清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

池内了著「ふだん着の寺田寅彦」を読んで

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池内了著「ふだん着の寺田寅彦」を読んで

 

はじめに

 宇宙物理学者であり、また寺田寅彦の研究家でもある池内了氏が、改めて寺田寅彦を極めて興味深く、思わず笑ってしまうように巧みに筆を進めながら、本書(2020年5月20日発刊)を展開していきます。ご存知のように、寺田寅彦は物理学者で東京帝国大学教授、帝国学士院恩賜賞の受賞者であると共に、吉村冬彦としての随筆家でもあります。加えて、寺田寅彦は夏目漱石が熊本第五高等学校に赴任した時の最初の生徒で、その才能を見込まれ俳句についても指導を受け、漱石の門下生の中でも漱石の自宅に自由に出入りできるようになる俳人でもあります。そうした文理融合の先駆者・寺田寅彦が今まであまり紹介されなかった実像(?)を紹介していきます。正に「ふだん着の寺田寅彦」が本書で展開されております。

 

 尚、寺田寅彦が1878年生まれ、1935年没。に対し夏目漱石は1867年生まれ、1916年に没です。両者ともに育った時代は男性優位社会の家長制にどっぷり浸かっていた。「そのような時代においては、男は強くあらねばならず、腕力を使ってでも自分の思い通りする(させる)ことが普通であった。(本書70頁) 

 

 寅彦の師匠であった夏目漱石が鏡子夫人他家族に度々暴力を振るったように、寅彦も同様で、家族はびくびくしていたようです。尚、寅彦は軍人の父のもと、三人続けて女の子の後、生まれた待望の男の子で,いわゆる「箱入り息子」として大事にされたことは、漱石と大きく異なることでもあります。

 

 また,その後の寅彦の家族構成は、寅彦の母亀、寅彦夫婦(三番目の妻紳子)、最初の病死した夏子の娘の長女貞子、二番目の病死した妻寛子との間に設けた長男東一,次男正二,二女弥生、三女雪子、そしてお手伝いの女性が複数という大家族でした。それも漱石とは大きく異なることです。関東大震災時のことですが、麹町の家が無事であったことに加え、次のように記し、その家庭が裕福であったことが伺えます。

 

 棟梁が車一杯の米・さつま芋・大根・醤油・砂糖などを運び込んで込んでくれた。「台所に一車もの食料品を持ち込むのは不愉快な気持ちがする。」と寅彦がなんだか申しわけない気分を著者が記しています。そのような背景を踏まえて本書を読み進めることも必要かもしれません。

 

本書の構成

 

 著者は本書の「あとがき」において、1936年と1950年に発売された寅彦全集の『月報』を一冊に集めた本を入手して、寅彦に関するさまざまな人の思い出話を読む機会があった。生前の寅彦と深い付き合いがあった人たちの筆だから、どの逸話も秘話あり、独断あり、細かい観察ありで生き生きとして面白く、それこそ「ふだん着の寅彦」の姿が浮かぶような文章ばかりである。(280頁)、と記しております。本書の構成は、はじめに、そして第一章から、第八章、あとがですが、私が特に興味深く思った箇所、あるいは印象に残った箇所のみを以下記して参ります。本書の全体を紹介するものではありません。

 

第一章「甘い物とコーヒー好きの寅彦」

 

 終生、甘い物から逃れることができず、次男正二の友人・長谷川千秋氏による「先生が餅菓子を食べるところは、なかなか奇妙で、せわしく動く先生の口元を眺めていて、よく頓珍漢の返事をした。つい口の動きに見とれて、滑稽に見えたのだろう。これはきっと総入れ歯の具合が悪かったのだろう。」等々記しています。その徹底した甘党、加えてコーヒー中毒の症状でないかと自ら自己診断するほどのコーヒー好きには少々驚かされます。

 

第二章「タバコを止めない寅彦」

 

 父が愛煙家であったこともあるが、十二歳からタバコを吸い始め、病死する三日前まで病床でタバコを吸っていたこと。加え、革製のタバコ入れ、真鍮のキセル、桐の木をくりぬいた印籠形にした胴乱を両親から買ってもらい、いつも携行して喫煙していたこと。成人してからは、あらゆるタイプのライターを沢山集め、場面、場面に応じ、そのライターを使いわけしていたこと。寅彦は甘い物やタバコのように自分の好むものに対してはこらえ性がなく、欲望に突き動かされる傾向があるのだ、と記しています。

 

第三章「癇癪持ちの寅彦」

 

 漱石の門弟で、友人の小宮豊隆が「寺田さんは、この負けじ魂と癇癪とを、自分の学問の中に導入して、専ら学者としての自分の生活に、驚くべき緊張を与えていたようである。」と引用し、寅彦の学問研究の原動力は負けじ魂と癇癪であったのではないか、と著者は記しております。

 

 

第四章「心配性の寅彦」、第五章「厄年の寅彦」、第六章「医者嫌いの寅彦、業病の由来」

 

 寅彦の家族への異常とも言える心配性と愛情が描かれ、その間の学問への情熱と吉村冬彦としての随筆活動他、人の追随を許さぬ活躍が記述されていきます。

 

 本投稿の冒頭に寅彦家族の構成に触れました。付け加えますと、1897年、寅彦20歳の時、1989年に最初の妻15歳の夏子と結婚。1902年に夏子病死。1905年に二番目の妻寛子と結婚、1917年、妻寛子病死。翌年8月に三番目の妻紳子と結婚するまで寅彦自身も病気を抱え、家族たちも病気がちの中、5人子供たちを育てているわけです。是非各章をお読み下さい。僭越至極で恐縮しますが、寅彦の実像が浮かび上がる著者の筆の運びです。

 

第七章「日記に見る戦争と関東大震災」

 

 寅彦が生きた時代は日清戦争(1984年)、日露戦争(1904年)、第一次世界大戦(1914年)が勃発し、満州事変(1931年)に始まるアジア・太平洋戦争が幕開けし、日本の軍国主義が着々と進められた時代です。寅彦は軍拡競争に巻き込まれて、次々と軍備を拡張していくことの愚を説いていますが、軍備を整えることを全く意味がないと、明確には言っているわけではありません。「心配性は国の事や社会の事にも及んでいたでしょうが、政治家が煽り、世論が沸騰しても、それらには流されず、家では冷静に社会や戦争の事を話していたのである。

 

 方や、寅彦の生き方に対して甚大な影響を与え、自然災害にどう立ち向かうかを真剣に考える契機となった関東大震災については次のよう記されております。

 

 大震災の起きた翌日、1923年の9月二日には、大学の惨状を見てから神田・お茶の水・竹橋。小石川などの惨状を観察し、途中で巡査が来て、朝鮮人の放火者が徘徊するから用心しろと言って注意して廻る。井戸に毒を投入するとか、爆弾を投げるとか、さまざまな浮説がはやっていて人心が落ち着かない。(中略)・・ここに「浮説」と書いているように、寅彦は最初から朝鮮人が犯罪を企てているとの根拠のない流言・風説を信じていなかったのである。

 

 続いて9月17日に今村教授らと焼け跡の視察に出かけ、次のように記しております。

 

 「吉原に入り、池中惨死の跡を実見す。泥土中の衣服に交じりて頭髪の束に残れるもの最も酸鼻の感あり。焼却せる遺骨を木箱数個に満たせるものを仮の祠にいれ蝋燭や香水を供えたり」と。吉原の捨て置かれた死者(多分女郎たちだろう)を弔ったことを記し、

 

 「秋空に秋の雲浮かび、夕陽雲間より白光を放射せり、美しき空の下に焦土茫漠として連なる、遙かにオ-シスの如き観音の森を望む」。文学味溢れる言葉で死者の魂が安らかになることを祈っております。(237頁)僭越至極ですが著者による見事な寅彦の紹介です。

 

第八章「書簡に読む社会批判」

 

 寅彦にとっては手紙を書くことには何の気後れもなく、すらすらと思う社会批判も筆に載せていたとのことです。改めて関東大震災のこと、加えて蔑視的観点もありますが中国・朝鮮問題を紹介します。友人の小宮豊隆宛てのなかで、関東大震災のことを下記紹介します。

 

 世間で寅彦が言ったとされる「天災は忘れたころにやってくる」と言う名言は、実は寅彦の著作のどこにも書かれていないとのことですが、「地震の災害も一年とたたないうちに、大抵の人間はもう忘れてしまって、この高価なレッスンは 何もならない事になる事は殆ど見えすいて居ると僕は考えて居ます。・・(略)今後何十年か何百年の後に、すっかりもう人が忘れた頃に大地震が来て、又同じような事を繰り返すに違いないと思っています」と、人間の忘れやすさ、その結果同じ失敗を繰り返す愚かさ縷々語っている。続き、「今度の地震の原因についていろいろと考え調べて居ると、実に関東地方は恐ろしい処だという事がリアライズされてくる。僕にいわせると、コンナ処に帝都をおくのが根本的に間違っているとも云われる」と記しています。「コンナ処」とわざわざとカタカナで書いて、首都として不適切な場所であることを強調しており、焦りにも近い寅彦の気持ちが察せられると、著者は記しています。

 

 そして、現在の朝鮮半島国家、並びに、現在の中華大国の復権と称し、一体一路をという世界制覇を図る共産党独裁政権の現在の中国を想定していたとは思えないのですが、中国・朝鮮問題について当時日本が植民地化した京城帝国大学教授で、漱石門下生の安倍能成宛ての書簡に次のような事が記されております。長くなりますが、以下紹介致します

 

 その手紙では、まず。H・G・ウェルスの「世界戦争」において、火星から地球に攻め込んで来た怪物たちが地球を征服していくうちに、怪物たちが地球上の色々な黴菌に対する免疫性を欠いていたために、やがて皆死んでしまうという内容を紹介します。そして、「実際、志那人はどこか黴菌のような処がある。・・(中略)そして日本は朝鮮を手に入れると同時に朝鮮菌を背負込んで苦しんで居るのだから、万々一日本が支那のポピュレーションの多数を隷属させたが最後、日本は滅亡する事、請合いだという気がする。」つまり、黴菌に対する免疫がないために中国の植民地化には成功しないのではないかと心配する。中国を植民地化して多数の人間を抱え込んでは「日本は滅亡する事、請合いだという気がするのである。」(271頁)、と言うのは蓋し慧眼であろう。日本の中国侵略の危うさを予見している。当時中国や朝鮮への蔑視が背景にあることは確かだが、他国を自由にすることはそもそも無理だと思っていたのではないか、と著者は記しています。

 

おわりにあたり

 

 今回も本書の全容を紹介するのではなく、私が特に興味深く思った箇所のみの感想などです。謹厳実直で文理融合の偉大な先駆者の寅彦がその当時、何を思い、感じていたのか、その多様性を識る上でも、是非、お読み頂けければと思っています。

 

 ひるがえって、現在の朝鮮半島国家の日本への強烈な反日・怨念の感情。日韓関係の改善は世紀を超えても難しい問題で、安易な妥協はしてはならない、と私は考えております。

 

 並びに、歴史的事実かどうか私は疑問を持って居ますが、中華大国への復権を掲げ「一帯一路」を突き進む中国共産党独裁、否、習近平独裁政権は日本にとっても、世界中の国民にとっても極めて危険な世界制覇であり、そのことは決して世界の人々に幸いをもたらすなどはあり得ない、と私は考えております。それは現在の中国一部の特権階級の人々は別として、一般の中国国民にも言えるのではないでしょうか。むしろ、その政策が進展すればするほど、中国の一部の恵まれた人々はその資産を外国に移し、更には他国への移住。恵まれない人々は他国への脱出が増えていくと考えます。加えて、中国以外に現在住んでいる中国の人々が中国への帰国等が始まることは極めて少ないのではないでしょうか。

 

 そのような状況の中、現在のコロナウィールスが発生、私は人為的要因ではと思っておりますが、コロナ・ウィールスによるパンデミックが発生したのです。中国共産党独裁政権は東京オリンピックに向けて、IOC等に対しても活発なコロナワクチン等の活動も活発に始めましたが、私は強い違和感と危険性を抱いております。共産党・習近平独裁政権の極めて危険な兆候のひとつの具体的な事例ではないでしょうか。

 

 東京オリンピック開催も復興のひとつでしたが、状況が急変しました。日本の、日本経済の再建に梶を切り替えるべきと考えます。と共にアメリカ、豪州、インドに加え、英国、カナダ、ニュージランド他、価値観を共にする各国との連帯を更に強めることが必至と考えます。如何でしょうか。

 

 2021年3月13日

                           淸宮昌章

参考図書

 

 池内了「ふだん着の寺田寅彦」(平凡社)

 十川信介「夏目漱石」(岩波新書)

 他

 

松永美穂著「誤解でございます」(清流出版)を読んで  

松永美穂著「誤解でございます」(清流出版)を読んで

 

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はじめに

 

 宇宙物理学者であり、寺田寅彦の研究者でもある池内了氏の「ふだん着の寺田寅彦」他を読み始めています。「天災は忘れたころにやってくる」との名言は寺田寅彦の著作のどこにも書かれていないそうですが、昨今各地で頻繁に起こる地震の中、私は想像もできなかった文理融合の先進的な、別の寺田寅彦。加えて、朝鮮半島国家と中国への極めて興味深い思い記述も描かれております。読み込んでから、私なりの感想などを記そうと思っております。

 

 そのような現状でしたが、私の自宅から歩いて数分にある練馬区高松「光ガ丘テニスクラブ」の仲間で、友人の斎藤昌義氏より、私が難しい本ばかり読んでいると思われた為でしょうか、掲題の松永美穂著「誤解でございます」を読んでみたら、と紹介されました。新刊書ではなく2010年7月26日出版、初エッセイとのことですが、まずその題名「誤解でございます」に惹かれ、読み進めました。尚、松永氏も「光ガ丘テニスクラブ」のメンバーで、私は一、二度、氏とテニスのお手合わせを頂いたことがあります。氏が早稲田大学文学学術院教授で、専攻はドイツ語圏の現代文学とのことは存じ上げておりましたが、私は文学の素養がなく、ドイツ文学についても全く知らないのが現実で、一度も氏の著作を読んだことはありませんでした。

 

 尚、「誤解でございます」の題名は、氏の研究室が東京都文京区の、遠くに後楽園の大観覧車が見える地上9階にあったとのこと。そのビルのエレベーターが五階に止まる度に、「五階でございます」と女性のアナウンスがある。松永氏は「お客様。それは誤解ございます」とエレベーターが必死で言い訳しているような気がし、同僚にその「誤解」の話をしたところ。その同僚は「心配そうにわたしの顔を見つめ、それは病気です。翻訳者がかかる病気です。」との話。実にウイットに富んだ心温まる題名で、本書はエッセイというより松永教授の半世紀に亘る日々のできごと、心温まる方々との出会い、思いで等が綴られており、思わず笑みが浮かんで参ります。これこそ、ドイツ圏諸国の近代文学の専門家の、「普段着の教授・松永美穂」を映し出しているのではないでしょうか。

 

 本書の構成は「十年パスポート」、「元気な修道女」等を記した・さんぽみち、「無計画な大学院生」「子連れ・おばあちゃん連れ留学」他のⅡ・日々のこと、「愛しい人」他を語る・ほんだな、そしてあとがき からなっています。

 

 オリンピック組織委員会・前森会長の発言を巡り、我国は女性蔑視のものすごい気風が定着しているかの如き、執ようなメデイアの森氏への個人攻撃報道に、私は異常さ、と同時に自己規制のなくなったメデイア。それに翻弄される国民と政権。更には民主主義制度と言われる、その在り方にも危険性を感じています。戦前、戦中、戦後と何ら反省のない、変わらないメデイアの現実を私は今までも何度と苦言というか、その危険性を記して参りました。そんな実に不愉快な私の心境ですが、私は本書を読み進め、何かほっと心安まる、暖まる心境になります。一読されることお勧め致します。きっと幸せになります。

 

 以下は著者の意図からは外れますが、私にも少し関係があるような、且つ印象深く、また愉快に私が感じた、いくつか点を以下に記して参ります。

 

その1 テニスのこと

 

 氏がテニスを語る「師匠は大学生」の項目には思わずなるほどと感心しました。氏は大学時代、突然、体育会系の6人制の女子バレ-ボール部に入部。人数合わせという重要な使命もあり、4年生の秋のリーグ戦まで大会にフル出場。良かったことは広島から東京に一人で上京した中、バレー部は貴重な居場所で、良き友人とので会い。多少の体力と根性もついたことが記されております。加えて幸運なこととして、後の配偶者となる監督(?)との遭遇です。

 

 中年と呼ばれる年代に医師から定期的な運動を勧められ、これも突然テニスを始め、師匠はドイツ語を選択する男子学生(N君)で、今でも時々指導してもらっているとのこと。尚、バレーもテニスもネットを挟んで相手と対戦する競技だが、バレーのネットは身長で不利。バレーの現役時代ではブロックで得点を挙げたのは生涯一度きり。テニスはネットが低いのが嬉しい。加えて、バレーボールは六人で役割分担ができており、セッターでエースアタッカーでもない場合はボールに触る機会が比較的少ない。方や、テニスは広いコートを一人もしくは二人で守ること。加えて一回で返球する。従い自分の一打が防御でもあり攻撃でもある。またテニスの方が自分の参加度が高く、イニシアティブが発揮できる。それにテニスは性格がもろにプレーに反映する。加えて、テニスの良いところは年齢や性別の差を超えていろいろな人と一緒にできること。生涯スポーツとして、諦めずがんばりたい、等々実に面白い愉快な見解等が記されております。N君との出会いも松永氏が優れた教師の証左でもあるのでしょう。

 

 方や、私は62歳で週一のテニス・スクールには入り、テニスを始めました。勿論、運動部に所属したこともありません。そして72歳で一線を全て退いた時点で、32歳から始めたゴルフも完全に止め、テニスに転向。その時点ではオフシャルハンデイは7でした。地元の「光ガ丘テニスクラブ」に入り本格的にテニスを始めて10年になります。午前中はテニス、午後は読書等の日々という気まま生活を送っております。未だ現役の友人もおり、何か申しわけない気持ちもあります。あと数ヶ月で81歳。テニスも進歩はしていませんが、松永氏のお考えに何か勇気を頂き、改めてテニスも頑張っていこうと気持ちを新たにしました。

 

その2 子連れ・おばあちゃん連れ留学

 

 横浜のフエリス女学院に務めた二年後の1990年、ドイツ留学の機会、(31歳までがドイツ学術交流会の奨学生募集)を目にしに、お子さん(小学校3,1年生の姉妹)、そして松永氏のお母さんと4人で日本人学校があるドイツ・ハンブルグに留学となったとのこと。尚、ご本人とお子さんはビザが取れたものの、お母さんは氏の留学中、ベビーシッターとの身分・資格としては滞在ビザが取れず、観光ビザで過ごしたとのこと。それら事態も面白いことですが、住まいは大家さんが、たまたま一年間、イタリアに行くとのことで、留学中の住居は庭のある一戸建て。一階が松永さん家族、二階には独身男性、三階のロフトには留学先のゼミ生と独身男性、地下には洗濯室と物置。その物置の一部には近所の男性の仕事部屋。加えて、その家の家具や台所の食器、本棚には大家さんの本、今では珍しいLPレコード、ステレオも自由に使って良いとのこと。その一戸建での皆さんとの共同生活。私が不思議に思うほど松永氏のおおらかさと運にも巡られているようです。方や、1989年にベルリンの壁が崩壊、謂わば東欧の崩壊後の時期に重なり、極めて興味深い時期であったはずです。貴重なご経験ではないでしょうか。

 

 尚、お子さんは大きくなり、アジア、アフリカに出かけるようにもなり、ボランテイアのワークキャンプに参加し、現地の人が持ってきたヤギの死体をさばいて食べたりする、おおらかな成人になられたようです。

 

その3 周辺にたたずむ人々 他

 

 氏は「ほんだな」の最後の方で、カフカについて以下のように記しています。何か私には印象深く、ご紹介します。

 

 人間には、自分のいるところが世界の中心だと思える人と、自分は世界の周辺にいて、決して中心にはたどり着けないと思う人がいるかもしれない。カフカは明らかに周辺に固執した人物だった。中村文則の主人公たちも、周辺にたたずむ人々である。彼らは周辺から光を放つ。それを一度目にしたら、容易に忘れることのできない、静かで鋭い光である。(201頁)

 

 加えて、「エリザベート 美しき后妃の肖像画」に関して、塚本哲也の名前が出て参ります。本題とは関係ありませんが、塚本哲也氏が病身の身で、片手で打ち上げた「我が家の昭和平成史・・がん医師とその妻、ピアニストと新聞記者の四重奏」を5年ほど前に自費出版されました。東欧の崩壊という時代の大きなうねりをも記したその著書に感動し、弊ブログに、塚本哲也著「我が家の昭和平成史」を

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2016/08/26/113329投稿し、紹介しました。何かの縁を感じたところです。

 

蛇足

 

 本書の内容とは関係はないのですが、松永氏は1985年に施行された男女雇用機会均等法に二度、本書で触れられております。私はその前年の1984年にニューヨーク駐在から帰国し、今までの職歴からは大きく異なる人事総務本部の企画担当に移動した年が1985年でした。その時代に均等法が施行され、企業として、どう対応すべきか、ということが課題となり、私なりに苦慮したことです。

 

 その当時は商社では男性の総合職と女性の事務職の二種類で、採用、給与制度といった人事制度をどう変革していくかが一つの課題でした。只、当時は鉄鋼をはじめとした産業資材の商社では女性の商社マンではお客さんが受け入れてくれず、総合職の女性の出現は極めて難しい課題でした。同時に組合との団体交渉を含め労務問題に取り組んだ極めて貴重な7年間の人事総務本部での貴重な体験と人脈は、その後、私がいくつかの企業等の再生・再建といった新たな仕事に取り組んだ際、大きな礎となりました。そのことは弊ブログに5年ほど前に投稿した「再び、自らの半世紀を顧みて」

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2020/06/15/170317に記しています。

 

 加えて、その男女雇用機会均等法で想い起こすのは、男性社員の配偶者に支給していた家族手当を、共産党の弁護士の支援を受けた女性社員が、他社の社員の配偶者・世帯主から当該女性社員を世帯主に変更し、次々と家族手当を獲得していったことです。

 

  2021年2月22日

                          淸宮昌章

 

 

 

改めて、佐伯啓思著「『アメリカニズム』の終焉」の投稿を省みる

 

改めて、佐伯啓思著「アメリカ二ズムの終焉」の投稿を省みる

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はじめに


 佐伯氏の著作については、今から5年ほど前になりますが、私がニューヨーク駐在時代(1978年~1984年)の中央信託銀行のニューヨーク支店長(帰国後は副社長)に「日本の愛国心」を紹介され、深い共感を覚えました。そして、2016年7月に佐伯啓思著「日本の愛国心」のブログ投稿となりました。その後も、「日本という価値」、「日本の宿命」、「正義の偽装」、「さらば資本主義」、「さらば民主主義」、「反・民主主議論」、「経済成長主義への決別」「従属国家論」等々と、次々と氏の著書を読み進めました。

  2017年3月に「反民主主義論」、同年5月に「アメリカニズムの終焉」、11月に「現代民主主義の病理」、12月に「西田幾多郞 無私の思想と日本人」、つづいて、2018年5月に「『保守』のゆくえ」を取り上げ、私なりの感想などを交えた投稿を致しました。佐伯氏は次々と著書を発刊されておりますが、本書「アメリカニズムの終焉」は現代文明の本質を見据えた論及であり、諸著作の原点とも言うべきものかなと、私は考えております。掲題の本書の初版は1992年です。私の本棚に長い間、眠っていたのは1998年版で、今回取り上げた本書「アメリカニズムの終焉」は2014年版の中公文庫によるものです。いずれにもせよ、20数年前の著作とは、とても思えず、現代そのものへの鋭い洞察がされております。今日、そして今後の日本を改めて考える上で極めて貴重な著作と私は考えております。

  尚、このほぼ6年間でブログ投稿は加筆修正を除き81件になりますが、佐伯氏については今回で10回目になります。次に多いのは戦艦大和吉田満に関する7回の投稿です。方や、山本七平も幾度となく取り上げていますが、私が佐伯氏をどれだけ理解できたか疑問ですが、私は佐伯氏に強く影響を受けている証左でしょう。

  本投稿は一昨年5月に再投稿した原稿に、今日の日本の現象等々も新たな付言をし、若干の修正をしましたが、元の投稿は変更しておりません。

 

 変貌した今日

  揺れ動くヨーロッパ諸国、英国のEU離脱の如何、宗教・民族対立、各国各地で頻発に起こるテロ、フアシズムの様相を強める各国、アメリカ第一主義を唱えるトランプ大統領の出現と2021年1月のバイデン大統領への交代。加えて、コロナ禍のパンデミックの現状の中で、今回の大統領選挙で大きく分断したアメリカの今後の動向は世界に多大な影響を与えるものと考えます。

 方や、歴史的事実とは異なる「中華大国の復権」と称し、共産党独裁政権が推し進める「一帯一路」。急速な軍拡に加え、世界第一位のGDP経済大国をめざし、世界経済覇権への欲望。方や軍事大国のロシアの動き。更には、非核化で統一ができるとは考えられない、反日思想がより強まる朝鮮半島の国家の現状は、日本に新たな問題と課題を突きつけてくるでしょう。

 そうした戦後の、又地政学的にも大きく変貌した状況に日本が置かれているなかで、われわれは何が必要なのか、否、何が欠けているのか。何を考え、そして行動に移していかなければならないか、正に問われていると、私は考えております。更には、「民主主義とは何か」が改めて問われているのではないでしょうか。そのような私の僭越な思い抱いておりますが、

  佐伯氏はその基になるのが思想であると指摘しております。残念ながら、現代ほど「思想」が力を失っている時代もない。その思想とは、とりたてて人々をかりたてるイデオロギーと解することでも、また人間存在の深遠まで達する世界観とみなす必要もない。それはもっとゆるやかな形で世界を解釈するヴィジョンであり、そこからわれわれの行動の指標をつむぎだせる、ある程度の整合性をもった知識の体系である、と本書で記しています。また、氏は3年前になりますが、「『保守』のゆくえ」のなかで、今や知識人は何をすればよいのか、誰も確信を持って述べることはできない。代わって登場した専門家と称する人々には近代を生み出した「個人の内面」への追求をするというものはない、と指摘しています。果たして日本には「思想」という視点・観点がなくなってしまったのでしょうか。

 

我国の現実

  我国の現実はどうでしょうか。テレビ等のマスメデイアに現れるのは、この数年前には「森友学園の国有土地払い下げの問題、「加計学園獣医学部新設に関する忖度問題等で19日間に亘る野党の国会出席拒否。昨年に続き今年も、安倍前首相の「桜を見る会」に関わる追求。加えて、そうした国会論議を、長々と伝えるマスメディア。緊迫した国際情勢、新たに生じたコロナ禍によるパンデミックの中にあって、そうした国会論議の現状は平和だけを唱える「平和ボケの最たる現象」と言わざるを得ません。

 私は 1920年代の大阪の松島遊郭の移転に関して、土地会社と政治家の間に不正な利益があったとした「松島遊郭事件」、更には1930年代後半の「帝人事件」を想起するのです。いずれも無罪となる、全くのでっち上げの事件ですが、「帝人事件」では内閣が倒れます。今回の忖度問題等々に関しても検察も動いていない状況下の中、野党、マスメデイアが独りよがりの正義を振りかざし、唯々、現政権を倒す為だけに暴れ回っている異常の現状としか、私には思えないのです。私は改めて、マスメデイアに作り出された世論と称するものに、時の政権が翻弄され、そして開戦・敗戦につながっていった戦前・戦中の、謂わば「空気」を想起するわけです。

  果たして日本は楽園にいるのでしょうか。日本の防衛と軍事力がアメリカに委ねられていること。北朝鮮の国家権力により、この日本国土から拉致された日本人家族を救う為に、アメリカに頼まざるをえない現状。そのことを不思議とも想わぬ現実等々は果たして日本は主権国家と呼べるのでしょうか

 更に敷衍すれば日本には半島出身者が在日、帰化された方々を含め100万人ほど見えるのではないでしょうか。その方々の中には政財界のみならずメデイア等の中でも影響力を持つ方々も見えるはずですが、こと拉致問題には全く関わらない、関心を示さないように、私には見えるこの現象は何故なのでしょうか。他国から見れば日本のこの現象は極めて不思議・不可解に映のではないでしょうか。逆に言えば在日等の方々は日本並びに日本人への怨念、反感が半島国家の人々と同じように、我々の想像以上にあるのではないでしょうか。

 一方、日本は韓流ドラマ等を流し続け、その放映を楽しむ我国の高齢世代。韓国サブカルチャーに憧れる日本の若い世代。世紀を超えて反日教育を続ける半島国に大きく影響を受けるかの国の人々との、この相違は何なのでしょうか。主権国家とは何か、国民を守るとはどのようなことか、そうした視点・観点の論議はあってしかるべきであった、と私は思っているのです。この現実はアメリカの庇護の元に現実を直視しない、平和ボケの日本の由々しき事実ではないでしょうか。

 成文憲法の形態をとる国にあって、戦後70数年に亘り、その憲法を一字一句も修正しない国はあるのでしょうか。同じ敗戦国のドイツでも、世界の現状に鑑み何度も見直し、修正をしているのです。現憲法を不磨大典の如く扱う、この現状は、私にはむしろ異常に映るのです。戦中、天皇フアシズムを生み出したのは天皇ではなく、当時に漂う「空気」によるものだった、とのこと。毎年の初頭に当り、改めて平和を願うことは必要です、何ら問題はありません。ただ、願うだけでは平和にはならないと考えます。

 佐伯氏は現憲法について、次のように述べています。

 他国の憲法は近代憲法として不完全であるものの、その不完全性のゆえんは、国家の存立を前提とし、国家の存立を憲法の前提条件にしているからだ。いわばわざと不完全にしているのである。ただひとり日本国憲法だけが、近代憲法の原則を律儀に表現したために、国家の存立を前提としない、ということになった。平和主義の絶対性とはそういう意味である。厳格に理解されたいっさいの戦争放棄という、確かに考えられる限りのラデイカルさをもった日本国憲法の平和主義は、自らによって国を守る手立てをすべて放棄するという意味で、国家の存立を前提としないのである。恐るべきラデイカルさである。(脱 戦後のすすめ221頁)

 

その1・本書・アメリカ二ズムの終焉の序論

  社会が、その根底に変化しがたいものをもっているのは当然のことである。日本社会が、とりあえず「日本的」としか言いようのない、この国の社会や文化、歴史の文脈の中で作られてきたものを保持しつづけているのは、善し悪しは別にしても当然のことであろう。問題は、その「日本的なもの」が何であり、どのような意味を持っているのか、それを解釈する術を戦後の日本が失ってしまったということであろう。・・(中略)戦後日本は、アメリカ的なもの、あるいはアメリカ的文明を常に参照枠とし、思考の基軸に据えてきたということだからである。このアメリカ的なものが、われわれの生活のどこまで浸透したかという判断はまた別のことなのであり、われわれがここでいう「アメリカ二ズム」に常にモデルを求めてきたことは事実なのである。これはしばしば、ほとんどそうとは気づかない無意識のレベルにおいてそうであった。そして今日、グローバルの名のもとに、市場経済の世界的、普遍的な展開が唱えられるが、このグローバルこそまさにアメリカ二ズムの帰結にほかならない。・・(中略)「『アメリカ二ズム』の終焉」という本書の題名は、アメリカの覇権の後退といったようなことを意味しているわけではない。私はアメリカ型の文明(そしてそれは必ずしもアメリカ社会そのものと同じでない)がもたらす危険性について述べたかったのであり、アメリカ的なものに示される「超近代主義」が亀裂をあらわにし、もはやうまく立ち行かなくなるだろう、と述べたのである。そしてその見解は、アメリカの経済的覇権が再び確立されたかに見える今日でも変わらない。それどころか、本書でいうアメリカニズムは、ますます世界的な規模で不安定性を高めていくのではないか、と思われるのである。(文庫版本書19,20頁)

  如何でしょうか。トランプ大統領を生み出した現在のアメリカ社会、英国のEU離脱問題、揺れ動くEU諸国等々の現状を考えるにつき、私は氏の洞察力に深く共感を覚えるところです。今回も本書の全容を紹介するのではなく、私が共感を覚え、私なりに理解し共感を覚えたこと、「『アメリカ二ズム』の終焉」を中心に振りかえり、考えたいと思います。

 その2.19世紀のヨーロッパ時代

  20世紀にアメリカが圧倒的な軍事力と経済力をもって多国を牽制し、それなりの国際秩序を作り出したといわれるが、その前に19世紀のヨーロッパを見ておくことが必要としています。即ち、「パックス・ブルタニカ」からアメリカに覇権が移った時、それは軍事力と経済力だけの問題だったのではない。即ち、力の相対関係だけの問題ではなく、それは「近代」の質的変化であり、「近代文明」というものの断層があった。そして、そのことは「パックス・アメリカーナ」への移行に際しても言えることなのだ。

  ヨーロッパの歴史を貫くものは、異質な民族、生活、言語、文化、宗教の対立と依存が、いかにヨーロッパの地理的、自然条件と深く重なっているか。そして、地理学的な条件の中で多様性を生み出し、それがヨーロッパの経済活動を生み出しただけでなく「政治」をも生み出した。ヨーロッパにおける政治の概念は、地理的なものと結びついた多様性と不可分なのであり、そして「地勢学」が「地政学」に転化するのである。そこには、神聖ローマ帝国が象徴したような、キリスト教という超越的な普遍性でヨーロッパを統一する、という中世の原理がほぼ崩れ去り、それにかわって主権国家間の国家間関係が登場するのである。

  加えて、フランス革命において合い言葉となった自由、平等、博愛、そしてイギリスからヨーロッパ各国に伝搬していったインダストリアリズム(産業主義)がもうひとつの価値になった。即ち、リベラリズム、デモクラシー、インダストリアリズムが近代社会を代表する価値である。加えて西欧の近代社会の形成を支えるもうひとつの重要な要素は「国民国家」の形成なのである。そして19世紀のヨーロッパを考えるとき、決定的な重要性を持っているのがリベラリズ(自由主義)の概念である。

  リベラリズムという言葉が自覚的な意味を持って使われだすのは19世紀のヨーロッパである。この場合の自由の観念は、主として、個人的な意思決定、行動に対して他からの拘束が働かないぐらいの意味で、それゆえ、こうした個人的な自由を拘束する権力に抵抗することがリベラリズムの中核になる。ドイツやイタリアといった19世紀ヨーロッパの後進国にとっては、この権力はオーストリア帝国のような帝国の絶対的君主であった。それゆえ、リベラリズムの運動は同時に国家形成、独立の運動となったのである。しかし、個人的な意志や行動を拘束する権力は必ずしも絶対君主制の中から発生するとはかぎらない。リベラリズムは権力があるひとつのところに集中することを絶えず警戒する。しかしこの権力の集中ということはなにも絶対主義という形で起こるとはかぎらないのである。」(同83頁)

  方や、「デモクラシーのひとつの柱は人民主権であり、人民という抽象的存在が、文字通りの無制限の権力を握った時には、人民の名においていかなる専政が行われてもそれを防ぐことはできないのである。ジャコバン党の恐怖政治はまさにそのことを物語っているし、のちにはスターリニズムがその問題を再び提起したのであった。この時、リベラリズムはデモクラシーと対立する。・・(中略)そして19世紀を通じてヨーロッパのリベラリズムはデモクラシーに対する警戒心を緩めることはなかった。すくなくとも急進的なデモクラシーのもつ専制政治への傾きに対してである。」(同84頁)

  19世紀のヨーロッパにおいては、リベラリズムは決してナショナリズムとは対立せず、共鳴しあいヨーロッパ社会を支えたのだ。19世紀の相対的に安定していた時期、諸国間の利害を調整していたのはバランス・オブ・パワーという考え方と自由貿易の理念であった。そしてその自由貿易を支えたのは、イギリスの効率的な海軍と経済力であり、それに加え現実的で自国の利益を見失うことのない外交能力であった。そしてそのリベラリズムは極めて現実的な国際感覚と極端な変化に対する警戒心、歴史の連続性や常識に対する信頼といったものに支えられていた。そうした「現実主義」の上に、「パックス・ブルタニカ」は成り立っていた、と記しています。

 

 その3.20世紀のアメリ

  第二次大戦後、世界の総生産量の半分を生産した圧倒的な経済力と軍事力が、アメリカの覇権のベースとなったことは事実だが、アメリカの戦後外交の基本は、19世紀のイギリスと同様、国際的なバランス・オブ・パワーを確保することであった。加えて20世紀と19世紀を分かつ重要なことは、そのリーダーシップにはひとつは国際社会における道義的責務という観念と、「モノによるデモクラシー」というやり方である、と述べています。

  20世紀は理念とイデオロギーの時代であり、「力」だけがすべてではなかった。社会主義国共産主義やマルクシズムの優位を主張した。ナチズムの汎ヨーロッパ主義、日本の大東亜共演圏もそのイデオロギーを主張した。

  そして「戦後、最も普遍化する力をもったものがリベラル・デモクラシーであった。19世紀にはむしろ対立しあう価値であったリベラリズムとデモクラシーを今世紀は結びつけた。この結びつきを普遍的な人類の価値として世界化しようとしたのがアメリカであった。とりわけ、19世紀のヨーロッパでは、新興勢力に支えられているとはいえ、まだ危険思想であったデモクラシーを、社会の普遍的な原理まで祭り上げたのはアメリカであった。」(同124頁) 

  しかもその使命を「経済」を通じて実行しようとしたところにアメリカの文明史的な役割がある。そして大量生産と大量消費で大衆(消費者)を生み出したのである。アメリカは商品を通して「自由」や「平等」の観念を宣伝できた唯一の国であった。ともかくも消費財をひとつの文化のように見せかけ、ひとつの国のシンボルにまでしまった国家はほかにない。続いて、デモクラシーについては以下のように述べています。

  デモクラシーは19世紀を通じて、主として政治的な価値であり、理想であった。それは国政に対する人々の平等な参与を求める運動であり、その背後には、人民主権という政治理念があった。それは意志決定のやり方であると同時に、主権と統治の正当性に関することがらなのである。しかるに、アメリカニズムのなかで、デモクラシーは生活の均質化、所得配分の平等化を意味するようになってくる。ここでも「政治的平等」から「経済的平等」への転換がおこるのだ。それとともに、国家は、政治の正当性によって基礎づけられるのではなく、それが国民に対して何を提供するかによって意味づけられるようになる。国家はサーヴィス・ステイトとなり、機能的な存在と見なされる。国家とデモクラシーの関係は、人民を媒介にした統治の正当性に関わるのではなく、経済政策を媒介にした機能の遂行に関わるのだ。これが、アメリカ二ズムがスポンサーとなった今世紀のデモクラシーなのである。(同140頁)

  正に正鵠を得た指摘ではないでしょうか。私は僭越ながら深い共感を覚えます。いわゆるこの知識革命というべきものの遂行こそが今世紀のアメリカの役割であったわけです。そして次のように展開していきます。

  この「革命」がまぎれもなくフランス革命の継続であるのは、それが文化の大衆化という広範な平準化の運動だったからである。デモクラシーのもとでは「普遍化」とは「大衆化」にほかならないのである。ここに今世紀のアメリカの覇権を、かってのイギリスのそれから区別する決定的な点がある。パックス・ブリタニカのもとではイギリスの文化は高い尊敬の念を払われたが、それは結局イギリス帝国領土内の支配階級にしか広まらなかったのに対し、パックス・アメリカーナのもとではアメリカ文化はいささかばかにされながらも、世界の大衆に広まっていったのである。(同150頁)

  いわゆる大衆の出現です。では、何故、それがアメリカニズムの終焉につながっていくのか。

 その4.アメリカニズムの終焉

  戦後の冷戦体制のもと、圧倒的な経済と戦力でアメリカが自由世界の守護者になった。もうひとつは大量生産と大量消費という「モノのデモクラシー」をいち早く実現し、モノ(商品)の持つ普遍的な力によって「リベラル・デモクラシー」を普遍化しようとする遠心力が、戦後の自由世界を覆っていた。従って、アメリカによるこの「リベラル・デモクラシー」という理念を打ち出した覇権が後退するということは、この理念の旗のもとに結集した西側世界全体の問題となる。即ち、今日のもっとも正統的な価値がもはや自明なことではなくなりつつある、との佐伯氏の指摘です。

  アメリカ社会の没落がはじってまっているというのは別に最近になって言われ始めたのではない。60年代のヴェトナム戦争を目の当たりにして、そのような感慨を抱いていたし、並行的に起こった学生運動や、ヒッピーの中にその兆候は見られる。また、アメリカの宿命とも言うべき人種問題が新たな局面を迎えたのも60年半ばであった。では今日の現状と何が違うのか。

 「ジエフア―ソニアン・デモクラシーの伝統を想起するまでもなく、とりわけアメリカは政治参加に強い関心と意欲を示す国であり、キリスト教の伝統を想起するまでもなく地域活動や社会奉仕に意欲を持った国なのである。その国においてなぜ今、政治問題はほとんど経済一色に塗りつぶされ、社会生活も金銭的関心に塗りつぶされようとしているのであろうか。世界秩序を維持し自由主義を保守するというアメリカ政治の最も高貴な目標はいったいどうなったのか。

 ・・(中略)真の問題は、戦後アメリカの覇権を支えてきた『普遍的』なはずの理念がもはや『普遍的』ではなくなった。あるいは十分の説得力を持ち得なくなったということである。問題はアメリカの経済的利害にあるというより、今世紀のアメリカをアメリカたらしめてきたリベラル・デモクラシーの理念の崩壊にある。経済によって支えられてきたリベラリズムとデモクラシーの結合がうまくいかなくなったということなのである。さらにいえば、リベラリズム、デモクラシー、ビジネス(キャピタリズム)の三位一体という今世紀の産業社会の思想的枠組みがうまくいかなくなったということであろう。」(170頁) ではその要因は何であろうか。

 

 グローバル化

  70年初めにブレトン・ウッズ体制が破棄され、世界経済は変動相場制に移行し、為替レートは貿易つまりモノの移動で決まらず、急速にふくれあがった資本移動に大きく左右されることに連なっていった。そして、次のように述べています。

  今、自由貿易自由主義の枠の中で修正をせまられているのである。現実問題としていえば、それはすくなくとも多角的で無制限な自由貿易から、ある程度の二国間調整を含んだ「管理された自由貿易」へ修正せざるを得ないであろう。そのことは必ずしも保護主義への転換を意味するわけではないし、また自由貿易の放棄を意味するわけでもない。しかしそれより重要なことは、こうした自由貿易の修正は経済の「グローバル化」の結果だということである。資本、技術、それに労働の国境をこえた移動が激しくなればなるほど、各国の経済基盤、生産技術は似通ってきて、その結果、自由貿易の理論的根拠は失われていく。また金融のグローバル化がすすめばすすむほど「シンボル経済」はふくらんでゆき、自由貿易はむつかしくなるのである。(179頁)

  ・・(中略)「国家の壁」の内と外があって初めて自由貿易という議論も経済的自由主義も成り立つ。即ち自然資源、労働力の質、文化の構造、技術の性格といった広い意味での生産要素の質の国ごとの違いがあって初めて自由貿易の議論は成り立つ。だから、この近年のボーダレス化、グローバル化、市場の自由化といった最近の論調は、ある意味で自由貿易主義とは矛盾することを知らなければならない。・・(中略)「ヨーロッパの思想史の伝統の中にあるリベラリズムをもっぱら経済的自由主義とりわけ自由貿易主義に解消してしまったのは、今世紀の「アメリカ二ズム」であった。すなわち、自由貿易によって富の増大をはかり、その富をめぐって誰もが金持ちになる機会を与えられるのが今世紀の「アメリカ二ズム」なのである。(180、181頁)

  本書は20数年前に書かれたにもかかわらず、まさしくトランプ大統領の分断化したアメリカの現状ではないでしょうか。

 

 世論とは何か、世論の登場

  一方、アメリカニズムは大量生産と大量消費を生み出し、新たな概念ともいうべき大衆(世論)を重視せざるを得ない状況をも作り出した。その世論というものは、何か対象が見つかれば、常に感情的高揚と主観的偏りをそれに対して向ける。とすれば国際関係とデモクラシーとの関係をもう一度考え直して見る必要があるのだ。そして、以下の150年前のトクヴィルの言葉を紹介します。

  民主政治にしばしば欠けているものは、知識経験に基づいた先見の明である。人民は理性にたよるよりも感情にたよっている。将来のことを予見して現在の欲望を抑制したりすることのむつかしさを過小評価する。そして危機のときにおけるアメリカの民主的共和国のこの相対的な弱点はおそらく最大の障害であろう。そしてこの障害は、ヨーロッパで同様な共和国がもっている障害とは全く対照的にことなっている。この障害が一番顕著に表われるのが外交においてであろう。外交政策には民主政治に固有なほとんどすべての美点の使用は必要ではない。即ち外交政策がデモクラシーの弱点に巻き込まれることを避けよ、ということである。

  この指摘はアメリカのみならず日本そのものに当てはまるのではないでしょうか。そして、次のように記していきます。

  今世紀の社会の主役は「消費者」と「世論」ということになった。それは、19世紀なワークマンシップやリーダーシップというものとは正面から対立するものであった。「消費者」や「世論」を構成するのは「普通の人々」なのである。だから「普通の人々」が主役になった社会、それが現代というものである。だが現代はそれ以上のものを「普通の人々」に与えた。それは事実の問題として「普通の人々」を主役にしただけでなく、価値の問題としても、「普通の人々」こそが価値の基準だとしたのである。「普通の人々」の答えが社会とって正解なのである。しかし、まさにそこに現代文明の解きがたい困難がある。(279頁)

 

日本の世論の現状

  むろんこうしたことは、アメリカだけの現象ではない。日本においても事情は同じだ。「世論」は国際社会の相互依存などおかまいなしに「一国平和主義」を主張する。経済的にも安全保障上も複雑に絡み合ってしまった今日の世界においては、よかれあしかれ、日本一国の安全といえども、「世界」と結びつきあっていることは明らかなのに、である。湾岸戦争以降高まった反米的でナショナリステイックな気分は、それが「世論」と見なされたとたんに危険なものとなろう。この「世論」は、日本の安全保障を確保する何らの現実的な外交手段も提示しないまま、いたずらに「大国」アメリカを批判するだけなのだ。(190、191頁)

  たしかに「一国平和的日本主義」の方はひとつの理念をもっているともいえる。しかし、この理念があまりにも空想的で現実離れしてことを別としても、コスモポリタンな絶対的平和主義というような理念が、たとえばヨーロッパの政治思想史のなかに流れているとは私には思えない。唯一それを思想の課題にしたのはガンジーの無抵抗主義ぐらいであろう。しかし、それも、きわめて実践的性格をもったものだった。端的にいえば、それもまた抵抗の戦略として選び取られたものであった。もしわれわれ「自由」を真に重要なものだと考えるならば、われわれはいま改めて自由の意味について考え直さなければならない。消費者主権に基づく経済的自由主義も、絶対的平和による自由の観念も、ともに強い力はもたない。アメリカニズムのもとでのリベラル・デモクラシーは明らかに限界にあると思われる。(312、313頁)

  如何でしょうか。佐伯氏のこの指摘は20年前のものなのですが、私は深い共感を覚えるのです。今日のアメリカの最大の問題は無責任な個人的自由の観念が中間層から上の、どちらかといえば知的な階層に急速に広まりつつあるように思われる。即ち、知的エリートの無責任な状況を氏は指摘しているわけです。

  では日本の現実はどうでしょうか。日本の無責任な世論と称されるものが時の政権に大きな影響を与えてきたのは、戦前、戦中は新聞、ラジオ。戦後はテレビ、新聞、週刊誌等々のマスメディア等、特にテレビのそれはもはや制御できないものになっていると、私は考えています。昨今のテレビキャスター、ジャーナリスト、学者、謂わば「専門家」称される人々のテレビで流される言動、いわば独りよがりの正義の無責任な言動が、世論形成に大きな影響を与えている。しかし、そこに潜むものは正義、いわんや言論ではなく、単なる商業主義に毒された、金をもらえれば良い、謂わばテレビ局、更にはスポンサーのいいなりになる、猿回しの猿の言動にすぎないと。言い過ぎですが、私には、そう思えるのです。思想の消滅といった現象そのものではないでしょうか。

  尚、佐伯氏は言論について次のように述べています。

  政治の空間は多かれ少なかれ、言葉や表現によって組み立てられている。だから政治の空間での自由は言論や表現の自由と不可分だ。しかしもそれはただ、言論が制限されたり検閲されたりということだけでなく、表現者としての真の内的な自由、つまり、真実を語ること、説得すること、言葉に対して責任をもつことなどを含んでいるはずだ。(139頁)

 

 冷戦以降の日本の位相

  実は日本社会こそが本書でいう「アメリカニズム」の典型的な担い手となったのである。そう考えなければ、昨今の日本における「消費者」という概念と「世論」という概念に与えられた特権的な位置を理解することはできない。日本の経済が本当に「消費者」によって動かされ、日本の政治が本当に「世論」によって動かされているのかどうかについては、簡単に判断できないだろう。だが少なくとも言えることは、経済が「消費者」のためにあり、政治が「世論」によって方向づけられるのが正当だという強固な信念は広がっている。(309頁)

  佐伯氏はこの第4章・「『アメリカニズム』の終焉」を、次のような印象深い文章で閉じます。

  こうして近年のアメリカの衰退が意味するものは、必ずしも、経済的、軍事的のものではなく、むしろ「現代」文明が掲げ、担おうとした価値、すなわち、リベラリズムキャピタリズム、デモクラシーといった価値の衰退、あるいはこの三者の優雅な結合の崩壊である、というのが私の考えなのである。あるいはビジネスがもはや、リベラリズムとデモクラシーを結びつける役割を果たさなくなったということだ。・・(中略)ここで確実に言えることは、これはただアメリカだけの問題ではないことだ。「アメリカニズム」は繰り返していうが、アメリカ一国の話でもないし,アメリカが世界に押しつけたものでもない。ビジネスあるいは経済という絵筆によって世界の地図に自由と平等の色を塗り込んでゆくこと、これが「アメリカニズム」の本質なのである。この「アメリカニズム」が20世紀を特徴づける基本的な柱だったとするなら、その崩壊は「現代」そのものの崩壊だし、それを「危機」というなら、それは「現代」そのものの危機なのである。(209,210頁)

 グローバリズム」という虚構

  1993年に本書の初版が出され、1998年にはグローバリズムに関しての増補を加えております。アメリカニズムについても極めて重要なので、私なりの理解ですが以下、紹介します。

  個人的な自由主義、民主主義、そして市場経済の理念の結合を普遍的なものと見なすアメリカニズムの土台は、絶えざる技術展開とその成果の大衆化可能とする大量生産方式であり、それを受け取る大衆社会(世論)の形成であった。しかしながらその理念が基本的なところで亀裂が生じ、衰弱が起きている。そうした流れの中で、グローバリズムが進展している。その中心をなすのは企業活動そして資本の動き、即ち経済の領域におけるボーダレスな活動が今日の大きな焦点なのだ。その国際資本移動は文字通りの意味で国境がなくなった世界を駆け回っているわけでではなく、むしろ国家が厳然として存在するゆえに、その国境を利用したゲームなのだ。

 その結果、「国の政策の妥当性の判断が、政策当局や国民ではなく、国際的な投資家たちが構成する市場にゆだねられているということである。政策当局は、その政策を市場がどのように評価するかという観点から行動をせざるをえないのである。こうして市場の動向が政策の基本方針を動かしてしまう。少なくとも、政策の独立性は市場の圧力にさらされ、自立性や裁量は失われつつある。つまり、市場から独立した政策というこれまでの前提はもはや成り立たない。」(331頁) 

  このグローバル市場の進展は、人々を律し、また結び付ける社会的エートスを限りなく希薄化させる。市場は、利潤機会に敏感で、価格にすばやく反応する人々の群れを生み出す。決して倫理的な人間など必要としないのだ。ではそれへの対処はあるのか、ないのか。

  それは「主権国家という、これまでわれわれの依拠してきた発明物を,グローバルな時代に適応させて活用するというやり方である。近代主義の矛盾とグローバリズムという超アメリカニズムのもたらす不安を牽制し、調整する実際的なやり方は、コスモポリタ二ズムとファンダメンタルズの間で『ナショナルなもの』に依拠する以外に考えられない。」(383頁) それを氏は「シヴィックナショナリズム」と呼んでいます。

 

 おわりにあたり

  佐伯氏の一連の著作を読み終わった感想は、今の時代に必要なことは、まさしく歴史への深い洞察と、思想の重要さ、ということでした。では必要な思想とは何か。それは単なる知識の集積ではなく、物事を判断する力、ことの本質を追い求める、「個人の内面への希求」ということなのでしょう。

  揺れ動くヨーロッパ諸国、民族と宗教との対立、各国各地でのテロの続発、そしてアメリカ第一主義を掲げるトランプ大統領の出現と、分断下された今日のアメリカ、そうした現状等々を、あたかも著者は20数年前に既に見通していたかのように感じます。

  方や、人権と自由への価値観が大きく異なる、私にはフアシズムそのものに見えるのですが、中国共産党独裁政権による想定外の「中華大国への復活」、その行く末はどうか。拝金主義と更なる格差拡大の極めて由々しき世界になる危惧を私は想うのです。その中国を背景に、世紀を超えても消えることない強固な反日朝鮮半島統一国家への実現如何。加えてプーチン政権の軍事大国のロシアの動き等々。世界が大きく変動している中にありながら、日本の政治・加えて国内の現状はどうか。言論に責任を持つ報道機関がない日本。そして、昨今の国会討議の有り様、頻繁に起こす野党の審議拒否、採決欠席の現実は目を覆うばかりです。私には、言葉の意味においても理解できない「リベラル」を掲げる立憲民主党を初めとした弱小野党の現実とその先行きはどうでしょうか。ただ自民党政権を倒せばいい、その後は何を目指すのか。否それ以前にどのような思想・理念、政策があるのでしょうかまた、共産党も名称を変えて日本共産党として存続してはきたものの、その綱領等はどうなっているのでしょうか。他の国との友好関係はあるのでしょうか。あるとすればどこの国なのでしょうか。日本共産党は異質の存在で、現在以上の進展はないと考えます。

 いずれにもせよ私は、政権交代の意志も、思想も、政策も、人材もいない、弱小の野党群を目の当たりし、政党政治の末期的現象のみならず、このままでは日本は衰退の方向に向かっている兆候が色濃く表われていると考えています。ただ、そうした国会議員を選出したのも我々国民なのです。国民のレベル以上の国会議員は出てこないのです。従い我々自身の問題に立ち返ってくるのです。

  2021年1月25日

                                淸宮昌章

追補

 本投稿は冒頭にも記したように、二年ほど前に投稿したものです。今のコロナウィールス・パンデミックの現状にあって、その元原稿に若干の修正・補正を加え、再投稿したものです。皆さんの自粛生活の影響でしょうか、お陰様で、弊ブログへのアクセスも51,000に近づいております。一方、今までの96件の投稿の中、注目記事の順位も大きく変動しており、今日では本投稿が注目記事の2位になっております。アフガンの問題、日本の現在の政変のためでしょうか。

 2021年9月4日

                                  淸宮昌章

 

参考図書

 佐伯啓思『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ)

 同 上『「アメリカニズム」の終焉』(中公文庫)

 同 上「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義上」(中公文庫)

 同 上「ケインズの予言 幻想のグローバル資本主義下」(同上)

 同 上「20世紀とは何だったのか 西欧近代の帰結」(PHP新書

 同 上「日本の愛国心 序説的考察」(中公文庫)

 同 上「大転換 脱成長社会へ」(同上)

 同 上「正義の偽装」(新潮新書)

 同 上「現代民主主義の病理」(NHKブックス

 同 上「反・幸福論」(同上)

 同 上「日本の宿命」(同上)

 同 上「反・民主主義論」(同上)

 同 上「さらば、資本主義」(同上) 

 同 上「従属国家論 日米戦後史の欺瞞」(PHP新書) 

 同 上「倫理としてのナショナリズム」(中公文庫)

 同 上『「保守」のゆくえ』(中公新書ラクレ

 同 上『「脱」戦後のすすめ』(同上)

 筒井清忠「戦前日本のポピュリズム」(中公新書

 西部邁「保守の遺言」(平凡社新書

 同 上「保守の真髄」(講談社現代新書

 ケント・ギルバート「リベラルの毒に侵された日米の憂鬱」(PHP 新書)

 マデレーン・オルブライト「ファシズム」(みすず書房)

 デヴィッド・ランシマン「民主主義の壊れ方」(白水社) 他

 

 

 

                                                      

 

 

 

 

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フォームの始まり

フォームの終わり

 

 

 

 

 

新年にあたり

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 上記のクイーンズ側から描いたブルックリンブリッジを描いたエッジングの背景にはあるのは、今は無き爆破されたツインタワーです。ニューヨーク駐在時代に買い求めたものです。尚、松飾りは昨年末に友人野田良弘さんから頂いたものです。

 野田氏によれば、寛永11年(1638年)の島原のキリシタンの乱の際、佐賀藩が一番乗りの武勇を讃えられたものの、後に軍規違反となり、幕府より譴責処分。江戸佐賀藩邸では正月の飾り付けが出来ない中、12月29日、その処分が解かれ、急遽、米俵等の藁で松飾りが作られた。その松飾りが鼓の胴に似ているところから この「鼓の胴の松飾り」が伝承され、明治以降は県庁や市役所に正月飾られるようになった、とのことです。


 

新年にあたり 

 

 昨年はコロナ禍にあっても、個人的には体調も絶好調と思っていたのですが10 月末の定期健康診断で、狭心症の疑いとのことで、再診の結果、11月中旬の思わぬ入院で心カテーテルの手術、お陰様で数日での退院。その後も体調は順調に経緯し、現在はテニスも復活し、以前と変わらぬ日常を送っています。

 尚、病棟は循環器病棟で、コロナへの治療・対処状況は全く目にしてはおりませんが、病院のコロナ予防対策への対応は本当に大変な現実を肌で感じ取りました。他人事ではないことを実感したところです。我々各自の自覚と医療従事者の方々への感謝・支援が必須と痛感致しました。

 

 尚、入院中は両腕が固定されているため、持ち込んだ本も読むことも出来ず、静かに物思いに浸っておりました。その中でふと、遠藤周作が病魔に脅かされながら呟いた次の言葉が浮かんで来たわけです。 

 

 六十になる少し前ごろから私も自分の人生をふりかえって、やっと少しだけ今のぼくにとって何ひとつ無駄なものはなかったような気がする、とそっと一人で呟くことができる気持ちになった。(心の夜想曲)

 

 私自身は、病魔というような状況ではなかったのですが、改めて遠藤周作の上記の言葉を想い起こしたわけです。

 

 方や、まず私の念頭に浮かんだのは仕事人生・50数年の間ずっと支えてくれた家内のことで、「家内は幸せだったろうか。」 続いて大学時代の恩師並びにゼミの仲間、高校時代の友人。更には後半の仕事人生50数年間のいろいろの場面で、スタッフを含め本当にお世話になった方々との貴重な出会いに感謝。加えて、人生観も、その生き方・在り方も私とは大きく異なる人々との間での葛藤、事象など。そんなこと等を私は病院のベッドの中で想い起こしておりました。遠藤周作は別な想いから記されたのですが、カトリック教徒である遠藤周作の著作は関心深く、私なりにだいぶ読み込んでは参りました。

 

 加えて、私には中学時代から、お互い同じような環境に育ち、何でも相談、理解しあえる、どちらが先にゆくか分かりませんがお互いに後を託せる、親友がいること。そんなことも今回改めて感じ、感謝したところです。私には今回の入院は、自らの過去、そして現在を考える貴重な時間であったように想います。

 

 病院に持ち込んだ本は一冊も読めない中、スマホで弊ブログ「淸宮書房」の中で、自らの体験から来た思い等をも含めた過去の四本の投稿を眺めた次第です。そして自らも後数ヶ月で81歳、人生の最終章に来ているのだとの思いを改めて感じ、これからは新規を求めるのではなく、できればより掘り下げて、しっかりと生きていかなければならないと想ったところです。

 

 そんな心境の中、昨年12月、数年前の四本の投稿に、日頃の想いなどを追加し、再投稿致した次第です。取り上げた著書は、作者ご本人も人生の最終期にあることを自覚されたものです。そんな想いが共感を呼んだのか、その4本の再投稿が80数本の投稿の中、注目記事の順位が急変し、今の時点で再投稿記事が1番から5番に入って来ました。尚、先月12月には1200半ばのアクセスを頂き、お陰様で合計ではアクセスは42,000台になりました。

 

 注目記事の1番から5番は以下の通りです。長いブログですが、お時間とご興味があれば、ついでの時に下記をクリック頂ければ幸いです。何か宣伝となり恐縮します  。 

 

 2021年1月3日

                          淸宮昌章

 

渡辺浩平著「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」を読んで

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/08/15/151039

  このコロナ禍の中で思うこと 今年9月28日、定期健康検診の際、心電図の微妙な変化から狭心症の疑い、とのことで、総合病院での検査の結果、11月24日入院、25日心カテーテルの手術、27日退院。今まで何の症状もなく、掛かり付けの先生に見つけて頂き、事なきを得、何か寿命が長くなった次第です。このコロナ禍にあって、その予防に大変な努力をされている先生並びに看護師の皆さん、スタッフ、職員の方々を目の当たりにし、感謝共に何か複雑な想いを抱きました。入院は初めての経験でもあり貴重な体験を致しましたが私に取り、コロナ禍は決して他人事ではありませんでした。他人事のような中国には私は憤りを感じます。このコロナ禍は…

 

再び、筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道」を読んで https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/03/11/160350 

 再び、筒井清忠著「戦前日本のポピュリズム 日米戦争への道」を読んで 再投稿にあたって 前首相主宰の「桜を見る会」を巡って、またも愚劣な政治ショウが始まった、との私の印象です。何時もながら国会審議と称する議会で、あたかも正義の仮面を被ったかの如き主張、質問を浴びせる野党議員御自身、更にはその議員が所属する野党はそれほど清廉潔白なのでしょうか。離散・集合を繰り返す野党の政党交付金残高の推移ひとつを見ても、野党各党は果たして清廉潔白と言えるでしょうか。強いては、頻繁な離散・集合現象は自らが選ばれた政党主体の選挙、そのことへの問題をも含むのではないでしょうか。 加えて、野党各党はそれぞれが数%の支持率…

 

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2017/08/19/113339十川信介著「夏目漱石」を読んでみて

 十川信介著「夏目漱石」を読んでみて 再投稿にあたって 本年12月12月5日、佐伯啓思著「西田幾多郎・・無私の精神と日本人」並びに小林敏明「夏目漱石と西田幾多郞・・共鳴する明治の精神」を読んでみて、と題した3年前の投稿に、現コロナ禍にあって私の心境、並びに若干の修正を加え、再投稿しました。お陰様でその投稿が、現在は79件の投稿の中で、注目記事の一位になっております。 方や、友人、知人がそれ相応に歳を重ねて来たのか、今年は逝去はがきが例年になく多く、私も人生の最終期にあるのだなと改めて気づかされた次第です。今回の再投稿も80歳を迎えた近現代の日本政治学の泰斗である三谷太一郞著「日本の近代とは何であ…


https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/07/11/123752 4.小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して

 小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して 再投稿 一年ほど前に投稿したもので、私のかすかな思い出も入れながら記したものです。何故か、この11月に入り、66編の投稿の中で注目記事の5番目になっております。その理由は分かりませんが、今までの投稿の中では少し趣が異なっております。何か嬉しくなり、改めて、以下ご紹介する次第です。 2019年11月21日 淸宮昌章 はじめに 東京都武蔵野市吉祥寺に所用があり、その帰り道、とある古本屋を覗きました。神田以外ではほとんど姿を消した、かっての風情を残す古本屋で見つけたのが掲題の本書です。 私は文学について素養がないこともありますが、永井荷風については「濹東綺譚

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/09/14/175030池田信夫「丸山眞男と戦後日本の国体」を読んで  

 テレビの報道番組を観て 11月25日の心カテーテル手術後の二週間の検査の結果、何の問題もない、とのこと。感謝、感謝です。明日からテニス復活の許可がでました。手術後も朝、夕の散歩、自分なりの足腰のリハビリはしておりました。 片や、コロノ禍の中、テレビを観る機会が増え、特に報道番組と称される番組の低級さを痛感したところです。視聴率を上げるにしても、観なければなければ良いわけですが、何故にここまで報道番組と称する番組が低級化したのでしょうか。局の方針に沿っているのでしょうが、登場する司会者及びコメンテーターと称される方々の、気の毒に思うほどの低級さ、加えてその傲岸さにはいささか驚くところです。こうし…

 

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 追記  

 弊ブログへのアクセスもお陰様で本日2月現在、44,000に近づいております。大きな励ましとなり、全くの趣味ですがもう少し、弊ブログ「淸宮書房」を続けようと思っております。尚、上記の注目記事も、順位も大きく変わっております。

 2021年2月24日

                             淸宮昌章