清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

改めて・ズビグニュー・ブレジンスキー著「ブッシュが壊したアメリカ」を思い起こして・・【後編】

 

 再投稿、その上に長い駄文で恐縮しますが、今日性の課題も含んでいると、思います。改めて一覧頂ければ幸いです。

   2021年9月22日

 

  第三章・「先代ブッシュの負の遺産」(湾岸戦争の勝利の立役者が残した禍根)では、先代ブッシュの任期はユーラシア大陸の激動期にぴったりと重なっていること。有能な外交官でもあり、又勇敢な戦士でもあったが、先見のないリーダーであったと分析しています。即ちソ連の崩壊には冷静に対処し、またサダム・フセインのクウェート侵略にも見事に対処したという、ふたつの「勝利」を得ながらも、戦略面からはアメリカが持つ政治の影響力と道徳の正当性はロシアの改革にも中東平和にも生かされなかった。必要なことは優先事項を明示し、今日や明日ではないもっと先の未来に視線を据え、はっきりとした方向性を打ち出した後に、方向性に沿った行動をとることだった。パレスチナ問題と湾岸戦争を中途半端に終わらせたツケは先代の後継者達に取り付いてはなれず、アラブの人々はアメリカの役割を、革新を促す力の供給源ではなく、殖民地時代という忌まわしき過去の再生装置と見做すようになったこと。1992年当時、ばら色の「新世界秩序」から手垢のついた帝国主義秩序へと変わってしまっていた、と述べています。

 

 第四章・「グローバリゼーションを妄信したクリントン」では前任者と異なり、クリントンは世界に対するビジョンを持っていた。即ち能天気とも言うべきグローバリゼーションに内在する「歴史決定論」は、アメリカが自らを必要欠くべからざる国と呼ぶために、自らを内側から再生していかなければならないという彼の深い信念と合致し、外交は内政の延長であったと述べています。

 

 一方、彼の外交の政策決定プロセスを複雑化させた原因を次のように述べています。

 

 一元的且つ楽観的な世界観を唱えたこともあり、議会やマスコミ、ロービー団体が定期的なプロパガンダ活動を通じ「アメリカの今年の敵」と呼ぶべきものをつくりあげた。即ちリビア、イラク、イラン、中国などを槍玉に挙げ、各国からもたらされるであろう危機を強調した。客観的安全をめざす強大なアメリカというパラドックスと、現実となった冷戦の勝利と主観的危機を正当化するための大悪党捜しは、恐怖がすくすくと育つ肥沃な土壌をととのえ、最終的に9・11後の状況をつくりだした。(108頁)

 

 結果的には核問題で北朝鮮に振り回され、核拡散も阻止できず、地球温暖化問題を放置、ルワンダの悲劇を傍観しながら、親イスラエルに傾いた外交が中東におけるアメリカ観を大転換させ、アメリカに対する政治的宗教的敵意を高めてしまったとの指摘です。

 

 端的に言うと、第二代グローバル・リーダーは、歴史に偉大な足跡を残しそこねた。独りよがりの決定論と、人格上の欠点と,強まり続ける国内政治の縛りは、彼の善意だけでは克服できなかったのだ。未完かつ脆弱なクリントンの遺産は、2001年、正反対の教義を信じる後任者に受け継がれたのである。(157頁)

 

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 続く第五章・「現ブッシュの破滅的なリーダーシップ」のなかで、ブッシュ大統領は前任者二人とは大きく異なり、半世紀近く育んできた大西洋共同体の絆を手放してしまい、ほどなく国際世論から袋だたきにあったと痛烈な批判です。ブッシュは自らを「断固とたる決意と、明快のビジョンと深い信仰」の持ち主と見做し、新たなる善と悪との戦い・・彼は孤独な十字軍の闘いと呼ぶかもしれない・・に挑もうとしていた。9・11後、ブッシュの戦略、換言すれば「テロとの戦争」の戦略とは、ペルシャ湾石油権益を確保続けたい昔ながらの帝国主義的願望と、イラク抹殺によってイスラエルの安全を確保したい、というネオコン主義的願望の結晶であると言い切っております。

 

 イラク戦争の最も重大な影響は、アメリカのグローバル・リーダーシップが信用を失ったこと。第二はテロへの脅威へ向けられるべき資源と関心をすべてイラク戦争に注ぎ込み、地政学的悪影響を振りまいてしまったこと。第三はこの戦争がアメリカに対するテロへの脅威を増大させてきたこと。更に反イスラムのにおいのするテロとの戦争はイスラム世界の言論を反米で一致させ、次々とテロリスト達を生み出すものにしてしまった、と指摘しています。ネオコンの信条を以下のように述べ、第五章を閉じています。

 

1.中東を発生源とするテロ活動はアメリカに対する根深い怒りが虚無主義となって現れたものであり、特定の政治紛争や歴史とは関係ないこと。

 

2.中東の政治文化、とりわけアラブの政治文化は、何よりも力に敬意をはらう傾向があるため、地域問題を解決するには、アメリカの軍事力を直接投入しなければならないこと。

 

3.選挙に基づく民主主義は外部から強制した場合でも機能しうる。

 

 この信条をブッシュは信じ、第三代グローバル・リーダーとしてのブッシュは歴史的瞬間を誤って解釈し、わずか五年のあいだに、地政学上のアメリカの地位を危険水域まで低下させ、アメリカ合衆国を危機に陥れた。

 そして冒頭にも紹介した最終章、第六章「アメリカの次期大統領と最後のチャンス」に至るわけです。其の中でグローバル・リーダーとして有効な活動を行なうための条件を次のように記しています。

 

1.今の時代をどうとらえるかという歴史感覚が、アメリカの国民と合致し  

ていること。

2.地球規模の脅威をどう定義するかという価値観が、世界における政治・社会的変化の気質及び特質と合致していること、を挙げています。

 

 更にアメリカは歴史上重大なふたつの失敗をおかした。即ち1.冷戦後に一人勝ちの状況が続く中で、共通の世界戦略に集中して取り組む大西洋共同体を確立できなかったこと。2.イスラエル・パレスチナ問題に対して必要な行動をとらなかったことです。もしアメリカが決然たる態度を示し、アメリカとEUが共同でかつ公平な妥協案を示していたら、イスラエルもパレスチナも和平を受け入れていただろうとしています。アメリカが金儲けに左右されない外交政策をとり、アメリカ型社会の欠陥、即ち物質主義に裏付けられた自己中心性、国民全体が共有する世界に関する無知ぶりを反省することが、何としても必要としています。アメリカはヨーロッパと生きていかなければならないし、ヨーロッパもアメリカを必要とする。そうした中、アジアで孤立を深める非西欧の民主主義国の日本をできれば韓国も米欧間の主要な協議に組み込んでいくことが必要と記しています。

 

 其の背景にはロシア、中国、インドが結びつくことで、もっと明らかな反米同盟が出現する可能性を見てとるからです。日本がNATOと連携するほうが極東におけるアメリカの軍事プレゼンスが日本を通じて高まる場合よりも、あるいは日本自身が単独で軍備の増強を進めていく場合よりも、中国が抱く警戒感は少ないとの見方です。

 

 こうした見解には多くの異論もあるでしょう。しかし、地政学の権威で、アメリカでも影響力のある著者の見解は心に留めて置くべきと私は考えていました。

 

 世界の「政治意識のめざめ」は歴史的に反帝国主義であり、政治的に反西欧であり、感情的には反米である。政治意識のめざめの標的にされる危険を回避したいなら、人間の尊厳を世界中に広められるのはアメリカだけ、という認識を確立しなければならない。(勿論、政治と社会と宗教の多様性に対する敬意をもつことが前提となる。)人間の尊厳はさまざまなものをもたらす。自由と民主主義のみならず、社会正義も、男女平等も、文化と宗教が複雑に入り組んだ世界の現状に対する敬意も、(中略)だからこそ、外部から押し付けられた性急な民主化は、ことごとく失敗に終わるのである。自由と民主主義を根付かせるには、きちんと段階を踏み、内部から育てあげるしか方法はないのだ。(236頁)と訴えています。そしてG8はもはや時代遅れで、アメリカと日本と拡大大西洋共同体は、中国の我慢強さと用心深さ、いわばその余裕の時間を利用して中国を世界システムの中に取り込み、グローバル・リーダーシップの一翼をになわせなければならない、と最終章に述べています。

 

おわりに

 

 何故、本書を今になって取り上げ読み返したのか。疑問というか時代錯誤と思われるかもしれません。中国が大国への復活を進めるなど、地政学的にも大きく変動した現実に、日本は一国平和主義に安住しているとしか思えません。本来的覚悟を持たぬ、あるいは持てぬ者のひとりとして、著者の見解、指摘に私は改めて考えさせられたところです。

 

 方や巷では、外交でことを進めるべきとの、声もあります。今から5年前になりますが、元駐フランス大使の矢田部厚彦氏が「外交力と軍事力」の中で、外交とは何かを述べています。即ち外交力とは政治指導者の先見性と権威、外交官集団の優秀性と忠誠心、そして総合的・長期的な国益がどこにあるかに対する世論。公衆の理解力と判断力の三要素に集約される。この三本柱のどれが弱くても、十分な外交力を発揮することはできない。だが、もっとも重要なこととして強調しなければならいのは、この三要素を支えるものが、その国の社会の近代性と基礎的文化水準に他ならない。外交とは、文化である。つまるところ、外交とは国民精神の対外的な文化表現なのである、と喝破しています。

 

 現国会で論議が全く噛み合わない、意味のない安全保障関連法案審議をみていると政党とは何か、議員とは何かを考えさせられます。時には野党議員に見られる品格を欠いた質疑に、もとよりそれを求めることが無理なのでしょうが嫌悪感を覚えます。そしてマスメデイアによる誘導された世論と称するものに右往左往する現状に、過去を想起し、暗澹たる気持ちになります。

 

 2015年9月14日

                             清宮昌章

追補

 

 アメリカはその後、前オバマ大統領、そして現トランプ大統領と代わる中、欧州も大きく変貌しております。変わらないのは、今や世界第二位のGDPを誇り、中華大国への復活を目指す共産党独裁国家、しかもその価値観も国民への関与の在り方も大きく異なると思える中国です。ブレジンスキーが本書で、「中国を世界システムの中に取り込み、グローバル・リーダーシップの一翼を担わせることだ」と指摘しておりましたが、その可能性は如何でしょうか。

 

 アメリカではなく、日本にとって北朝鮮の喫緊の現状もさることながら、ユーラシア大陸を制するロシアより、中国の動向こそが今後の日本にとって大きな脅威というか、課題と私は考えております。歴史事実とは異なる概念の、中国による「歴史認識」を日本が持つことを執拗に迫り、日本を利用しながら日本外しを計る中国。更には沖縄には同情と微笑を続けながら、尖閣諸島と同じように、近い近未来に沖縄を核心的利益と唱える可能性も充分ありましょう。

 加えて、韓国においては、反日教育というより「侮日教育」を一貫として受けてきた世代が国民の多数を占めるに至っております。従い、韓国並びに韓国人としても日本、更には日本人への対応も、今後も変わることはないでしょう。

 

 残念ながら中国及び朝鮮半島の南北二国との友好関係を日本が構築することは極めて難しく、数世紀を要する解けない課題なのです。中国、ロシアをバックに朝鮮半島を中心とした新たな経済圏を模索している、との文韓国新大統領の発想も私は頷けます。日本の現状は地政学的面においても極めて不安的な位置にあります。従い、ブレジンスキーの観点・指摘とは異なりますが、氏が本書で述べている「日本は新たな道を求めることが必要である」、との見解に私は別な意味で共感を覚えた分けです。

 

 方や、現在のマスメディアに見られる、ただただ現安倍自公政権を倒せば良いかの如き、一国平和主義的思考に私は極めて大きな危機感を持っております。毎回の投稿でも付言しておりますが、戦前、戦中、戦後において依然として報道は自らの責任を問わない、負わない、そのマスメディアの在り方。そして、そのマスメディアにより、大きく影響を受ける世論と称するものに、時の政権が大きく左右されてきたことも昭和の歴史です。言論の自由を挙げ、時の権力・政権を掣肘するとは主張するものの、それは独りよがりの正義感で、その実体は単なる商業主義に毒されたものに過ぎないと考えます。ただ、ここに来て、マスメディアによる報道、あるいはその取り上げ方に、不信感を持ち、信頼を置かない人々、層が増えてきているのも、新たな現象といえるでしょう。

 

 このブログを開いて頂ければわかりますが、本稿に続き、筒井清忠「近衛文麿」他、一連の昭和史に関わる投稿をしております。意義があるかどうかは分りませんが、日本の現状、さらには今後の日本を観る上では、少なくとも昭和の歴史を自ら再検討する必要がある、と私なりに思っています。

 

 2017年9月28日

                     淸宮昌章

参考文献

  峰岸博「韓国の憂鬱」(日経プレミアシリーズ)

  櫻井よしこ・呉善花「赤い韓国」(産経セレクト)

  呉善花「侮日論」(文集新書)

  中澤克二「周近平の権力闘争」(日本経済新聞出版社)

  海外事情 2017・9

  他

ズビグニュー・ブレジンスキー著「ブッシュが壊したアメリカ」を思い起こして・・【前編】

再投稿

 

 コロナ禍の緊急事態宣言下、9月29日の自民党総裁選挙。そして衆議院議員選挙と続く中、私は改めて5年前の2015年8月の投稿を読み返しました。手前味噌ですが、古さを感じなく、改めて再投稿する意味もあるかなと思った次第です。後編は同年9月14日です。極めて長い駄文ですが、改めて一読頂ければ幸いです。

 

 2021年9月21日 

 

はじめに

 

 日本政治が右傾化し、自由と民主主義が壊れていくかのような巷の声もあり、中野晃一著「右傾化する日本政治」(岩波新書)を一読しました。著者は1970年生まれの比較政治学、日本政治、政治思想を専門とする学者との紹介ですが、私は初めて氏の著書に触れます。本書の中で長谷川三千子氏を歴史修正主義と断定するわけですから、中野氏はその対局に立つのでしょう。

 

 中野氏の見解によれば日本政治は何も現安倍自公政権から大きく右傾化したわけではなく、過去30年ほどの長いタイムスパンで現出してきた、との見解です。残念ながら、私は本書を通じて氏の主張・観点には極めて違和感を持ちます。   

安倍首相に関して「本質的に中国や韓国でも変わりなく、新自由主義改革によって格差社会が広がった一方で、政治権力はますます世襲的政治家や財閥・閨閥に集中し、そこで夫々に国家主義を煽って人心掌握を図り、又ジャーナリズムや言論の自由のみならず、市民社会全体のさまざまな自由を厳しく弾圧する傾向が共通して見られる。安倍、習近平、朴槿惠ら北東アジアの世襲『ナショナリスト』たちが自国内で権力を集中し続けるために、敵愾心を向け合う相手を相互に必要としているといえる」(本書177頁) 加えて終章の最後に「道は険しく、時間は限られているが、負けられない闘いはすでに始まっている」と述べられております。とても私はついてはいけません。

   

  誠に僭越ですが、何故そのような、私には凝り固まったとも言える観点に立つのか、氏の背景、生活・環境がそのひとつの要因なのか、不安を覚えるところです。品格を欠いた他者批判、出版物も、又私のような門外漢も自由に発言、発表できるのが戦後の日本ではないでしょうか。日本の昭和の時代、平成の時代を日本の長い歴史から、何か切り離された特殊な危殆の時代と見ているように私は感じます。よいか悪いかは別ですが、時代は連綿と続き現代に至っているとの私の観点とは大きく異なっています。

 

 そんな感慨を一方に持ち、8年前に掲題の著書について記した駄文を改めて取り出しました。精彩を欠き、もはや影響力もないような現オバマ大統領を見ると、本書の指摘は今さらながら正鵠を得たものであったと私は思います。

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その1

 

 本書の原題はSECOND CHANCE:Three Presidents and the Crisis of American Superpower で、日本版の表題はすこし刺激的で、むしろ本書の内容を言い表してはいないように私は思います。本書の主題は言わば「自己戴冠」が行なわれた超大国アメリカの15年間に亘る三人の大統領、即ちジョージ・H・W・ブッシュ、ビル・クリントンに関わる思考・施政への再検討であり、提言でした。

 

 政治意識のめざめの現象が地球上に広がり、更に其の勢いが増している現在、超大国になってしまったアメリカがこの15年間の中で、何を反省し、何を目指し、そして今後どう在るべきなのか。アメリカ大統領によるアメリカの責任とは何か。アメリカが世界に影響を与えると共にアメリカも世界から影響を受けるという、今までになかった観念をどのように国民に植え付けるか。自由と民主主義の実現に導くだけでなく、文化の多様性に対する敬意はどうか。不公正な格差を是正しなければならないという認識をどう持たせるか。そうしたことが正に問われているのだ、と著者は指摘しています。方や、その視点、指摘自体に人によりアメリカの独善として違和感を持つかも知れません。

 

 そうした思いは残るものの、著者は歴史的意義の高い課題に取り組んだ過去として、一度目は1776年に「自由の意味を定義し、自由の模索を始めたばかりの世界に提示した」こと。二度目は「20世紀の民主主義の守護者として全体主義と戦って見せた」ことを挙げています。

 

 冷戦の終焉後に第一回のチャンスを逃した中、2008年以降に訪れる第二のチャンスを逃してはならない。なぜなら第三のチャンスは永久に巡ってこない。次期アメリカ大統領が「理想に仕えるのをやめた大国は、其の力を失う」ということを理解すること。政治意識にめざめた人類の渇望と、アメリカ合衆国の力との一体感をつくりだすことができれば、まだアメリカにも可能性はのこっている。そして最終章・第六章「アメリカの次期大統領と最後のチャンス」と繋げていくわけです。

 

 著者はご存知のようにアメリカを代表する地政学の権威であり、カーター政権では国家安全保障問題担当補佐官を務め、影響力を持った学者でもあります。1989年に著した「大いなる失敗」のなかで20世紀における共産主義の誕生と其の終焉を従来の通説とは異なり、以下のようにソ連の崩壊を事前にとらえておりました。

 

 共産主義の下で起こった事象は、歴史の悲劇以外の何物でもなかった。それは現状の不正を正そうとする性急な理想主義に端を発し、よりよい人間的な社会をめざしたのだが、結果的には大量の抑圧を生みだすものになった。共産主義は理性の力を信じ、完全な社会を建設しようとした。高いモラルによって動かされる社会をつくるために、人間へのもっとも大きな愛と、抑制への怒りを結集したのである。それによって最高の頭脳、最良の理想主義的精神を持った人々の心をとらえた。にもかかわらず共産主義は、今世紀はもちろん他の世紀にも類を見ないほどの、大きな害悪を生んだのである。其の上、共産主義の誤りは社会問題を完全に理詰めで解決しようとしたことだった。(中略)人間の理性を信じすぎたこと、激しい権力争いのために時の権力者が自らの一時的判断を絶対視してしまう傾向があったこと、不道徳への怒りがしばしば政敵への独善的な憎悪に変わってしまったこと、とくにレーニン主義がマルクス主義の中に、ロシアの後進的な専制主義を持ち込んだこと。(大いなる失敗 306頁)

 

 その後、1993年に「アウト・オブ・コントロール」を著しました。今の世界の混乱をも既に見通していたかのように思います。私とってはそれらの著作を通し、大きな影響というか、考えさせられた学者であり政治家でもあります。尚、本書は私にとっては同氏の三つ目の著書です。

 

その2

 

 本書も一貫した冷徹な地政学的見地から書かれております。各章のあらましをご紹介したく、長くなり恐縮ですがご容赦願います。

 

 第一章・「超大国アメリカを率いた三人の大統領」で、ソ連が崩壊し、冷戦が終焉したため、国際的承認をいっさい受けていないにもかかわらず、グローバル・リーダー、即ち世界の指導者としてアメリカが振舞い始めたこと。即ち、この「自己戴冠」というこの現象は1876年に、ヴィクトリア女王が英国議会から「インド大帝」の称号を与えられた史実。更には、ナポレオンの自己戴冠の史実を彷彿させる、と述べています。

 一方、世界最強国の座に就いた後、アメリカ外交は自国領土の安全確保に加え、三つの使命を背負ったと述べています。

 

1・世界の勢力関係を構築、管理運用し、より強調的なグローバル・システムができる                
下地を造ること。

2・紛争の封じ込め、沈静化、テロ行為と大量破壊兵器拡散の阻止。

3・格差社会の急速な広がりに対し、より効果的な取り組みを行なうこと。

 

 そして第二章・「アメリカを誤らせたグローバリゼーションとネオコン主義」と続き、先代ブッシュ、クリントン、ブッシュの施政への各章に進んでいきます。冷戦後の短期間、アメリカ政府は「新世界秩序」なるスローガンを掲げ、世界情勢と新たなチャンスについて語ったのですが、其の概念も曖昧のまま、それを浸透させる前に大統領選に負け、互いに相容れない歴史観と未来像を持つ、ふたつの概念、即ちグローバリゼーションと新保守主義(ネオコン)が出てきた。このグローバリゼーションは最終的に安定均衡を生み出すため、多数に対する利益の再配分を通じて、少数の受けた不利益は相殺される、という能天気なまでに楽観的ものだと指摘しております。

 

 一方、ネオコン主義は馬鹿正直なまでの一途さ、悲観的な見方、善悪二元論的な雰囲気を特徴とするもので、ブッシュ大統領の時代に大きく花咲いたこと。又、このネオコン主義に図らずも社会における高い位置を与えたのは、各々の著者の意図とは大きく異なっていますが、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」(1992年)、及びハンチントンの「文明の衝突」(1996年)であったとの指摘です。結果的にはイスラム原理主義との全面衝突の果てに、民主主義が広まって「歴史の終わり」を告げるという認識はネオコン派からしてみると、ポスト冷戦時代の靄をすっきりと射し貫く一条の光となってしまった。著者は以下のように述べています。

 

 共産主義が打倒されたあと、西側先進国の市民たちは新しい目標をいったい何処においたのだろうか、(中略)西側先進国を席巻する「快楽追及の相対主義」。方や、突如として貧困へ突き落とされた旧ソ連圏と政治的にめざめた発展途上国の「食うや食わずの絶対主義」。このふたつの対立がいつまでも続けば、世界の分断が深刻化するのは明らかだった。このような事態を食い止め、適切に対処するためには、世界におけるアメリカの役割を定義する際、もっと高いレベルの道徳観を導入する必要があった。道徳が低いままでは、いくらアメリカが世界のリーダーを主張しようとも、その正当性が認められる見込みなどなかった。道徳を政治に持ち込み、政策の指針として利用したいなら、人道主義の観点から行動を起こさなければならない。人権問題を世界の最優先事項に引き上げ、政治意識にめざめた大衆の切望に応えなければならない。また、道徳的信条に基づく賢明な政治は、リーダーシップを発揮する際、善悪二分論を強調するのではなく、コンセンサスの形成を重視しなければならない。逆にいうと、道徳的信条に基づかない政治は、民衆扇動家の暗躍を許し、突然の危機や新たな脅威を引き起こすのだ。(52頁)

 

 以下【後編】に続く

 

  2015年8月31日

                              清宮昌章

 

参考文献

 

ブレジンスキー「大いなる失敗」(伊藤憲一訳 飛鳥新社)

同      「アウト・オブ・コントロール」(鈴木主税訳 草思社)

サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」(鈴木主税 集英社)

フランシス・フクヤマ「歴史の終わり 上下」(渡部昇一訳 三笠書房)

中野晃一「右傾化する日本政治」(岩波新書)

田中均「日本外交の挑戦」(角川新書)

井上卓弥「満州難民」(幻冬舎)

「文藝春秋」で読む戦後70年 第一巻

海外事情7、8 海外事情研究所創立60周年

選択8月

 

安全保障関連法案に関連して

 

    前月の7月13、20日に「世相に想う」ということで、上記「安全保障関連法案に関連して」との駄文を載せました。現国会で本法案が審議されているからでしょうか、いつもより多くの感想を皆様から頂きました。

 

 高校時代からの畏友による、理路整然とした6項に纏められた法案賛成の趣旨を記されたメール。加えて米国人と結婚され、長年米国で生活されていらっしゃる日本人女性の方から「日頃の想いを(私が)代弁してくれている」との感謝のメールも頂きました。勿論私の視点というか観点というか、私の想いに反対の方も当然みえるわけですが、「論評はしない」とのことです。その本意は論評にも値いしないとのことでしょう。今回はアメリカに見える女性からのご質問にお答えしたことに少し加えながら、私の想いを載せることにしました。

 

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その御質問は

 

   天皇と皇后は大変なご高齢にもかかわらず、ぺリリュー島など、慰霊にいらしている記事を文藝春秋などで読みましたが、これは日本国民にどのようにとられているのでしょうか。天皇家として最終的な責任を感じていらっしゃるのですか。今日(2015 年7月24日)のワシントンポストに大きな写真入で、北京に日本軍の戦争時代の沢山の資料を展示する博物館ができた記事がありました。あれを子供時代から見ていたら日本人がさぞ嫌いになるでしょう。もう両国泥沼って感じでした。

 

私の回答は下記の通りです

 

 回答にはならないかもしれませんが、昭和天皇については私なりの想いもあり、私の雑感を過去にも拙著「書棚から顧みる昭和」でも記したこともあります。改めて今の私の想いを付け加えてみます。

 私の基本的視点は先の大戦そして敗戦について、昭和天皇は大いに責任があるということです。米国の占領政策にも天皇が必要であったことが、昭和天皇が戦争責任を取ることも叶わなかったことも現実であったのでしょう。でも昭和天皇が何らかの責任形態、例えば退位といった形式もあったのではないかと思います。それも望んでも叶わなかったことも占領下の日本が置かれた状況であったのでしょうか。

 

 ただ、戦後は日本の政治家も、知識人も、マスメディアも、そしてその影響を受けた大衆も戦争責任をA級戦犯のみに負わせ、自らは良心の呵責さえも隠し、そして済まし、否、済まさせてきたことに、今の日本の混乱の一つの要因があると思っています。東京裁判の被告とニュルンベルグ裁判の被告とは、そのあり方に関しては大きく異なり、真逆の在り様です。方や、ヒットラー政権下で敗戦となったドイツの戦後のあり方と日本の在り方の比較を述べ、日本を批判する所謂知識人も見えますが、比較の対象というか余り意味のある比較とは私には思えません。  又、お尋ねの現天皇、皇后による長い慰霊の旅ですが、昭和天皇の戦争責任への一生をかけた贖罪の旅、そのものではないかと私は思っています。現天皇は皇太子時代における沖縄への慰霊の旅を始めとして、これからも慰霊の旅は黙して語らず生涯をかけて続けられるものと、私は考えています。そのことについて皆さんがどのように考えられているか私は分かりません。  尚、残念ですがマスメディアが作りあげる国民の声と称するものに、どうやら再び惑わされる状況になってきたと、私は考えております。安全保障関連法案を「戦争法案」と称するものにすり替えさせた共産党をはじめとする野党の手法に、その中身をも知ろうともせず、多くの人が乗せられた、と思います。一方、この安全保障関連法案を分かりやすく具体的に説明することも、対外的な問題に波及し、極めて至難の業であることも現実と考えています。  一方、一般の個人が自らの感じ方を述べるときに何故に「国民」と称するのでしょうか。確かにその方は日本国民ですが、先ず「私は」とか、「自分は」と言わないのでしょうか。そこから物事が始まるのであって、日本国民とか、世論とか個人が軽々しく表現するのは少々、マスメディアに毒されている一つの証左と私は思います。昨今、やたらに「国民」という言葉が巷に氾濫し出しました。私のおぼろげな記憶になりますが戦中の時代を思い起こし、嫌な感じに捉われます。

 私は言論機関及びマスメィアは日本では今以て貧しい状況で、それは戦前も、私が育った戦中も戦後も余り変わっていないと考えております。ただ、例の安保闘争時代とは異なり、私のような考えを持つ人が多くなっているのも、一方の現実と思います。残念ながら、安倍自公政権は安定性を欠き、混乱の時期あるいは時代を迎えるようになると思います。中国、韓国の現政権はそれを期待しているかもしれません。

 2015年8月10日

                             清宮昌章 

                           

参考文献

 井上卓也満州難民」(幻冬舎

 文藝春秋で読む戦後70年 第1巻

 海外事情7・8月(特集 海外事情研究所創立60周年)

 筒井清田忠編「昭和史講義」(ちくま新書

 選択8月   他

 

 

安全保障関連法案に関連して【 後編 】

服部龍二著「広田弘毅

 我々が今なお、今次大戦を問い続け、否問い続けざるをえない中にあって、本書は何故に日本が太平洋戦争に突入し、そして敗戦に至ったのか。世論を作り出す、そのときの言論機関・マスコミはどうであったのか。そういった諸々の歴史経過を検証する意味でも新書版ですが、時宜を得た、極めて参考になる研究書でもあると私は考えます。

 「子曰く志士仁人は生を求めて仁を害することなく、身を殺して仁をなすことにあり」と最後の言葉を残し処刑場に向かったという広田弘毅は悲劇の宰相として語られていますが、「それはたぶんに城山三郎の『落日燃ゆ』に(我々が)影響されており、ひいては日中戦争東京裁判に対する国民の歴史観を形成してきたとすればどうであろうか。等身大の広田像を慎重に描きなおさなければならない。それが本書を著す動機である。」(274頁)、と著者は述べています。

 

f:id:kiyomiya-masaaki:20150722192649j:plain 服部龍二著:広田弘毅「悲劇の宰相」の実像


 1878年(明治11年)に福岡の小さな石屋の長男として生まれた広田弘毅日清戦争に続く三国干渉に衝撃を受け、当初の軍人志望から外交官志望へと変わります。第一高等学校東京帝国大学を経、職業外交官となり、その後、1930年代の日本外交を最も体現する政治家となりました。結果的には東京裁判A級戦犯として、侵略戦争の共同謀議、満州事変以降の侵略戦争、戦争法規遵守義務の無視という三つの訴因で有罪となります。とりわけ外相時代における南京事件の犯罪的過失を重く取られ、


 「残虐行為をやめさせるために、直ちに措置を講ずることを閣議で主張せず、又同じ結果をもたらすために、かれがとることができた他のどのような措置もとらなかったということで、広田は自己の責任に怠慢であった。このため判定はかれの不作為は、犯罪的な過失に達するものであった。」(260頁)と厳しく断罪されます。

 この不作為という断罪の意味合いには、現在の会社生活を含めた我々日常行動は如何であったかと自らも省みるべき性質をもつものではないでしょうか。広田弘毅は唯一文官として、判事11名のうち6対5の賛成で死刑に処せられ、その運命を閉じるわけです。彼の一生の検証はわれわれにも決して他人事ではなく、自らの生き方、人生のそれぞれの場面での自らの対処の仕方はどうであったの。或いはどうあるべきなのか省みる必要があると私は考えます。

 広田の辞世の言葉も仁人、無私の人という面だけではなく、「だが広田は二・二六事件後の組閣などで粘りをみせたにせよ、総じて首相や外相のときに命を賭するような態度に出なかったはずである。『身を殺して仁をなす』ということばには、要職にありながら敢然たる行動を取れなかった悔恨の情がにじんでいるようにもみえる。辞世に広田は、遠い記憶をたどりながら、自戒の念にとらわれていたのであろうか。」(279頁)、と著者は記しています。

 著者は本書において広田弘毅を論じるに四つの課題をあげています。

  1. 広田の生涯を描くこと。城山三郎「落日燃ゆ」をはじめとした小説にされた有能であるが軍部に抗いしきれず、東京裁判では一切の弁明をせず。死を受け入れたという無私の人物だけではなく、頭山満に率いられた福岡の国家主義的団体「玄洋社」の社員としての憂国の士でもあったこと。
  2. 日本外交の潮流に広田を位置づけること。
  3. 1930年代の日本外交。
  4. 東京裁判


 そうした位置づけの中、本書は第一章;青年期、第二章;中国と欧米の間、第三章;外相就任と協和外交、第四章;首相の10ヶ月半、第五章;国民政府を対手とせず、第六章;帝國日本の瓦解、第七章;東京裁判、終章;訣別、という構成です。諸々の広田弘毅伝、玄洋社に関するもの、. 成されていますが日本外交文書等々、膨大な資料を基に丹念にその四つの課題に迫っていきます。

 広田弘毅は1906年(明治39年)に二度目の外交官試験を主席で通過します。外務省に入省するものの、その後は幣原喜重郎が主流であった欧米派ではなく、むしろ日中提携の革新派の一員として駐オランダ公使、駐ソ連大使といったむしろ外務省の亜流を進みます。1936年(昭和11年)の二・二六事件後の首相に就任し、それから敗戦に向かうまでの政党間の状況、陸軍との葛藤、同期の吉田茂との関係等々詳細に記しております。当時の政局、世論・言論がどんなものであったか伺いできます。

 外相時代における「広田三原則」、首相時代の軍部大臣現役武官制の復活、日中戦争・太平洋戦争に向かうこととなる帝国国防方針の改定。更にその後の近衛内閣の再度の外相時代に盧溝橋事件、及び陸軍が「蒋介石打倒」を打ちあげるなか、広田としてはそれを緩和する表現として「爾後国民政府を対手とせず」との声明を出します。ただ南京事件への対応がA級戦犯として東京裁判で重罪として取り上げられるとは、近衛内閣の外相時代には夢想さえしていなかったがはずです。


補足 天皇制に関して

 尚、むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活へ」の中で、「戦後の日本は、やるべきことをやってこなかった。1945年8月15日以降、天皇制をきちんと処理することも、とうぜんやるべきだったのにやらなかった。そして、もっとも大事な憲法9条のなかには、さっき言ったように、軍国日本への死刑判決と人類平和へ導く道しるべという両方があり、最も暗いものと明るいものが重なり合っている。」(同書101頁)と述べており、

 予感みたいのものを言えば、今の皇太子夫婦が天皇・皇后になろうとするときこの天皇制はもう一度問題として吹き出す。これ以上、天皇制を存続させるのはむずかしいのではありませんか。そのとき、天皇一家は自分達をどうしていくかを、みずから意思表示しなければならない。(同書96頁)とも記しています。現在、我々はどう考えればよいでしょうか。

 一方、服部龍二氏は歴史資料を分析する中で、危機的な状況にあって政治指導者は、うつろいやすい時流に染まってはならない。国家の岐路に立つ瞬間であればなおのこと、大勢に順応するのではなく、大所高所から責任ある決断力を発揮すべきである。最晩年の(昭和)天皇は、ときの権力者や後世にそう言い残そうとしたのかもしれない。逆説的な表現ながら、身をもって体験した敗戦から学んだ歴史の教訓であった。(195頁)、と間接的に同氏も今はタブー視されているかのごとき天皇制を問題にしているようにも思います。


おわりに

 以上、確とした根拠もなく、三氏の著書を対比するような形で進め、私なりの感想的なことも織り込みながら、龍二服部著「広田弘毅」に焦点をあて紹介してきました。纏まりのないものになっていますが、同氏が本書の終章「訣別」のなかで私にとり印象深い文節を引用し、終わりと致します。


 思えば、広田の生涯は、逆説に満ちていた。もともと軍人志望であった広田が外交官になったのは、軍事力ではなく外交を政策の手段とするためであった。だが広田の外交は、日中戦争の歯止めとはならず、それどころか武力行使を対中外交の圧力に利用すらした。外務省主流の幣原派と距離を置いたためにかえって1930年代の主役にのし上がったこともそうだが、最大の逆説は中国であろう。少年時代から大陸を夢みた広田は、弘毅という名前すら「論語」から得た。念願の外務省に入った広田は、真っ先に中国へと赴任し、外相としても駐華大使館への昇格を進めるなど中国との提携に努めた。しかし広田の外交は、陸軍の華北分離工作とともに後退しはじめ、陸軍の自治工作を用いて広田三原則を進めようとするところもあった。第二次外相期には「対手とせず」の声明にまでいたり、東京裁判で中国を含む判事団によって死刑宣告をされた。広田が胸に描き続けた「日中提携」の末路は悲劇的なものであったにせよ、そのことは広田の悲劇と片づけられるものではない。悲劇の宰相とみなされがちな広田だが、破局へ向かう時代に決然とした態度に出なかった。広田が悲劇に襲われたとうよりも、危機的な状況下ですら執念をみせず消極的となっていた広田に外相や首相を歴任させたことが、日本の悲劇につながったといわねばならない。あの戦争の責任を広田だけに負わせるのはもちろん公平ではないし、極刑は過酷だったと思うが、少なくとも責任の一端は広田にあったと考えざるを得ない。広田としても責任を痛感していただけに、敢えて証人台に立たなかったのであろう。その半面で広田の挫折は「日中提携」の本質的な難しさを暗示しているようにみえる。(中略)70年で幕を下ろした広田の生涯は、政治指導者のあるべき姿や、「日中提携」の隘路を現代に問いかけているのかもしれない。(272頁)

 

              2015年7月20日

                                                                                               清宮昌章


参考文献

城山三郎「落日燃ゆ」(新潮社)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)

渡辺利夫「私のなかのアジア」(中央公論新社) 

同 「新 脱亜論」(文芸新書) 

むのたけじ「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書) 

服部龍二「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)

同 「広田弘毅」(中公新書)

同 「日中国交正常化」(中公新書)

同 「日中歴史認識」(東京大学)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書

拓殖大学海外事情研究所「海外事情」(2008年8月、2015年6月)、

文芸春秋」(2008年10月号)

アンネッテ・ヴァインケ著 板橋拓己訳「ニュルンベルク裁判」(中公新書

稲垣清「中南海 知られざる中国の中枢」(岩波新書)

宮本雄二習近平の中国」(新潮新書

「選択」(2015年7月)        他

安全保障関連法案に関連して【 前編 】


服部龍二著「広田弘毅・・悲劇の宰相の実像」(中公新書)他への雑感

 

 今国会で大幅に会期を延長しているものの、安全保障関連保障法案の国会質疑は大きく変貌している地政学的変動とも言うべき現実を軽視した、またもや神学論争に陥ってきた感を否めません。法案そのものを論議するのではなく、なにやら安保改定の中身をほとんど知らすこともできずに、民主主義が崩壊するかの状況に陥らしていった、あの1960年の安保闘争時のような展開になるのではと私は危惧感を抱いてきております。今まで何度も記してきましたが岸信介政権のあの歴史の轍を自公政権は決して踏んではならないことです。

 

 私はマスメディア等のその報道の仕方、在り方に、むしろ危惧というか怖さを感じています。報道の自由言論の自由は最も重要であり、基本的なことです。一方、その報道の中身、在り方、その手法に対しても批判する自由も当然あって然るべきものです。マスメィア等に登場する所謂ジャーナリスト、コメンテーター、キャスターは必ずしも正義の人ではありません。昨今は何故か正義は我にありとしている傲岸な、何かに擦り寄るような印象を受けるのは私一人でしょうか。報道とはなにか、言論の自由とはなにか、我々は改めてこの問題に真剣に問い、考えることが必要です。今日の新聞、そしてテレビ(戦前・戦中はラジオ)といったマスメディアは日本を戦争に引きずりこんだ戦前、戦中と何処が変わったのでしょうか。私はマスメディアの営利体質そのものに大きな欠陥があると考えています。新聞ひとつをとってもその発行部数が余りにも多いという、その経営体制・体質に根本要因があるのではないでしょうか。このマスメディアは戦前、戦中と変わらず、世論と称するものを作りあげる上で多大な影響力を与えると共に、その世論形成を作る上で誤った方向にも導く、ひとつの危険性という両面を持っているわけです。先の大戦の戦争責任は当時の軍部、政治家等のみならず報道機関と称するものにも大きくあると私は考えています。現在は真逆の報道の在り方ですが、果して戦前・戦中の真の反省はあるのか、疑問に思うところです。

 

 安倍自公政権はそのことをしっかりと認識し、日本にとって何が重要であるのかを押さえ、国民に発信していかなければなりません。問題は外から出て来るのではなく、日本の内から出されるということを常に念頭に入れていることです。そのための英知の結集と謙虚さが極めて重要且つ喫緊の課題であると考えます。安保騒動の1960年代とは日本を取り巻く環境は大きく異なり、地政学的変動期にあって、ここでの安倍自公政権の衰退、崩壊は思いもかけない、危うい事態を招くと考えます。今回の一部の自民党政治家の気持ちは分からないわけではありませんが、極めて安易、安直です。何故自民党総裁でもある首相が謝罪しなければならない事態に至ったのか。自民党議員本人のみならず支援者も含め猛反省し、気を引き締め直し、改めて政権与党の重責を負っている一員としての覚悟をもち、ことを進めることが極めて重要なことです。今国会の集中審議の醜態というか、見識と品格を欠く野党の質疑に政府・与党が振り回される現状は見るに耐えません。

 

 以下の駄文の大半は2008年のものですが、この安全保障関連法案が国会で論義されている現在、私としては別の角度から見ることも、それなりの意味を持っていると考え、新たに一部を付け加えました。

 

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1.渡辺利夫著「新 脱亜論」

 

 現拓殖大学総長の渡辺利夫氏が国際開発学部長時代、同氏が塾長であるアジア塾で同氏の受講を経験していたこともあり、「私のなかのアジア」他を含め同氏の著書、論文のいくつかには目を通して来ました。同氏は2008年の5月、改めて昭和史の失敗を繰り返さないとの思いを込め、福沢諭吉の「脱亜論」にあやかり「新 脱亜論」(文春新書)を発表しました。本書を著す動機として著者は「終わりの」章の冒頭で、「近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに洞察し行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。」(299頁)と述べています。

 

 氏の歴史観或いは視点には頷けない方も多くいらっしゃるとは思います。しかしながら、同氏はODA座長として中国への継続投資を強く求め、ODA予算の縮小に危機感を持ってもおりました。むしろODA予算の拡大が戦後の日本の在り方でもあると主張されてきた方です。且つ又、中国を含め東アジアに多くの友人も持ち、吉野作造賞も受賞した「成長のアジア 停滞のアジア」を著してもおります。単なる経済学者一途の人でもありません。「新 脱亜論」の最終章で「歴史の分野においていまなお根強い影響力をもつ東京裁判史観や左翼史観からわれわれを解放するには、個々の歴史事象を証する資料集を改めて調べるといった個々人の知的営為が不可欠である。」(301頁)と述べています。

 

 個々人の知的営為が不可欠との見方に私は賛意するところです。東京裁判を国際政治のひとつの政治史として冷静に分析している日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)にも目を通しましたが、国立公文書館マイクロフィルム化により東京裁判の全書証が最近日の目を見、日経新聞が2008年9月10日より「判決60年 文書にみる東京裁判」を連載したのも何かの縁を感じます。

 

2むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活  九三歳・ジャーナリストの発言」

 

 一方、私の青年時代の始めに大きな感動と影響を与えた、むのたけじが2008年7月「戦争絶滅へ、人間復活へ…九三歳・ジャーナリストの発言」を著しました。「たいまつ」を発刊した当時と全く変わらない同氏の熱情と強靭な精神を改めて知らされます。極めて僭越になりますが、それに比べ私は変わってきたのか、私自身は社会に揉まれ変質してしまったのか、と自問自答をしています。同氏からはお前は卑怯者、馬鹿者といわれるでしょう。

 

 尚、同書の中でジャーナリストとしての責任をとり朝日新聞を辞めるのではなく、むしろ朝日に残り「戦後、すぐに『本当の戦争はこうでした』と読者に伝えて、お詫びすべきだったんです。そうすればみんながもっと戦争のことを考えたでしょうし、敗戦から今日にいたるまでの日本の新聞の報道の態度も、まるっきり変わっていたと思いますよ。」(同書71頁)自戒されています。

 

 加えて新聞各社の膨大な発行部数も言論機関の在り方において大きな問題であり、今以て変わらぬその商業主義の言論機関、マスコミを鋭く指摘しています。私とは別の観点、視点に立った指摘とは思いますが正にその通りではないでしょうか。

 

3. 服部龍二著「外交ドキュメント 歴史認識

 

 今年1月、「外交ドキュメント 歴史認識」が発刊されました。著者の服部龍二氏は昭和43年生まれ、京大法学部卒、現在は中央大学総合政策学部教授で、渡辺利夫むのたけじ両氏とは異なり、だいぶ若い日本外交史の学者です。昨年の拙著「書棚から顧みる昭和」の中でも、同氏の「日中国交正常化 田中角栄大平正芳、官僚たちの挑戦」、「日中歴史認識 田中上奏文を巡る相克」を取り上げてきました。因みに同氏は歴史認識について調べ始め10数年とのことです。

 

 本書は中韓から批判が続くなかで、今日の諸問題や靖国参拝河野談話村山談話に言及し、情報公開請求によって文書を開示しながら、政治家、官僚、新聞記者などに極力会って纏められたものです。いわば読者のために整理して材料を提供するものであると述べられています。今の日韓、日中の歴史認識の流れを考察する上で貴重な資料となっています。一読をお薦めします。私の一読した感想は戦後70年の日本外交は正に中国、韓国に翻弄された、連綿と続くお詫びの屈辱的日本外交史であったとうことです。

 

 中国についてはアメリカ、更には旧ソ連との力学関係、並びに共産党政権内部の権力抗争に利用されたに過ぎないわが国との外交、そして交わされた外交文書、条約。韓国においては韓国の時の政権毎に翻弄され、政権が変わるごとに白紙にもなりうる意味なき外交条文、条約であり、果してそれは条約といえるのだろうか。中国共産党独裁政権が更なる大国への復活を目指すなか、日中の経済的関連が相互に重要との認識はあるものの、日本外しをどのように進めるかという戦略は今後も長期に亘り続くでしょう。

 

 方や、韓国はその困窮、貧困の源に李朝数千年の経緯・結果は何ら問題にせず、近くには朝鮮戦争時の中国人民解放軍、そしてその背景にある旧ソ連には不思議なほど何ら触れることなく、執拗に36年間の日韓併合を最大の要因として日本を今後も攻撃し続けるでしょう。以前にも触れましたが、今年3月、日本の外務省は二国関係を紹介する項目で基本的価値観を共有する文言を削除し、最も重要な隣国としました。それは遅きに逸したのであり、戦後の70年の歴史事実に鑑みれば至極当然ではなかろうか、と私は考えています。

 

 中国、韓国との所謂国交正常化への道は両国の70年間近くに及ぶ反日教育が徹底され、その結果が鮮明になっている現在、中国共産党の組織の崩れが始まらないかぎり、今後も解決することは極めて難しく世紀を超えるでしょう。日本がハンディキャップ国家というべき国家から脱却しない限り、この状態は永久に続くものと考えます。日本は何故にハンディキャップ国家になっているのか、我々は真摯に考えていくことが極めて重要と考えます。そしてこのハンディキャップ国家に至らしめている要因はむしろ日本国内にあると考えています。方や、韓国は中国が変われば変わりうるのが長い朝鮮半島の歴史ではないでしょうか。

 

 私は重要な隣国である中国、韓国とことを構えるべきということではなく、日本以外では通用しない思考から日本は脱却すべきてある、ということです。自国の防衛を他国に依存し、すましている思考を変えなくてはならないと考えます。戦争反対、平和、平和と唱えるだけで平和が保てるわけではありません。そもそも現日本国憲法はその前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と謳い、その下に憲法ができているわけです。現在の日本を取り巻く現状はどうでしょうか。地政学的大変動も加わり憲法が想定していた当時とは世界は大きく変貌しています。しかもその変貌はより深く危険な状況に進むと私は考える中で、戦争反対、平和、平和と叫ぶだけでは自国民の安全は維持できないのと考えるのが至極当然のことではないでしょうか。安倍自公政権が何も右翼化したわけではなく、一国のみで安全を維持できない現実に直面してきているのです。大きく変貌した世界に日本は対処していかなければならない責務を負っているのが政治家であると考えます。

 

 加えて、戦後70年ということで、日本が被った一面ともいうべき戦禍、悲惨を伝える語り部の報道が極めて多く、戦地、更には旧満州、中国、朝鮮半島ソ連等々における日本人兵士、軍属、民間人及びその家族の言い表せない悲惨な状況はどうであったのか。加えて他国民を戦禍に、悲惨な状況に追い込んできたのも我々、日本人なのです。昨今のマスメディアに現れる報道は極めて偏った異常なもので、ことの本質を常に隠蔽しているとしか私には思えないわけです。戦争は何故起こるのか、その防止には何が重要なのか、その根源を分析し報道して欲しいものです。(後編に続く)

 

 2015年7月13日

 

                          清宮昌章

 

参考文献

 

城山三郎「落日燃ゆ」(新潮社)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)

渡辺利夫「私のなかのアジア」(中央公論新社) 

同「新 脱亜論」(文芸新書) 

むのたけじ「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書) 

服部龍二「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)

同「広田弘毅」(中公新書)

同「日中国交正常化」(中公新書)

同「日中歴史認識」(東京大学)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書

拓殖大学海外事情研究所「海外事情」(2008年8月、2015年6月)、

文芸春秋」(2008年10月号)

アンネッテ・ヴァインケ著 板橋拓己訳「ニュルンベルク裁判」(中公新書

稲垣清「中南海 知られざる中国の中枢」(岩波新書)

宮本雄二習近平の中国」(新潮新書