清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

 矢吹晋著「中国の時代の超え方」他を一読して

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 矢吹晋著「中国の時代の超え方」他を一読して

 

はじめに

 

 上に掲げた著書は、私がここ数週間の中で一読したものですが、相互に関係をもつものではありません。ただ、矢吹晋著「中国の時代の超え方」を読み進める中で、ふと、現在の中国共産党独裁政権を見る上で、人民解放軍とは何か、その歴史はどのような推移を辿ってきたのか。更には悲劇的現状に置かれている香港はどうなるのか、との思いもあり、「中国共産党と人民解放軍」そして「香港と日本」を並行して読んだ次第です。

 

その1 矢吹晋著「中国の時代の超え方」

 

 今年の4月、石井知章・及川淳子編「六四と一九八九 習近平とどう向き合うのか」他を読んで、とブログ「淸宮書房」に投稿しました。中国研究の泰斗、矢吹晋氏が、その第八章・新全体主義と「逆立ち全体主義」との狭間で、を執筆されました。その矢吹氏が今年8月、上記著作を発刊され、本書を取り寄せた次第です。その序章に、ほぼ同時代を過ごした、もちろん氏の学識、頭脳、経験等々において、おおきな相違はありますが、私の当時の時代の諸々なことも彷彿され、本書を読み進めた次第です。

 

 本書の序章「樺美智子からの問い」で次のように記されております。

 

 駒場寮中研には入ることは、即活動家予備軍として先輩からオルグの対象として目されることになった。入寮してまもない1958年6月、林鉱義、杉浦克己ら五七年入学組の引率で、西部邁、金田晋、今井武久らわたしたち五八年入学組が、和歌山勤評闘争へのオルグ活動に誘われた。帰寮してまもなく、一年先輩の樺美智子が寮を訪ねてきて目黒区内の各小中学校への勤評反対のビラをやるので、手伝って欲しいと頼まれ、二人ででかけること数回に及んだ。道すがら彼女は、「なぜ中国語を第二外国語として選んだのか、中国研究を行う意味は何か」と鋭く質した。当時はスターリン批判の衝撃を受けてロシア革命の見直しをロシア語やドイツ語文献を読み直すことから始めようとする風潮が学寮歴研やロシア史研究会の間で盛んであり、毛沢東については、スターリンと同類の「民族主義者」でり、「研究に値せず」と見る風潮が特に新左翼学生の間では強かった。日中間の戦後処理や友好関係の樹立は、日本革命が成就してはじめて実現できるのであり、日中戦後処理や交流という「小事」は、世界革命という「大事」に従属すべきだと彼女は論じた・・(中略)1960年前半の羽田デモから一連の国会デモまで、私は樺美智子の前列あるいは前前冽でスクラムを組むことが多かった(6月15日当日の学内隊列、国会南門隊列もそうだ)。彼女の死後、毛沢東は「樺美智子は日本民族の英雄だ」と賛辞を送り、弔慰金を届けた。この賛辞を樺がもし耳にしたら、どんな表情を浮かべたであろうか。彼女が素直に受け入れたとは思えない。弔慰には感謝しつつも、率直な拒否の返礼を述べたのではないか。代々木からすると、脱党し共産主義同盟を組織した彼女は、裏切り者に過ぎない。・・(中略)58年から60年前半にかけて、日本政治の潮流はおおきなうねりを見せ、その渦中に彼女は凛と立つ。こうして私自身は結局代々木に入党し、脱党する(除名される)ことはなく、またブント結成にも参加せず、反安保運動の核心部分と一般学生との間に立つ街頭左翼の部類にとどまった。(本書

8~11頁)

 

 そして序章の最後に次のように記されております。

 

 著者の半世紀を超える中国研究の歩みは、試行錯誤の連続であり、よりよい相互理解を求める旅は永遠の過程にあるが、尖閣国有化以後の日本の中国理解が著しく現実から乖離したことを憂える昨今である。・・(中略)勃興しつつある中国を軽視し、蔑視するのはよくない。勃興する隣国と巧みにつきあうことを学習しなければ、日本の未来はない。歪んだ色眼鏡を外して、現実の中国の姿を直視せよ。(16頁)

 

 本書は第一章・湛山の先見の明から始まり、第七章・二つの全体主義の狭間で、終章・ポストコロナの時代に、という構成です。そして、その終章には次のように記されております。

 

 ウイルス禍という厳しい現実に直面してみると、「人権よりも生存権を優先させた」中国流の強権政治がより有効であることは否定しがたい。翻って民主主義の米国では、人種差別の宿痾があぶり出された。人権外交の騎手は虚飾をはぎとられ、国論分裂という無残な姿を露呈した。中国の監視政治を批判した人々にとって米国流民主主義も、中国の開発独裁と五十歩百歩ではないか、と思い知らさかれた形ではないか。・・(中略)ポストコロナ世界において、中国が世界の政治経済のリーダーとしてどのように振る舞うのか、その中華世界とどのようにつきあっていくのか。それは隣国に住む者にとって避けては通れない大きな難問だ。むろん、模範解答はない。いまは問題が提起されつつある段階だ(226、227頁)

 

 本筋からは外れますが、僭越ながら私は人種差別の問題は民主主義云々とは、次元の異なる概念ではないかと思っているのです。何千年に亘るユダヤ人差別、日本人を含めアジア人、オリエント他への白人による人種差別も民主主義云々とは別の次元の範疇で、この人種差別云々は人間の業という永遠に続く問題であり、解消することはきわめて難しい課題である、と私は思っています。

 

 中国研究の泰斗である矢吹晋氏による本書は、私には難解でした。後日改めて

本書に取り組み、感想など記してみたいと思っています。今回はその序章の紹介にすぎません。

 

その2 山崎雅弘著「中国共産党と人民解放軍」

 

 著者は1967年生まれの戦史・紛争史研究家、とのことで、私は氏の著書を初めて読みます。本書は人民解放軍の歴史的推移を識る上で参考になりました。

 

 本書に記されていくのは、人民解放軍の全身である「中国工農紅軍」の誕生から始まり、蒋介石との「国共合作」から、日本の降伏後に中国の覇権を争う形で勃発した「国共内戦」を経て、中国工農紅軍が正式に中国人民解放軍へと改称されたこと。朝鮮戦争では、その中国人民解放軍が「義勇軍」という名目で介入し、膨徳懐を司令官とする中国人民解放軍により、アメリカ軍が一時的には敗北を重ねたこと。そして、1960年半ばから約10年間の文化大革命での毛沢東がその政治的ライバルとなった劉少奇を捉え死に至らしめ、更には紅軍の立役者・彭徳懐達を次々と血祭りに上げていったこと。そして1979年の軍事侵攻である中越戦争での人民解放軍。1976年9月9日に毛沢東が死去した後、権力闘争を勝ち抜いた鄧小平から現在の習近平共産党独裁政権による人民解放軍の現状等が記されております。

 

 そして、あの天安門事件で人民解放軍が国・国民の軍隊ではなく共産党の軍隊であることが明確に示されたこと。一方、共産党には一切の批判を許さないばかりか、毛沢東による大躍進の現実、更には天安門事件等々の歴史事実さえ明らかにしないのが現実の中国政権ではないでしょうか。その大きく価値観を異にする現在の共産党独裁の中国政権が一帯一路を掲げている中、偶然か否か、コロナウイルスが発生。その世界的コロナ禍にあって、更に中国政権の影響力を世界に与えようとしている現状。日本の今後の在り方が正に問われているわけです。方や、私も度々取り上げている隣国の朝鮮半島国家においては政権が幾ら変わろうと日本への怨念、怨みは世紀を超えてもけっして変わる、あるいは消えることないでしょう。前回の投稿でも記しましたように、日本は価値観を共有する諸国との連携がより強めること。正に日本は極めて厳しい局面、難題に直面している、と考えます。

 

 方や、誠に残念なことですが、週刊誌の情報を基にしたような質疑をもって下劣極まる国会討論と称することの繰り返し、時間を浪費している現状。加えて、如何にも重要なことのように国会中継と称し、メデイアがそれを放映し続けていることも、もはや許されないのではないでしょうか。なぜに国会審議、討論の在り方の再検討がされないのでしょうか。国会重視というのであれば、その前に現在の無駄な、下品な国会討論の在り方を全面的に見直しすることです。

 

その3 銭俊華「香港と日本」

         

 著者は1992年生まれ、香港浸会大学卒業、現在は東京大学綜合文化研究科博士課程に在籍とのこと。本書は日本人のための香港入門書とのことです。

 

 私の現役時代になりますが勤めていた会社の現地法人が香港に在り、1997年以前から度々訪れておりました。当時からの友人(日本人)より最近の香港の情勢について、「自由が失われつつある香港では、日本の自由と民主は貴重な財産と希望の光です」とのメールを香港から頂いております。

 

 本書全体を紹介するのではありませんが、私が印象深く感じた記述の、いくつかを以下、紹介致します。

 

 80年代に将来の中国への主権譲渡に直面した多くの香港人は不安になり、移民した人も少なくなかった。その一方で香港に残った多くの人々は、自分のことを「中国人」「中国の香港人」だと思い、繁栄、安定、自由を享受していたため、立ち上がり抵抗する動機もなかった。そのような状況では、中国により50年間は約束されている「一国二制度」を信じるしかない香港人が多かっただろう。

 97年の中国への主権譲渡後、2000年代に入り、香港ではいろいろな問題があったが、2008年の北京オリンピックの時は香港人の「中国へのアイデンティティ」が高揚していた。しかし2010年代に入り、中人民共和国からの「同化」を実感するようになると、過去に当たり前であったような自由、法の支配、公正への追求、自らの言語、教育、文化生活などを、自分たちが失っていることに直面した。人々は「国」の危機に気づいたのだ。・・(中略)改めて強調するが、以上の「国」とは、「主権国家」の意味ではなく、中華人民共和国香港特別行政区という、「都市」「地域」、多くの香港人の「故郷」、あるいは「一国二制度」下の「準都市国家」を指す。

 

 本書は「独立」などの政治的な主張をするつもりはなく、中国大陸を敵視する意図もない。論じたいのは「国」という字が、香港を理解するために不可欠なキーワードである、ということだ。「国」を念頭に置くと、香港と中国大陸との葛藤、および香港アイデンティティの形成を理解しやすくなり、社会運動が簡単に消えていかない力の源も、より可視化できるのである。(12~14頁)

 

 加えて、香港と日本の関係、思いの推移、戦後知日派の変化につき例を挙げた興味深い記述があります。

 

 1939年生まれの教育家、研究者、作家である小思は中国民族意識と香港アイデンティティを同時に持ち、「国家」に強い責任感を持ち、誰よりも中華文化、中国の歴史、文学を大事にしている。彼女は1971年に初めて日本に旅行に行き73年に京都大学に1年間の留学をし、その経験により、日本は長年の彼女の作品の題材の一つであった。ただ、彼女は日本を語っていても、本当に関心を持っているのは「中国」で、「私が関心を持つのは、自分の国が近代において長年、日本に侮られ侵略された歴史と、自分の国がいかに頑張るべきか、という問題である。」と記しております。そして次のように述べていきます。

 

 70年代にまだ開放されていなかった中国大陸に行くより、日本に行くほうが簡単だった。小思は実際の「祖国」はどのような様子か知らなかったが、古典文学から「祖国」を理解して想像していた。彼女を驚かせたのは、日本が古代中国の影響を受けて現在まで唐代のような建築スタイルや環境を保存していたことである。他国、更に敵国だった日本で自分が愛し想像していた「祖国」を見つけた彼女には、相当な衝撃だったのだろう。

 特に第二次世界大戦を経験した世代にとって、警戒すべき日本にせよ、懐かしく思う日本にせよ、日本は彼らの中国民族意識を喚起する装置である。しかし、香港で語られ続ける「日本」はつねに変化しており、それは香港の人々のアイデンティティの変容に対応している。(203~204頁)

 

 そして2000年代に入り、新たな知日派が活躍し始めた。彼らはラジオ、書籍、ブログ、Facebook等を利用しながら日本を語り続けた。過去の知日派と違い、新たな知日派が関心を持つテーマーは、「中国」や戦争や軍国主義の復活、あるいは日本の美食や観光などではなかった。彼らはより深く、日本の社会現象や最新の大衆文化に関心を持った.・・(中略)新しい知日派のもう一つの特徴は、しばしば、香港人のために日本を語ることである。・・(中略)それでは、なぜ戦後から90年代まで、この新知日派のような人たちがいなかったのか? まず、香港アイデンティティが今より顕在化していなかったことが挙げられる。自由で豊かな生活を送っていたから、自分が何人かをそこまで気にしなかったのだ。しかし現在は違う。中国の香港に対する同化が日々ひどくなってきている。自由が徐々に失われ、香港の主体性も飲み込まれてしまってきている。それに対して、香港アイデンティティが強化され、中国政権への嫌悪が増加している.(207~209頁)

 

 如何でしょうか。香港人が日本人への連帯を呼びかけていますが、ただ、黙って見ていて過ごすことは許されるのでしょうか。これは人種差別とは異なり同化への強制です。ウィーグル、チベット等の少数民族への弾圧、香港等々の問題は内政干渉ということで、ただ黙っていることが許されるのでしょうか。日本は、日本人は何もできないのでしょうか。本書の一読をお薦め致します。

 

おわりにあたり

 

 中途半端な投稿になりました。はじめに の中で記しましたように矢吹晋著「中国の時代の超え方」は一読では私は理解できないことも多く、改めて読むつもりですが、「ポストコロナ世界において、中国が世界に政治経済のリーダーとしてどのように振る舞うのか、その中華世界とどのようにつきあっていくのか。それは隣国に住む者にとって避けては通れない大きな難問だ。むろん、模範解答はない。いまは問題が提起されつつある段階だ」(226~227頁)と記されております。

 

2020年9月24日

                        淸宮昌章

 

参考図書

 

 矢吹晋「中国の時代の超え方 1960年の世界革命から2020年の米中衝突へ」(白水社)

 山崎雅弘「中国共産党と人民解放軍」(朝日新書)

 銭俊華「香港と日本 記憶・表象・アイデンティティ」(ちくま新書)

 石井友章・及川淳子編「六四と一九八九 習近平帝国とどう向き合うのか」(白水社)

 他