清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

毛利和子「日中漂流・グローバル・パワーはどこへ向かうのか」を読んで

毛利和子「日中漂流・グローバル・パワーはどこへ向かうのか」を読んで

 

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はじめに

 

 表題の日中漂流もさることながら、世界中で国家の漂流が始ったかの印象を私は持っているのですが、如何でしょうか。今回、取り上げた本書は11年前に毛利和子氏が著わした「日中関係・戦後から新時代」の続編とのことで、2017年4月発刊されました。著者の「はしがき」で以下のように記しています。

 

 旧著で21世紀に日本と中国は「新時代」に入ると予告しましたが、それにしてもこの11年間の両国関係の変容はすさまじく、大変危うい「新時代」に突入した感じがします。その意味で予告それ自体は正しかったのですが、その内容は想定外のことばかりです。中国がこれほど急速に大国化し、力を誇示するとは予測できませんでしたし、日本の「戦後レジームからの脱却」がこれほどのスピードで強引に進められることも想定外でした。このままにしておくと、両国関係は新たな「力の対抗」の時代に入ってしまいます。二つの大国が大きな海原を漂流し始めた感を強くします。(中略)・・本書は最後に三つの提案をしました。1・関係の制度化と理性化、2・日米中、東アジアの多国関係で日中関係を落ち着いて据え直すこと、3・力での対抗、軍事的拡張を抑止するためのメカニズムの構築、です。(本書ⅰ、ⅱ頁)

 

 1949年社会主義を目指す新生中国の国家戦略は、ほぼ10年ごとに大きく変わってきています。因みに1990年代の韜光養晦戦略は、現在では核心的利益へと大きく変化している、との指摘です。氏による上記提案の実現は極めて難しい現状にあり、残念ながら、私は不安・疑問を持たざるを得ません。一方、現実を踏まえて、日中関係の現状は改善していかなければならないことは、その通りなのです。

 

 毛利氏は膨大な資料・参考文献を基に、僭越ながら私は首をかしげる箇所もありますが、氏の深い洞察力で日中関係を日本と中国双方に対し、努めて公平に客観的に論じられております。それは大変な研究成果であり、一読をお薦めするところです。

 

 本書は1972年の日中国交正常化以降の日中関係の推移と、その悪化した日中関係の改善策の提言です。そして、第一章・日中正常化40年をふり返る、第二章・1972年体制を考える、第3章・「反日」の高まり、第4章・制度化の試みと蹉跌、第5章・日中衝突、第6章・モデルとしての米中関係、第7章・中国外交をめぐる問、第8章・外交行動としての軍事力行使、第9章・中国の変身とリアリズム、終章・21世紀グローバル大国のゆくえ、から構成されています。今回も全てを紹介するのではなく、私の記憶に強く残った論述に感想等を交え、紹介して参ります。 

  

 1. 虚構の終焉

 

 振り返ると、1972年の日中国交正常化は多くの問題点を残したものであった。周恩来が、いつ日本との即時、一気呵成の正常化を決断したのか、いまだ解けていない興味深い謎である。中国国民は日本への賠償放棄等々のことは知らされないまま、毛沢東周恩来他でこの国交正常化が進められた。それが今や虚構の終焉へと向かう、と述べているわけです。

 

 第一に、普通の日本国民にとって七二年正常化は大変喜ばしく、その後の「日中友好」運動を大いに促すものとなった。だが冷厳にプロセスを吟味してみると、七二年交渉はそれ自体決して完璧ではなく、不備と瑕疵を持つものだった。七二年は新しいスタートであって、ゴールではない。おそらく、日本の主流にとってはゴールだったのではあるまいか。最大の問題は、和解への「見取り図」を欠いたままの出発だったことである。

 

 第二に、日本も中国も相手に対する虚構の政策に上に、七二年まで隣り合ってきた。日本は台湾だけを正統と見なし、中国は「二分論」を採用してきた。これらの虚構は冷戦の中で、両者ともやむを得ず採用したと言えるだろう。(中略)

 

 第三に、「七二年体制」それ自体、制度を欠く、脆弱で不安定なものであった。特に中国側に、戦略的であると同時に非常に強い道義主義があった。日本側にも贖罪意識があった。関係はウェットになる。今後は共通の利益、協同の戦略、合理性に立った、新しい関係を作る思考を見つけ出さなければならない。(20.21頁)

 

 たしかにその通りなのでしょう。ただ、当時の中国はソ連との戦闘までに発展した冷え込んだ、あの中ソ関係の中で、日本との交渉へと大きく舵を切ったことも中国の外交戦略でもあったはずです。加えて、中国は国家主権で国民主権とは大きく異なる、共産党一党支配の現体制であり、国民云々との発想はもとよりないのではないか。従い体制の劇的変化でも起こらない限り、国民云々との発想はあり得ないことではないか。いずれにもせよ日中関係において、日本はさらに、厳しい、難しい状況におかれていく、と考えております。

 

2.二分論

 

 72年国交正常化交渉の最重要ポイントの一つは中国国民が知らない、中国が日中戦争の賠償請求を放棄したこと。並びに指導者であるごく一部の軍国主義者と日本人民には戦争の罪はないとの、いわゆる二分論である。1980年代から90年半ばまでの日中関係は、歴史認識・戦後処理についての道徳的アプローチと日本が援助し、中国が援助される経済関係が双方の利に叶っているとする利益アプローチの二つを土台にしてきた。しかし、90年代半ばになると、日本は戦後は終わったとの意識が広まる。95年8月15日の村山富市首相の談話も「戦後に告別する宣言」それにほかならない。

 

 他方、中国ではこの時期、「怒れる青年達」が民族主義的な「ノー」を言い始めた。とくに対日関係では強硬な反日的世論が勢いづいた。これまで閉じ込められてきた歴史に関する日本批判が噴出してくる。「中国の生存空間がこんなんに汚く狭いのは、毛沢東の人口政策のせいではない、近代以降、グローバルな戦いにいつも負けてきたからだ、あるいは、「国際関係には永遠の友はいない。あるのは永遠の利益だけだ」いうような議論(王小東・2000)が喝采を浴びる時代になった。対日民間賠償と尖閣諸島防衛を主張するNGOが動き始めた(童増の釣魚島保衛連合会)。中国でようやく「戦後が始った」のである。(37頁)

 

 80年代初め、鄧小平のブレーンであり、日本研究所所長でもあった何方は、90年代半ばまでは、客観的な日本論で中国における日本批判の議論に対抗していた。しかし、2012年には、戦後ドイツと比べて日本の反省が不徹底のことを強く批判しながら、以下のように指摘に変わっていった。

 

 日本の対外侵略について、民族の犯罪とみなさず、階級闘争の観点に立って、ごく少数の軍国主義分子だけに罪を着せ、日本人民をわれわれと同じ被害者とみなしたこと。これは是非を混淆したものだ。・・中国に攻め寄せて強奪し、欺瞞し、蹂躙した日本兵と中国の人民と一緒に論ずることなどできるわけがない。また、兵にならずに、日本に残って労働に従事していたその他の日本人も、絶対多数が天皇に忠孝で、大東亜聖戦のために甘んじて貢献したではないか。真の反戦者はごく少数だった。そのうえで彼は、「国家の対外侵略は『民族的犯罪』とみなすべきである。(対外侵略を行った民族は)全国上下、すべてが罪悪感を持つべきであり、侵略戦争を支持し参加した大多数人民を免罪したり、弁解したりすべきではない。」(41頁)というのである。

 

 そして著者は、二分論は「虚構」である。中国は当面、二分論を公式アプローチとして維持していくだろう。だが、新しい時期の課題に合わせた二国関係の新核心を探り出さなければならない。相互間の敬意と尊重、交渉・対話・多国間協議で善隣関係を立て直す必要がある、と述べています。日本にとっては極めて困難な道です。

 

3.反日、日中衝突

 

 2005年4月の週末に繰り返された反日デモ反日運動に結びついて行った。その要因は教科書検定小泉首相靖国参拝を契機にした歴史問題、この年2月の日米安保協議が防衛の範囲に台湾を含めることを示した台湾問題、東シナ海領域の海底資源をめぐる紛争、加えて日本が国連安全保障理事国入りを試みる日本の動きであった。そして2010、12年には更に加えて尖閣諸島の領土・領海を巡る日中衝突に至り、日中関係は更に危険な事態に至っていくわけです。

 

 著者はその要因として、1990年半ばからの中国での「愛国主義教育」も影響はあるが、その根底には、改革開放以降の中国社会の多元化状況、自由な空間の拡大がある。とくに注意しなければならないのは、突然の大国化で若者や中間層に、排外的で「大国主義」的民族主義が万延し始めたこと。それらがインターネットと携帯電話というまったく新しい情報手段によって相互に増幅しあい、突然肥大化した、という見解を示しています。加えて、私は経済の急拡大に伴い、中国国民の間における格差拡大、共産党幹部の止まらぬ不正蓄財・腐敗の実体も大きな要因になってといる、と思うのです。 続いて、著者は2012年の衝突の特徴として、以下のように記しています。

 

 第一が、対立の局面が2005年はもっぱら歴史問題だったのに対して、2012年は領土・領海という具体的利益から発して、パワーの争い、歴史問題まで、全面的に拡大してしまったこと。

 

 第二に、今回は、とくに中国側に、大衆的ナショナリズムポピュリズムの傾向が濃厚である。(中略)・・中国社会のアイデンティティ反日であること、反日が強硬であればあるほど大衆は政権を支持すること、この二つを今回の反日暴動は示した。

 

 第三に、中国も日本も権力の空白、統治の衰退が生じている中で事件が起こった。日本では2009年に民主党政権が国民の期待のもとでスタートしたが、鳩山政権、管政権、野田政権ともに、あらゆる面で期待を裏切った。官邸の決定能力、交渉能力、官僚を動かす能力ともに失策を重ねた。とくに2010年から政府の対中外交や国有化措置が慎重さを欠き、漁船衝突事件の「国有化」の決定もタイミングが最悪で(いずれも日中戦争の歴史的記念日前後だった)、国民に対しても、国際社会に対しても、尖閣諸島問題についての広報などが不十分だったことなど、リーダーシップ不足、外交の機能不全が紛争を大きくした。他方、18回党大会を前にして中国の政情不安も深刻だった。四月の薄熙来(中共中央政治局委員)解任事件は薄スキャンダルだけが原因ではない。根源には、指導部内の激しい権力闘争がある。第五世代になって中共の統治力は衰え、正統性も摩滅してきている。反日だけがアイデンティティになる、という構造の由来がここにある。(96,97頁)

 

 この現実をわれわれはしっかりと認識しておくべきと思います。

 

 4.中国の変身とリアリズム

 

 国家目標、外交を拘束する条件、戦略論、国際システムへの態度への思想的接近の変化を10年ごとで見ると大変深い結果がわかる。中国外交が、基本的には時代状況(戦争…革命か、平和…発展か)によって大きく左右されてきた、との指摘です。

 

 例を挙げれば、国家目標は1950年から60年代は革命、1970年から80年代は経済成長、1990年代は成長・大国化、2000年代は大国化・覇権となります。そして、「90年代初頭、冷戦終了とともに中国は新しい戦略に乗り出す。根底には国際政治のバランスを見極め、自らの力量も慎重に分析したリアリズムがある。ひとつは、鄧小平の南巡講話に代表されるような改革開放と市場化のいっそうの推進である。それによってソ連のような崩壊を避けねばならなかった。もう一つは、対外的に隠忍自重戦略をとったことである。これが、80年代末に鄧小平が提起したとされる「韜光養晦」戦略である。(中略)・・だが、この「韜光養晦」が支配したのは10年余りで1990年代末頃から中国外交は再び変わりはじめる。折しも改革開放政策が見事に成功し、東アジアにおける大国への道を歩み出した。この頃から、一段とイデオロギー、理想などから離れ、もっぱらリアリズムと国家利益の外交にシフトしていくのである。(198、199頁) いわゆる核心的利益の登場である。

 

 核心的利益とは、1・国家の主権、2・国家の安全、3・領土の保全、4・国家の統一、5・中国の憲法が確立した国家の政治制度と社会の安定、6・経済・社会の持続的な発展の保障である。そして、2011年9月、「平和発展白書」において、尖閣諸島東シナ海南シナ海など具体的地域を名指しで核心的利益と公式に呼びだしたのである。

 

 5中国外交の核心、どこに向かうか中国

 

 著者は考えられる将来、中国外交の核心は以下のような諸要素からなると指摘しています。

 

 第一は、主権至上主義である。建国以来中国は、冷戦期には別の新国際システムを構築したい願い、70年代以降の脱冷戦期には、キャッチアップ、経済成長によって国際的登場を果たしたいという目標に転じた。ほぼそれを21世紀には実現しつつある。問題は、中国が真のグローバルパワーになったときなお、国家主権と国家利益にしがみつくのだろうか。それとも「帝国の風格」を見せるだろうか。

 

 第二は、実にプラグマティックに国際政治についてのあらゆる理論・手法を相手やイシューに分けて活用していること。たとえば日本に対して、戦争責任や歴史認識では道義で対応する一方、領土・領海など利益とパワーのぶつかる領域では時に激しく対抗的になる。

 

 第三は「外交はパワーであり芸術である」と考える。「外交大国」であること。

 

 第四は、外交の手段としてときには軍事行動を辞さない「圧力外交」である。ある政治的目的を守る、もしくは手に入れる為には軍事的手段を使った方が効果的と判断すれば、その使用は躊躇わないこと。

 

 第五は、21世紀に入ってからの新状況は、さまざまな利益集団が中国の外交に強い圧力をかけるようになったこと。その利益集団とは利益最大化、財政収入の増加を熱望している地方政府、海外資産を増やしたい石油関連の大国有企業、それに加え人民解放軍、そうした軍産地複合体である。

 

 「21世紀の中国外交の決定的ポイントは、巨大な、主権原理を信奉する一元的国民国家であること。19世紀まで栄えた伝統王朝中国のそれとはもとより違うし、20世紀後半に繁栄した『非公式の帝国』米国のように、世界的ミッション、普遍的価値とも無縁である、中国にとっての課題、関心はあくまで主権国家、自国の利益、現体制の存続なのである。」(225頁)

 

 続いて、著者は「国家資本主義」状況で、推移している今の中国で、じつは「国」は無限に「私化」しているのではないか、「巨大な私」が「国」を簒奪しようとしているのではないか、と考えている。21世紀に入ってからの中国外交はそのような「私化しつつある国」による営為なのではなかろうか、と指摘しています。そして以下のように本書を閉じています。

 

 現代中国には、歴史から継承してきた「三つの神話」があり、その神話に「自縄自縛」になるのではないだろうか。その神話とは、

 

 第一、主権は唯一絶対、不可侵である。

 第二、中国は一体であるとする「大一統」論は無条件に正しい。

 第三、必ず政治(すなわち党)が軍をコントロールする、という確信。

 

 この「主権神話は、19世紀中葉以来の屈辱の歴史が、『一等国』になることを通じて払拭されれば後景に退くかもしれないし、『失われた台湾』を回復することで克服できるかもしれない。だがいずれも、かなりの長い時間を要しよう。中国の歴史を繙けば、帝国の周辺統治は決して一元的ではなかったし、『大一統』は決して現実ではなかったにもかかわらず、『大一統』神話の引力はきわめて強い。」(242頁)

 

6.戦争責任問題への道筋

 

 著者は本書の「おわりに」のなかで、次のように述べています。

 

 対抗関係に入り始めた日中関係をどうハンドルするか。日本にとって最小限必要なことはいくつかある。そのうちの一つ、関係の前提になるものは実は戦争責任の問題をどう決着をつけるかではないだろうか。(中略)・・日中関係の80%は日本問題だとずっと思っている。その文脈で、72年に対する何か割り切れない思いの一つは、日本人にとって戦争の責任の問題でどう決着をつけるかが依然として曖昧なままだということだ。このことが今日の日中関係に影を落とし、日中関係を湿っぽく、緊張したものにさせていると思う。(中略)・・端的に言ってこれまでの両国関係は、日本が歴史を詫びる、中国がこれを赦す、という「道義の関係」だった。それが今後は、東アジアでどちらがパワーを振るうか、覇権を握るかの「力の関係」になっていくだろう。だがその前に日本としては、戦争責任問題決着への道筋をつけておくことが必要ではないか、と私はいまなお思うのである。(245,246頁)

 

 私としてはその道の専門家である毛利氏の上記指摘に賛同するものの、何か、釈然としないものが残るのです。

 

 続いて、昭和天皇が1975年10月31日、帰国されたとき内外記者団との会見で、いわゆる戦争責任についてのお考えを尋ねる問に対して、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないで、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」等々を挙げ、そして、少なくともこの問答で理解する限り、この時点での昭和天皇には開戦・敗戦・被災などについての責任を考える気持ちはない、と記しています。続いて、「私自身は、昭和天皇には戦争については法的責任がある、侵略した相手国の人々への重大な責任もある。しかし、戦後70年たち、時代は変わり世代も担い手もまるで変わった。物理的にいっても、これらの問題に決着をつけるのは絶望的に難しくなっている。どうやら時代を超えて戦争の負の遺産を継承していく覚悟が必要のようである。しかし、せめて国民レベルで、国民の戦争責任についてどう考えるか、どのようにしてその責任を果たすのかについて最小限の合意を作り出したいと思う。」(251頁)

 

 本件の天皇云々については、私がいささか違和感を持つので、改めて後段7で改めて述べたいと思います。

 

 戻りますが、著者は在日の中国人研究者姜克実氏の言を引用し、歴史教育のあるべき姿について日中双方に問題提起を示しております。それは、日本の学校での歴史教育は断片的事実を教えるだけで、歴史を構造や因果として教えないという欠陥をもち、平和教育では原子爆弾沖縄戦等の被害事実の教育に偏っているなどの問題があるとする。他方、中国の歴史教育も、すでに戦争から四世代も立っているのに戦争への恨み、憎しみをますます強く教育している、との指摘です。

 

7.昭和天皇の戦争責任

 

 拙著「書棚から顧みる昭和」の中で、私は次のように記しました。

 

 私は昭和天皇崩御された現在、今さら昭和天皇の戦争責任を云々するつもりはありません。むしろあの占領下にあって、アメリカそのものである連合軍としても占領統治上から昭和天皇の存在が必要でもあったのでしょう。従い、昭和天皇も自ら退位することもできなかったのが歴史の現実であったのかもしれません。一方、昭和天皇が象徴天皇になられた後は、日本各地への巡幸、戦勝国への訪問に加え、今次大戦の戦争被害者への慰霊、追悼を靖国参拝は別として続けられ、その生涯を閉じられたわけです。更に加え、現天皇皇后陛下はその戦中・戦後の昭和天皇に代わって贖罪をするかのように、ひたすら平和への願いと、戦没者慰霊、追悼の旅を続けられているように私には見えるわけです。それも戦後のひとつの流れというか歴史経過です。(淸宮昌章著「書棚から顧みる昭和」197頁)

 

 更に、2015年11月23日のブログ・淸宮書房の「昭和天皇について思う」の中で、次のように記しています。

 

 昭和50年10月31日の天皇訪米後の記者会見で、ロンドン・タイムズの日本人記者から、ホワイトハウスにおける「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」というご発言がございましたが、このことは、陛下が開戦を含めて、戦争そのものに対して責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、いわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられるかお伺いいたします。(山本七平著「裕仁天皇の昭和史」345頁)との事前に提出のない質問に対し、

 

 天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分かりませんから、そういう問題については、お答えが出来かねます」(同書346頁)と応えているとのことです。そして、山本七平はこの最終章で次のように述べます。

 

(前略)・・「言葉のアヤ」とは、相手の質問について言っているように思われる。天皇は意味不明瞭で相手をごまかすことはされたことがない。それを考えると、これは問答で、相手は「・・・どのように考えておられるかお伺いします」と聞いているのだから「お答えしたいが、それを答え得るそういう言葉のアヤについては・・・」の意味であろう。これならば天皇が何を言おうとしたかはわかる。天皇政治責任がなく、また一切の責任もないなら、極端な言い方をすれば、「胸が痛むのを覚える」はずがない。さらに8月15日の戦没者慰霊祭に、痛々しい病後のお姿で出席される必要はもとよりない。しかし、「民族統合の象徴」なら、国民の感情と共鳴する感情を持って慰霊祭に臨まれるのが責任であろう。戦争責任が一切ないならば、その必要はないはずである。ただこれは、津田左右吉博士の言葉を借りれば、戦前・戦後を通じての民族の「象徴」の責任であって憲法上の責任ではない。そのことを充分に自覚されていても「文学方面はあまり研究していないので、そういう(ことを的確に表現する)言葉のアヤについては、よくわかりませんから、お答えが出来かねます」と読めば、天皇の言われたことの意味はよく分かる。注意すべきは「お答え致しかねます」ではなく「お答え出来かねます」である点で、天皇は何とかお答えたかったであろう。ここでもう一度、福沢諭吉の言葉を思い起こそう。「いやしくも日本国に居て政治を談じ政治に関する者は、その主義において帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからずとの事」・・長崎市長の発言(昭和史によれば天皇重臣の上奏を退けたために終戦が遅れた、天皇の責任は自明の理。決断が早ければ、沖縄、広島、長崎の悲劇はなかった)を政争に利用するなどとは、もってのほかという以外にない。尾崎行雄は「まだそんなことをやっているのか」と地下であきれているであろう。それがまだ憲法が定着していないことの証拠なら、その行為は、天皇の終生の努力を無駄にし、多大の犠牲をはらったその「行為」を、失わせることになるであろう。(同書348頁)

 

おわりにあたり

 

 今回も、長々と綴ってきてしました。毛利和子氏の趣旨とはだいぶ異なる、あるいは私は誤解していることもあるかもしれません。ただ、氏の言われるような中国と日本が東アジアでどちらがパワーを振るうかの「力の関係」になっていくだろう、との思いには、私は違和感を持ちます。日本はパワーを振るうか否かではなく、どうやったら日本を守ることができるか、否かの道を探しているのではないでしょうか。日本一国だけでは守れない大きな地政学的変化にさらされているのが、現実ではないでしょうか。尖閣諸島の問題にしても、単なる島の領有問題ではなく、その領海40万平方キロの排他的経済水域があるわけです。しかも1968年8月に国連アジア極東経済報告委員会が尖閣の周辺海域に石油埋蔵資源が豊富だとの報告書を出してからのことです。それ以前、中国は「中国の領土」との主張はしていなかったわけです。ところが、2013年4月26日に「核心的利益」と公式に呼び始めたのです。その尖閣諸島地域が日米安全保障の対象となる、との数ヶ月前の米国発表に安堵したのが日本政府、国民の心情では、なかったのではないでしょうか。日本一国では日本を守れない現実が出てきたわけです。他国、とくに米国に頼らざるを得ない日本は、主権国家として極めて寂しい、悲しい現状ではないでしょうか。単に平和、平和と叫んでいても、それで戦争が無くなるわけではないことが現実であり、それが今の日本を取り巻く世界情勢ではないでしょうか。

 

 そういった現実を観ていくと、現在のマスメデイアの有り様、ただ安倍政権を倒せばいいが如き世論操作に、私は強い危機感を抱いています。どこかの国が喜んでいるのではないでしょうか。そして安倍政権の崩壊を期待してはいるのではないでしょうか。 われわれはあの民主党政権時代を決して踏んではならないのです。尚、寡聞にして分りませんが、日本人の海外への移住、もしくは脱出が増加しているとの情報はないように思います。方や、中国本土、さらには香港からの多国への移住、脱出者はむしろ増加しているのではないでしょうか。どうでしょうか。

 

 現在の日本のマスメデイアの論調は思想も対案もなく、場当たり的な独りよがりの正義感による情報操作・世論操作と思えるほど、異様な報道合戦と私は思うのです。それで利するのは誰か、あるいはどこの国か、しっかりと認識すべき、と私は考えています。識者といわれる人々、ニュースキャスター、芸能があるのかどうかは分りませんが芸能人達があたかも正義は我にあり、との傲岸な姿が毎日テレビ等に映される状況は、極めて異常です。それは正義ではなく、単なる商業主義に毒されただけの姿です。大戦中は時の政権・軍部に追随し、報道機関としての責任は何ら自ら問うこともなかった。現在は独りよがりの正義感を振り回し、相変わらず自らの報道責任を問うこともしない報道機関、マスメデイアの在り方に私は強い危機感を覚えております。

 

 2017年7月18日

                            淸宮昌章

追補

 

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 本拙稿を投稿してから1年数ヶ月経ちました。その間に日中の関係は急速と思えるほどに動き出そうとしております。改めて私は本投稿を振り返り、この追補を加えてみました。

 

改めて日中関係を考える

 

 1972年の日中共同宣言の調印の背景には共産党政権のソ連と、かってはイデオロギー上でも兄弟との関係にあった共産党独裁政権の中国が一触即発、戦争にまで行くかとのなか、中国はアメリカ、更には日本との関係を強化せねばならぬ状況に追い込まれていたことを私は思い起こします。

 

 服部龍二著「日中国交正常化」の中で、「周は、『ソ連は核戦争禁止、核兵力使用禁止を提唱しているが、これは人をだますペテンであるから、暴く必要がある』と矛先をソ連に転じた。ソ連との対立は、中国が日中講和を急いだ主因にほかならない。」更に吉田健三アジア局長によると、「私が当時受けた印象では、中国も急いで国交正常化をやろうという感じでしたし、周恩来さん自身がいちばん大きな動機になったのは林彪が倒れたことだと述懐してました。」と記しております。

 

 1972年の日中共同声明調印、そして1978年の日中平和友好条約調印と続きますが、その後の日中関係は良好どころか悪化していきます。その要因は中国国民の民意を置き去りする共産党独裁政権であり、その価値観は我々とは大きく異なることも、そのひとつの要因でしょう。一方、その中国は毛利和子氏も指摘するように国家政策がほぼ10年ごとに大きく変化させております。1980年代の韜光養晦、1990年代末の核心的利益、そして2014年の習近平の一帯一路と、中国の基本的政策が大きく変化し、同時に中国は経済的にも軍事的にも大国になり、更に中華大国への道を急速に進めております。

 

 方や、日本側にもその間、頻繁に起こる政権交代。とりわけ、メデイアによる世論と称するものに後押しされ誕生した民主党政権。その2009年からの、その政権の統治能力の欠如。内政においては官僚を軽視したことにより、忖度どころか行政の混乱・頓挫。加えて、外交・安全保障面についても、それを基礎付けるガバナンスの不足は目を覆うばかりで、むしろ悪夢の3年3ヶ月という後遺症を残したのです。

 

 中国に関してだけでも、小沢一郎民主党議員が率いる100名近い国会議委員があたかも、かっての朝貢外交を再現するかの如き、当時の胡錦濤国家主席との壇上での一人一人との握手儀式。鳩山政権の普天間基地最低でも県外との発言による混乱と頓挫。2010年の9月の尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船「みずき」への中国籍漁船の体当たりを「漁船衝突事件」と呼び変え、その後の菅直人政権の極めてお粗末な対処。加えて、最悪は石原元都知事尖閣諸島購入発言に慌てふためいたのか、当時の野田政権が彼自身の信条の「ぶれない」のもと、拙速に尖閣諸島の一部を国有化し、中国との関係は最悪化させていくわけです。おまけに野田首相ウラジオストックで開催されたアジア太平洋協力会議の際、テレビでも放映された、立ち話による胡錦濤国家主席と国有化を改めて伝えるという、前代未聞の悲劇の場を加えたわけです。中国としては、民主党政権の3年3ヶ月の政権は日本に付け入る格好な政権であったのではないでしょうか。

 

 そうした経緯もあり、日中関係は最悪の時期を迎えておりましたが、この10月ごろから中国当局による日本への急接近が見られるようです。その背景には何があるのでしょう。

 

 共産党独裁政権内の権力争いは習近平を「核心」と称することで終わるのでしょうか。極端な言論統制、監視社会は今後も続くのでしょうか。報道もされない新疆ウイグル自治区民族浄化の如き政策の実態はどうなのでしょうか。2014年にアジア太平洋経済協力首脳会議で、習近平総書記が提唱した、中華大国への復活をも図る一帯一路の進捗状況はその後、如何でしょうか。マレーシア、パキスタンスリランカラオス、モンゴル、キルギス等々で多くの問題が現出しているのではないでしょうか。

 

 そこに加え、アメリカとのイデオロギー論争とは異なる経済摩擦・衝突が大きく、ここに来て現出してきたわけです。1972年の日中国交正常化時のソ連とは大きく異なりますが、世界的にも大きな影響を及ぼすアメリカと中国の抜き差しならぬ問題が表面化してきたわけです。世界の覇権を争う二大国家の、ある面では衝突の始まりです。この対立は容易には解決せず、日本はその狭間にあることです。加えて、日本には世紀を超えても変わらない反日朝鮮半島国家が隣国であることです。こうした現状をしっかり踏まえ日本は進めなければならない、極めて大きな難問に直面しているわけです。価値観を共有する欧米諸国等に加え、豪州、ニュージランド、インド等々の諸国、更にはロシアとの更なる連携強化も喫緊に必要なのでしょう。

 

 そうした現状の中、安倍政権を倒せばこと済むが如きの新聞報道、テレビ等のマスメデイアによる報道番組と称する現状は、一体何なのでしょうか。利するのは何処の国でしょう。

 

報道機関と称するもの

 

 毛利和子氏も「日中漂流」の中で、日本としては、戦争責任問題決着の道筋をつけておくことが必要ではないか、と記されております。私は本拙稿でも何か違和感を持つと記してきました。私はこの戦争責任云々に関しては、従来からの視点をひとつ変えて見るべきではないか、と思っております。偶々、牧野邦昭氏著「経済学者たちの日米開戦」の中で、行動経済学におけるプロスペクト理論を紹介し、次のように興味深い指摘をしております。

 

 現代の目から見て非合理と思われるリスクの高い選択が行われたのは何故か。筆者は現時点では、逆説的ではあるが「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が逆に「だからこそ低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない」という意思決定の材料となってしまったのだろうと考えている。(本書152頁)

 

 尚、本書については後日、改めて私の感想など記して見たいと思っております。

 

 私は当時の日本がそのような選択をし、開戦に至ったのは、ひとつの雰囲気が大きな力となった、と思っております。そしてその雰囲気を造ったのは当時の朝日新聞を初めとした報道機関メデイアにより造り出された世論だと考えます。戦後も、報道機関は単なる犯罪のクラス分けに過ぎないA、B、C級戦犯を、あたかもA級を今もって最大の戦争犯罪人に仕立てたのも新聞を初めとしたメデイアです。ではその新聞等は戦中、そして戦後、何をしてきたのでしょうか。戦中は世論を戦争に掻き立て、その発行部数を大幅に拡張し、戦後は占領軍の宣伝部隊が如き有様で、戦争責任を他人に押しつけ、自らは何らの反省もなく、何か正義面し、何らの戦争責任をも取らず今日に至っているのが、その現実でしょう。

 

 そして、今まで私は繰り返し記してきましたが、現在においては、新聞各社の経営が巨大化した経営上の面もあるのでしょう、その劣化、俗悪化は目を覆うばかりです。特に選挙等に大きな影響を与える世論と称するものに大きな影響与えるテレビ等の俗悪化は止まるところを知りません。報道の自由言論の自由どころか、報道をしない自由さえ手にしたメデイアは、むしろ最大の権力者になったように思います。それを掣肘する者がなくなってしまったのです。民主主義云々より、日本の危機的状況を作り出しているのではないでしょうか。

 

 こうした現状を作り出した点については、「再度・堀田江理1941 決意なき開戦」の追補、「新聞社等が造り出す世論」(2018年9月29日)で、私なりに述べているのでご興味があれば、開いて頂ければ幸いです。

 

 http://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2016/09/29/175204

 

 

2018年11月10日

                       淸宮昌章

 

参考図書

 

 毛利和子「日中漂流 グローバル・パワーはどこへ向かうのか」(岩波新書)

  同  「日中関係 戦後から新時代へ」(岩波新書)

 五百旗薫・小宮一夫・細谷雄一他遍「戦後日本の歴史認識」(東京大学出版)  

 山本七平裕仁天皇の昭和史」(祥伝社)

 服部龍二日中国交正常化」(中公新書)

 天児慧「日中対立 習近平の中国を読む」(ちくま新書

 牛村圭「戦争責任論の真実 戦後日本の知的怠慢を断ず」(PHP研究所

 佐伯啓思「日本の愛国心」(中公文庫)

   日本再建イニシアテイブ著「民主党政権の失敗の検証」(中公新書

 牧野邦昭「経済学者たちの日米開戦」(新潮選書)

 他