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清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

安全保障関連法案に関連して【 後編 】

世相に思う 自費出版「書棚から顧みる昭和」のその後

服部龍二著「広田弘毅

 我々が今なお、今次大戦を問い続け、否問い続けざるをえない中にあって、本書は何故に日本が太平洋戦争に突入し、そして敗戦に至ったのか。世論を作り出す、そのときの言論機関・マスコミはどうであったのか。そういった諸々の歴史経過を検証する意味でも新書版ですが、時宜を得た、極めて参考になる研究書でもあると私は考えます。

 「子曰く志士仁人は生を求めて仁を害することなく、身を殺して仁をなすことにあり」と最後の言葉を残し処刑場に向かったという広田弘毅は悲劇の宰相として語られていますが、「それはたぶんに城山三郎の『落日燃ゆ』に(我々が)影響されており、ひいては日中戦争東京裁判に対する国民の歴史観を形成してきたとすればどうであろうか。等身大の広田像を慎重に描きなおさなければならない。それが本書を著す動機である。」(274頁)、と著者は述べています。

 

f:id:kiyomiya-masaaki:20150722192649j:plain 服部龍二著:広田弘毅「悲劇の宰相」の実像


 1878年(明治11年)に福岡の小さな石屋の長男として生まれた広田弘毅日清戦争に続く三国干渉に衝撃を受け、当初の軍人志望から外交官志望へと変わります。第一高等学校東京帝国大学を経、職業外交官となり、その後、1930年代の日本外交を最も体現する政治家となりました。結果的には東京裁判A級戦犯として、侵略戦争の共同謀議、満州事変以降の侵略戦争、戦争法規遵守義務の無視という三つの訴因で有罪となります。とりわけ外相時代における南京事件の犯罪的過失を重く取られ、


 「残虐行為をやめさせるために、直ちに措置を講ずることを閣議で主張せず、又同じ結果をもたらすために、かれがとることができた他のどのような措置もとらなかったということで、広田は自己の責任に怠慢であった。このため判定はかれの不作為は、犯罪的な過失に達するものであった。」(260頁)と厳しく断罪されます。

 この不作為という断罪の意味合いには、現在の会社生活を含めた我々日常行動は如何であったかと自らも省みるべき性質をもつものではないでしょうか。広田弘毅は唯一文官として、判事11名のうち6対5の賛成で死刑に処せられ、その運命を閉じるわけです。彼の一生の検証はわれわれにも決して他人事ではなく、自らの生き方、人生のそれぞれの場面での自らの対処の仕方はどうであったの。或いはどうあるべきなのか省みる必要があると私は考えます。

 広田の辞世の言葉も仁人、無私の人という面だけではなく、「だが広田は二・二六事件後の組閣などで粘りをみせたにせよ、総じて首相や外相のときに命を賭するような態度に出なかったはずである。『身を殺して仁をなす』ということばには、要職にありながら敢然たる行動を取れなかった悔恨の情がにじんでいるようにもみえる。辞世に広田は、遠い記憶をたどりながら、自戒の念にとらわれていたのであろうか。」(279頁)、と著者は記しています。

 著者は本書において広田弘毅を論じるに四つの課題をあげています。

  1. 広田の生涯を描くこと。城山三郎「落日燃ゆ」をはじめとした小説にされた有能であるが軍部に抗いしきれず、東京裁判では一切の弁明をせず。死を受け入れたという無私の人物だけではなく、頭山満に率いられた福岡の国家主義的団体「玄洋社」の社員としての憂国の士でもあったこと。
  2. 日本外交の潮流に広田を位置づけること。
  3. 1930年代の日本外交。
  4. 東京裁判


 そうした位置づけの中、本書は第一章;青年期、第二章;中国と欧米の間、第三章;外相就任と協和外交、第四章;首相の10ヶ月半、第五章;国民政府を対手とせず、第六章;帝國日本の瓦解、第七章;東京裁判、終章;訣別、という構成です。諸々の広田弘毅伝、玄洋社に関するもの、. 成されていますが日本外交文書等々、膨大な資料を基に丹念にその四つの課題に迫っていきます。

 広田弘毅は1906年(明治39年)に二度目の外交官試験を主席で通過します。外務省に入省するものの、その後は幣原喜重郎が主流であった欧米派ではなく、むしろ日中提携の革新派の一員として駐オランダ公使、駐ソ連大使といったむしろ外務省の亜流を進みます。1936年(昭和11年)の二・二六事件後の首相に就任し、それから敗戦に向かうまでの政党間の状況、陸軍との葛藤、同期の吉田茂との関係等々詳細に記しております。当時の政局、世論・言論がどんなものであったか伺いできます。

 外相時代における「広田三原則」、首相時代の軍部大臣現役武官制の復活、日中戦争・太平洋戦争に向かうこととなる帝国国防方針の改定。更にその後の近衛内閣の再度の外相時代に盧溝橋事件、及び陸軍が「蒋介石打倒」を打ちあげるなか、広田としてはそれを緩和する表現として「爾後国民政府を対手とせず」との声明を出します。ただ南京事件への対応がA級戦犯として東京裁判で重罪として取り上げられるとは、近衛内閣の外相時代には夢想さえしていなかったがはずです。


補足 天皇制に関して

 尚、むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活へ」の中で、「戦後の日本は、やるべきことをやってこなかった。1945年8月15日以降、天皇制をきちんと処理することも、とうぜんやるべきだったのにやらなかった。そして、もっとも大事な憲法9条のなかには、さっき言ったように、軍国日本への死刑判決と人類平和へ導く道しるべという両方があり、最も暗いものと明るいものが重なり合っている。」(同書101頁)と述べており、

 予感みたいのものを言えば、今の皇太子夫婦が天皇・皇后になろうとするときこの天皇制はもう一度問題として吹き出す。これ以上、天皇制を存続させるのはむずかしいのではありませんか。そのとき、天皇一家は自分達をどうしていくかを、みずから意思表示しなければならない。(同書96頁)とも記しています。現在、我々はどう考えればよいでしょうか。

 一方、服部龍二氏は歴史資料を分析する中で、危機的な状況にあって政治指導者は、うつろいやすい時流に染まってはならない。国家の岐路に立つ瞬間であればなおのこと、大勢に順応するのではなく、大所高所から責任ある決断力を発揮すべきである。最晩年の(昭和)天皇は、ときの権力者や後世にそう言い残そうとしたのかもしれない。逆説的な表現ながら、身をもって体験した敗戦から学んだ歴史の教訓であった。(195頁)、と間接的に同氏も今はタブー視されているかのごとき天皇制を問題にしているようにも思います。


おわりに

 以上、確とした根拠もなく、三氏の著書を対比するような形で進め、私なりの感想的なことも織り込みながら、龍二服部著「広田弘毅」に焦点をあて紹介してきました。纏まりのないものになっていますが、同氏が本書の終章「訣別」のなかで私にとり印象深い文節を引用し、終わりと致します。


 思えば、広田の生涯は、逆説に満ちていた。もともと軍人志望であった広田が外交官になったのは、軍事力ではなく外交を政策の手段とするためであった。だが広田の外交は、日中戦争の歯止めとはならず、それどころか武力行使を対中外交の圧力に利用すらした。外務省主流の幣原派と距離を置いたためにかえって1930年代の主役にのし上がったこともそうだが、最大の逆説は中国であろう。少年時代から大陸を夢みた広田は、弘毅という名前すら「論語」から得た。念願の外務省に入った広田は、真っ先に中国へと赴任し、外相としても駐華大使館への昇格を進めるなど中国との提携に努めた。しかし広田の外交は、陸軍の華北分離工作とともに後退しはじめ、陸軍の自治工作を用いて広田三原則を進めようとするところもあった。第二次外相期には「対手とせず」の声明にまでいたり、東京裁判で中国を含む判事団によって死刑宣告をされた。広田が胸に描き続けた「日中提携」の末路は悲劇的なものであったにせよ、そのことは広田の悲劇と片づけられるものではない。悲劇の宰相とみなされがちな広田だが、破局へ向かう時代に決然とした態度に出なかった。広田が悲劇に襲われたとうよりも、危機的な状況下ですら執念をみせず消極的となっていた広田に外相や首相を歴任させたことが、日本の悲劇につながったといわねばならない。あの戦争の責任を広田だけに負わせるのはもちろん公平ではないし、極刑は過酷だったと思うが、少なくとも責任の一端は広田にあったと考えざるを得ない。広田としても責任を痛感していただけに、敢えて証人台に立たなかったのであろう。その半面で広田の挫折は「日中提携」の本質的な難しさを暗示しているようにみえる。(中略)70年で幕を下ろした広田の生涯は、政治指導者のあるべき姿や、「日中提携」の隘路を現代に問いかけているのかもしれない。(272頁)

 

              2015年7月20日

                                                                                               清宮昌章


参考文献

城山三郎「落日燃ゆ」(新潮社)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)

渡辺利夫「私のなかのアジア」(中央公論新社) 

同 「新 脱亜論」(文芸新書) 

むのたけじ「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書) 

服部龍二「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)

同 「広田弘毅」(中公新書)

同 「日中国交正常化」(中公新書)

同 「日中歴史認識」(東京大学)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書

拓殖大学海外事情研究所「海外事情」(2008年8月、2015年6月)、

文芸春秋」(2008年10月号)

アンネッテ・ヴァインケ著 板橋拓己訳「ニュルンベルク裁判」(中公新書

稲垣清「中南海 知られざる中国の中枢」(岩波新書)

宮本雄二習近平の中国」(新潮新書

「選択」(2015年7月)        他