清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

「アメリカは忘れない・・記憶のなかのパールハーバー 」(法政大学出版局)       エミリー・S.ローゼンバーグ 訳飯倉章を再読して

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再投稿に当たって

 

 今日は12月8日、いわゆる太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃の日に当たるます。アメリカでは、どのように「パールハーバー」を捉えたでしょうか。

2001年9月11日のWTCビル倒壊等のアメリカ同時多発テロが起こり、「リメンバー パールハーバー」が改めてアメリカで復活したのです。

 

 全くの個人的な思いですが、40数年前のニューヨーク駐在時代、アメリカ現地法人本社事務所はあの倒壊したワンワールドの20階で、6年間、ほぼ毎日、通いました。ツインタワーが倒壊していくテレビ映像他を観ているなかで、ワンワールドのオフィスでお世話になった日本人医師の安否を心配しておりましたが、その時間帯には倒壊したビルにはいなく、偶々、ミッドタウンにおり無事との報道に接しました。方や、亡くなられた日本人24人の中には知人もおりました。尚、私の居間には、今でも、クウィーンズ側から描いたブルックリン・ブリッジのウェッジング画が飾られており、その背景には倒壊前のツインタワーが描かれております。

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 本投稿は6年ほど前、2015年12月21日に投稿したものです。私としてもアメリカではパールハーバーは何を意味したのか、本書を改めて読み直しています。

 21年12月8日

 

 はじめに

 

 今年の10月、加藤典洋著「戦後入門」が発刊されました。新書版としては635頁に亘る異例の分厚いものです。中身の濃い、いわば研究書・論文の発表といったものです。何故に広島、長崎への原爆投下であったのか、更には現日本国憲法への視点・観点に興味深いものを感じました。ただ僭越になりますが私にはいささか承服しがたい箇所が数多く、後味の悪い著書でした。加藤氏の観点に思想の違いといったものを感じたのかもしれません。

 

 そうした中、今から8年前に取り上げた掲題の「アメリカは忘れない」の再読もそれなりの意味があるかもしれないと思った次第です。本書は2003年にCopyright、2007年2月28日に翻訳出版されました。原題はA Date Which Will Live:Pearl Harbor in American Memoryとなっています。訳者の飯倉氏が記すように、直訳すれば「いつまでも記憶されるであろう日付」という意味です。原題はアメリカ人にローズヴェルトの演説を連想させ、まさに記憶を喚起するものですが、日本人にはなじみが薄く、そこで「アメリカは忘れない」との題名にしたとのことです。尚、著者は本書で再三指摘しておりますが、アメリカが日本の「恥知らずな蛮行」を忘れないことを強調するものではなく、パールハーバーは今では、日本との関係よりも、アメリカの国内問題を強く反映するようになっていると記しております。

 

 著者はカリファオルニア大学の歴史学科の教授で、アメリカの社会史、文化史、対外関係史を専門とする女性歴史学者です。氏によればPearl Harborはアメリカ社会では西部開拓史上のカスター中佐の第七奇兵連隊がシッティング・ブル率いるインディアン軍に破れる最後の戦い(1876年)、更にはテキサスの独立に際しての、1836年の全滅したアラモの守備隊の抵抗と同じように歴史的記憶、聖像(アイコン)として生き続けてきた、と述べております。従い正義とか道徳を象徴するといった面ではパールハーバーは我国の仮名手本忠臣蔵的な要素を持っているのかも知れません。

 

 本書に接し、私としては「Remember Pearl Harbor」がアメリカ内で何を意味するのかを改めて認識したところです。本書は第一部「パールハーバーの意味づけ」(攻撃後50年間)、及び第二部「1991年以降のパールハーバーの復活」から構成されております。

 

第一部 パールハーバーの意味づけ

 

「はじめ」の章で著者は、次にように記しています。

 

 本書は何か衝撃的な真実を暴露すると主張するものでもなければ、そういうことを目的としているものでもない。むしろ本書では、パールハーバーという聖像を中心として、過去に関するさまざまなストーリーが、アメリカ文化のなかで、かたちづくられてきた過程に注意を払いたい。文化史の研究として、本書では、専門家による歴史と通俗的な歴史、記念物、公式声明、インターネット、映画、新聞雑誌、その他のメディアを通しての、多様な意味の流布について分析を行う。本書では、歴史と他の形態の公的記憶、本物の過去の解釈を発見するための方法ではなくて、絶えず変化しつづけ、必然的にメディアを介して操作された、過去の表象を構成する方法をめぐる論争の場であると理解する。(6頁)

 

 そして第一部・第一章「恥知らずな蛮行」の冒のローズヴェルト大統領が日本帝国に対する戦争に共に参戦すべく行われた演説に関し、

 

 恥知らずな蛮行という言葉が、その演説のテーマーとなったローズヴェベルトは、国益を守るためとか、日本の帝国主義的な野望を阻止するためとか、中国における日本の残虐行為の敵討ちをするためとか、独裁者の三国同盟による侵略に対して断固として立ち上がるためといった理由で、アメリカ国民に開戦を求めはしなかった。彼はアメリカ国民に、民主主義や文明を救うよう求めはしなかった。・・(中略)1930年代、アメリカには、強力な反戦的、孤立主義的、反ウィルソン主義的な感情が満ちており、このようなテーマーは政治的にも不都合なものとなったローズヴェルトは、議会に対するこの最初の演説で、ウィルソンの参戦教書の模倣を避け、その代わりに、恥知らずな蛮行という単独な準拠枠を採用した。それは、アメリカ人のフロンティアでの戦いという文化的遺産に密接に関係している、レトリックの伝承であった。(中略)所謂アメリカでもっとも褒め称えられてきた西部開拓史時代の伝説を思い起こさせるように物語を構成した。(18、19頁)

 

 と分析しております。そして引き続き、第二章「裏口参戦の策謀」、第三章「人種表象と日米関係」、第四章「犠牲の記念」の中でパールハーバーがアメリカ社会の中でどのように位置づけられ語られてきたのかを詳細に記しています。

 

 パールハーバーは多くの文化的なコンテクストにおいて、利用可能な聖像およびレトリックの供給源として役立った。パールハーバーは、戦争に対する軍事上の備えに関する議論、行政府の権力と党派的な政治についての討論、日本との二国関係、およびさまざまに解釈される記念の行為におい異彩を放った。パールハーバーという用語は、いろいろなアメリカ人のグループが選択に基づいて呼び起こしたり戦ったりした、多様な物語と教訓の省略表現として、レトリック上、役に立った。それにもかかわらず、12月7日の出来事に対する世間一般の注目は、年月を経るについて徐々に失せていったようだった。パールハーバーの記念日は、小規模な出来事に過ぎず、全国的なメディアではかろうじて言及されるに過ぎなかった。(119頁)

 

 そうした経緯があるのにかかわらず、1990年代にさまざまな国際的、文化的、政治的な事情から再びパールハーバーが表舞台に表われ、第二部に続いて行きます。

 

第二部 1991年以降のパールハーバーの復活

 

 第五章「二国間関係(パールハーバー半世紀記念日と謝罪論争)」、第六章「回想ブームともっとも偉大な世代」、第七章「キンメルの名誉回復運動、歴史戦争、そして共和党の復活」と続き、第八章「日系アメリカ人」と詳細な幅広い歴史状況に言及していきます。そして第九章「スペクタルな歴史」の中で、

 

 『パールハーバーの記憶は、2001年夏までにはアメリカ文化においてとても目立ち、いたるところに見られるようになっていたので、この地球に異星人が来たなら、パールハーバーが爆撃された直後であると思い込んだかもしれない。映画「パールハーバー」の初上映から四ヶ月以内のうちには、これらの新鮮になった記憶が、事実上、合衆国のニュースの見出しのすべてに戻ってきたのだった。』(247頁)と述べ、第十章「恥知らずな蛮行の日(2001年9月11日)」へと敷衍していきます。

 

20019月11日(アメリカ同時多発テロ・WTCビル倒壊)

 

 この章の始めで、著者は「まったく予想だにしなかったことの渦中にあっては、何かおなじみのパターンを識別したり、記憶のなかで共有され再編成された過去の慣れ親しんだものを呼び起こし、現在の落ち着かない状態をなじみやすいものにすると、安心することができるのかも知れない。パールハーバーのストーリーじたいが、以前の開拓時代における挑戦と勝利の伝説という伝統的手法の中から、かたちづくられたものだった。最後の抵抗やアラモがパールハーバーに対応したように、今ではパールハーバーが9・11に対応しているのである。広く認識された聖像となるような脅威と危害の話は、愛国心を奮い立たせ、男性的な道徳的美点を並び立て、不安に満ちた国民に最終的な正義の勝利を約束する作用を果たした。しかし、パールハーバーのストーリーは又、もっと複雑な問題を提起するか可能性があった。それは、謀報活動の失敗の責任をどこに負わせるかという問題と、移民社会と国家との関係についての問題であった。」(250頁)、と指摘しています。そして、

 

 『(前略)9・11後にパールハーバーを引き合いに出すことは、幅広く人気を博して広まり、そのことは第二次世界大戦との類似をあまりにも徹底的に促進したので、ヴェトナム戦争で使われた「泥沼」とか「しっぺ返し」といった言葉は、あたかも魔法のように当初は消え失せた。(中略)2001年9月に、記憶と意味は、突如として新鮮で悲劇的なコンテクストを帯びた。パールハーバーは9・11の諸々の解釈と共にテキストの相互関連の中で、「生きつづける日付」となったのである。』(269頁)と記し、最終章を次のように閉じています。

 

 結局のところ、将来の教訓的な指針としての歴史の強調や、最終的な「真実」の暴露を約束するという点で、パールハーバーのスト-リーは、自然と社会の知識のあらゆる分野における幅広い知的な思潮に反対することに、しばしば力を尽くしている。そのような思潮の大部分は、関係性があり、立場により変わる、不安定な意味を強調している。まさに安定化された歴史/記憶と言う仮定は、歴史もしくは記憶と言う概念そのものに反している。(中略)本書は、アメリカのメディア文化に巻き込まれ、そのなかでとどまることなく再三流布されてきた、ある聖像(アイコン)に焦点を当てた。本書では、過去の現実を暴き歴史的な意味を安定化させようと一般的に努める、暴露的な事件中心の伝承に反対することに力を尽くそうと試みた。60年を超える、多様なメディアにおいてさまざまなパールハーバーの意味を吟味することによって、本書は暗黙のうちに、(中略)思い出としてではなく、現在のなかにある全般的な「そして変わりつづける」過去の構成として、記憶に関心を寄せる歴史、すなわち第二段階の歴史である。(271頁)

 

 以上、本書の構成と、私なりに興味深く感じたことを著者の文章を多用しながら長々と紹介して参りました。興味・関心事は人により異なり、あるいは何を感じるかは別になるのかもしれません。私にとっては、本書はアメリカ社会、文化の中で「Remember Pearl Harbor」が何を意味するのか、大いに参考になったところです。一読をお薦めいたします。

 

 2015年12月21日

                             清宮昌章

 参考図書

 加藤典洋「戦後入門」(ちくま新書)

 他