清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

石井知章・及川淳子編「六四と一九八九 習近平帝国とどう向き合うのか」(白水社)他を読んで  

石井知章・及川淳子編「六四と一九八九 習近平帝国とどう向き合うのか」(白水社)他を読んで

 

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はじめに

 

 中国の武漢で発生したと言われる新型コロナ・ウィールス、いわば人因的事象は全く別な事象を生み出し、我々の経験してきた1995年の阪神・淡路大震災他、数々の自然災害の結果を大きく超え、今後、甚大な被害を日本のみならず世界各国に及ぼしていくと考えます。2008年9月のリーマン・ブラザーズの破綻から生じた世界的な金融危機を超えて、1929年の世界恐慌以降、いわば、現代の我々が経験していない世界大恐慌が起こる可能性が極めて高いと、私は考えております。

 

 一方、習近平政権による武漢封鎖の有り様は他国とは大きく異なり、事件とも称すべき異常なる事態が起きていたのではないでしょうか。いずれは明らかになることと思いますが、そうした一連の事象は中国の習近平共産党独裁政権が強引に進める「一帯一路」政策にも、今後大きな影響を及ぼし、それがどのように変化するのか、あるいは変化せざるをえないのか、注目していく必要を私は感じております。いずれにもせよ今回の新型コロナ・ウィールス事件は其の治療薬が開発されたとしても、其の影響は世界の経済・政治にも長期に亘り重大な影響を与えていくと考えます。我々は単に政府、東京都知事を責める、あるいは批判するだけでなく、個人として、何を堪え、何を心構え、来たるべき恐れのある世界恐慌に如何に備えていくのかが問われてくるのかもしれません。

 

 そのような私の現状認識の中、本書を取り上げたことは意味があるのかは問われると思いますが、私に取っては極めて重要な著書に出会った、との思いを強く持っております。

 

石井知章・及川淳子編「六四と一九八九」

 

 本書は2019年6月1日、明治大学グローバルフロントで開かれた国際シンポジュウム、「六四・天安門事件を考える・・民主化はなぜ挫折したのか」の報告・論文集です。其の意図は中国の現執行体制の基礎を形作った六四・天安門事件を世界史レベルで再検討し、グローバル化した世界の政治・経済システムにおいてますます存在感を増して行く中国の現在、今後の在り方、そして習近平体制のゆくえを見定めること。其のシンポジュウムで共通し念頭に置いたことは、①なぜ天安門事件はあの時、あのようなかたちで起きたのか。其の歴史背景とはいかなるものだったのか。②六月四日のその日、天安門広場、そして「民主化運動」が波及した全国各地で、いったい何が起きたのか。③天安門を舞台とする一連の「民主化運動」、そして全国規模に広がった「民主化運動」を問うことの現在的、且つ将来的意味は何のか。という三点にあったと記されております。

 

 編者、執筆者である政治学専攻の石井知章明治大学教授の記述を中心に私が共感し、僭越ながら賛同する諸点等を以下、記して行きたいと思います。本書の序章で次のように述べています。

 

その1 政治的象徴としての天安門事件

 

 今日において六四・天安門事件そのものの意味を考察する際、それを中国という一国内的コンテクストで「民主化の挫折」としてとらえることは、世界史的位置において理解するうえでけっして十分ではない。その前提作業として、われわれはまず、1989年を象徴しているいわゆる「東欧革命」の意義を歴史的に踏まえておかなければならない。・・(中略)東欧諸国が次々と民主化し、その結果、ソ連が消滅したものの、こうしたヨーロッパでの大きなうねりとは極めて対象的に、中国では1989年というマクロ・ヒストリーの「反動」そのものというべき、それ以前よりさらに強固なる中国共産党一党独裁体制が残存したことになる。いいかえれば、1980年に社会主義国ポーランドで発生した「民主化運動」の激震は、1980年代後半、中国への「民主化運動」として波及したものの、1989年6月4日の天安門事件という、「血の弾圧」によっていったんは挫折していった。だがそれは、ゴルバチョフソ連を経由して東欧へと逆投影されるかたちで、いわば「反面教師」として継承されることで「東欧革命」として実現し、その結果として、ソ連が1991年12月、最終的に崩壊したことになる。(本書8頁)

 

 その2 習近平体制の成立の伴う市民社会の弾圧と「民主化運動」の復活

 

 ポスト天安門事件(1989年)期に形成された中国共産党専制独裁体制は、むしろ習近平体制の成立(2013年3月)以降、市民社会に対する弾圧はますます強めている。2013年5月には、党中央が普遍的価値、報道の自由、市民(公民)社会、公民の権利、中国共産党の歴史的誤り、権貴(既得権)資産階級、司法の独立には論じてはならぬとする「七不講」(七つのダブー)を発表した。

 

 こうした経緯の中、2014年の台湾において、中台服務貿易協定に反対する「ひまわり運動」、続いて同年、香港において行政長官選挙をめぐっての「雨傘運動」、更には天安門事件30周年を迎えた2019年、それは中国建国70年になるが、同年6月中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案反対、並びに親中派の行政官辞任を求める香港では史上最大の2百万人による抗議デモに繋がっていった。2014年の雨傘運動では一切妥協せずに運動を内側から解体させた中国習近平政権の対香港強硬姿勢が、ここに来て初めて挫折したのです。石井氏は次のように記しております。

 

 「逃亡犯条例」改正案をめぐる政治状況に多くの人々が天安門事件の悪夢を想起しつつあったのも、ごく自然な成り行きだといえる。こうしたことから、中国の現行体制の基礎を形作った天安門事件を世界史レベルにおいて再検討することは、グローバル化した世界の政治・経済システムにおいてますます存在感を増している中国の在り方を考えるうえで、さらに習近平体制の今後のゆくえを見定めるためにも、必要不可欠の前提作業となっている。(17頁)

 

 又、英米圏を代表する中国通のアンドリュー・ネイサン コロンビア大学教授は本書の第一章「習近平天安門の教訓」の中で、1989年6月19日から21日までの中国共産党政治局の拡大会議、及び6月23日から24日にわたる中央委員会第四回全体会議の内容を以下のように記しております。

 

 会議の目的は、最高指導者鄧小平のもと次の二つ項目について全党員の意思統一を図ることだった。北京周辺と天安門広場に配置された数万の武装部隊は平和的に抗議者に対処したこと、そして趙紫陽総書記の職務を剥奪すること。会議には趙紫陽のほか、政治局員と経験豊かな政界の長老達が出席した。出席者達がどう感じていようとも、全ての発言者が危機に対してどんな考えを持っていようと、鎮圧をどう感じていようと、全ての発言は鄧小平の決定の正しさを認めなければならなかった。誓いは二つの文書の内容に賛意を示す形で進められた。会場で配られた二つの文書は、鄧小平が6月9日に戒厳部隊に謝意を示した演説と、趙紫陽の強硬なライバルである李鵬総理による「反党社会主義動乱において趙紫陽同志が犯した誤りに関する報告」だった。会議では「完全に同意」あるいは「完全に支持」といった文言が繰り返され、発言者の一人一人が衆人環視の中で厳粛に宣誓をするかのようだった。こうした儀式は事件に決着をつけ、危機的状況で異なる意見を排除し、党内の思想を統一した上で再び社会の統治に着手するためのものだった。

 

 その後、6月23日から24日に共産党は第十三回中央委員会第四全体会議(四中全会)を開いた。中央委員百七十五人のほか、三百余りの顧問委員会メンバー、閣僚級幹部らが出席し、計四百八十九人が北京西部の京西賓館に集まった。会議では拡大会議の文書を学習させ、思想統一を図り、党の求心力を回復させ、天安門事件の教訓を踏まえた今後の路線をたたき込んだ。・・(中略)習近平政権運営は四中全会の教訓をしっかりと学んでいるのだ。習の政治、すなわち一党独裁政治は、天安門事件の悲劇がもたらした直接的な結果なのだ。(28~29頁)

 

 その3 1989年問題を巡る日本国内の言説状況

 

 本書の編集会議でも大きな問題として捉えたのは日本の学術・思想界の「歴史修正主義」とも称すべき現実で、その傾向は「進歩的」とされる「左派」において急速に進んでいる、とのことです。石井氏は次のように記しています。

 

 東欧の体制転換が「経済的自由主義」と「政治的非自由主義」との結合をもたらしたのは事実であろう。だが、記述のような東アジアにおける中国共産党一党独裁政治への異議申し立てすら、「新自由主義」的反応として理解されるのであれば、さらに1989年の天安門事件を媒介して初めて可能となったとう東欧における体制転換も「市民社会復権」ではなく、あくまで独裁専制政治による「血の弾圧」とは無縁な「新自由主義革命」としてとらえるべきだ、ということになるのであろうか。・・(中略)もちろん、そのような理解が大きな矛盾をきたすことは、彼ら自身の「沈黙」によってすでにして表明されており、そのことに触れること自体、自らの立論が大きく揺るがざるを得ないことを示唆している。(295頁)

 

 尚、具体的には岩波の「思想1989特集号」(2019年10月)の分析視座・方法論的枠組みに対する強烈な違和感についてである。あえて一言でいうなら、それは国家による「集団的暴力」に対する記憶が薄れるにともなって、1989年問題を巡る「歴史修正義」ともいうべき現象が、「進歩的」される「左派」において急速に進んでいるようにしか思えない、ということである。

 

・・(中略)1989年を巡る様々な歴史的事象、あるいはそれらについての言説を扱うのに際し、自らに都合の悪い過去を過小評価、あるいは排除するなど、そのイデオロギーの立場とは矛盾しないよう、過去に関する理解の骨組み自体を修正するという誤りを、いまや「進歩的」とされる「左派」が犯しはじめているのではないか、ということにある。しかも、その左右両者の根底で共通しているのは、いわば国家による「集団的暴力」を自らの思想形成の契機としてほとんど取り込めていないのでは、という疑義の存在である。きわめて興味深いことに、同誌で収められている中国関連の論文ですら、2019年までに中国で起きたいくつかのごく最近のできごとに触れているにもかかわらず、現在の中国政治のあり方に対する「社会的反応」として台湾で繰り広げられたできごと(ひまわり運動)、そして香港で起きたできごと(雨傘運動)、さらに2019年11月現在でも続いているできごと(逃亡犯条例改正への抗議デモ)には、いずれも一切言及していないのである。しかもこうした傾向は、岩波『思想』だけにとどまらない。日本における中国研究を巡る最大規模の学会である「日本現代中国学会」がその全国大会(2019年10月)の共通論題として選んだのは「中国における民間」という天安門事件と全く無縁のテーマーであり、しかもこの大会の実行委員長は、その「大会趣旨」で、1989年問題を「五四運動百年と〈1969〉五十年」として捉え、天安門事件30周年というモメントを完全に避けて通っているのである。これが1989年か30周年を迎える2019年における日本の学術・思想界の現実である。(293~294頁)

 

 如何思われますか。続いて石井氏は「一方の『右派』が安倍政権に対する『忖度』を繰り返しているように見えるのに対して、同じように『左派』は中国の習近平体制の対する「忖度」をほとんど無意識のうちに、しかも中国とともに暗黙裡に行っているようにしか見えない、という事実に突き当たる。」(296頁)、と鋭く説いています。私は共感し、僭越ながら賛同するところです。

 

リャオ・イーウー著「銃弾とアヘン」(土屋昌明・島本まさき・及川淳子訳 白水社)の薦め

 

 掲題の著作は冒頭の「六四と一九八九」の編者で、本書の第七章「一九八九年の知的系譜」を執筆された中央大学准教授・及川淳子氏も訳者に加わった著作です。上掲書は六四・天安門事件に関わり実刑判決を受け、服役した人々へのインタビューを記録したものです。そして本書の特徴は事件の際に注目された著名人や学生リーダーではなく、事件に関わった市民のインタビュー記録です。彼らは獄中で残忍な虐待を受け、出所後もトラウマを抱えたり、差別や偏見に直面するなど、その内容は30数年前から、現在に至るまで続いているのです。

 

 尚、「銃弾」とは六四の弾圧、「アヘン」とは中国の1990年代以降の「金儲け」による人々の脱政治化、奴隷化を喩えております。そのインタビュー記録は眼を背けたくなるほど残酷、残虐の実態であり、ナチスユダヤ人に行った残虐行為を私は思い起こします。しかも、このような残虐行為が同じ民族の中で、共産党独裁政権の中、連綿と続いていた、否続いている現実です。私は中国化への集団教育と称するウイグル人への弾圧、連綿と続くチベット少数民族への扱い等々に共産党独裁政権のあり方に大きな疑念を想起せざるを得ません。私は今回のコロナ事件に遭遇し、改めて、中国共産党独裁政権が強引に進める「一帯一路」の現状、その行く末に、大きな疑念・不安を禁じ得ないのです。本書も合わせお読み頂くことをお薦めする次第です。

 

おわりにあたり

 

 今回も本書の全体を紹介するわけでもなく、只、私が共感した箇所のみの記述で、本書の記述者の先生方には、大変失礼極まりないと思っております。

 

 冒頭にも記したように、収束が全く見えない新型コロナウィールス事件の解決には相当な長期間を要する上に、この事件は今後の日本のみならず世界政治・経済に、現代の我々が経験したことがないような状況を生み出すのではないか、と私は考えております。そのような現状にあって、我国はどのような方向性を打ち出し、対処・対応していくのかが正しく問われてくると思います。今回、全く価値観を異にする中国共産党独裁政権習近平国家主席国賓としての訪日は延期されておりますが、将来を見据えた中、日本にとってそれは、むしろ幸運なことであったと考えております。

 

 振り返ってみれば、中国はかっての旧ソ連との一触即発の状況下、米国及び日本との関係を強化すべく現実もありました。日本とは1972年、時の田中首相、大平外相の決断は高く評価しますが、日中共同声明の調印で国交回復。続いて、その日中国交回復に尽力した周恩来首相の追悼に際し生じた1976年の第一次天安門事件が起きました。その2年後、1978年8月に日中平和友好条約締結。同年10月には、故周恩来首相のあと、権力を持ち始めた鄧小平副主席の戦後初の公式訪日。そうした経緯の中、1989年の第二次天安門事件の発生。その天安門事件の後、欧米に先駆けて中国との窓口を再開したのが日本です。その十年後の1998年には、中国との平和友好条約締結20周年に、江沢民国家主席国賓として訪日。さらに、その10年後の2008年には胡錦濤国家主席国賓として二人目の訪日。このような経緯があるにも関わらず、日本と中国との関係は歴史認識問題を抱え、好転していない現実があるわけです。何故なのか、日本の時の政権の対応に問題があるのか、否か。改めて中国共産党独裁政権の現実、価値観が大きく異なる、その現実をしっかり見定め、中国との関係を見ていく必要があると、私は考えております。ますます権力を集中させる習近平主席は1989年の天安門事件の陣頭指揮を執った鄧小平の有り様を忠実に学び、あるいはそれ以上に共産党独裁政権の有り様を強引に進めているのではないでしょうか。そのような共産党独裁政権の有り様は一部の支配層、人民解放軍の幹部等には豊かな生活を享受させていようとも、農民工あるいは戸籍さえ持てない数億の人々、更には少数民族の人々は監視社会の中、世界第二の経済大国になったとは言え、豊かさとは無縁の実情ではないでしょうか。果たして中国は何処へ向かうのでしょうか。そして中国共産党独裁政権の発展は世界の人々に幸福をもたらすでしょうか。

 

 今回の武漢で発生したと思われる新型コロナウィールス発生事件に遭遇し、中国共産党独裁政権の異様な有り様に、世界各国は改めて不吉な思いを与えて行くのではないでしょうか。皆さん、如何に思われるでしょうか。

 

 いつもの蛇足になりますが、テレビ報道で観る、国会討論の現状は余りにもお粗末極まる状況です。議案は論議されることなく、従い、対案も出されることもなく、関連事項と称する事項で唯々反対、唯々時間を浪費する異様な国会討論と称するものはいったい、いつ頃から生じてきたのでしょうか。二言目には「国民、国民」と称しますが、ほんの一部の野党は別として野党には政党としての理念、思想が皆無なのではないでしょうか。従い、政策論、対案、提言等はどだい無理のことで、政権交代への準備は全く持っていないのです。いずれにもせよ、この国会討論と称される、その無駄な状況は限界の極みに来ていると、私は考えております。ただその国会議員を選んだのも我々国民の一人一人なのです。民主主義と称する制度の一つの大きな欠陥なのでしょう。

 

 加えて、私には商業主義に浸かったとしか思えませんが、独りよがりの正義を振りかざすマスメデイア。情報手段は多様化しては来ておりますが、テレビの報道番組と称する各局報道合戦は、きわめて危険な段階に来たのではないでしょうか。そこに登場する司会者、評論家、ジャーナリストと評される人々、更には局の方針に従っているとしか見えない、ただ言葉を披瀝する芸能人等々の頻繁な登場。これは日本だけの現象なのでしょうか。戦前、戦中、戦後となんら反省が見られないのはマスメデイアと考えるのは私だけでしょうか。今回のコロナウィールス発生に際し、繰り広げられるテレビの報道番組に接し、改めてマスメデイアの危険性を感じるところです。

 

 昨日、安倍総理による緊急事態宣言が出されました。戦後最大の危機との表現です。

 

2020年4月8日

                        淸宮昌章

 

参考文書

 

石井知章・及川淳子編「六四と一九八九」(白水社)

リャオ・イー・ウー「銃弾とアヘン」(土屋昌明・島本まさき・及川淳子訳 白水社)

デイヴィド・アイマー「辺境中国」(近藤隆文訳 白水社)

安田峰俊「八九六四 天安門事件は再び起こるか」(角川書店) 

中澤克二「習近平の権力闘争」(日本経済新聞社)

同  上「習近平帝国の暗号」(同 上)

マイケル・ピルスベリー「China2049」(野中香方子訳 日経BP社)

麻生晴一郎「変わる中国 草の根の現場を訪ねて」(潮出版社)

ロバート・D・カプラン「南シナ海 中国海洋覇権の野望」(奥山真司訳 講談社)

阿南勇亮「中国はなぜ軍拡を続けるのか」(新潮選書)

フランク・デイケータ-「毛沢東の大飢饉」(中川治子訳 草思社文庫)

 他