清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

佐伯啓思著「死にかた論」等を読んでみて

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再び、佐伯啓思著「死にかた論」等を読んでみて

 

はじめに

 

 上記「死にかた論」は2018年7月に発刊された佐伯啓思著「死と生」の続編と、氏は記しております。氏の盟友でもあるでしょうか、西部邁が同年(2018年)1月に自死され、「死と生」の中で西部邁の人生観にも言及されております。以下の通りです。

 

 私は大学院生の頃から40年以上も西部さんとは親しくさせてもらいましたが、かなり以前から、自分の人生の終末を考えておられた。年老いて病院のベッドに括り付けられ延命治療を受けるのはいやだ、また介護施設に入ってオムツをあてられるのもいやだ。・・(中略)多大な負担を家族に掛けるのも避けたい。・・(中略)この実際上の決断の背後にはもう少し抽象的な西部流の人生観がありました。ひとつは、生きるとは、ただ心臓が動いているという生物的な生を意味するのではなく、活力をもって活動することである、というもの。

 もうひとつは、自分の人生に対して最後まで自分が責任をもちたい、というものでした。いわば「活動的生」と「自己責任」という二本柱です。これは西部さんの人生哲学であり、この哲学からすれば、人生の最後の瞬間まで、明瞭な自己意識でもって意図的な死を迎えるということになるでしょう。(死と生 178~179頁)

 

その1 ハイデガー「人間とは死すべき存在である」

 

 われわれの生きている今日の社会は、死というものを表面から取り上げることはあまりない。長寿高齢化社会だから、死ぬ人はずいぶんいるはずなのだが、そもそも話題にならない。・・(中略)社会の関心を、もっぱら経済成長や富の増大に向け、人々の心理を遺伝工学や最新医療を使用した寿命の延命や病気の克服に向けている。生には燦々と光が当てられて無条件に肯定されるのに対し、死には暗い負のイメージがわり当てられて、正面から論じることも嫌悪される。

 

(中略)何といっても死後など想像することができないので、死について論じようがないのだ。・・(中略)この絶対的不可知性が、又一種の不気味さを産み、その不気味さが嫌悪感を呼び覚ます。この不気味さの根底にあるものは、「生」が一瞬のうちに断ち切れられるというまぎれもない事実であろう。「生」を断ち切るものの正体が説明つけばよいのだが、まったく説明のしようもない。・・(中略)しかも一瞬にうちに打ち切られるのならまだよいが、「生」の首根っこを押さえられ、身動きも取れない常態で、真綿で絞められるように「生」が徐々に窒息させられてゆくことにもなる。現代の「死」はだいたいこの方向をとる。

(中略)「死」と「生」は本当は一体のものであり、われわれは「死」を前提にして「生」を考えるほかないであろう。「死に方」まで含めて「生」を論じるほかない。(死にかた論 4~5頁)

 

 加えて、私には自然発生とは思えず、その発生は何か人為的・事故的な感じがするのですが、2020年から世界を襲った新型コロナ禍です。

 佐伯氏はこのコロナ禍はいきなりわれわれを「死」に直面させ、何よりもまず「生きること」を全面的に選択した。国により、あるいは人により違いはあるものの、自分自身を自宅に、あるいは都市に閉じ込めることで、それなりに徹底して自粛生活に入った。

 こうして「生命の安全」が確保されれば、その次に、人々は、一体、自分にとって大事なものは何なのか、と問いかけるようになる。いかにわれわれの生が「不要不急」で成り立っていたか、そして「不要不急」と言いつつも、そのなかでも大事なものは何か、と問いへと誘われたのである。いや、そのはずであった、と本書に記しています。私は共感を持つのですが、如何でしょうか。

 

その2 安楽死、尊厳死・人間の尊厳とは何か

 

 佐伯氏はスペイン在住のジャーナリスト宮下洋一の実話に基づく「安楽死を遂げるまで」を取り上げます。スペイン、オランダ、ベルギー、アメリカのオレゴン州、それに日本に及ぶ数か国の安楽死の事例を挙げます。日本を除いては種々の条件が付けられますが、安楽死は合法化されている。方や、日本はそのことを論じることに対する拒否感があって、「生命尊重」に反する言辞を呈した途端に思考停止に陥り、たちまち拒否反応が現れる。そしてそれを「殺人」と単純化して騒ぎ立てるメデイアがあり、そのようなメデイアにお墨付けを与える人権主義の知識人がいる。「私には、安楽死そのものよりも、マスメディアや風評に動揺する社会のもつこの体質の方がもっと殺人的で恐ろしいものに思われるのだが。」と記しております。

 

 尚、佐伯氏による近代的価値の核心を私なりに概略しますと、次のようになります。

 

 「生命尊重」「自己決定」「自己の幸福追求の自由」、そしてもうひとつ「人格としての尊重」である。もっとも、「人格としての尊重」の中に、「生命尊重」も「自己決定」「自己の幸福追求」も含まれると考えれば、近代社会の基本的の価値は、「個人の人格の尊重」に集約されると言ってもよい。ところが安楽死の問題は、「個人の人格の尊重」では話が片付かない。「人格としての尊重」と言っても、一方には「生命尊重」があり、他方には「自己決定」、プラス「幸福追求の自由」があって、この両者の間の対立が生じる。幸福の極限では「死」こそ幸福という事態が生じるからである。

 

 加えて、人格の尊重を絶対的な価値として主張した時には、ただ生命の維持だけでなく、他者に対するそれなりの敬意や、人間としての尊厳の尊重という意味を含んでいた。人は、人格として尊重されるには、それなりの「人格の持ち主」でなければならないということなのである。

「人格の尊厳」とは、カント以降の近代社会においては、「人間として存在する限り尊重されるべき絶対的な価値」とみなされるようになった。敬意とは当然、他者による敬意であり、そこには他者の目があり、他者との関係がある。人は「社会的」に意味ある存在でなければならない。という極めて厳しい観点です。

 

 方や、死は生の終結だとしても、その生そのものが一人の「私」において完結もしなければ、現に一人だけの生などありえないのであり、一人の人間の他者や社会の関わり方は実に多様なもので、そこにはひとつのルールも原則もありえないのである。人は決して「おひとり様」で死ぬことはできない。・・(中略)「生命尊重」にせよ、「自己決定」、「基本的人権」、「自己の幸福追求」にせよ、これらの近代的価値など、はるかに限定されたものであり、せいぜいのところ、この200年ほどの間に生み出された歴史的な観念に過ぎない、ともいえるであろう。

 

・・(中略)だからこそ、安楽死の問題に対して、ひとつの考え方を押しつけるべきではない。多様なケースを認め、その都度の判断(状況倫理)にゆだねるべきである。しかも、実際にはかってはそうだった。われわれは、近代の底にあって見えなくなったものから改めて何かをえようとしているのである。(本書57~58頁)

 

 そのような視点に立ち、日本の古来の死生観、仏教における死生観等に論を進めて行きます。以下、私の誤解、理解不足もあるかもしれませんが、私なりに感じとこと、読み取ったことなど記して参ります。

 

 哲学者の西田幾太郎は、7人の子供のうち5人まで自身に先立れており、「死の問題を解決するというのが人生の一大事である。死の事実の前には生は泡沫の如くである。」と西田幾太郎の言葉を紹介し、それが西田哲学を支えていることは間違いないと、佐伯氏は記しています。

 

その3 日本の古来の死生観

 

 生老病死をすべて苦と見る考え方など伝統的な日本の死生観にはなかった。それは仏教によってはじめてもたらものである。死者の霊が、一度は山に登るのかどうかは別として、先祖の霊として時々われわれのもとに帰ってくる。また、いつもどこかで目に見えない近隣にあって、われわれをみているという観念があれば、われわれが、死者を、つまり先祖を供養することがまた、われわれの現世の生の安寧につながったであろう。確かに、ある時期までは、人々は、その種の安心をごく自然に抱くことができたのである。・・(中略)日本人が古来より受け継いできた信仰であり、死生観は多くの民族がもつ死を穢れたものとして忌み恐れる観念を土壌としつつも、死者の魂を浄化し、生者にとって親しいものとするそのやり方に、日本人の死生観、そして神の観念があり、日本人の信仰の原点がある。(本書95~96頁の要略)

 

その4 仏教の死生論

 

 私なりの解釈ですが、本書に沿い記して行きます。

 

 生があるから死があり、死があるから生がある。だから生死は分けて理解すべきものではなく、一体として捉えるべきである。即ち「生死一如、生死不二」に行き着く。かくて、生は生命力の充実であって死はその枯渇と捉える必要もない。生もよし、死もまたよし、という死生観なき死生論なのかもしれない。

 

 大乗仏教では、人間の心の本質は清浄(心性本清浄)であり、そこ真如に触れる、というのである。日々のなかで、その時その時の生を充実させれば、もはや生死にこだわる必要もない。生への執着は薄れ、死は時が訪れれば向こうからやってくるだけだ、ということになろう。(本書179頁)

 

 そして死後の霊や魂を信じる日本の伝統的な死生観は、外来思想である仏教と出会って、ある意味ではまったく異なった死生観に直面した。そしてどうなったか。日本の死生観が衰退するというよりも、むしろ、仏教的な徹底した唯物的死生観の方が変形され、両者の混融が漠然とあれ行われたといってよい。経典のレベルでつき詰めたわけではなく、いつの間にか、仏教の側も死後の霊魂のような観念を取り入れて、後の葬式仏教へと移行していく。(本書182頁)

 

 日本仏教の死生観とは次のようなものであった。

 

 覚りの立場にたてば(つまり、心理に於いて述べれば)、生死一如、生死不二であって、生も死も同じである。それを区別する必要はない。なぜなら、生はいずれ消滅する。一切は空であり無である。この「真如」からみれば、生も死もおなじことである。全ては「無」から生乱され、また「無」へと帰還してゆくだけである。  

 

 他方で、山川草木など自然を含めて万物は仏性をもつ、という。そして、この仏性は、伝統的な日本の死生観がもっている霊魂や「いのち(生命)」の観念と共鳴し合うであろう。生も死も区別はない。その意味でも生死一如である。仏教が伝統的な日本思想と習合する中で、こういう考えが生み出されてくる。ただし、それも、覚りの世界を遠望しようとする限りにおいてである。生への執着、死への恐怖、老・病への嫌悪のうちにあってなお生死一如を遠望するということである。

 川端康成がほとんど買い物にいって帰るという日常的行為のまま、自死をとげたといわれるが、どこか生死一如的な意識がなければ不可能なのではなかろうか、と佐伯氏は記しています。

 

その5 三島由紀夫の自決(憤死)

 

 少し脇道に入ります。その対極とも言うべき三島由起夫割腹自殺です。

 

 今から、ほぼ50年前、三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室での割腹自殺をします。当時、私が勤めていた商社業界でも、全共闘の後遺症でしょうか、労働組合運動が活発化しておりました。私も労働組合員の一幹部としてストライキのピケを張っておりました。1970年11月25日、私は東京都江東区の、とある食堂屋で我々は交代しながら昼飯を食べておりました。総監室バルコニーで三島由紀夫が演説をするテレビ放映される三島由紀夫の、その情景を鮮明に記憶しております。

 

 三島由紀夫は大蔵省を辞め、作家活動に入ります。川端康成の推挙もあり文壇に登場します。師弟関係にもあったのではないでしょうか。加えて、弊ブログでも何度か取り上げる「戦艦大和」他を著す、越僭至極ですが私に大きな与えた与えた吉田満と、ほぼ同時代に生まれ、ニューヨークでも交友関係にあった、ノーベル章候補にも何度もなった鬼才です。

 この度、本書を読み進めながら三島由紀夫は川端康成の自死とも異なる、また、吉田満とも大きく異なる一生です。そんな経緯もありますが、衝撃の自決から50年、作家の精神と作品の深奥に迫るという、佐藤秀明著「三島由紀夫 悲劇の欲動」(2020年10月の発刊)を一読しました。

 

 三島由起夫の生い立ちと作品群の深奥に迫る評伝です。言語化し意味として決定される以前に遡ることになる体験や実感された、何ものかに執着する深い欲動という、前意味的欲動と称する、氏の観点から三島由紀夫を語っていきます。

 

 そして、本書の「おわりに」で、「三島の自決は憤死の悲劇で、悲劇であるがゆえに、彼の生涯においてただ一度だけの本当の満足をもたらした行為だったと思う。生き辛さを抱えながら、遂にその満足体験を実現したのは、傍から見る者にも、長い年月を隔てると喜ばしいことだったように思える。」と記しています。

 官僚の家(両親とも良家)に育ち、学習院から東京大学を経て、大蔵省入省。そして作家に転向する彼の生涯と作品を紹介していきます。そして、「割腹自殺はただ一度だけ三島由紀自身が本当の満足をもたらした行為だったと思う。」(佐藤秀明「三島由起夫  

悲劇の欲動」257頁)と記しております。本書も合わせお読み頂ければと思います。

 

その6 別れの準備

 

 本題に戻ります。

 

 佐伯氏は最終の8章で、東京大学の宗教学の教授・岸本英夫著の「死を見つめる心」をもって本書を閉じています。岸本英夫は51歳の時、アメリカで研究生活を送っている最中に余命半年という癌を宣告されます。その後、彼は病気の再発や死の恐怖をじっと見つめ、またその克服を試みつつ10年ほど生き、その記録をひとつの思想的な痕跡として残します。生命危機感と死の恐怖の壮絶な格闘のなか、ひとつの境地に達します。

 

 彼は言う。死の恐怖とは、この自分がなくなればこの世界もなくなってしまうという考えからでている。全ては「無」になる、ところが「無」を想像することができないので、底に恐怖が生まれる。しかし、この世界がなくなるというのは錯覚であって、実際には、私が死んでもこの世界は存在する。だから、死は私がこの世界に別れを告げるだけのことだ。さらに彼はいう。この世界に別れを告げた自分は宇宙の霊に帰って永遠の休息に入るだけだ、と。・・(中略)彼がここで強調するのは。生きているときからこの「別れの準備」をすることであった。芝居を見るにせよ、碁をうつにせよ、今ここでの生活を、これが最後かもしれないとう思いをもって充実させることである。この充実は、ただがむしゃらに働きまわる充実ではなく、静かに人生を味わうことでもあう。その味わい方が、人生を本当に生きることにもなるだろう。・・(中略)われわれは、いつ死に襲われ、一切合切との別れを余儀なくされてもよいように、心の準備を怠らないことである。親しい見慣れた風景、山や林、草花とも一期一会であって、その一期の出会いを大切に味わうほかなかろう。

 

 彼が、ここで強調するのは,生きているときから、「生と死の間」に「別れの準備」を差し挟むことで、もっと身近でもっと日常性に即したものである。「死へ向けた生」と「生を覚醒する死」がともに現れてくる。生は死を含むことで実存的となるとともに諦念的となるだろう。一方、死は、覚醒された生によって充実した最後の瞬間となろう。(佐伯啓思「死にかた論」211~212頁)

 

おわりに

 

 私自身、少し強引でしたが72歳で現役を全て退き、午前中は、自宅から歩いて数分のテニスクラブでのテニス、午後は読書中心といった日常です。方や、今なお、現役の仲間もおり、何か申しわけない感もありますが、後数ヶ月で82歳の現在、健康に感謝しながら日々を過ごしております。

 私の父も、兄二人もそろって75歳で亡くなりました。家内の父は沖縄戦で戦死。結果的に私が両家の最年長となっております。方や、ここ数年は多くの友人・知人の死去に会い、私自身も人生の最終章にいることを実感しております。勿論、心穏やかな日々を送っているわけではなく、死への恐怖を時にもちます。そのなかで「生と死の間に、別れの準備」を差し挟む、との観点は私なりの安堵感を与えたように思います。

 

 今から6年ほど前になりますが、人生の大半を過ごした昭和の時代を自分なりに再検討し、この現在を考え、自分なりの感想、日頃の想いなど、残して置こうと、ブログ「淸宮書房」を始めました。100件ほどの投稿になりますが、現在、お陰様で5万6000のアクセスを頂いております。続ける意義があるかどうかは分りませんが、もう少し続けてみようと思っております。

 

 そんな日常と心境ですが、今回は佐伯氏の「死にかた論」を取り上げました。どこまで理解したかは問われますが、今までの弊ブログへの投稿も改めて省み、自分自身の在り方を、考えたところです。

 数日前にお知らせしたように現在、森有正「生きることと考えること」、遠藤周作「私にとって神とは」、「心の夜想曲」。加えて、「沈黙」、「キリストの生涯」、「鉄の首枷 小西行長伝」、「キリストの誕生」、最後の書き下ろし長編・「深い川」等々の源泉になるという、短編集「遠藤周作短編名作集」を読み始めています。プロテスタントの家庭に育った森有正、子供時代に母親の影響でカトリック教徒になった遠藤周作には、私には何か、共通項が有る様に思っております。後日になりますが、私なりの感想など記したいと思っております。

 

 2022年1月26日

                        清宮昌章

 

参考図書

 

 佐伯啓思「死にかた論」(新潮選書)

 同   「死と生」(新潮新書)

 西部邁「保守の遺言」(平凡社新書)

 佐藤秀明「三島由紀夫」(岩波新書)

 渡辺浩平「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」(白水社)

 十川信介「夏目漱石」(岩波新書)

 小林敏明「夏目漱石と西田幾太郎」(岩波新書)

 池内了「ふだん着の寺田寅彦」(平凡社)

 他