読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

安全保障関連法案に関連して【 前編 】


服部龍二著「広田弘毅・・悲劇の宰相の実像」(中公新書)他への雑感

 

 今国会で大幅に会期を延長しているものの、安全保障関連保障法案の国会質疑は大きく変貌している地政学的変動とも言うべき現実を軽視した、またもや神学論争に陥ってきた感を否めません。法案そのものを論議するのではなく、なにやら安保改定の中身をほとんど知らすこともできずに、民主主義が崩壊するかの状況に陥らしていった、あの1960年の安保闘争時のような展開になるのではと私は危惧感を抱いてきております。今まで何度も記してきましたが岸信介政権のあの歴史の轍を自公政権は決して踏んではならないことです。

 

 私はマスメディア等のその報道の仕方、在り方に、むしろ危惧というか怖さを感じています。報道の自由言論の自由は最も重要であり、基本的なことです。一方、その報道の中身、在り方、その手法に対しても批判する自由も当然あって然るべきものです。マスメィア等に登場する所謂ジャーナリスト、コメンテーター、キャスターは必ずしも正義の人ではありません。昨今は何故か正義は我にありとしている傲岸な、何かに擦り寄るような印象を受けるのは私一人でしょうか。報道とはなにか、言論の自由とはなにか、我々は改めてこの問題に真剣に問い、考えることが必要です。今日の新聞、そしてテレビ(戦前・戦中はラジオ)といったマスメディアは日本を戦争に引きずりこんだ戦前、戦中と何処が変わったのでしょうか。私はマスメディアの営利体質そのものに大きな欠陥があると考えています。新聞ひとつをとってもその発行部数が余りにも多いという、その経営体制・体質に根本要因があるのではないでしょうか。このマスメディアは戦前、戦中と変わらず、世論と称するものを作りあげる上で多大な影響力を与えると共に、その世論形成を作る上で誤った方向にも導く、ひとつの危険性という両面を持っているわけです。先の大戦の戦争責任は当時の軍部、政治家等のみならず報道機関と称するものにも大きくあると私は考えています。現在は真逆の報道の在り方ですが、果して戦前・戦中の真の反省はあるのか、疑問に思うところです。

 

 安倍自公政権はそのことをしっかりと認識し、日本にとって何が重要であるのかを押さえ、国民に発信していかなければなりません。問題は外から出て来るのではなく、日本の内から出されるということを常に念頭に入れていることです。そのための英知の結集と謙虚さが極めて重要且つ喫緊の課題であると考えます。安保騒動の1960年代とは日本を取り巻く環境は大きく異なり、地政学的変動期にあって、ここでの安倍自公政権の衰退、崩壊は思いもかけない、危うい事態を招くと考えます。今回の一部の自民党政治家の気持ちは分からないわけではありませんが、極めて安易、安直です。何故自民党総裁でもある首相が謝罪しなければならない事態に至ったのか。自民党議員本人のみならず支援者も含め猛反省し、気を引き締め直し、改めて政権与党の重責を負っている一員としての覚悟をもち、ことを進めることが極めて重要なことです。今国会の集中審議の醜態というか、見識と品格を欠く野党の質疑に政府・与党が振り回される現状は見るに耐えません。

 

 以下の駄文の大半は2008年のものですが、この安全保障関連法案が国会で論義されている現在、私としては別の角度から見ることも、それなりの意味を持っていると考え、新たに一部を付け加えました。

 

f:id:kiyomiya-masaaki:20150713195534j:plain

1.渡辺利夫著「新 脱亜論」

 

 現拓殖大学総長の渡辺利夫氏が国際開発学部長時代、同氏が塾長であるアジア塾で同氏の受講を経験していたこともあり、「私のなかのアジア」他を含め同氏の著書、論文のいくつかには目を通して来ました。同氏は2008年の5月、改めて昭和史の失敗を繰り返さないとの思いを込め、福沢諭吉の「脱亜論」にあやかり「新 脱亜論」(文春新書)を発表しました。本書を著す動機として著者は「終わりの」章の冒頭で、「近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに洞察し行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。」(299頁)と述べています。

 

 氏の歴史観或いは視点には頷けない方も多くいらっしゃるとは思います。しかしながら、同氏はODA座長として中国への継続投資を強く求め、ODA予算の縮小に危機感を持ってもおりました。むしろODA予算の拡大が戦後の日本の在り方でもあると主張されてきた方です。且つ又、中国を含め東アジアに多くの友人も持ち、吉野作造賞も受賞した「成長のアジア 停滞のアジア」を著してもおります。単なる経済学者一途の人でもありません。「新 脱亜論」の最終章で「歴史の分野においていまなお根強い影響力をもつ東京裁判史観や左翼史観からわれわれを解放するには、個々の歴史事象を証する資料集を改めて調べるといった個々人の知的営為が不可欠である。」(301頁)と述べています。

 

 個々人の知的営為が不可欠との見方に私は賛意するところです。東京裁判を国際政治のひとつの政治史として冷静に分析している日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)にも目を通しましたが、国立公文書館マイクロフィルム化により東京裁判の全書証が最近日の目を見、日経新聞が2008年9月10日より「判決60年 文書にみる東京裁判」を連載したのも何かの縁を感じます。

 

2むのたけじ著「戦争絶滅へ、人間復活  九三歳・ジャーナリストの発言」

 

 一方、私の青年時代の始めに大きな感動と影響を与えた、むのたけじが2008年7月「戦争絶滅へ、人間復活へ…九三歳・ジャーナリストの発言」を著しました。「たいまつ」を発刊した当時と全く変わらない同氏の熱情と強靭な精神を改めて知らされます。極めて僭越になりますが、それに比べ私は変わってきたのか、私自身は社会に揉まれ変質してしまったのか、と自問自答をしています。同氏からはお前は卑怯者、馬鹿者といわれるでしょう。

 

 尚、同書の中でジャーナリストとしての責任をとり朝日新聞を辞めるのではなく、むしろ朝日に残り「戦後、すぐに『本当の戦争はこうでした』と読者に伝えて、お詫びすべきだったんです。そうすればみんながもっと戦争のことを考えたでしょうし、敗戦から今日にいたるまでの日本の新聞の報道の態度も、まるっきり変わっていたと思いますよ。」(同書71頁)自戒されています。

 

 加えて新聞各社の膨大な発行部数も言論機関の在り方において大きな問題であり、今以て変わらぬその商業主義の言論機関、マスコミを鋭く指摘しています。私とは別の観点、視点に立った指摘とは思いますが正にその通りではないでしょうか。

 

3. 服部龍二著「外交ドキュメント 歴史認識

 

 今年1月、「外交ドキュメント 歴史認識」が発刊されました。著者の服部龍二氏は昭和43年生まれ、京大法学部卒、現在は中央大学総合政策学部教授で、渡辺利夫むのたけじ両氏とは異なり、だいぶ若い日本外交史の学者です。昨年の拙著「書棚から顧みる昭和」の中でも、同氏の「日中国交正常化 田中角栄大平正芳、官僚たちの挑戦」、「日中歴史認識 田中上奏文を巡る相克」を取り上げてきました。因みに同氏は歴史認識について調べ始め10数年とのことです。

 

 本書は中韓から批判が続くなかで、今日の諸問題や靖国参拝河野談話村山談話に言及し、情報公開請求によって文書を開示しながら、政治家、官僚、新聞記者などに極力会って纏められたものです。いわば読者のために整理して材料を提供するものであると述べられています。今の日韓、日中の歴史認識の流れを考察する上で貴重な資料となっています。一読をお薦めします。私の一読した感想は戦後70年の日本外交は正に中国、韓国に翻弄された、連綿と続くお詫びの屈辱的日本外交史であったとうことです。

 

 中国についてはアメリカ、更には旧ソ連との力学関係、並びに共産党政権内部の権力抗争に利用されたに過ぎないわが国との外交、そして交わされた外交文書、条約。韓国においては韓国の時の政権毎に翻弄され、政権が変わるごとに白紙にもなりうる意味なき外交条文、条約であり、果してそれは条約といえるのだろうか。中国共産党独裁政権が更なる大国への復活を目指すなか、日中の経済的関連が相互に重要との認識はあるものの、日本外しをどのように進めるかという戦略は今後も長期に亘り続くでしょう。

 

 方や、韓国はその困窮、貧困の源に李朝数千年の経緯・結果は何ら問題にせず、近くには朝鮮戦争時の中国人民解放軍、そしてその背景にある旧ソ連には不思議なほど何ら触れることなく、執拗に36年間の日韓併合を最大の要因として日本を今後も攻撃し続けるでしょう。以前にも触れましたが、今年3月、日本の外務省は二国関係を紹介する項目で基本的価値観を共有する文言を削除し、最も重要な隣国としました。それは遅きに逸したのであり、戦後の70年の歴史事実に鑑みれば至極当然ではなかろうか、と私は考えています。

 

 中国、韓国との所謂国交正常化への道は両国の70年間近くに及ぶ反日教育が徹底され、その結果が鮮明になっている現在、中国共産党の組織の崩れが始まらないかぎり、今後も解決することは極めて難しく世紀を超えるでしょう。日本がハンディキャップ国家というべき国家から脱却しない限り、この状態は永久に続くものと考えます。日本は何故にハンディキャップ国家になっているのか、我々は真摯に考えていくことが極めて重要と考えます。そしてこのハンディキャップ国家に至らしめている要因はむしろ日本国内にあると考えています。方や、韓国は中国が変われば変わりうるのが長い朝鮮半島の歴史ではないでしょうか。

 

 私は重要な隣国である中国、韓国とことを構えるべきということではなく、日本以外では通用しない思考から日本は脱却すべきてある、ということです。自国の防衛を他国に依存し、すましている思考を変えなくてはならないと考えます。戦争反対、平和、平和と唱えるだけで平和が保てるわけではありません。そもそも現日本国憲法はその前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と謳い、その下に憲法ができているわけです。現在の日本を取り巻く現状はどうでしょうか。地政学的大変動も加わり憲法が想定していた当時とは世界は大きく変貌しています。しかもその変貌はより深く危険な状況に進むと私は考える中で、戦争反対、平和、平和と叫ぶだけでは自国民の安全は維持できないのと考えるのが至極当然のことではないでしょうか。安倍自公政権が何も右翼化したわけではなく、一国のみで安全を維持できない現実に直面してきているのです。大きく変貌した世界に日本は対処していかなければならない責務を負っているのが政治家であると考えます。

 

 加えて、戦後70年ということで、日本が被った一面ともいうべき戦禍、悲惨を伝える語り部の報道が極めて多く、戦地、更には旧満州、中国、朝鮮半島ソ連等々における日本人兵士、軍属、民間人及びその家族の言い表せない悲惨な状況はどうであったのか。加えて他国民を戦禍に、悲惨な状況に追い込んできたのも我々、日本人なのです。昨今のマスメディアに現れる報道は極めて偏った異常なもので、ことの本質を常に隠蔽しているとしか私には思えないわけです。戦争は何故起こるのか、その防止には何が重要なのか、その根源を分析し報道して欲しいものです。(後編に続く)

 

 2015年7月13日

 

                          清宮昌章

 

参考文献

 

城山三郎「落日燃ゆ」(新潮社)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書)

渡辺利夫「私のなかのアジア」(中央公論新社) 

同「新 脱亜論」(文芸新書) 

むのたけじ「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書) 

服部龍二「外交ドキュメント 歴史認識」(岩波新書)

同「広田弘毅」(中公新書)

同「日中国交正常化」(中公新書)

同「日中歴史認識」(東京大学)

日暮吉延「東京裁判」(講談社現代新書

拓殖大学海外事情研究所「海外事情」(2008年8月、2015年6月)、

文芸春秋」(2008年10月号)

アンネッテ・ヴァインケ著 板橋拓己訳「ニュルンベルク裁判」(中公新書

稲垣清「中南海 知られざる中国の中枢」(岩波新書)

宮本雄二習近平の中国」(新潮新書