨励し、『階級闘争』の防止につとめるという本末転倒な現象が徐々に表面化するようになった。」(238頁) 続いて、この「『中華民族の偉大な復興』という世界観は、共産党の既得権益派が旧『帝国主義』諸国と結託して私腹を肥やしてきたという『改革・解放』の現実を覆い隠す役割も果たしている。天安門事件以降『権力と資本の癒着』が一層顕在化し、国内の格差拡大に歯止めをかけることが極めて困難となった状況下において、共産党は『中華民族の偉大な復興』という排外主義と自民族優位主義の根ざした世界観をひろめ、格差に起因する不満を体制からそらして国外に向けることに巨大な労力と資金を注ぎ込むようになった。」(243頁)と指摘しております。なお、著者はこの「中華民族」という概念は19世紀に発明されたもので、それ以前の民衆は、決してこの概念の下にまとまった社会を形成していたわけではない、とも指摘しております。

 

 その8 二つのデイレンマと共産党の安全保障・軍拡

 

 江沢民政権は、沿海地区経済発展政策を推し進めて大規模な外資導入に成功し、それを一つの起爆剤として中国経済を活性化させた。中国国内の富は大きく膨れ上がり、中国国内さらには国外のメデイアでも「改革・開放」政策を順風満帆と見る論調が目立つ。しかし、その富の分配・再配分と言うことについては赤点を取った、と述べています。そこには二つの重大なデイレンマを挙げています。

 

 第一のデイレンマは富の分配・再配分に重大な欠陥を抱えたために農民暴動を含む群体性事件や労働争議の噴出である。都市部の工場に夢を託せなくなった出稼ぎ労働者の農村回帰による労働力不足と言う現象です。

 

 第二のデイレンマは第一のデイレンマに対応するためにとった、即ち国内のデイレンマの中和剤として共産党政権が用いた排外主義的なナショナリズムが中国の経済発展に不可欠な西欧諸国、特に日米との関係を不安定化させたというのが90年代以降の共産党の前に立ちはだかったこと。

 

 では、共産党は何故にロシアの一世代前の技術に依拠した軍拡を続けるのか、著者は以下の諸点を挙げます。

 

 第一に、共産党は中国国内からの一党支配に対する異議申し立てを暴力で封じ込め、米国を中心とする同盟のネットワークに力で対抗する意図を放棄しない限り党の軍隊の待遇改善と装備充実に手をぬくことはできないこと。

 

 第二に、米国と西欧主要国が中国に最先端の兵器を売ることを禁止している現在、共産党と解放軍から見ても、たとえ時代遅れになりつつあるロシア製の武器を購入し、それを参考に武器の自主開発をする以外の選択肢はないこと。

 

 第三に、解放軍の戦力は米国とその同盟国から成る戦力と真っ向から対決するには不十分であっても、台湾海峡、南シナ海問題をめぐって中国と対峙している国々には威嚇・恫喝・牽制として有効であること。2010年の尖閣沖漁船事件では日本政府に対する恫喝がそれなりに効果があったことを学習してしまったこと。

 

 第四に、この軍拡は共産党の既得権益派の手中にある巨大国有軍需産業にとっては恵みの雨であり、共産党の幹部に大金が転がり込む仕組みによっても支えられていること。

 

 第五に、この軍拡は、米国とその同盟諸国を中国との経済関係を維持しているがゆえに、共産党は軍拡を続ける資金を確保しているのであること。そして、著者は「おわりに」において、次のように記したおります。

 

 中国における格差拡大の責任を歴史に絡めて日米欧に転化するのではなく、日米欧との未来志向の関係を補強することによって中国に流れ込む「富」を拡大しつつ、農村の社会保障制度改革などをつうじて「富」の再分配の拡充につとめ、格差の縮小を図るという胡錦濤政権の「調和の取れた社会」「調和のとれた世界」の改革が成功を収めず、「上海閥」に対する挑戦は失敗し、習近平政権となった。その習近平は就任早々。「中華民族の偉大な復興」を実現するというものであった。

 

 そして、「40年以上の及ぶ日本の対中外交の試行錯誤を経て明白になってきたことは、共産党の自己変革能力というものは決して高くなく、矛盾山積の共産党が支配する中国との共存関係の構築は、暴風のなかで綱渡りをするほど難しいということである。・・(中略)共産党は、独裁に固執する限り、国内外に対する不安から解放されることはないし、独裁を続ける間は、中国の民間社会において日米に対する安心が定着するのを妨害し続けるであろう。なぜなら、そうした安心がひろがれば、民間社会の不満は共産党に集中するからである。・・(中略)日本国内の議論をみると、少なからぬ論客が尖閣問題をそうした緊張増大の主要因とみなし、同問題を以前のように「棚上げ」状態にすることができれば海洋における緊張は解消されるという見通しを示している。しかし、それはことの本末を取り違えた話といわざるをえない。中国で展開されている軍拡というものは、尖閣問題の処理の仕方で左右されるような性質の問題ではない。それは、現代中国の政治構造に直結した問題であり、共産党が統治を続けるうえで欠かせない営みとなっている。」(330~36頁)

 

 以上が本書等を通じて、私なりに共感と賛同を覚えた諸点ですが、著者の観点・視点を誤解しているかもしれません。本書にたち帰りお読み頂くことが必要なのかもしれません。

 

おわりにあたり

 

 今回も長々と書き連ねてしまいました。著者も指摘しておりますが、日中関係をどう捉えるかという問題は、個々人の情報量、その入手経路、その人の価値観などによって大きく左右されます。従い、著者の観点・視点・指摘にも多くの批判もあるとは思います。私は僭越ながら深く共感・賛同するとともに、人民解放軍の軍事力の現状を垣間見た感じです。

 

 本題とは離れますが私を含め平和ボケになっている、この日本の現状、その先行きに大きな危惧を抱いております。平和、平和と叫んでも平和は実現しないこと。国民を守るためには国はどうすべきなのか、どうあるべきなのか。共産党独裁政権の中国、朝鮮半島の国を隣国とする日本は本当に真剣に一人一人が考え、何を為すべきなのか、自国の問題として考えなければならない状況下にあると、私は考えております。

 

  毎度の言い分で恐縮しますが、世論形成に大きな影響を及ぼすマスメディア、そして、そこに登場する識者・ジャーナリストと称される人々の、正義をかざすかの如き言動に、私は大きな問題を感じております。それは正義とは大きく異なる商業主義にどっぷり浸かった姿だけなのではないでしょうか。

 報道の自由、言論の自由、正義、さらには民主主義とは何か、民主主義のはらむ問題は何か、等々、ひとりひとりが考え直すこと、他人任せにしないこと、そんなことを本書を読みながら、改めて感じたところです。

 

 2019年3月16日

 

                          淸宮昌章

 

参考図書

 

 阿南友亮「中国はなぜ軍拡を続けるのか」(新潮選書)

 デイヴィッド・アイマー「辺境中国」(近藤隆文訳 白水社)

 楊海英「モンゴル人の中国革命」(ちくま新書)

 顔伯鈞「暗黒・中国からの脱出」(文春新書)

 橘玲「言ってはいけない中国の真実」(新潮文庫)

 中澤克二「習近平帝国の暗号」(日経新聞出版社)

 同   「習近平の権力闘争」(同上)

 ロバート・D・カプラン「南シナ海 中国海洋覇権の野望」

                                                                        (奥山真司訳 講談社)

 安田峰俊「八九六四 天安門事件は再び起きるか」(角川書店)

 毛利和子「日中漂流 グローバルパワーはどこへ向かうか」(岩波新書)

 服部龍二「日中国交正常化」(中公新書)

 天児慧「日中対立 習近平の中国をよむ」(ちくま新書)

 杉本信行「大地の咆吼 元上海総領事が見た中国」(PHP)

 麻生晴一郎「変わる中国 草の根の現場を訪ねて」(潮出版社)

 稲垣清「中南海」(岩波新書)

 石平「中国人の善と悪はなぜ逆さまか」(産経新聞出版)

 その他’

                            以上