清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

故・西部邁に改めて思うこと

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再投稿に当たって

 

 私自身がこの8月で81歳。人生の最終章にいるとの思いに加え、このコロナ禍が佐伯啓思著「死に方論」を取り上げ読んでみようと思った理由でしょうか。「死に方論」については私なりの感想などは後日、記したいと思っております。

 

 方や、3年ほど前になりますが佐伯氏の盟友とも言える西部邁の著作を取り上げ、西部邁の本論・本質とは別の事かもしれませんが、私なりに感じる事などを記しました。今回、その投稿を改めて再読し、若干の補足し、以下再投稿致します。

 

 2021年7月6日

                          淸宮昌章

 

はじめに

 

 2018年4月8日に投稿した「三年前を振り省みて」の中で、何故か急ぎ、西部邁氏の自裁直前の二作である「保守の遺言」、「保守の真髄」と「虚無の構造」を読み進め、近いうちに私なりの感想など纏めたい、と記しました。加えて、更にその二年前の4月13日に、投稿「安全保障関連法案の施行について思うこと」の冒頭に、「再投稿にあたって」を加え、氏の視点の一端「メデイは立法、行政、司法に続く第四の権力ではなく、世論を動かす第一権力である。デモクラシーは文明を腐敗させる。」を紹介したわけです。

 

 因みに、最後の著作「保守の真髄」の、その「あとがき」の日付は2018年1月15日、その発刊は同年2月27日。そして、自裁は1月21日です。

 

 ご存知のように、氏は1960年安保闘争時の闘士で、公衆の面前で逮捕、留置所の生活をも経験しております。そのときの全学連元委員長・故唐牛健太郎とはその後も友人関係を続けておりましたが、氏は唐牛健太郎とは異なり、22歳で左翼からは切り離れました。その後は東京大学の教養学部教授として、更には四十五年間に亘る執筆活動を続けられてきました。余談になりますが、唐牛健太郎に対し西部氏が日米安全保障条約を読んだことがあるかとの問に対し、唐牛の答えは「日米安全保障条約なんてものは一度も見たことはないとのこと」でした。

 

 本論とは全く別の私事で恐縮しますが、1960年の安保闘争時、私は大学一年で、デモにも参加しております。ただ、われわれ学生達と、ほぼ同年代の機動隊員に対する、学生たちの「権力の犬」等々の下劣な罵詈雑言の叫びに私は嫌気がさし、そんな単純な理由で私は離れました。その安保闘争も東大生・樺美智子さんの死亡を機に岸政権は退陣、池田内閣になっていきました。そして、その後、全共闘時代の大学紛争等々が起こります。その余波でしょうか、商社業界でも従来とは大きく異なる労働組合運動・闘争が盛んになり、私も一商社の労働組合の本部執行員の三役の一人に選出され、23波のストライキをも率いた一員でした。その後、僭越ながら私と本部執行委員との大きな考えの相違は埋まらず、私は執行委員を降りました。そして労働組合の執行委員の身分上の異動協議期間の一年の期限切れと同時に、ニューヨーク駐在発令。そして六年間の駐在時に役職となり組合員の立場は消え、人事総務本部発令となり帰国。今度は労働組合と団体交渉でも組合側とは正反対の会社側に立つ立場となり、私の心境は極めて複雑なものでした。そして労使正常化を掲げた七年間を体験したわけです。三十代の組合活動、ニューヨーク駐在6年の帰国後7年間は人事総務本部企画担当。その後も5年間は初代海外事業部長として、中国を除く全海外現地法人・駐在事務所の統括。その途上、労使問題も抱えた子会社の代表者として本社を離籍し、合理化に伴う関東化学印刷一般の支部である当該労働組合との団体交渉を含めた経営の5年間。一段落した段階で私は本社とはかみ合わなくなり、任期満了で退任。

 

 62歳で自由の身となりましたが、次々と要請され、某建築企業の裁判闘争の解決。続いて業歴60年の非鉄・機械の中堅専門商社の社長である友人が急死。急遽その経営を友人の家族、及び死去した友人の学友達から懇請され、それこそ精魂全てを傾けた6年間。旁ら、訪問介護のNPO法人への監事と運営の支援活動、等々長年続けてきましたが、今から9年前の72歳で、強引のきらいはありますが、全てを退き、現在の気ままな、ある面では何か申しわけない感もある日々を送っております。

 

 そうした経緯の中で多くの方々との出会い・遭遇に恵まれたこと。加えて常に支援してくれた友人達に感謝しております。そんな半世紀の仕事人生が私の考え方、物事に対する視点・観点に少なからず影響を及ぼしているかもしれません。

 

 そうした私の人生後半の半世紀を、2020年6月15日に「自らの後半の半世紀を省みて」として、弊ブログ「淸宮書房」に投稿しました。好評だったように思っています。ご興味があれば、それを綴った下記ブログをクリック頂ければ幸いです。

 

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2020/06/15/170317

 

 横道にそれますが、当時は総評と同盟の時代から、現在の連合に変わりました。今の連合は果たして労働組合の上部団体と言えるのでしょうか。経営者団体とは異なるでしょうが、何を目的としているのか私には不明です。単なる時の政権を批判、反対するのみの団体と私には映るのですが、如何でしょうか。もっとも、労働組合そのものが大きく変貌しておりますが。

 

 話を戻します。西部氏の著作は物事を極める長年の研鑽によるものでしょう、幅広い学識による展開です。今回、取り上げた氏の著作については、何時ものように、その全体を紹介するのではなく、その一部を切り取った、私なりに感じたことを記したものにすぎません。皆様には思想家である氏の著作を改めて読まれることをお薦め致します。

 

その一 西部邁の自裁

 

 故・唐牛健太郎の未亡人である唐牛真喜子氏は数年前になりますが、その三年近く前から癌に冒され、しかし何の治療も加えず、西部氏を含め誰にも知らせないまま、氏が病院に訪れた二日後に71歳で亡くなります。「多くの女の常として公の場に顔を出すことが少ないまま、亡夫の思い出を抱懐しつつ、日常の仕事を反復しつづけたのであろう。」(保守の遺言290頁) と記しております。その未亡人に対し、西部邁氏は実現することはなかったのですが自裁用に短銃の依頼、更には西部氏の独身のままでいる娘さんにも時々声をかけてやってくれとも依頼していたとのことです。また、かって交通事故で死ぬ目に遭わせた氏の妹さんが58歳で亡くなるまで、マザー・テレサめいた生き方をされていたとのことが記されております。

 

 前回も触れておりますが、私は何か、氏に引っかかるものがあり、一度も氏の著作には触れてきませんでしたが、氏の自裁に接し、その著作の三作を読み進め、初めて西部邁という思想家の一端を知ったわけです。氏の最後の著作「保守の遺言」の「あとがき」に、自裁の日をも決められたと私は思う中で、次の如く記しております。

 

 (中略)自分のことについても比較的多くのことを人間解釈の何はともあれ僕の人生にピリオドを打ってくれた題材として書き喋ってきたものの、ほぼ間違いなくそのすべてが時代の重さにふみにじられ時代の風に吹かれてとんでゆくのだと確信できる。その意味では人は一人で生まれ一人で死ぬこと以外には何も残すことがないといった虚無の感が否応もなく押し寄せる。しかも多くの人が、やるべきこととやりたいことと、やれることをやりつくしたあとで、僕と似たような気分で生死したのであろうと考えると、まあ、人生の相場はこんなところかと思い定めるしかない。

 何はともあれ僕の人生にピリオドを打ってくれた平凡社の金澤智之氏と高瀬康志氏には、こんな縁起のかならずしもよいとはいえない本のお付き合いして下さったことに感謝を述べておきたい。また自分の娘智子に口述筆記の謝辞を述べるのはこれで二回目と思うが、三回目は断じてないので安心してくれといっておく。

 なお自分の息子一明夫婦をはじめとして、昔同じ屋根の下で暮らした兄正孝の夫婦、妹倫子の夫婦、亡妹容子の夫そして妹千鶴子の夫婦、西部むつ子の皆さんにも、さらに亡妻の姉、弟、妹たちにも、僕流の「生き方としての死に方」に同意はおろか理解もしてもらえないとわきまえつつも、このあとがきの場を借りてグッドバイそしてグッドラックといわせていただきたい。(保守の遺言 301頁)

 

 如何でしょうか。このような「あとがき」を目にするのは初めてですが、私は氏の思想の裏側、奥底にある氏の心優しさを感じるわけです。

 

その二 「戦後の完成」をもたらした破壊者の群れ

 

 氏は保守思想に必要なものは「矛盾に切り込む文学のセンス」と「矛盾に振り回されない歴史のコモンセンス」と記しています。小林秀雄、田中美知太郎、福田恆存、三島由紀夫などを挙げるだけで、その見当がつくはずだと。次のように述べています。

 

 保守思想は人間の心理や社会の制度に矛盾が孕まれていることを鋭く意識している。一例を「自由」という理想の観念をとってみれば、現実それは「秩序」という現実と一般に鋭く対立している。また自由は「平等」というほかの理想とも衝突を演じることが多い。それらの葛藤の有り様を見抜くには文学的なセンスがなければならない。なぜといって文学とは、少なくとも上出来のそれにあっては、人間心理の葛藤のただなかに切り込もうとするところに成り立つものだからである。そういう文学者がほとんどいなくなっていることは認めなければなるまいが、それは現下のマスソサイアテイのしからしむるところであって、そんなものに迎合するのは文学でないとしておけばよいのである。(保守の真髄 238,239頁)

 

 そして、戦後の育の者たちが各界の指導層に姿を顕した平成時代について述べていきます。即ち、その時代の性格を端的に表わしたのが、細川護煕元首相の自らを「破壊者、革命家」と呼んでみせた発言録である。この政治家は良家のポッと出であるためにかえって正直に、平成改革なるものの軽薄さを露骨にあらわしてくれた、と記しています。

 

 今回の都知事選他の際にも細川氏が何故か顔が出てくるのを、私は異常に感じていたところです。鳩山由紀夫元首相は少し次元の違う方と思い、その対象からも外れますが、細川護煕氏と同様、小泉純一郎元首相然り、と私は考えるのです。

 

 西部氏が指摘するのは第一に「政治改革」での小選挙区制がもてはやされたこと。第二に「財政改革」で、赤字国債の累積を気にかけることは、それ自体は当然であるが、「ツケを子孫に回す」という主張。第三に「行政改革」ということで、無条件で「小さな政府」を正しいとしたこと。第四に「郵政改革」が天下の正義のように喧伝されたこと。そのような流れの中で、確認すべきことは二つに過ぎない。一つにはこの改革騒ぎにおいては、一貫して「政府批判」が文句なしの正義と見立てられていたこと。正に「天に唾する」ようなものである。二つには構造改革とは何ぞやということであって、本来ならばストラクチャー(構造)という言葉は歴史的に形成されきたった物事の在り方のことを指すのである。つまり、時間と費用をかけて少しずつしか変えられないし、また変えてしまっては単なる破壊に終わってしまう、それが構造をめぐる変化というものである、と論じております。「保守の遺言」では、以下のように記しております。

 

 そうした伝統の喪失は現代日本人の利便姓や収益姓に心を奪われてしまったことの結果である。そして世間で文化といわれている慣習体系の多くがそうした利便姓・収益姓に奉じるための見世物になってしまった。一言でいえば日本はJAP.COMに変じてしまい「新規なものの流行」という溶液のなかに融解してしまったのである。・・(中略)それは直接的にはアメリカニズムという名の近代主義に飲み込まれてしまったことの結果といえようが、深層では近代主義がこの列島において(明治この方、時折に日本主義への浪漫的な回帰があったものの)批判も受けないままに追い求めつづけられてきたことの結末だったといってさしつかえない。僕のいいたいのは日本人の伝統喪失は、アメリカのせいではなく、日本人自身が選んだ道程だということである。(保守の遺言 287頁)

 

 私は昭和の時代を何か突然変異かの如き断続的史観には批判的で、氏の指摘に深く共感を覚えます。

 

その三 人生の最大限綱領

 

 1874年生まれのイギリス人、G.Kチエスタトンの「人生の最大限綱領は一人の良い女、一人の良い友人、一個の良い思い出、一冊の良い書物」を、氏は若者に語りかけていたとのことです。そして、この四点セットを獲得する難易度を難しい順に並べると、思い出、友人、女性、そして書物となろうと記しています。

 

 その理由を以下の如く述べております。私には難解ですが分るような気がし、以下ご紹介致します。

 

 思い出や友人を得るのが難しいのは(戦争のような)死活の場面を共有することが少なくなったからだ・・。いささか強引だがそれらにたいし性格付けを施してみると、思い出は慣習的・歴史的なもの、友人は技術的・交換的なもの、女性は政治的・決断的なもの、そして書物は価値的・文化的なものと類別することができよう。そして価値と決断を結びつけるのが個人主義的な行動類型であり、交換的なものと歴史的なものを結合するのが集団主義的な行動パターンだとすると、難しいのは後者の集団主義の良き行為であり、易しいのは個人主義の良き振る舞いのほうだといえよう。(保守の真髄 251頁)

 

 そして次のように氏は述べています。

 

 いうまでもないことだが、勇気ばかりが大事なのではなく、正義も思慮も節制もそれぞれ重要な徳義ではある。しかし勇気は外面的な観察可能な振る舞いだという意味において最も論じやすい徳義ではある。だから勇気をもって徳義の代表とみなした上でいうと、現代人は「死を覚悟した勇気」をもって異性に接近したり、友人と固く団結したり、書物の行間を見据えたり、記憶の意味するところの奥底まで解釈するという努力をなおざりにしていると思われてならない。(保守の真髄 252頁)

 

 如何でしょうか。手厳しい指摘ではないでしょうか。

 

おわりにあたり

 

 毎回のことですが、消化不足の上に、今回は西部氏の自裁の報道に接し、何か急ぎすぎたきらいもあり、このような拙稿になり恐縮しております。今現在、なにやらメデイアは民主主義の破壊とひたすら報道しておりますが、その前に民主主義とは何かを根本から問い直すことが必要です。今月8日の拙稿でも若干触れましたが、マスクラシーにおける「メデイアは(立法・行政・司法に続く)第四の権力である」などといわれるが、既存の三権は専門人たちの勧告を受け入れて世論の傾きに身を合わせようとしている以上、世論を動かすものとしてのメデイアこそが第一権力だと、トックヴィルは百八十年前にその事実をアメリカ社会に見届けたのである、と氏は記しております。

 

 そして、「日本政治の(対米追従による)長きに及ぶネジレはついに、内政においては共産党が、外交においては自民党が、それぞれかろうじてリアリティを保ちえている、というところまできてしまった。これら七十年余間の宿敵同士の手打ちは、少なくとも今後二十年間は、想像外のことなので、日本国家は見通すかぎり壊滅の道をひたすらに歩むであろう。そうみるのは、想像を超えた予想どころか、予想を超えた予測に属する、つまり相当に確実なことだといってさしつかえあるまい。」(保守の遺言 153頁)

 

 私も然りと思うところです。ではどうすればいいのか。いずれにもせよ、もう少し勉強してから、改めて何らかの私なりの感想など記してみたいと思っております。

 

 2018年4月17日

                          淸宮昌章

 

参考図書

 

 西部邁「保守の遺言」(平凡社新書)

 同  「保守の真髄」(講談社現代新書)

 同  「虚無の構造」(中公文庫)

   2018年「海外事情3・4」(拓殖大学海外事情研究所

 同「選択4」

 他