清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

渡辺浩平著「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」  

 


再・再投稿にあたって

 

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 数日前の読売新聞で、吉田満の未発表の原稿が発見されたとのことが記事になっております。私に大きな影響を与えた吉田満に関しては既に7回に亘ると投稿してきました。私としては今回の記事は大きな驚きではないのですが、ご参考までに、上記新聞記事を紹介致します。

 2022月4月3日

 

渡辺浩平著「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」

 

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その1

 

 吉田満が56年の生涯を終えられてから、ほぼ40年の年月が流れました。吉田満の名前を挙げても、どういう人なの分らない方が現在では多くなっているかもしれません。私が拙著「書棚から顧みる昭和」の「まえがき」の中で、ほぼ40年前になりますが、米国駐在時の苦闘時代に吉田満の「鎮魂戦艦大和」に出会い、深く考えさせられ、その後の私の人生についての在り方に大きな影響を与えた、と記してからも4年が経ちました。加えて、3年前になりますが、ブログ「淸宮書房」において、吉田満に関わる私の偶然の出来事を「戦艦大和の最後の吉田満を巡って」と題し、3回に分けて投稿致しました。そして、改めてその原稿を見直し、今年4月24,25日に2本の記事に纏め直し、改めて再投稿した次第です。

 

 吉田満をご存知でない方に僭越ながら述べますと、吉田満は太平洋戦争末期に沖縄特攻作戦に参加し、学徒兵として戦艦大和に乗船し、奇跡的に生還します。敗戦後に日銀に勤めながら、直後に戦争文学の名作「戦艦大和ノ最後」を著わします。尚、吉田満の生涯では、その他に発刊されたのは「戦中派の死生観」「提督伊藤整一の生涯」「散華の世代から」の三冊のみと、いうことです。極めて少ない著作ですが吉田満が日銀の青森支店長、仙台支店長を経由し最後は監事ですが、日限の幹部としての仕事が主体で、文筆業ではないこともありましょう。

 

 また、「戦艦大和ノ最後」には八つの異なる版があることを渡辺浩平氏は、本書で改めて紹介しております。如何に吉田満による、その発刊が占領軍に問題視されていたか、謂わば本書にまつわる波乱の歴史事実をも指摘しております。八つの異なる版は以下のとおりです。

 

A 文語 一九四五年九月、吉川英治にすすめられ書かれたもの。

B 文語 「戦艦大和ノ最後」Aを肉付けしたもの。

C 文語 「戦艦大和ノ最後」小林秀雄にすすめられ、Bを修正したもの。占領軍の 民間検閲支隊の検閲により全文削除。その後、アメリカのブランゲ文庫に収蔵。吉田の死後、江藤淳により発見され、『文学界』(1981年9月)に掲載

D 口語「「戦艦大和」『新潮』(1947年10月号)に掲載

E 口語「小説軍艦大和」『サロン』(1949年6月号)に掲載

F 口語「軍艦大和」『サロン』掲載版を民間検閲支隊の指示により修正(1949年8月 銀座出版社発行)

G 文語「戦艦大和の最後」(1952年8月 創元社発行)

H 文語「戦艦大和ノ最後」(1974年8月 北洋社発行)

 

 私の本棚にある「鎮魂戦艦大和」(1974年 講談社)は上記のHに加え、「臼淵大尉の場合」と「祖国と敵国の間」が加えられたものです。偶々、私がニューヨーク駐在で、ある意味で自分探しをしている40年前にニューヨークの紀伊國屋書店で本書に遭遇したわけです。

 

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その2

 

 そんな私の個人的経緯があるわけですが、今年の3月に渡辺浩平氏による吉田満を語る、謂わば新たな研究書ともいうべき掲題の著作が発刊され、この夏に一読したところです。今までも吉田満について語る著書は、ブログ「淸宮書房」でもご紹介致しましたが、吉田満の日銀時代の同僚である千早 耿一郎(本名・伊藤健一)の「大和の最後」及び中央公論編集者粕谷一希の「鎮魂 吉田満とその生涯」があります。吉田満論としては、その全てを読んだわけではありませんが、鶴見俊輔、江藤淳、加藤典洋等々の方のものがあります。そうした方々は吉田満との面識があり相互に会話もあるわけです。

 

 尚、渡辺浩平氏は吉田満とは直接会話もされたことのない、1958年生まれのメデイア論を専攻される学者です。従い、その切り口も従来の方のものとは異なっているようにも思います。氏が吉田満との関心を持ったのは、本書では「吉田満をきちんとよんでみたいと思うようになったのは、鶴見俊輔、江藤淳、加藤典洋の吉田満論がたぶん影響している」と述べております。と共に、氏の奥さんを含め家族の方が吉田満のキリスト教の師である方々との奇縁があったことも、その要因ではないでしょうか。

 

 渡辺浩平氏は本書に於いて、吉田満が日銀仙台支店長時代に、「家の教会」を主宰していた佐伯晴朗牧師が吉田満を戦艦大和の学徒兵としての真向きの顔、日銀行員としての横顔、そして、クリスチャンとしてのうしろ姿、という三つの顔の表現をしていた。加えて、氏は吉田満の日銀行員という「横顔」とクリスチャンという「うしろ姿」に焦点を当てた、と記しております。今回、私が一覧しただけでは、氏はその「うしろ姿」に焦点を強く当てているように感じます。吉田満は戦後間もなくカトリック入信し、その後、ニューヨーク赴任前に、奥さんのプロテスタントに改宗し、東京の西片町教会に入会、そして亡くなるまでの20数年間、西片町教会の会員として、また西片町教会長老としても活動されたとのことです。

 

 敗戦の8月15日が間もなく来ます。戦後とは何であったのかを改めて考える機会かもしれません。私としては改めて吉田満の著作を読むことが必要であろう、と考えております。時間は掛りますが吉田満が著わした四書を改めて再読した上で、掲題の本書についても、私なりの感想などを後日になりますが、記したいと思っております。今回は掲題の本が発刊された、そして一読したとの紹介だけですが、吉田満の新たな研究書としての本書の御一読をお薦め致します。

 

 2018年7月23日

                            淸宮昌章

参考図書

 

渡辺浩平「吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年」(白水社) 

http://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/archive/2018/04/24

http://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2018/04/25/103006

 

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