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清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

筒井清忠「近衛文麿」 教養主義的ポピュリストの悲劇(岩波現代文庫)他への覚書 【前編】

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はじめに

 

 ここ数ヶ月に亘り安全保障関連法案の国会審議等、今日的問題について私の日頃の想いなどを吉野源三郎「君たちはどう生きるか」にも触れながら報告してきました。加えて、服部龍二氏の「広田弘毅・・悲劇の宰相の実像」、山本七平裕仁天皇の昭和史」等々も取り上げ、戦中・戦後の人々が何を感じたのか、如何に生きたのか。そして現在、我々は何を問うべきなのか、私なりの雑感を載せてきました。

 

 そして今回、今まで直接・間接的にも取り上げてきた人物のうちで、毀誉褒貶のはなはだしい近衛文麿をもう少し知りたいと思い、6年前になりますが掲題に挙げた雑感を改めて検討した次第です。未だ読んでいるわけではありませんが近衛文麿の伝記としては、矢部貞治「三代宰相列伝・・近衛文麿」もあります。ただ、掲題の本書の副題として挙げられている「教養主義ポピュリストの悲劇」に惹かれ、彼の「悲劇」と「運命」が何処にあったのか、改めて考えたわけです。そして時に感じたことなども織り交ぜながら、ここに紹介してみようと思います。

 

加藤周一「私にとっての20世紀」、「日本人とは何か」

 

 私の心の整理と言うか、どう考えるべきなのか、迷う日常にあって、数年前になりますが、加藤周一著「日本人とは何か」を読み、その一部を引用しご紹介いたしました。同氏は2008年12月に89歳の生涯を閉じましたが、2009年2月に上梓された最後の遺稿とも言うべき「私にとっての20世紀」を、筒井忠清氏の「近衛文麿」と同時並行的に読み進めたわけです。

 

 尚、加藤周一の著書はあまり読んだわけではありません。ただ、その論理には頷けるものの、何故か私は心情的にしっくりこないのですが、「戦後知識人」と自らを規定し、知識人のあり方を最後まで模索し、場を求め、思いを発表していた知識人であった、と私は考えています。加藤周一は本書の中で知的好奇心について、次のように述べています。

 

 しかし、戦争の経験だけではなくて、環境を知りたいというのは一種の知的好奇心のあらわれです。私は知的好奇心が強くて、自分の身の周りで起こっていること、それからそれを超えて,歴史の中で社会的、政治的な現象を理解したいという欲求をたえずもっています。この知的好奇心は必ずしも楽しみの追求ではないかも知れません。しかし義務感だけではない。(中略)・・少なくとも私の場合は、かなり根源的な動機だと思う。ほかに目的があるのではなくて、知ること自体が目的だということがある。(76頁)

(中略)、知識人の一般的な特徴というのは、知識があることと、それから現実を知らないと言うことです。たくさんの本を知っていて、現実を知らない。あのときは戦争中ですから、程度問題だと思うのですが、少なくとも新しい本はなくても、古い本なら読めた。本が読めて、現実について何も情報が入ってこない。「近代の超克」で議論している人たちはヨーロッパが行き詰まったといっていたけれど、行き詰まったそのヨーロッパと米国で暮らした人はほとんどいなかった。(107頁)

 

 と、経験を得た上での知ることの重要性を述べ、「科学からの倫理」でなく「倫理からの科学」を主張しています。

 

 その中には当然のことながら戦中・戦後における白樺派他の文化人・知識人への強い批判があるわけです。本書の中では近衛文麿に言及する箇所は「近衛文麿がいつ頃からこの戦争の先行きはないと考え出したか私は知りませんけれども、『早く降伏したほうはがよろしい』という考えで行動を起こしたのは45年1月です」(97頁)という一文があります。

 

 加藤周一によれば、本書「私にとって20世紀」の主旨は時間、空間、および知識の領域に関して、限られた一市民の私にとっての20世紀の回想であって、そのあとがきに「今読み返してみて、私はこの本のなかに私自身を発見する。そして私自身を決定した20世紀という時代の文化が、どういうものであったのかを、問い続ける」(257頁)と述べています。私にとって印象に残る「あとがき」でした。

 

 以前にも触れましたが、「昭和天皇の終戦史」で吉田裕氏が近衛文麿を当時の保守勢力のなかで、最もリアルな政治感覚をもった人物と評価しています。しかし一般的には近衛文麿は勇気、決断、責任感に欠如が見られる。広田弘毅他と比べても一段低い人物と見られているように思います。近衛が華族であることもあるのでしょうか。接点が多かったと思われる西園寺公望は近衛をどのように見ていたのかとの視点で、岩井忠熊「西園寺公望」にも目を通して見ました。

 

岩井忠熊「西園寺公望

 

 岩井忠熊によれば西園寺公望は近衛が陸軍皇道派と親しいこと、或いは右翼に妥協的という点に強い不安を覚えていたと記しています。現在では人によれば東条英機広田弘毅よりも近衛文麿を今次大戦の「戦争責任者」として強く断罪しているようにも思えますが如何でしょうか。私も近衛文麿をそのような人物かなと見てきましたが筒井清忠氏は近衛文麿の生い立ちから振り返ることにより、改めてその人物像を描がこうとしています。どちらが本物かを問うのではなく、その時代、時々の環境・情勢がある人物像を如何ようにも変えてしまうというのが現実なのでしょう。ただ、私にとって本書「西園寺公望」は近衛文麿を別の角度から改めて見ることになりました。と共に、マスメディアと大衆の怖さ、その危うさを改めて知ることにもなりました。そのことは過去のことだけではなく今現在においても言えることと考えています。

 

 西園寺公望は生涯に総理大臣を二度もつとめ、最後に元老として生を終え、本人自身は望んではいなかった国葬が執行されたわけですが、岩井忠熊は西園寺を失敗した政治家と見ています。そして、次のように記しています。

 

 西園寺が軍部の政治的台頭、大陸への冒険的侵略、対英米戦への動向のすべてに反対し、それを阻止しようとしたことは争えない事実である。しかも西園寺は天皇から特別の勅語を受けた元老の地位にあって、国事上の最高顧問の役割を引き受けていた。その西園寺がなぜ1930年代の政治情況で次第に敗北者の地位に追いこまれ、その行動は失敗に終わったのか。いわゆる15年戦争に関心をもつ者にとって看過できない問題である。現に未解決の戦争の遺産はなお私たちの前にある。靖国神社、無差別爆撃、虐殺、強制連行、従軍慰安婦、原爆等、なにひとつ解決したとはいえない。われわれの未来はそのような問題にひとつひとつ誠実に向き合うことを回避しては、真に拓かれたことにはならないだろう。そう思えば、歴史学はやはり西園寺の失敗に学ぶ必要があるのではないか(211、212頁)

 

 自死した近衛と国葬で送られた西園寺と何故にこのように差が出てきてしまったのでしょうか。岩井忠熊は次のように述べています。「成功した歴史に学ぶ者は、往々にしてその達成の陥穽におちいる。失敗の歴史に学ぶ者は、盲点の存在に目ざめさせられる。歴史を読む者の心すべき教訓であろう。」(220頁) 正に心すべきことではないでしょうか。

 

以下、後編 筒井清忠近衛文麿」に続く

 

2015年10月5日

                             清宮昌章

 

参考図書

 

筒井清忠近衛文麿」(岩波現代文庫

吉野源三郎「君たちはどう生きるか」(岩波文庫

加藤周一「私にとっての20世紀」(岩波現代文庫

 同  「日本人とは何か」(講談社学術文庫)

岩井忠熊「西園寺公望」(岩波新書

吉田裕「昭和天皇の終戦史」(岩波新書

 他