清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

再び ・植民地時代から今日まで エドウィン・S・ガウスタッド著 大西直樹訳(みすず書房)を顧みて・・【前編】

再投稿に際して

 

 本投稿は丁度二年前のもので、前編と後編(1月21日)からなっております。大きく変貌していくアメリカ。それはトランプ大統領が出現したことにより大きく変貌したのではなく、アメリカが唱えてきたグローバルリズムの、更には少数を大事にしなければならない、という民主主義が持つ一つの欠陥の結果なのかもしれません。

  方や、一帯一路を掲げ、中華大国への復活を進める共産党一党独裁、権力闘争が常に起こり、そして目的の達成のためには極端な報道規制言論の自由も人権も軽視される等々、その思想・価値観も大きく異なる大中国の出現です。日本には歴史問題を提起し、中国流のナショナリズムを巻き起こす、そうしたことは、今後も事ある毎に生起され、変わることはないでしょう。

  加えて、日本に対しては伝統的な、あるいは文化的な「恨み」の想からくるのでしょうか、大きな「怒り」を持つ国民を背景に登場した、筋金入の反日思想が強いと思われる文在寅大統領の韓国。並びに核・武力の誇示をせざる得ない北朝鮮という同民族の朝鮮半島。そしてユーラシア大陸のロシア。日本はそうした地政学がぶつかり合う北東アジアに位置しているわけです。方や、国内では沖縄問題に直面するという極めて厳しい、由々しき状況に日本は立たされた時代に入っていると、私は考えています。

  斯様な状況のなかで、本書は植民地時代からのアメリカを語るものです。謂わば古き良き時代のアメリカで、再投稿の意味合いはないのですが、今後の日米関係の在り方を改めて考える上でひとつの参考になるかもしれない、と勝手に思った次第です。改めて、本投稿及び後編を一覧頂ければ幸いです。

  一方、国際政治学者の篠田英郎著「集団的自衛権の思想史」、そして自らの体験を通じて書かれたジャーナリストの杉田弘穀著「ポスト・グローバル時代の地政学」を読み終わったところです。篠田英郎氏による、日本の憲法9条と日米安保の歴史的解説。更には内閣法制局、いわゆる憲法学者とは何か等々につき、私には新鮮な論述でした。方や、杉田弘穀氏により、改めて地政学とは何か、そして今後の動向、日本の在り方等々に極めて深い示唆を与えて頂きました。

 

 尚、右足を少し痛め、ここ数ヶ月はテニスを休みます。その間、読書に集中しようと思っております。わが国の平和ボケの現状に、私なりに危機をつのらせているなか、上記の両書、並びに引き続いて佐伯啓思氏の一連の著作、加えて北岡伸一著「外交と権力・日本政治史」、21世紀構想懇談会編「戦後70年談話の論点」他を読み進め、私なりの感想など改めて記してみたいと思っています。

 

 2018年1月12日

                       淸宮昌章

 

はじめに

 

 昨年9月、中国に関するある意味では衝撃的な二つの著書が発刊されました。ひとつは習近平の生い立ちと、凄まじい共産党内部の権力闘争の報告書でもある中澤克二著「習近平の権力闘争」です。もうひとつは中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことが出来ず、だまされ続けられてきた、とする中国専門家の、しかも歴代のアメリカ政府の対中政策に深くかかわってきたマイケル・ピルズベリー博士著「China2049」です。お読みになった方も多いと思います。中国が大国への復権・復活をどのような戦略のもとに行動しているのかを知る上で、両書の信憑性は問われるかもしれませんが時宜を得た出版と思います。

 政治体制のみならず、その歴史観も価値観も大きく異にする中国がその経済力と軍事力を背景に数世紀前の大国の復活を図る現実に鑑み、わが国は価値観を共有する諸国と更なる連携を計り、わが国のあり方・立ち位置を正に真摯に考え、行動に移していくべき時代に入ったと思っています。第二次大戦後、良しにつけ悪しきにつけ、唯一と言っても過言でなく、世界を牽引してきたアメリカが今後どのような立ち位置になるのか、あるいは立ち位置をとるのかも極めて重要な現実です。各国の個人のみならず、その国家間に事体において経済格差が拡大している現状にあって、21世紀世界はまさに混乱・混迷の時代に入ったと考えます。

 

 今年2月にアメリカ大統領予備選が行われますが、共和党候補者のひとりで、不動産王でもあるドナルド・トランプ氏がイスラム教徒のアメリカ入国を禁ずる、との発言が論議を呼んでいるようです。その現象は彼の政策よりもむしろその性格の正直さが中間層の人気を呼んでいるようにも思えます。その中間層の苛立ちもアメリカ社会の混迷の現実なのでしょう。そうした現実・現実に鑑み、2007年に日本で翻訳出版された掲題の著書「アメリカの政教分離」を今回、改めて書棚から取り出し、再読した次第です。全章に亘る解説ではありません。各章ごとに私が強く印象を受けた箇所を、またまた長く恐縮ですが御紹介いたしますので、ご容赦願います。

 

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アメリカの政教分離

 

 現在においてもアメリカの硬貨には「IN GOD WE TRUST」と刻印されているわけですが、宗教が日常の生活にも色濃く反映しているアメリカの生い立ち・成り立ち、更には今後を考える上で本書は大いに参考になると思います。本書の原題はPROCLAIM LIBERTY THROUGHOUT ALL THE LANDで、自由とは何を意味するかを考えさせるものです。日本版「アメリカの政教分離」のタイトルはあくまで訳者が日本人向けに、本書の中身を表す為に表題としたものです。本書はアメリカの植民地時代から今日に至る憲法の修正第一条[信教の自由条項]および[公定条項]に関わる最高裁の判決文の歴史、その推移が描かれております。「訳者あとがき」を含めても150頁ですが、その内容はきわめて充実しており、改めてアメリカの生い立ちと現在を知る上で、私は参考になりました。

 

 著者エドウィン・S・ガウスタッド氏はカリフォルニア大学の歴史学・宗教学を専門とする碩学と言われている方です。尚、訳者の大西直樹氏は国際基督教大学でアメリカ文化を専門とする教授で、「訳者あとがき」のなかで、以下の通り記しています。

 

 ところで、日本語での政教分離という言葉と、その英語表記Separation of  Church and Stateという言葉の意味するところのギャップはきわめて大きい。日本語がもっている意味合い、そして大多数の日本人がこの言葉で思い描いているのは、政治と宗教が混交してはならないという理解である。つまり、それを逆に英語で表記すると、Separation of Religion and Politicsとなるだろう。ところが、アメリカにおけるこの英語のもともとの意味合いは、連邦国家と教会の分離であり、政治と宗教の混交が直接問題とされているのではない。(中略)・・州ごとに信教の自由を認め、州によって公定宗教をもつことをも認められた。又公定宗教をもたない州もありえた。このように、二重構造をもつ国家であるという特色のうえに、政教分離という概念ができあがったことを理解しておくことがまず肝要であろう。(148頁) 

 

更に「訳者あとがき」の冒頭では次のように記しています。

 

 合衆国憲法1787年に制定された、現行の成文憲法としては世界最古の憲法であり、修正条項を加えたり廃止したりしながらも、この国家の骨格を220年にわたってつくってきたのである。これほど長い生命を保ってきた理由は、最高裁判事憲法解釈が、社会的変動にある種の柔軟性をもって対応してきたためである。当然ながら、アメリカ合衆国も世界も刻々と激動しているのであるから、最高裁の判断は時代を追って揺れうごく。九人が一致した判断をくだす場合も、五対四、というきわどい僅差での分裂を含む判断もある。その判断のあり方に、この国の憲法の柔軟性と、国家そのものの変容が見てとれる。ことに、政教分離にかかわる問題にどのように答えてきたのかの判断にそれが如実に現れている。よくいわれるように、アメリカが信教の自由のために形成されたとするなら、この自由の追求と政教分離の関係はつねに緊張関係のなかで推移し、最高裁判事もこの関係のありかたに英知をかたむけてきた。(147頁)

 

 わが国を取り巻く世界の現実を無視したかのような、わが国のマスメデイアが喧伝する昨今の硬直化した憲法問題論議をあわせ考えると、彼我の違いを私は感じています。

 

 尚、本書は第1章「植民地 アメリカのなかのヨーロッパ」から始まり、第8章「エピローグ 最高裁とこれからの道」という構成です。アメリカの最高裁の位置づけについて、あまり詳しく知らない我々には第8章から読んだ方が、本書を理解できるように思います。

 

アメリカの最高裁判所

 

8章の冒頭で次のように述べています。

 

 一般に最高裁判所はかなり安定した機関だと受止められてきた。つまり、二年ごと、あるいは四年ごとに大量の新顔をうみだす選挙はない。ホワイトハウスあるいは議会の政治的統制が変化したとき、総辞職が要求されるわけではない。最高裁の判事はそれぞれ生涯の任命(深刻な不正行為を除いて)を受け、ほとんどの判事が65歳とか70歳の定年の目安をこえて奉職する。さらに、つねに成功しているわけではないが、最高裁は政府の立法府や行政府によくみられるような熱っぽい党派的行動を避けるように努めている。たとえば、合衆国大統領の年頭教書が読まれるとき、最高裁判事は正式な法衣を身につけ、特別な位置の席につく。議員たちが大統領の演説に拍手し声援をおくって中断させるのとはちがい、判事たちは大統領の演説のあいだじゅう冷静な態度を保つ。ところが、彼らの前に差し出された訴訟の審議となると、判事たちは冷静でも、まとまってもいない。彼らは対立する側の弁護士にむかって、時には鋭い質問を投げかけ、それぞれの気質のままにしばしば相手の発言を妨げる。一般人はこの部分の成りゆきをみることが許されている。ところがこの「公開法廷」が終わると、判事のあいだでの討論と調整は閉じられたドアの後ろで成され、報道人も一般大衆も出席できない。こうしてたいていは数ヶ月のちになって、意見が提出され、反対意見が記され、判決が宣言されるまで、最高裁の行動を一般大衆が目にする機会はやってこない。全国に向けて(ニューヨーク・タイムズのような)新聞がその結果を報告し、ある新聞はかなり詳細に報告をおこなう。数週間内には、図書館、ロースクール、政府文書保管庫に新刊の「合衆国最高裁判決判例集が」配布される。(139頁) 

 

 方や、奴隷解放運動の象徴的存在でもあるフィラデルフィアの[自由の鐘]は旧約聖書レビ記の聖句、[すべての国と、そのすべての住民に自由を述べ伝えよ]から来たものである。おびただしい数のアメリカ人が信教の自由こそすべての自由の基本、完全で豊かな自由のための根本的要素とみなし、この自由の保護と保全こそ 最高裁判所の特殊な責任であったこと。加えて、「黒衣の裁判官と大理石の法廷とが日常の生活からかけ離れていると感じるかもしれないが、実際はそれほど遠いところにあるのではないことを心していただきたい。われわれとしては宗教的・法的制度をよく知る必要があり、その力と同時に限界について敏感でなければならない。こと宗教となると熱心になる人びとは多い。また政治がからむと情熱的になる人も多い。民主主義とは、それを支える市民が如何に情報を分け合い、重要問題について如何に分別を持って討論し、将来のわれわれすべてのための枠組をどのように形成しるていけるかという能力にかかっている。」(4頁)と、信教の自由と民主主義の本質について極めて重要な指摘を著者が本書の序章で記しています。

 

 引き続き、本書について私なりに思うこと、感じたことなども触れながら紹介して参ります。

 

第一章 植民地 アメリカのなかのヨーロッパ

 

 アメリカの実験の真髄

 

 アメリカの宗教史を専門とする成城大の平井慶太氏によればアメリカ入植の意図は必ずしもピュウリタンが宗教的自由のみを求めていったものではなく、スパイス、金、銀更にはインドへの道を求めるといった経済的繁栄を目指したものであるとの見解をされています。

 

 本書ではピュウリタンを含めイギリス国教会、バプチスト、メゾジスト、クエカー、モルモン教、はては数々の新興宗教が信教の自由を求め13州で、あるいは各地でそれぞれの想いで立ち上げ宣教をしていったとしています。いずれにもせよ、北アメリカでヨーロッパによる植民地建設が始まったのは17世紀で、その頃のヨーロッパではプロテスタント宗教改革がいまだ100年を経過しておらず、渡来したばかりの入植者には、宗教的混乱の生々しい、痛々しい記憶が鮮明に残っていたわけです。

 

 従い、多くの入植者の親の世代はプロテスタント宗教改革に積極的に関わるか、あるいはその反対勢力のカトリックの改革運動に加わってヨーロッパをカトリックのもとにとどめ、捉えておこうと努め、互いに宗教観が精鋭化して、そこに更に忠誠心も加わり、血なぐまさい迫害や残酷な戦争を経験し、植民地であるアメリカでも魔女裁判、絞首刑等々といった迫害の経験を持ちながら、イギリス型の信教の自由がヨーロッパ型の単一国家教会形態にとって代わっていったわけです。そしてこの章の最後で次のように記します。

 

 18世紀の最後の四半世紀にはアメリカ革命のよって、こうした個々の植民地の暫定的な動きすべてが、模範とすべきモデルと目されるようになった。革命そのものが、明確に市民と信教の自由の達成に懸けていた。そして、植民地の多くの人々の目には、すべての中でもっとも切実な自由である魂の自由が保障されなければ、政治的自由といっても意味のないことがみえていた。しかも政治的暴君が王座にある限り、信教の自由は安定しない。あるいは、ジェイムス・マディソンが言うように、「旧世界では、宗教的対立を消すために世俗の武器による空しい努力によって、激流となるほど血が流された。・・・時がついにその本当の治療法を明らかにした。」のである。その治療法とは、新しき独立した国家における完全な信教の自由である。これこそが、「アメリカの実験」の心髄であったし、現在においてもそうありつづけているのである。(18頁)

 

 

第二章   新しき国家 アメリカの実験

 

 アメリカの独立とは何を意味したのか

 

 アメリカ革命から二世紀以上が経過してみると、この独立戦争が政治的自由だけでなく、信教の自由のためにも戦われたのだと信ずるのはむずかしい。植民地の住民は大英帝国の政治的専制君主に対する対抗を宣言したが、しかしその意味でどんな勝利があっても、もしアメリカ人が良心の自由を完全に享受できなければ、勝利はむなしかったことだろう。イギリスは歴史的に見ると、本国においても海外においても、その政治的意図と宗教的意図を並行してすべての臣民に押し付けていたが、1760年代と70年代、アメリカ人の多くは本国からの独立が達成されたならば、決してそうはさせない、と決心していた。(21頁)

 

 そしてこのアメリカ側の決意が最初に現れているのは、イギリス国教会の主教が植民地内に定住することへの拒絶であり、主教と彼らの宮廷を支えるために(イギリスでのように)税金を徴収されることの拒否に表われている、と述べています。我々にはなじみある印紙税法反対に端を発したボストンの紅茶事件もそのひとつ実例でありましょう。強力な海軍と陸軍を持った当時の世界の大国であるイギリスに、常設の陸軍も海軍も持たないアメリカが1776年の独立戦争に向かわせたのは市民的・宗教的自由を求める情熱的な献身がすべてであった分けです。 

 

 こうした背景の中で「1787年、合衆国憲法が13州のうち9州が批准に十分な賛成票を得て成立した。・・ただし宗教的少数者の多くは強力な中央政府が彼らの自由にとって何を意味するのか、あからさまに心配していた。」(33頁)    

 その憲法において宗教に言及しているのは第6条のたった一語、合衆国のどの役職、あるいは公職につくときも、資格として宗教審査を課さない、という否定的文脈においてのみで、他の基本的自由と並んで宗教には完全な自由を与えておらず、その後、諸州で論議がされ1791年に連邦議会は宗教の公定化、あるいは宗教活動の自由を禁ずる、いかなる法律も制定してはならないという修正条項を加え、この修正条項がその後200年以上にわたって最高裁やその他の法廷を支配することになった。その意味合いを理解しておくことが肝要であると、著者は指摘しています。

 

 すなわち議会は宗教を公定化する、いかなる法律も制定してはならないという公定条項と国家政府に、ひとの宗教的献身あるいは信仰を、妨害したり抑圧することは何も出来ない自由行使条項という、信教の自由には二重の保障を与えているわけです。そして今日に至るまで「法廷と教会、一般市民がこのふたつの条項と何度も格闘し、全員の一致あるいは議論の余地なしのひとつの解釈に至ること(すくなくとも最近何十年のあいだは)きわめてまれなのである。」(35頁)と、この章を纏めています。

 

以下【後編】に続く

 

2016年1月12日

                                                                                            清宮昌章 

  参考文献

 エドウィン・S・ガウスタッド「アメリカの政教分離」(大西直樹訳 みすず書房

マイケル・ピルズベリー「China 2049」(野中香方子訳 日経BP社)

中澤克二「習近平の権力闘争」(日本経済新聞出版社

平井慶太「アメリカの歴史と社会」(武蔵大ゼミ講義録)

工藤庸子「宗教VS・国家」(講談社現代文庫)

中村雄二郎「宗教とは何か」(岩波現代文庫

末松文美士「日本宗教史」(岩波新書

サミュエル・ハンチントン分断されるアメリカ」(集英社)他