清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて  

吉田茂「回想十年」、高坂正尭「宰相 吉田茂」を顧みて

 

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再投稿にあたり

 

 本投稿に関しては、2016年12月19日、続いて2019年12月19日に改めて「再投稿にあたって」を加えました。長い投稿なので二回に分けた投稿した次第です。戦後74年になるにも関わらず、その戦後を未だ脱却できない、という私の想いを綴ったものです。

 

 尚、元になる投稿は2012年にイアン・ブレマー著「Gゼロ後の世界・・主導国なき時代の勝者はだれか」、及び、高坂正尭没後20年にあわせ編纂された「高坂正尭と戦後日本」、加えて、高坂正尭とほぼ同年の三谷太一郎氏「戦後民主主義をどう生きるか」を読み比べ、私の感想などを織り込んで記したものです。今日性もあり、後日、改めて見直し再投稿するつもりです。

 

その1

 

 上記写真の吉田茂「回想十年 新版」は吉田茂が多くの関係者に勧められ、著わした日本占領時下の吉田茂回想録です。そこにはマッカーサー元帥という人物、加えて天皇陛下との関わり、新憲法制定時の状況、その背景等々、私には極めて興味深いものでした。

 

 現在においては、戦前・戦中においての「天皇」と同じ位置づけかの如く、現憲法が不磨大典であり、触ってはならないとの印象を持たせる風潮に、私は一種の異常性を感じております。大きく変貌を遂げつつある世界情勢のなかにあって、憲法論議が全く進まない現状にあることが、むしろ異常と私は考えるのですが。如何でしょうか。今回も上記二書の全体を紹介するのではなく、私の印象に強く残ったことを、以下ご紹介致します。

 

 昭和21年2月21日、幣原総理大臣がマッカーサー元帥を訪問した際、新憲法に関し、次のように記しています。

 元帥は、「自分は衷心から日本のためを考えている。ことに天皇に会って以来、何とかして天皇の安泰を図りたいと念願している。しかし極東委員会の日本に対する空気は、想像も及ばぬほど不愉快なものであり、ことにソ連とオースラリアは極度に日本の復讐を恐れているらしい」といい、総司令部案は、天皇制護持を念願したものであること、およびこの案の主眼とするところは第一条の「天皇を国の象徴とする規定」と、第二章の「戦争の放棄の規定」の二つであることを強調したことであった。(吉田茂 回想十年、224頁)

 

 そして、同年8月24日の衆議院本会議で二十何箇条にわたる修正を加えて、新憲法は可決されるわけです。採決の投票総数429票中、賛成421、反対8票であった。その反対票の大部分は共産党の議員であった、とのことです。

 加えて、当時共産党の首脳の一人たる野坂参三君が「侵略戦争は不正の戦争だが、自国を守るための戦争は正しいものといっていいと思う。憲法草案においても、戦争を全面的に放棄する必要はない。侵略戦争の放棄に止むべきではないか」(同書 238、239頁)と質問した、と記されております。

 共産党の今昔、日本共産党の変異を私は改めて感じたところです。日本共産党は何を目指し、何をその理念としているのでしょうか。加えて、その党首・議長、委員長は10数年に亘り、何故にその地位に留まり続けられるのでしょうか。

 

 尚、昭和22年1月3日付け、吉田首相宛マッカーサー元帥書簡(要旨)として、次のことが記されております。

 

 新憲法実施の経緯に照らして、一両日中に、これを再検討し、もし必要ならば改正することはまったく日本国民の自由である・・憲法を絶えず再検討することは、言わずと知れた国民当然の権利である。(同書 251頁) 至極当然のことが何故、現在では憲法に触ってはいけないような風潮になったのでしょうか。憲法法典に触れては、再検討してはならぬと言うが如き日本の現実は、同じ敗戦国ドイツ他他国にも全く見られない現象です。

 

その2

 

 方や、上掲の高坂正尭「宰相 吉田茂」は二人の偉大な政治家、吉田茂とケネデイ大統領の死の記憶と結びついている、とのことです。氏による本書の締めくくりの論文「宰相吉田茂論」は同氏を追悼して書かれたもので、長い論文を完成した後の心地よい無為の時間を楽しんで床についた数時間後に、ケネデイ大統領の暗殺という暗い知らせで起こされた記憶は今でもあざやかである、と記されております。

 

 コロナパンデミックにあって、何故にと思われるかもしれませんが、大きく変貌する世界情勢にあって今を考える上で、上記著書は参考になると思い、敢えてこの二書のご一読をお勧めする次第です。

 

蛇足

 

 またまた、毎度の繰り言で恐縮しますが、今の日本の国会の現実は一体何なのでしょうか。6月16日、立憲民主、共産、国民民主、社民党の四党が内閣不信任決議案を提出、否決されました。コロナパンデミックに乗ずるが如き中国共産党独裁政権が強引に一帯一路を進める現実。世界は大きく変動している現状の中にあって、2年前は国会も「桜を見る会」等々の騒動により、肝心の各種の法案審議はほとんどなされないまま、法案が決まっていく国会の現実。果たして、これが議会制民主主義の望ましい姿なのでしょうか。

 ただただ、安倍政権、次は菅政権を倒せば良いかの如き、野党による関連質疑と称する国会の有り様。政権を担う覚悟・思想・理念・政策もない野党。加えて、それを報道するテレビ、新聞、週刊誌等のメデイアの現状はどうなのでしょうか。 

 

 メデイアにもて囃され出発した民主党政権時代に起きた、東北大震災・福島原発事故、沖縄基地移転問題等々にも何らの打開策も提示できず、混迷を極めさせたあの時代を私は想い起こします。日本はそれほど世界の動き、情勢に関係のない平和の楽園にいるのでしょうか。

 

 方や、現政権の支持率は30%台に落ち、自民党支持率も30%台すが、野党である立憲民主党、国民民主党、共産党、社民党を合わせても、その支持率が何故に10%に届くかどうか、なのでしょうか。一方、2年前ですが60人の衆参議員の国民民主党は1%に満たない支持率のない中、繰越金は108億円を超え、219億円の資金力を持っています。   

 一方、92人の衆参議員の立憲民主党の繰越金は18億円、その資金力は100億円未満。その状況には今でも大きな変化はないのではないか。何故に繰越金の在り方におかしい、との声が上がらないのでしょうか。政党交付金制度の経緯はありましたが、(共産党は受けてはいませんが)政党交付金を改めて再検討すべき時期・事項ではないでしょうか。

 

 私は立憲民主党の資金力が少ないことに問題があるとの指摘でなく、集合離散を繰り返す野党の在り方、国会議員の有り様、加えて与野党問わず国会議員の数の多さに問題を感じているわけです。

 

2021年6月16日

                         淸宮昌章

参考文献

 

    吉田茂「回想十年 新版」(毎日ワンズ)

    高坂正尭「宰相 吉田茂」(中公クラシックス)

    他