清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

自らの半世紀を顧みて、その後

自らの半世紀を顧みて、その後

 

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 親友達と、 於てシーボニア・メンズクラブ  自粛前

 

再投稿 (補足・加筆)

 2022年8月25日に投稿した、弊ブログ『天児著『中国のロジックと欧米思考』」は」思いの外、好評を頂き、109件の投稿の中、上位3位になっております。

お陰様で、総アクセス数は63,000件に近づいております。お時間とご興味があっての上ですが、下記をクリック頂ければ幸いです。

  https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2022/08/25

 

尚、注目記事の第一位は、2020年7月25日の下記の「自らからの半世紀を顧みて、そ後」です。

  2022年11月17日      

                          清宮昌章

1.注目記事

 

 前回の投稿「改めて、自らの後半の半世紀を顧みて」は何か自慢めいた内容なので、少々不安を持っていましたが、多くの方から好評を頂きました。加えて、各時代、各場所での先輩、後輩からも心温まるメールをも頂き、何かほっとした次第です。尚、フェイスブックによれば前回の投稿が109篇の中で、一位から三位となっております。

 

 因みに、二位は昨年4月20日の投稿で、コロナ禍にも関する「この一ヶ月半、ブログ『淸宮書房』の投稿を省みて」でした。三位は2018年7月の投稿で、従来の一連の流れからは少し異なりますが、吉祥寺の古本屋で偶々見いだした、「小島政二朗著『小説 長い荷風』に遭遇して」で、私の高校時代の思い出をも付記しました。四位は2016年9月の投稿「再度・堀田江理『1941 決意なき開戦』を読んで」です。本書は日本の真珠湾攻撃に到るまでの八ヶ月を当時の社会状況、文化人・知識人、近衛文麿、大手新聞のマスメデイア等々、詳細に記されたものです。五位は2020年3月の「加藤陽子著『天皇と軍隊の近代史』を読んで思うこと」です。歴史とは何か、過去の痛苦を忘れないことや、戦争の前兆に気づくことだけが戦争を考えるときに、それほど万能な処方箋ではない。言葉の力で21世紀を生きていかなければならない若い世代に本書は語り掛ける、というものです。今回のこうした順位は私なりに納得しております。

 

 恐縮しますが、改めて本投稿の最後に上記一位から五位のブログを付記いたしました。時間とご興味があればですが、改めて覗いて頂ければ幸いです。

 

 方や、私は何も仕事をしていないので、コロナ禍の中で自粛という言葉は私には不釣り合いですが、自分なりに自粛を続けております。何故か、半年以上になる頸椎ヘルニアによる右手の痺れもほぼ完治し、パソコンも、読書も、テニスも、日常生活には支障もなく以前の状態に戻りました。自粛のお陰かもしれません。

 

 コロナ禍は日本のみならず世界に今後どのような影響を及ぼしていくのか、大きな不安の中、中国共産党独裁政権の動向は極めて重大な結果をもたらすと、私は幾度となく触れて来ました。米国トランプ政権の在り様もひとつの要因ではありますが、中国共産党独裁政権の動向、その危険性は収まるどころか、そのコロナ禍に乗じて益々強硬に、強引に「一帯一路」の政策を進めるのではないでしょうか。我国は大きく変貌した現状にどう向き合い、戦前・戦中のみならず、敗戦後の日中関係の経緯・結果の歴史事実を踏まえ、価値観を共有する各国と共同し、従来にまして真剣に考え、行動に移していくべきと私は考えます。

 

2.「新聞と戦争」他を読んで

 そうした現状下、改めて北岡伸一・細谷雄一編「新しい地政学」(東洋経済新報社、2020年1月出版)、並びに朝日新聞出版「新聞と戦争」(2008年6月出版)、及び同出版「新聞と昭和」(2010年6月出版)、加えて、むのたけじ著「戦争のいらぬやれぬ世へ」(評論社、2007年4月出版)に眼を通して見ました。「新しい地政学」は地政学とは何かを改めて見る上で、大いに参考となりました。

 

 尚、朝日新聞はいつから現在のような在り様になったのか、ある種の興味があり、朝日新聞中国総局編「紅の党 完全版」(2013年出版)の広告欄に載っていた上記「新聞と戦争」及び「新聞と昭和」を取り寄せた次第です。両書とも極めて真剣に取り組んで良書ですが、僭越ながら私の期待した半分というのが実感です。以下は単なる私の感想ですが、記して参ります。

 

 「新聞と戦争」によれば、戦前の朝日新聞の論調が軍の論調に沿う、否、宣伝機関となったのは1931年の満州事変からだと記しています。では、何故そうなったのかについては明確な分析をしてこなかった。そうしたことが、戦後から今日に到るまで、朝日新聞の質を大きく落として行ったことに繋がったのではないでしょうか。もう二十年前になるでしょうか、私は朝日新聞の何十年にわたる購読者でしたが購読を止めたのです。

 

 尚、本書の中で、ハーバード大学のアンドルー・ゴードン教授が報道の自由が守られている現在の米国さえ(イラク戦争に関してですが)、メデイアは十分な役割を果たせなかったわけで自国の戦争を批判的に報じることは、今も決して簡単な課題ではない、と指摘しつつも次のように語っています。氏の指摘に賛同しており、そのままご紹介します。

 

 日本が第二次大戦へ向かう最大の節目は、1931年の満州事変だった。当時、満州にいた朝日新聞の特派員と日本の関東軍が密接な関係だったことや、事変は関東軍の謀略ではないかと疑った人々が朝日の本社にはかなりいた事実を、連載「新聞と戦争」は明らかにした。

 しかし朝日はその疑いを公には問題にしないまま、「満州国」が作られていくという悲しい道を日本はたどった。朝日新聞が関東軍による満州事変を結局認めてしまった要因は、(1)軍や右翼からの外部的な圧力(2)国益への配慮などによる自主的な規制(3)新聞が売れなくなることを恐れる社益の顧慮、の三つだ。「新聞と戦争」もそれを詳細に指摘したが、どの要因が最も重かったか結論は書かず読者の判断に任せている。(新聞と戦争 564、565頁)

 

 残念ながら、本書に続く「新聞と昭和」にもそうした流れであり、朝日新聞の質がここ三十年数年になるでしょうか、急速にその質を落としていくことに繋がった、と私は考えます。

 

 前回の投稿でも取り上げましたが、終戦の日、朝日新聞を辞め、秋田の横手でタブロイド版「たいまつ」を発行し続けた、むのたけじ氏は101歳まで現役を貫いたジャーナリストです。私が学生時代、氏の「たいまつ16年」に大きな感動を与えて頂いた方です。僭越至極な言い方ですが、私は氏の全てに賛同しているわけではありません。その、むのたけじ氏が92歳の時、本書の中に対談形式として登場して参ります。同時に、氏は「戦争をいらぬ、やれぬ世へ」を発刊しており、その中で氏は次のように述べられております。

 

 私は天皇年号の昭和11年、1936年に新聞記者になりましたが、この時まで新聞社というのは自分たちを言論機関と称しておった。それはまさにジャーナリズム、報道ということです。あそこに何があったというストレートニュースを積み重ねることで、その背後にあるものを一つの思想の体系まで編み上げる作業なんだ。だから言論機関だ。ところが大本営報道部というものが軍閥の中枢部に出来たら、新聞社は自分らを報道機関と言い換え始めた。その時に批評・評論・主張・思想の形成という部分が弱まったのではないかどうか。・・(中略)ジャーナリズムがジャーナリズムになるためには、絶えざる自己反省、自己点検、内部でその仕事に携わる人たちの、己の姿を歴史の節目、節目に立ち止まって点検し、一つの合意ですね、確認し積み重ねて行く、その作業が大事なんです。・・(中略)ジャーナリズムの仕事で生きる人間は反権力になる必要はないんですよ。ならなきゃいかんのは権力に対しして自分という独立の、権力に対等の自分をつくることなんです。・・(中略)ジャーナリストは誰でもなれるが「権力に対して対峙しながら、独自の存在である」という自分をつくる、そういう意欲をもっている、これ一つだけが条件だろうと私は思う。(本書95,96,111頁)

 

 如何、思われるでしょうか。加えて現在の新聞各社、更にはジャーナリストと称する、否、称される方々は如何でしょうか。

 

 現在では新聞各社は報道しない自由もあり、報道機関とさえ言えず、大衆に単なる迎合するマスメデイアになっているのではないでしょうか。方や、その影響力は時の世論を左右するほどの強大な力を持ち、誰も制御できない危険性、自浄作用が効かない落とし穴に落ち込んでいるのではないでしょうか。その要因のひとつは新聞各社が種々の新聞以外の事業に手を伸ばし、大きくなりすぎた経営にあるのかもしれません。いずれにもせよ、そうしたマスメディアの弊害・危険性に関しては、幾度となく私なりに触れてきましたが、自分なりにもう少し調べてから、感想などは後日、改めて記したいと思っております。今、ジェイソン・スタンリー 棚橋志行訳「ファッシズムはどこからやってくるか」(青土社)を取り寄せました。

 

   2020年7月11日

                            淸宮昌章

 

補足 ブログ「淸宮書房」の注目記事(2020年7月11日時点)

 

第一位

自らの後半の半世紀を顧みて  https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2020/06/15

 平成27年(2015年)以降、5回に亘りますが、ブログ「淸宮書房」中で、吉田満著「戦艦大和」を巡り、私とその著書との偶然の出会いと共に、大切な方々との遭遇の中で、私なりの自己紹介をして参りました。そうした経緯もあるのですが、今回のコロナ禍の影響でしょうか、改めて22歳以降の自らの半世紀を顧み、己の鮮明な記憶を記録として改めて残して置くことにも、意義があるかもしれない、と思い、綴ってみました。ある面では相当変化のあった仕事人生のようにも思いますが、意義ある人生であったとも考えております。ただ、長く、自慢めいた駄文になりますので、以下は無視して頂いて結構です。

 

第二位
この一月半、ブログ「淸宮書房」の投稿を省みて
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2020/04/20

  今月4月8日の投稿の「はじめに」において今回のコロナ禍に関して、私なりの杞憂というか、世界恐慌にまで発展する恐れをも記しました。ただし、治療薬が開発されていない現在、必要不可欠な、しなければならないことは政府が出した緊急事態宣言通り、国民一人一人の自己管理、外出を最大限避けること、いわゆる三密を徹底することです。現在の感染拡大を止めることが先ずもって先決です。自、…

 

第三位

小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇してhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2018/07/11

  一年ほど前に投稿したもので、私のかすかな思い出も入れながら記したものです。何故か、この11月に入り、66編の投稿の中で注目記事の5番目になっております。その理由は分かりませんが、今までの投稿の中では少し趣が異なっております。何か嬉しくなり、改めて、以下ご紹介する次第です。  東京都武蔵野市吉祥寺に所用があり、その帰り道、とある古本屋を覗きました。神田以外ではほとんど姿を消した、かっての風情を残す古本屋で見つけたのが掲題の本書です。 私は文学について素養がないこともありますが、永井荷風については「濹東綺譚

 

第四位
再度・堀田江理「1941 決意なき開戦」を読んで
https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2016/09/29

 テレビ等で報道される街の人の主語が「私」でなく、「国民」としてとか、「都民」としてと、話されることに私は違和感を持っていると記していました。偶々、1991年に逝去された山本七平の「戦争責任は何処に誰にあるか」に次のような指摘があり、この現象は今に始ったことではないのだな、と思ったところです。それは次の文章です。 戦後のようにテレビ・ラジオが普及し新聞・週刊誌等があふれると、いわゆる新鮮な「庶民感覚」がなくなり、すべての人が定型的インテリ的発言をするようになる。さらに意見がマスコミの口まねであるだけでなく、マスコミが怒れば怒り、非難す…

 

第五位

加藤陽子著「天皇と軍隊の近代史」(勁草書房)を読んで思うことhttps://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2020/03/04

 人生の大半を生きた昭和の時代を自分なりに再検討し、僭越ながら今を観ようとしている私にとり、本書はとても参考になりました。加藤氏の著書に今までも数冊、目を通して参りましたが、疑問に思っていた宣戦布告無き日中戦争、敗戦時の日本軍武装解除等についても、今回の本書を読むことにより改めて明らかにして頂きました。 著者は数々の印象に残る文章を本書の随所に記しています。歴史への研究視点・観点については次のように述べられております。 東大経済学部の小野塚智二教授の教養課程の学生に向けた文章として、「経済学の目的を市場の諸現象と、それに関連・・

                               以上