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清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」、並びに五百旗頭真・中西寛編「高坂正尭と戦後日本」他を読んで思うこと

自費出版「書棚から顧みる昭和」のその後 世相に思う

 

序章 日本を取り巻く現国際状況

 

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  イスラム国の出現、テロの続出に加え、英国のEU離脱国民投票結果で首相交替、イタリア憲法改正反対での首相交替、アメリカ次期大統領トランプの出現、フランス、ドイツの首脳交代の可能性等々と欧州、アメリカが近来にない激しい状況変化に遭遇しているように見えます。方や、中国は依然として軍事費を拡大し「中華大国の復権」を目指そうとしております。まさに地政学的に見ても世界は大きな曲がり角に来たように考えます。そのなかで我が国は、どう対処し、進めて行くべきなのか。没後20年になりますが高坂正尭なら、どのように現状を判断するのかと、私は、ふと思い出しました。そんな中で偶々、掲題の二著に出会い、読み比べをして見ようと思った次第です。

 

 尚、今から4年前になりますが現在の国際上の大きな変化を見通していたかのように、イアン・ブレマー博士は、主導国なき時代の勝者はだれかと、「Gゼロ後の世界」を著わしました。トランプ次期大統領の出現は別としても、今の世界の状況を予期していたかの如き分析です。最終章の第6章で以下のように記し本書を閉じています。

 

 一方、ワシントンは、Gゼロの世界におけるアメリカのリーダーシップの限界を受け入れなければならない。アメリカン人は死活的な国益が危機にさらされる場所では、それがどこであれ、今後とも世界に深く関わらなければならない。また、アメリカのリーダーシップを求める声に応えつづけられるように、費用対効果の高い方法を探さなければならない。アメリカの先見性ある政策立案者たちが、この移行期の時代を利用して、アメリカと共通する価値観と利害の上に成り立っている伝統的な同盟国との関係を深化させると同時に、新たなパートナーや同盟国を探し出すならば、彼らは、来るべき新たな世界にとって必要不可欠な存在となる新生アメリカの構築に向けて、決定的に重要な一歩を踏み出していることだろう。(245頁)

 

 尚、本書の中でアジアについて極めて重要な指摘をしています。これからもアジアは、世界で最も不安定な地域のままであること。そして中国、インド、日本が長期に亘り良好な関係のまま共存する見込みは極めて低いこと。そして、アジアは世界経済の成長を動かすエンジンとしての役割をいっそう強めるだろうが、この地域が安全保障上の危険性を、あまりにも多く抱え込む状況は変わりない、との指摘です。加えて、現習近平主席の登場前にはなりますが、中国について興味深い記述をしております。

 

 Gゼロ世界において中国の発展が予測可能な経緯をたどる見込みは主要国の中で一番低い。インド、ブラジル、トルコは、過去10年間の成長をもたらした基本公式をそのまま使えば、あと10年は成長しつづけることができるだろう。アメリカ、ヨーロッパ、日本は、長い成功の歴史を持つ既存の経済システムに再び投資することだろう。方や、中国は、中産階級が主流となる近代的大国をめざす努力を続けるために、きわめて複雑で野心的な改革を推進しなければならない。この国の台頭は不安定、不均衡、不調和、持続可能不可能だ・・中国共産党指導部は、次の発展段階を迎える中国の舵取りをする自分たちの能力が、確実とはほど遠いものであることを承知している。(188頁)

 

 加えて、アメリカのソフト・パワーもまた、かけがえのないアメリカの貴重な資産であり、標準中国語が、世界で一番人気のある第二言語として、英語にとって変わることはない。従って中国がG2になることはあり得ないとの断定です。では日本についてはどうでしょうか。以下の通りの指摘です。

 

 Gゼロは、リスクにさらされる国のコストとリスクについても高めるだろう。これは、アメリカが自国の力を同盟国防衛のために使う意思に、大きく依存する国である。数百年に及ぶ日本と中国の緊張関係は、そう簡単には緩和されることはないだろう。なぜなら、日中両国の日和見主義的な政府関係者たちが、国民を煽り立てて相手国の不信感を増長することで政治的得点を稼ぐ手法を、あまりに頻繁に使うからだ。・・しかも個人が利用できる情報通信機器が、燎原の火のように普及したため、国民の怒りは空前のスピードで一気に高まる。しかし、日本の指導者たちは、中国の地域的影響力が拡大しつづけることは知っていても、今後アメリカが、日本の利益を防衛する意思と能力を、どの程度持ち続けるかについて知る術もない。台湾も同じ懸念を抱えている。(173頁)

 

 今日の現状を見て、如何に思われるでしょうか。まさに日本は4年前にはそのような現状にあったのではないでしょうか。ケント・E・カルダー著「日米同盟の静かなる危機」と共に合わせ、本書を改めて読むことをお薦めします。

 

参考文献 

 

 イアン・ブレマー・北沢格訳「Gゼロの後の世界」(日本経済新聞社)

 ケント・E・カルダー 渡辺将人訳「日米同盟の静かなる危機」(ウエッジ)

 細谷雄一「国際秩序」(中公新書)、岡本隆司「中国の論理」(中公新書)

 海外事情 10、11月、選択12月、 他

 

三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」と「高坂正尭と戦後日本」

 

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 今回も同様ですが、上記二著の解説あるいは概要ではなく、両書を読んで行く中で、僭越至極ながら私が共感したところ、あるいは気になる箇所の記述であること、ご了承願います。

 

その1 両氏の敗戦時の思い

 

 三谷太一郎氏は1936年に岡山で生まれました。そして、敗戦当日の感想を次のように記しています。

 

 空爆によって家を失った私の一家は父の出身の農村に移り住み、そこで敗戦を迎えた。八月十五日の記憶はもちろん鮮明であるが、とくに忘れることができないのは、その日の新聞に載った大日本政治会総裁南次郎大将の敗戦を語った談話である。当時の私にはもちろん南次郎についての知識はほとんどなかったが、「南次郎」という名前ははっきりと覚えている。南談話の中で、私を刺激したのは、敗戦の原因として、「国民の戦争努力の不足」を挙げた点であった。自分自身でも意外であったのは、当時の私はこの談話に心の底から憤激した。私は生まれて初めて、日本のリーダーの責任感の欠如に対しての根本的な不信感を持った。振り返ってみると、これが戦後への私の態度を決定する最初の要因であったと思う。そしてそれが記憶としての戦争を歴史としての戦争に結びつける媒介契機となったと思う。(242,243頁)

 

 方や、高坂正尭氏は1934年生まれ、敗戦時11歳の氏が京都府の北端、丹後半島疎開先で敗戦を聞いたあと、父に送った手紙は次のとおりです。

 

 大へんくやしい事です。しかし一度大詔が下りましたから、せいぜい勉強して真に何も彼も強く偉い日本を作りあげとうと思います。ついに我等は科学戦に破れた。きっと仇を討とうと思います。(上記書 3頁)

 

 人はどういう環境、星の下に生まれるかで、人生が決まるとも言われます。両氏の観点は、私なりに両書を読んでいく上で、参考というかある面でなるほど、と思った次第です。両氏は歴史家・政治学者、国際政治学者でもあります。従い、両氏が多くの共通の知友との巡りあいと交友がありながらも、その生まれの環境が両氏の現状を観る観点・思想が異なってくるのかもしれないと、思ったところです。

 

その2 三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」

 

 氏の言う戦後民主主義とは、いわゆる今時大戦の戦後にとどまらず、歴史上の日本の民主主義は、明治10年代の自由民権運動西南戦争に極まる一連の士族反乱が起こした内戦の「戦後民主主義」の波頭であり、日本の歴史上の民主主義は、いずれも全て何らかの「戦後民主主義」であった、という見解です。著者は次のように延べています。

 

 私の「戦後民主主義」がそれに先立つさまざまの歴史上の「戦後民主主義」と異なるのは、それが単に権力形態の民主化や民主的政治運動の勃興のような外面的な政治史的事実として現れるだけではなく、個人の行動を律する道徳原理として内面かされているという点にある。いいかえれば、私の「戦後民主主義」は私の「個人主義」と深く結びついているという点で、それに先立つ歴史上の「戦後民主主義」とは異なる独自性を持っている。(251頁)

 

 Ⅰ 政治社会を生きる

 

 そうした観点に立ち、本章を展開していきます。冒頭で次のように述べます。

 

 現在の日本の政治社会は政治的疎外感の感覚が、国家の経営にあたっている政権の側にも、政権の外の市民の側にもある状況だと思います。そういう意味では、二重の政治的疎外感です。そうした政治的疎外感によって、現在の日本の政治社会には亀裂が生じていると見ています。

 

 まず、国家の経営にあたっている現政権の政治的疎外感とはどういうものかということですが、安倍晋三首相に代表される現政権には、戦後の日本というのは真の日本ではない、つまり戦後日本,そしてその痕跡がのこっている今の日本というものは真の日本が疎外された形態であるという、そういう意味での政治的疎外感があると思うのです。

 

 ですから安倍首相は、真の日本(それは端的に言えば、安倍首相の祖父岸信介の象徴される日本)を取り戻すということをよく言うわけです。それは彼なりの、政治的疎外感を克服したいという願望だと思います。

 

 それに対して現政権の外部にある市民の側・・もちろん安倍首相に同調する人たちも少なからずいるわけですけれど・・にもまた政権に対する政治的疎外感があるように思います。市民の側も、安倍首相が今の日本に対して持っているような政治的疎外感を、現政権に対して持っているということです。(2、3頁)

 

 そして、現在の集団的自衛権の問題は単に安全保障環境の変化に応じた国家の安全の確保ということにとどまらず、自覚的に考えているかどうかはともかくとして、日本の政権の側から見ると、日本の政治社会を変えようとする態度が見える。即ち、日本の政治社会を国際的なアナキーの中にあえて投じるように思え、そこに根本的な疑問を感じる。歴史を振り返ると、日英同盟も日独伊三国同盟も、いずれも戦争の導火線になった。今日の日米同盟は戦争の導火線となった過去の二つの同盟と何処が違うのか。果たして「抑止力」は「抑止」機能を発揮しうるのか、それをはっきりさせることが歴史を学ぶとうことなのだ。集団的自衛権はまさに、敵の存在を強調し、敵に対する恐怖あるいは憎悪を政治社会の統合手段とする、可能性をはらんでいる。それは自由な政治社会の再建という観点からおそれる。加えて、確かに悪は存在し、自由と正義を求める政治社会がそのような悪と非妥協的に敵対せざるを得ない場合もあることは否定しないが、そのような戦術的あるいは戦略方法論の問題は具体的な状況に応じて論ずべきである。その結びとして、次のように記しています。

 

 「悪でもって悪をとりのけることは、できないのだ」というトルストイの命題は、要するに「抑止力」のような必要悪の観念の否定を意味するものであります。それはトルストイ歴史認識の蓄積としての聖書から得た真理であり、聖書的なリアリズムの極地を表現したものと考えます。(23頁)

 

 如何でしょうか、私には氏の見解は迂遠すぎて理解不能、と同時に違和感を禁じ得ません。

 

 Ⅱ 知的共同体を生きる 

 

 本章において、氏は二人の精神的リーダーを挙げます。一人は新渡戸稲造で、戦前の日本が最も国際主義的であり、かつ最も自由主義的であった時代を代表している。方や、南原繁は、戦後の日本において旧体制の崩壊の中で、「国民共同体」を再生させる新しい精神的秩序の理念を吹き込み、実際にそれを建設する指導的役割を果たしたと、しています。続いて丸山眞男の断片的な回想、国際歴史共同研究のリーダーとして細谷千博、想像力を媒介とする政治リアリズムの坂本義和、さらには中央公論の編集者・粕谷一希、弁護士・中坊公平等々の方たちとの関わり、さらには追悼記を載せています。興味深い人々との知的遭遇の章でもあります。尚、民法学者の平井宣雄の三回忌において、令息が生前「人間が生きていく上で最も重要なのは、体力や気力ではなく、判断力だ」と言われた、とのことです。私には強く印象に残りました。

 

その3 「高坂正尭と戦後日本」

 

 本書は細谷雄一慶應義塾大学教授が代表となる「高坂正尭研究会」の研究成果で、同教授他11名の諸学者が高坂正尭氏の業績、あるいはその思い出を記したものです。それぞれ貴重且つ興味深い記述ですが、全部を紹介するのではなく私なりに記憶に留めておこうと考えた箇所を以下、記していきます。

 

 安全保障政策の専門家としての高坂正尭

 

 本書の序章で、五百旗頭真氏は次のように述べています。

 

 ハーバードから帰国したばかりの高坂正尭は、1963年1月号の中央公論に「現実主義者の平和論」の論文を発表した。それはよく知られるように戦後日本の知的世界を風靡していた丸山眞男坂本義和らのリベラル進歩主義に立つ平和論を批判しつつ、国際環境の中で日本に平和外交を提案する論文であった。帰国早々、粕谷の力ある説得に乗って書いたところ、「パラシュートで降りたら地上は敵ばかり」という状況であったと、高坂は苦笑することになる。

 

 そして、60年代は日本は経済的巨人になったかもしれないが、「臆病な巨人」でしかない。自ら考え、決断し、作り出していくことのできない文明では、国際政治の荒海の航海を全うできないのではないか。「1960年代は退屈な時代であった」。それは闘争と欠乏のない「平和の退屈」と「豊かさの退屈」にくるまれた時代であった。そこには「生命以上の価値」のために生命を犠牲にすることを迫られる「真実の時」は存在しない。この社会には、「自主性を口にする集団主義」「決意なき革命論」「道義なき平和国家」がはびこっている。非のうちどころない60年代の成功のさなかにあって、高坂その内にひそむ脆弱性と精神的歪みを見落とさなかった。自己決定する者にのみただよう風格が、経済主義の日本から失われようとしているのではないか。(9頁)

 

 (中略)・・高坂が親密な感情を持って支えようと関与した政府は佐藤内閣だけであったろう。70年代以降の高坂は頼まれた仕事に応ずる形で、政治への一定の関与を折々に行うことになる。とはいえ、その頻度は小さくない。というのは、安全保障政策を扱える専門家は戦後日本におおくなかった。猪木正道や佐伯喜一がその長老格であったが、彼らにしてもデイテールについては高坂に頼ることが多かった。もっと若い世代の北岡伸一田中明彦が登場するまで、政策的センスのある民間の安全保障専門家は高坂が代表する状況が続くことになる。(12頁)

 

 また、1970年代の高坂は,論壇での活躍と政府への関与において多忙な毎日を過ごす中で、18世紀の近代ヨーロッパがつくった勢力均衡が崩れゆく世界を描いた「古典外交の成熟と崩壊」を著わします。細谷雄一教授は、その本書で高坂が読者に伝えたかったのは、歴史を学ぶ魅力であると同時に歴史を学ばないことでわれわれが現代を相対化できず、他国を相対化できない危惧であろう。それは容易に「道徳的唯我論」に帰結し、多様性の精神を摩滅させてしまう。高坂は、この著書の最後を「古典外交の精髄はわれわれに深い叡智と貴重な示唆を与える」と、記しています。

 

 高坂正尭の安全保障の観点

 

 自らの愚かな戦争に深手を負った戦後日本は、「自分の安全を自分で守るという自治」を放棄した。それを高坂は「典型的な小国の外交」もしくは「準禁治産者になった」とすらいう。「しかし、それからわれわれは卒業しなければならないのであります」。自分で責任ある決断をし、行動しなければなければ、道徳的な構造が朽ち果てる、と高坂は警告する。・・(中略)「国際政治は軍事問題と無関係ではありえない。秩序を維持するには力も必要だからである。もっとも力も必要なのであって。力が必要とうわけではない。だから、日本の重点は軍事力以上の部分に置かれるべきであろう」と、湾岸戦争翌年の1992年にも論じている。それは、現代における軍事手段の極大化が軍事力の行使を制約したとの基本認識に立つものである。

 

 日本が安全保障上とるべき措置として高坂が説いたのは、自衛隊PKOへの参加(同前、92年)と、集団自衛行使の解禁であったと思われる。「日米同盟の運営のために、言い抜け、詭弁の類が積み重なって、ストレイト・トークがおよそ不可能に近い状況だと言ってよい。常識的に言えば日米は共同防衛を行っているのだが、日本には集団的自衛権があっても行使はできないという類の議論はその最たるものである。・・それは行動する世界の人々の言葉とはほとんどなんの関係もない。(22、23頁)

 

 高坂正尭の中国論

 

 高坂は中国の台頭についての分析を必要と考えながらも、次のように述べていると、森田吉彦大阪観光大学教授は指摘します。

 

 中国問題は21世紀全般の最大の問題だが、それは私たちの世代の問題ではなくて、君らの世代の問題だよ」とよく言う。・・(中略)より基本的には、中国の在り方とそれが提示する問題は、この何年間のあいだにおこったこととも、歴史書に書いてあることとも違う。まず、中国が弱かったときの行動様式、たとえば以夷制夷は現代中国外交の例外しか説明しない。共産主義政権といっても、それで説明できることはきわめて少ない。それに、強い中国が中国文明圏を作ってこの地域を安定させることは世界化時代にはありえない、といった具合である。部分にも歴史にもとらわれない中国論の出現を、私は心から待ちわびている。(101,102頁)

 

 そして、高坂の中国論は、「革命的状勢」として中国を捉えると共に,日本人の「アジア」への思いからはっきりと距離をとる立場から始って、やがてその「中共革命の挑戦」の危険性と、「戦争責任」を抱える日本の脆弱性を認識する方向へ進んだ。それは彼にとって、日本文明の基礎にもかかわる問題だったのである。これらの問題は日中国交正常化によって一応の区切りがつくはずであったが、彼の希望的観測とは異なり、そうはならなかった。「戦争責任」を世代交代と共に「歴史認識」の問題へと移行していく。しかし、この問題が本格化するのは高坂逝去の後のこととなった。中国経済の拡大についても同様である。(126頁)

 

 加えて、箕原俊洋神戸大学院教授は次のように記しています。

 

 現在の東アジアの国際政治情勢と照らし合わせて、とくに先見の明が感じられるのは、中国の台頭によって、防衛・外交をアメリカに頼るといった戦後日本の安全の根幹が壊れ始めるという指摘である。これはまさに現在の尖閣諸島を巡る日中両国の攻防につながるものであり、大国中国の出現が国防の観点から日米関係の性質を大きく変貌させるであろうという予言は高坂がきわめて正確に将来の国際情勢を読んでいた証左である。(140頁)

 

 方や、猪木武徳大阪大学名誉教授は、「一億の日本人に関連づければ、理想は大事だけれども、理想だけを語って現実を批判するようなことではなく、達成可能な目標を設定して励むことの方が大事だ、と。これはおわかりのように進歩的文化人批判です。当時の日本人が社会主義に幻想を持って現実の日本を批判する。日本は遅れている、近代化の遅れを強調する日本批判論を高坂先生は切り返すんです。「ある国の、長所だけをみて短所を切り離すことは、軽薄であり、危険である」。と(238頁)

 

むすびにかえて

 

 高名な政治学者且つ歴史家でもある、お二方に関する著作が今年5月,9月にそれぞれ発刊されました。私としては興味深く読んだ次第です。ただ、もし高坂正尭氏が存命であれば、この大きく変動する世界情勢の中にあって、日本はどうあるべきか改めて聞いてみたいと思うところです。

 

 尚、日頃から日本のマスメディアの危うさ、危険性を私なりに憂慮しているわけですが、「高坂正尭と戦後日本」の最後の章に、ジャーナリストの田原総一郎氏が興味ある余談を記しています。私にはとても印象に残る箇所で、むすびにかえて、以下、ご紹介致します。

 

 筑紫哲也という人がいました。ご承知のように、彼は朝日新聞の記者出身ですが、私が「サンデープロジェクト」をやっていた当時、TBSで夜11時から番組のキャスターをしていました。私と彼と仲がよかったんです。二人の共通認識は、テレビはどれほどいい番組でも視聴率を取れなければ打ち切りということ。たぶん雑誌も同じでしょうけど。だから最低視聴率・・彼は「生存視聴率」と言っていました。・・「サンデープロジェクト」も、彼の「筑紫哲也NEWS23」も7パーセント。7パーセントを取らないとどんな偉そうなことを言ってもダメ。ただし10パーセント以上は取らない。10パーセント以上取ろうとすると、別の番組になってしまうんです。早い話、10パーセント以上の番組というのは、概して世論に迎合したものです。世論迎合とは要するに偉いもの、権威あるものを叩くこと。今なら、原発反対を挙げ、東京電力の悪口を言い、強そうな人や組織を叩く。視聴者のカタルシス、それが世論迎合です。(277頁)

 

2016年12月19日

                          淸宮昌章

 

参考文献

 

 三谷太一郎「戦後民主主義をどう生きるか」(東京大学出版会

 五百旗頭真中西寛編「高坂正尭と戦後日本」

 細谷雄一「安保論争」(ちくま新書)

 佐伯啓思「反・民主主義」(新潮新書

 他