清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

改めて、自らを顧みて

今年9月に出版いたしました。9月より全国発売となっております。友人並びに然るべき方々に著者贈呈分を送付いたしました。

思いのほかの好評を頂き、私としてもほっとしております。今回の著作は今まで二作の纏め的な作品で、私が膵臓癌のため病院のベッドの上で、編集者と最後の推敲をした想いの深い作品でもあります。

尚、ハテナブログ「清宮書房」には沢山のアクセスがここに来て急増し、その総数は67000台半ばに達しております。弊ブログ「清宮書房」は面倒くさいブログですが、一定の読者が見えるのかもしれません。

下記もいつもコメントを頂く中村克之氏より送られてきた写真です。感謝、感謝の極みですが、活用させて頂きました。改めて本書を手にとって頂ければ幸いです。

清宮昌章

 



 

 

「改めて自らの人生を顧みて」を拝見して

 

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私は1953年(昭和28年)生まれですから、1940年(昭和15年)生まれの清宮さんとは一回り(12年)+ 1年の年下となります。

 

今、2023年、戦後78年です。

その78年の中で矢張り我々日本人が自らを省みるべきは紛れもなく「昭和」なのだと思います。今はその昭和から平成を経て令和に至る訳ですが、戦後の中心は矢張り「昭和」なのです。

戦後78年は、良くも悪くも「大東亜戦争」の前後を構える「昭和」の在り方を考えなくしては成り立たないと思っています。

 

本書にも厚みを持って語られている吉田満とその代表作「戦艦大和の最期」はネットブログ「清宮書房」にも必ず顔を出す中心作品です。

当然、戦艦大和と言えば時代背景は大東亜戦争です。

吉田満は1923年(大正12年)生まれの大和乗組員3332名の生存者僅か276名の内の一人です。「戦艦大和ノ最期」は大和乗組員として特攻作戦を戦った当事者としてカタカナの文語の戦記として描かれています。不帰の戦いと知りながら如何に米軍と戦い抜いたかを描いています。驚くべきことに3332名の乗組員は全員が特攻作戦であったことを自覚して乗船し最後の戦いに臨んでいたことが鮮明に描かれています。

 

清宮さんは5歳になるまで戦争を体験しておられます。私は終戦8年後の生まれで殆ど戦争の名残は感じませんでした。時代の違いだけでなく生まれが北海道の片田舎ですので幸いにも空襲による破壊など戦争の被害などはほとんどなかった地域で育ったからだと思います。ただ、近くに「引き上げ住宅」という20戸余りの一戸建て住宅が連なる通りがあり、小中高を通じて同級生も沢山いました。当時はごく普通に「引き上げ住宅のなになにさん家に遊びに行ってくる」と言っていました。「引き上げ」という言葉の意味は深く考えませんでした。今にして思えばサハリン(樺太)か千島列島からの引揚者家族だったのだと思います。

身内の記憶と言えば、親父、泰二が終戦間際、志願兵で出征、土浦航空基地でB29の空襲に高射砲で戦う内に終戦を迎え復員してきたこと、親父の兄、泰衛が南方ニューギニア ビアク島で玉砕戦死を遂げたこと。因みに祖父、延次郎は日清、日露両戦争に出征して家に金鵄勲章を飾っていたことなどが記憶に残っています。

 

昭和28年生まれの自分と清宮さんとは一回りの歳の違いはありますが、3作目「改めて自らの人生を顧みる」を拝見し、戦後の生まれではありますが、矢張り自分の時代背景は紛れもなく「昭和」であることを思い知らされました。そしてその「昭和」は矢張り「大東亜戦争」を無くしては理解できないのだと思います。

 

台湾問題、北朝鮮核・拉致、韓国竹島と慰安婦・徴用工ほか数々の反日問題、中国尖閣、ロシア北方領土。すべて根の部分はは大東亜戦争を含む「昭和」ではないでしょうか。

昭和の理解無しには我が国の近代史とその先の将来を測ることは不可能なのではないでしょうか。

 

以下は著作にも触れられている(吉田満「戦中派の死生観」16頁)です。

*****

日本人、あるいは日本という国の形骸を神聖化することを強要された、息苦しい生活への 反動から、八月十五日以降はそういう一切のものに拘束されない、「私」の自由な追求が、なにものにも優先する目標となった。日本人としてのアイデンティティーの中身を吟味し直して、 とるものはとり、捨てるものは捨て、その実体を一新させる好機であったのに、性急な国民 から、それだけの余裕はなく、アイデンティティーのあること自体が悪の根源であると 結論を飛躍させた。 「私」の生活を豊かにし、その幸福を増進するためには、アイデンティティ― は無用であるのみならず、障害でさえあるという錯覚から、およそ 「公的なもの」のすべて公的なものへの協力、献身は、平和な民主的な生活とは相容れない罪業として、しりぞけられた。・・・戦後生活を過りなくスタートするためには、自分という人間の責任の上に立って、あの戦争が自分にとって真実何であったかを問い直すべきであり、国民一人一人が太平洋戦争の意味を改めて究明すべきであるのに、外から与えられた民主主義が、問題のすべてを解決 してくれるものと、一方的に断定した。

*****

この文章こそがおそらく清宮さんが何故に「吉田満」に心を砕かれるのかの、大元の出発点のような気がしています。

 

冒頭の2枚の写真を見てください。

彼らは九州の知覧基地から特攻攻撃に飛び立つ直前の第53、72振武隊の搭乗員達です。

そんな国民が正に出撃前の振武隊員の屈託のない透き通った笑顔に何を感じるか、感じなければいけないのか。「ひどい軍部のお偉いさんに強いられて勝ち目のない戦争で無駄に死んでいった可哀そうな兵隊さん」という、薄っぺらで聞いた風な解説では理解できないものを感じないでしょうか?私は齢70を数えんとする既に老境にある人間ですが、自分が彼らと同じ10代後半20代前半の時はおろか、この古希を迎えんとする今ですらこのような笑顔を作れるか...全く自信がありません。彼らのこの笑顔には国を護る、家族を護るという信念の裏打ちがあったからこそなのでは無いでしょうか?今日、国を護る・愛するなどと言うと必ず極右ナショナリストだ、軍国主義だと批判を浴びるのが我が国の一般的な光景ですが、国を愛する心、誇りは家族や同胞を愛する心、誇りと同じものであると思います。あるアンケートで祖国防衛の戦いになった時、「戦いに参加する」と回答した国民が13%に過ぎない日本は世界各国の中でも最低水準だそうです。「国を護るという言葉に惑わされるな。国がなくなってもそこに住む人々は普通に生きられるじゃないか。」そんなのは幻想です。ウクライナ、ウイグル、チベットを見ただけでも直ぐにバレる欺瞞です。その国や家族を愛する・守るという矜持を捨てた戦後日本人の、現実を見据えない、根拠の無い平和主義は亡国であり往々にしてカネの絡んだ売国と結び付いてしまうのです。そうした口当たりの良いリベラリスト達は、いざとなると平和を叫んで一番先に日本から逃げてしまう輩のような不信を感じてしまうのです。

 

私はそれこそが吉田満の言う「アイデンティティーの喪失」の原因であり、腑抜け日本人の根源であり、特亜3国の不毛の反日・悔日を招いている背景であると解釈ができるような気がしています。

特攻隊である第五十三振武隊の隊員たちが、出撃前に撮った一枚の写真(知覧)

 

 

昭和20年5月27日は特攻隊「ほがらか隊」の方々の命日。ほがらか隊を自称する第72振武隊は、沖縄防衛のため鹿児島県の基地から出撃。沖縄周辺にて散華した。子犬を抱いているのは荒木幸雄伍長。実に17歳である。荒木伍長は「チロ」と名付けた子犬に「大きくなれよ」と声をかけてから出撃した。

 

そして今日のなんともやるせないメディア・ジャーナリスト達の浅薄さについて。

 

つい先日(9月7日)のニュースバラエティ番組で、玉川徹という露出度の高いテレビ朝日のコメンテーターが次のような発言をしたと伝えられています。

 

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玉川徹氏「敵基地攻撃能力持たなければ、中国は日本を攻撃しない」

9/7(木) 

 元テレビ朝日の玉川徹氏が7日、同局系「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し、日本の敵基地攻撃能力に疑問を投げかけた。 台湾有事についての話題。中国が武力行使に出た場合、沖縄の米軍基地がターゲットになる可能性が高く、日本も当事者になると示された。 玉川氏は、憲法9条について「日本国憲法があることによって、日本は世界の戦争に巻き込まれないですんだっていう部分もある」と分析した。その上で、集団的自衛権の行使や敵基地攻撃能力についてコメント。中台で紛争が起きた場合「まず真っ先に狙われるのは沖縄の在日米軍基地。ここにミサイルなんかが来た時、日本はどうするかですけど、例えば日本が中国を直接攻撃する能力がなければ(日本は中国を)攻撃できない。攻撃ができないってことは日本を攻撃する理由もないわけです、中国にとっては」と説明した。「しかし、敵基地攻撃能力を持ってしまったら、(日本が中国を)攻撃できるわけですね。持ってたら、アメリカに言われたら攻撃をするかもしれない、中国の基地を。そうなった場合は日本は完全に中国にとっての戦争相手国になる」と持論を展開した。 「そういう風なことも含めて、解釈変更が良かったのか、敵基地を攻撃する能力を持つのが本当にいいことなのかそういう風なことを、ちゃんとこの台湾の問題でもう一回考えた方がいい」と力説した。ここで、解説をしていた元NHKのジャーナリスト池畑修平氏は「敵基地を攻撃する能力は戦争を抑止する、つまり中国に思いとどまらせるための手段として機能するかどうかというところが重要なポイント」と説明した。玉川氏は「機能すればいいんですけど、ミサイルの数とかから言っても、日本が備えるだけの数っていうのが中国をそれで思いとどまらせる力があるのかどうか」と日本の敵基地攻撃力の量では抑止力にならないと疑問視した。

 貼り付け元  <https://news.yahoo.co.jp/articles/d7a066e6c5d88b785b242666e768c3534200e4e2>

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言論の自由は認められますが、ロシアによるウクライナ侵攻、中共による台湾併合への脅しを眼前にしても尚、斯様な非現実的空想論が然したる根拠もなしにシレっと大手のTV局から一方方向で流されることに「違和感」を感ぜざるを得ない。

証拠はないけれど、政治、ジャーナリスト、マスメディアの世界には、どう考えても背景にワイロや汚いカネなどが介在しているのではないかという売国亡国の輩、その発言をよく目にします。モノはいいようですから言葉尻を捉えたり、前提条件を意識的に曲解すれば何とでも言える。

 

白を黒に見せることはカネをつかませれば出来る訳です。

これを正すのは他の多数を占める国家、国民の正常な志、乃至はアイデンティティーしかないと思うのです。

戦後、日本人は自分の国(生活と安全)を自分で守る、という一丁目一番地をどこに忘れて来たのか?

憲法九条の最大の罪はここにあるのかもしれない、と思う訳です。

結局は吉田満の言う「アイデンティティーの喪失」が戦後日本人の禁治産者的安全保障論の根底にあるのではないかという気がするのです。

 

これは国家レベルの安全保障問題に留まりません。

日常生活においても、卑近な例でいえば親が幼い実の子供を殺してしまう事件が起こる。

と、それは生活苦に追い込んだ社会が悪い。政府は何をやっているんだ。と、なる。

国としての在り様同様に人としての在り方に無責任であり、責任回避の匂いを感じるのは私だけでしょうか?

 

先の戦争で我が国は手酷い敗戦を経験し、国土の荒廃、夥しい戦死者と戦争被害者を生みました。その経験を基にスタンピード的な国民世論の暴走や軍国化に対し懸念を持つことは構わないと思いますが、戦前は全て悪である、ナショナリズムを唱えるのは悪である、国家を強制するのも全体主義だ、などなど。

ずる賢く既に死んでしまった誰かを敗戦の責任者にすることによって大東亜戦争の被害者は我々国民であって悪いのは全て当時の軍部と政治家だ。

この責任回避こそが戦後78年を経て尚、宿痾として我々日本国民が背負う罪なのだと思えてなりません。

 

戦前には私たちが範すべき政治家・指導者・軍人など綺羅星の如く生きておられた。

学ぶべきこと・人は大いに多とすることを知らないのです。

 

私たちはもっともっと昭和に何が起こったかを学ばねばならない。インターネット時代の若い世代に期待したいと切に思っております。

 

(了) 中村克之  2023年9月18日 清宮さんの3冊目

膵臓癌の宣告、手術に向かって (補足)  

左に小生、中央は元仕入れ先の社長・田口順造氏、右は親友・南雲定氏

 先月、11月15に文芸社より「文芸社の話題」の10冊の本の一つとして、弊著「メデアの正義とは何か」が毎日新聞に写真入りで紹介されました。私としては好評なのだなと、喜んでおりました。その数日後、文芸社より特別長期販売計画として、「紀伊國屋書店、並びに文教堂書店への常備配本並びに電子書籍」との案内を頂きました。続いて、その数日後の11月18日、掛かり no I Iのきくかわ医院で日大の心臓内科の専門医である斎藤圭先生により、閉塞性黄疸と診断され、急遽、東京板橋区の日大病院に入院。翌日に胃と、胆臓・大腸他を繫ぐ箇所にプラスチック菅を入れる所謂ステントをいたしました。家内も呼ばれ、その閉塞性黄疸の要因は膵臓癌によるものと診断されました。

 

 その宣告の段階では、私も82歳になりますので、それも私の寿命と一旦は思い、親友の未だ現役である南雲定孝氏にはその旨伝えました。氏曰く、「清宮の心境等は良く分った。ただ清宮は挑戦、挑戦の人生であった。人間もいずれは死を迎えるが、その最後まで挑戦するのが清宮ではないか。俺も心臓の持病を抱えるが、共に頑張ろう。」とのメッセージ。

 

 方や私の最後の職場であった、弊ブログにも素晴らしいコメントを頂く、元幹部(役員)の中村克之氏、並びに私の秘書的業務をも担ってくれた茶谷敬子女史と南雲氏を軸に、支援グループを作ったとのことです。

 

 加えて、私がニューヨーク時代ですが、私より数年前に赴任し、公私に亘り世話になった、岡谷鋼機(株)の後輩である荒瀬康雄氏より電話が入りました。嗚咽しながら、「・・・清宮さんはこの世に必要な人なのです。・・・何でもします  no no

 

 皆さんの心熱き支えに、私の心境も一転し、最後まで頑張ろうと決意しました。その後のCT、レントゲン、内視鏡検査、血液検査等々をしましたが、現在の医師団の審検査結果は癌の移転はないとのことで、手術を目差し、挿入したプラスチック菅から長期間堪えられる金属製のパイプに交換しました。約二週間の入院を経て、「清宮さんは82歳ですが、体力があり膵臓癌には手術でいこう。最終的には、この12月14日にMRIをし、15日に消化器外科の岡村行泰先生とも相談し、手術の是非を決める。」とのことです。そして15日にその結果が出ました。肝臓にも異物があり、膵臓癌手術への化学治療を施し、今月中には右胸に点滴の器具をつけるため、数日の入院を経て、来春でしょうか、本格的な手術に向かうとの結論に至りました。私は全てを先生方にお任せすることに決めました。

 

 親友・南雲定孝氏と中村克之氏、茶谷敬子女史、加えて、膵臓癌を克服した友人・黒木茂夫氏の貴重な経験談。並びに多くの友人、先輩からも克服を祈願しているとの文面を頂きました。更には長野県に在住の大学のゼミナリステンの北原正教氏からは、九州の霧島山麓の高価な源泉水「銀河水」2リットル10本を送って頂きました。感謝しかありません。長期戦になりますが、挑戦していく所存です。

 

 そんな現状を踏まえ、弊ブログ「清宮書房」に既に投稿していた、「改めて、自らの後半の半世紀を顧みて」に、現状をも加えた補足をすると共に、私の仕事人生に大きな影響と勇気を与えてくれた「『戦艦大和の最後』の吉田満を巡って」、加えて、自由の時代に遭遇した一冊の本・小島政二朗著「小説 永井荷風に遭遇して」等も併せ、一冊の本に纏め残して置くことも、ひとつの意義を持つかもしれないと考えた次第です。

 尚、元投稿は4年ほど前のものですが、110件ほどの投稿済みの中で、今でも上位3位に入っております。方や「戦艦大和・・」は7年ほど前の投稿です。

 

 自費出版か、営業出版かは未定ですが。文芸社編成企画部の松谷和則課長に電話で相談をしました。弊著「メデイアの正義とは何か・・報道の自由と責任」の編集者・今泉智ちえ女史、担当者の田口小百合さんも大変喜んでいる、原稿の完成を「お待ちしている。」との返信を頂きました。近々、そうした原稿を送付致します。

 

 病気がちの遠藤周作が「60歳になる少し前ごろから私も自分の人生をふりかえって、やっと少しだけ 『今のぼくにとって何ひとつ無駄なものは人生になかったような気がする』とそっと一人で呟くことができる出気持ちになった。」(心の夜想曲 文春文庫 14~15頁)で記しています。僭越至極というか場違いですが、私の80数年を顧みて、そんな想いを抱いています。加えて、その時々にお会いした方々、素晴らしい友人、先輩、後輩に恵まれ、改めて感謝の思いを伝えます。

 更に60年近くに亘り、常により添ってくれた家内には何としても、今後、恩返しをしなければなりません。

 

 昨日の18日に5度目のコロナワクチンを終え、来週24日にはインフルエンザの予防ワクチンを接種する予定です。

 

 2022年12月19日  

                                                                   清宮昌章

 

 

膵臓癌の宣告、手術に向かって  

 

膵臓癌の宣告、手術に向かって

 

 先月、11月15日に文芸社より「文芸社の話題」の10冊の本の一冊として、弊著「メデアの正義とは何か・・報道の自由と責任」が毎日新聞に写真入りで紹介されました。私としては好評なのだなと、喜んでおりました。その数日後、文芸社より特別長期販売計画として、「紀伊國屋書店、並びに文教堂書店への常備配本並びに電子書籍」との案内を頂き、承諾いたしました。

 続いて、その数日後の11月18日、掛かり付けの菊川昌幸先生の「きくかわ医院」で専門医の斎藤先生により、閉塞性黄疸と診断され、急遽、東京板橋区の日大病院に即入院。翌日に胃と、胆臓・大腸他を繫ぐ箇所にプラスチック管を入れる所謂ステントをいたしました。家内も呼ばれ、その閉塞性黄疸の要因は膵臓癌によるものと診断されました。

 

 その宣告の段階では、私も82歳になりますので、それも私の寿命と一旦は思い、親友の、未だ現役の南雲定孝氏にはその旨伝えました。氏、曰く、「清宮の心境等は良く分った、ただ清宮は挑戦、挑戦の人生であった。人間もいずれは死を迎えるが、その最後まで挑戦するのが清宮ではないか。俺も心臓の持病。お互い。お互い最後まで頑張ろう。」とのメッセージ。

 

 方や私の最後の職場であった、弊ブログにも素晴らしいコメントを頂く、元幹部(役員)の中村克之氏、並びに私の秘書的業務をも担ってくれた茶谷敬子女史と支援グループを作ったとのことです。

 

 加えて、私がニューヨーク時代ですが、私より数年前に赴任し、公私に亘り世話になった、岡谷鋼機(株)の後輩である荒瀬康雄氏より電話が入りました。嗚咽しながら、「・・・清宮さんはこの世に必要な人なのです。・・・何でもしますから。」とのお話。現在は家族以外、その4人しか私の状況並びに心境はあまり伝えていません。

 

 皆さんの素晴らしい支援に、私の心境も一転し、最後まで頑張ろうと決意しました。その後のCT、レントゲン、内視鏡検査、血液検査等々、しましたが、現在の医師団の審・検査結果では癌の移転はないとのことで、手術を目差し、挿入したプラスチック菅から長期間堪えられる金属製のパイプに交換しました。約二週間の入院を経て退院、「清宮さんは82歳ですが、体力があり膵臓癌には手術でいこう。最終的にはこの12月14日にMRIをし、15日に内臓の外科医とも相談し、手術の是非を決める。」とのことです。私は全てを先生方にお任せすることに決めました。

 

 そんな現状を踏まえ、弊ブログ「清宮書房」に既に投稿していた、「改めて、自らの後半の半世紀を顧みて」に、現状をも加えた補足をすると共に、私の仕事人生に大きな影響と勇気を与えてくれた「『戦艦大和の最後』の吉田満を巡って」をも併せ加え、一冊の本に纏め残して置くことも、ひとつの意義を持つかもしれないと考えた次第です。

 尚、元投稿は4年、ほど前のものですが、110件ほどの投稿済みの中で、今でも上位の2番に入っております。方や「戦艦大和・・」は7年ほど前の投稿です。お陰様で、コロナ禍の影響でしょうか、最近増えて、弊・清宮書房へのアクセスは63000台になりました。

 

 自費出版か、営業出版かは未定ですが。文芸社に電話で相談をしました。弊著「メデイアの正義とは何か・・報道の自由と責任」の編集者・今泉智ちえ女史、担当者の田口小百合さんも大変喜んでいる、との文芸社編成企画部の松谷和則氏のお手紙です。

 

 2022年12月10日

                      清宮昌章