清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

この一月半、ブログ「淸宮書房」の投稿を省みて

この一月半、ブログ「淸宮書房」の投稿を省みて

はじめに

 

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 今月4月8日の投稿の「はじめに」において今回のコロナ禍に関して、私なりの杞憂というか、世界恐慌にまで発展する恐れをも記しました。ただし、治療薬が開発されていない現在、必要不可欠な、しなければならないことは政府が出した緊急事態宣言通り、国民一人一人の自己管理、外出を最大限避けること、いわゆる三密を徹底することです。現在の感染拡大を止めることが先ずもって先決です。自らの命、隣人の命を守ることに直結する、その行動を実行して行くことしか、今は残念ながらないのです。

 

 そうした中にあって、権力への掣肘とは異なる、政府のとる施策を悉く批判する、揚げ足をとることが使命みたいな、全てとは言いませんが、各テレビ局の報道番組と称するものは実に観るに堪えません。私は、即、チャンネルを切り替えます。不愉快極まりないのです。報道とは何か、報道の在り方は何なのか、根本から考えなければならないのではないでしょうか。毎回のことで恐縮しますが、メデイアは戦前、戦中、戦後の自ら行ってきた報道の実態を、逆の意味で改めて考える必要を強く思います。大きな影響力、権力とさえ称してもいいような力を持ってしまったテレビ等メデイアは現在の報道の在り方を真摯に反省し、新たに取り組むべき、と私は考えております。今のままでは、日本をますます境地に追い込んでいくのではないでしょうか。

 

 私ごとで恐縮しますが、72歳で現役を離れ、後数ヶ月で80歳になりますが、午前中は歩いて数分のテニスクラブ(屋外の4面コート)、午後からは読書といった自宅中心の生活です。今回の自粛要請に沿って、取りあえず5月6日までクラブは休業ですが、今回の一連の自粛要請には私自身は何らの支障もなく、むしろ誠に心苦しい気持ちです。そうした心境の中、命を賭けて職務遂行に携わっておられる医療、役所、福祉関連、物流等々の前線の方々には申し訳ない、感謝以外の言葉しかありません。何か私もしなければなりません。報道番組の方々は、如何でしょうか。政府を、自公政権を、役所の在り方を批判するだけでなく、この国難に際し、国民一人一人が協力すべきという報道も、より強くあってしかるべきではないでしょうか。

 

 今回のコロナ禍(事件)は数ヶ月で解決することはなく、今後、日本のみならず、長期に亘り全世界に大きな影響を及ぼすと思います。前回にも触れましたが、一人一人の覚悟が改めて問われていると考えます。

 

日経新聞の経済教室

 

 日経新聞の経済教室で4月15日から3日間にわたり「コロナショック後の世界」という三人の学者の見解が示されました。興味深く感じ、私なりの理解の概略ですが、改めて以下、ご紹介致します。

 

1.小林慶一郎・慶応客員教授によれば、新型コロナウイルス感染症と人類の闘いは長期戦になる恐れがある。それは産業構造変化と同時に個人の格差是正に向かうかもしれない。感染症との闘いでは個人の行動が近隣の他人の命を左右するので、地理的な近さで決まる「共同体」を再認識せざるを得なくなる。弱者救済のための現金給付のためには、個人のプライバシーよりも、当局の情報把握を前提とする公正な所得分配政策を重視する方向に世論は変わるかもしれない。

 

 僭越ながら私もそういう方向を期待しております。

 

2.戸堂康之・早稲田大学教授は「コロナ後の世界」を見据えることが必要である。企業、生産・調達の分散継続が必要である。中国依存を減らすのは有効だが、生産拠点や調達先の国内回帰ではなく、欧米や韓国・台湾・オーストラリアなどの先進国・地域へも供給網を拡大すべきであろう。日本企業が海外企業とも相互扶助の関係を造ること。現在最もコロナ感染拡大に苦しむ欧米諸国を支援するのは、民主主義と市場経済の価値を共有する日本の役割ではないか。今後感染拡大が予測される途上国への支援も必要だ。コロナ危機後の世界で日本企業が活躍出来るためにも、今こそ日本政府の国際支援が望まれる。

 

 私の僭越な感想ですが、そうした力が日本にはあるとの前提なのでしょう。加えて、上記の韓国への言及は韓国と日本の過去・現在の状況の中では極めて難しいのではないでしょうか。韓国の長年に亘る日本への反日教育の結果は、人々個人の善意、意志を超えたものであるように思います。従い、反日への行動はいつでもわき上がるもので、日韓友好関係を築きあげることは世紀を超えた難しい問題である、と私は考えております。韓国は最も近い隣国で、民主主義体制をとる国ですが、この不幸な両国の関係は続くと思います。

 

3.梶谷懐・神戸大学教授によれば、中国のコロナショックへの景気刺激策は効率性を重視したインフラ投資であり、失業率が大きく上昇する中で、零細な事業者や不安定な雇用環境に置かれている労働者の救済が不十分ではなかろうか。中国、社会的分断が深刻化する可能性もある。コロナ禍が全世界的な広がりを見せ、その対策は長期化することが予想される。それだけに中国の経済動向を、その副作用も含めて、より一層注意しながら見守る必要がある。

 

 私としては共感、賛同するところです。

 

北岡伸一細谷雄一編「新しい地政学」(東洋経済新報社

 

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 私は生半可な知識で「地政学見地」などと表現することがあります。上掲の著書はこの3月に発刊されました。地政学の重要性を改めて識る、考える上で参考になると考え、取り寄せ、現在読み進めているところです。いずれの日か、私なりの感想など記して見たいと思っております。

 

ブログ「淸宮書房」の注目記事

 

 私の長々とした弊ブログ「淸宮書房」へのアクセスは37,000に近づこうとしております。皆様に感謝するとともに、もう少し続けていこうと改めて思っております。尚、このひと月ほどですが、その注目記事の順位が大きく変動しております。その要因は何故なのか分かりませんが、私には興味深く感じております。恐縮しますが、以下お知らせする次第です。


1 加藤陽子著「天皇と軍隊の近代史」(勁草書房)を読んで思うこと

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2020/03/04

  人生の大半を生きた昭和の時代を自分なりに再検討し、僭越ながら今を観ようとしている私にとり、本書はとても参考になりました。加藤氏の著書に今までも数冊、目を通して参りましたが、疑問に思っていた宣戦布告無き日中戦争、敗戦時の日本軍武装解除等についても、今回の本書を読むことにより改めて明らかにして頂きました。 著者は数々の印象に残る文章を本書の随所に記しています。歴史への研究視点・観点については次のように述べられております。 東大経済学部の小野塚智二教授の教養課程の学生に向けた文章として、「経済学の目的を市場の諸現象と、それに関連…


2 小島政二郎著「小説 永井荷風」に遭遇して

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/07/11/123752

 

 一年ほど前に投稿したもので、私のかすかな思い出も入れながら記したものです。何故か、この11月に入り、66編の投稿の中で注目記事の5番目になっております。その理由は分かりませんが、今までの投稿の中では少し趣が異なっております。何か嬉しくなり、改めて、以下ご紹介する次第です。 2019年11月21日 淸宮昌章 はじめに 東京都武蔵野市吉祥寺に所用があり、その帰り道、とある古本屋を覗きました。神田以外ではほとんど姿を消した、かっての風情を残す古本屋で見つけたのが掲題の本書です。 私は文学について素養がないこともありますが、永井荷風については「濹東綺


3 石井知章・及川淳子編「六四と一九八九 習近平帝国とどう向き合うのか」(白水社)他を読んで  

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2020/04/08

 中国の武漢で発生したと言われる新型コロナ・ウィールス、いわば人因的事象は全く別な事象を生み出し、我々の経験してきた1995年の阪神・淡路大震災他、数々の自然災害の結果を大きく超え、今後、甚大な被害を日本のみならず世界各国に及ぼしていくと考えます。2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻から生じた世界的な金融危機を超えて、1929年の世界恐慌以降、いわば、現代の我々が経験していない世界大恐慌が起こる可能性が極めて高いと、私は考えております。 一方、習近平政権による武漢封鎖の有り様は他国とは大きく…


4 牧野邦昭「経済学者たちの日米開戦」を読んで

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2019/01/07/100818

 かって、私が参加していた某読書会の慶大経済学卒の畏友・堀口正夫氏より、昨年11月、次の文面が届きました。 昭和15年1月、秋丸次郎陸軍中佐を中心とした調査部が設立された。俗に「秋丸機関」と呼ばれ経済戦の調査研究を目的とし、有沢広巳、中山伊知郎、竹村忠雄,佐藤弘、近藤康男、大川一司、森田優三等多くの学者が集められ、英米班、ドイツ班、ソ連班、日本班に分かれて、経済力、抗戦力の調査を行った。 小生が大学3年生のとき、「原論特殊講義」という外部からの講師を招いて行われる科目があった。その中の一つとして「現代経済論」という、竹村忠雄氏の講座があった…

5 再度・堀田江理「1941 決意なき開戦」を読んで

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2016/09/29/175204

 テレビ等で報道される街の人の主語が「私」でなく、「国民」としてとか、「都民」としてと、話されることに私は違和感を持っていると記していました。偶々、1991年に逝去された山本七平の「戦争責任は何処に誰にあるか」に次のような指摘があり、この現象は今に始ったことではないのだな、と思ったところです。それは次の文章です。 戦後のようにテレビ・ラジオが普及し新聞・週刊誌等があふれると、いわゆる新鮮な「庶民感覚」がなくなり、すべての人が定型的インテリ的発言をするようになる。さらに意見がマスコミの口まねであるだけでなく、マスコミが怒れば怒り、非難す…

 

2020年4月20日

                             淸宮書房