清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

杉本信行「大地の咆哮・・元上海総領事が見た中国」を再読して

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はじめに

 

 本書は今から9年前の2006年7月に発刊されました。著者の杉本信行氏は、一部のマスコミで叩かれた外務省の所謂「チャイナスクール」の外交官の一人でした。

2004年春、上海総領事館員が中国公安部より強迫され、「このままでは国を売らない限り出国できなくなる」との遺書をのこし、自殺に追い込まれる事件がありました。その時の上海総領事が杉本信行氏です。そして同氏も2006年、末期癌で57歳の若さで病死されました。本書は著者が「上海で自らの命を絶ったその同僚の冥福を祈るために捧げる」と最後の力を振り絞って書かれた、現場からの記録と提言です。

 

 1972年、日中国交化正常化が両国、少なくとも日本では華々しく喧伝されました。残念ですが、その後の日中関係の現状は当時においては、全く予想もできないような由々しき状況に陥り、今後もその状態は続くと考えておくべきと考えます。その悪化の要因は日本側にあるのか、それとも中国側にあるのか、あるいは地政学的大変動が起きたことによるものなのか。10年前に本書について記した私の駄文をも改めて省み、私の思いが変わったのか、あるいは変わってはいないのか、触れて見たいと思います。

 

わたしの現状認識、雑感

 

 今や中国は驚異的な成長を遂げ、この数年でそのGDPも、日本をはるかに抜き去り、第一位のアメリカを覗う状況です。中国と西欧先進国との急接近、加えて中国とアメリカのふたつの大国で太平洋を統治していこう、と言わんばかりの習近平国家主席の発言は大国へ復活した中国の自信の現われなのでしょうか。それとも更なる思いが在ってのことなのでしょうか。

今月4月に閉幕したアジア・バンドン会議での習近平国家主席の笑みも、アジア・インフラ銀行の設立、加えてシルクロード構想の発表もその自信の表れなのかもしれません。習近平氏が中国共産党の権力闘争に勝利したと見るのが妥当なのでしょうか。その中国の現在の姿に日本が何か浮き足立ったように見え、いささか不安というか戸惑いを私は感じています。日本は浮き足立つことも、焦る必要もありません。むしろ隣国である大国中国の長い歩みを研究すると共に、日本の過去を踏まえ、戦後の日本の歩みをより鮮明に、正確に世界に発信し続けることがより重要なのではないでしょうか。

 

 4月14日、河野洋平中国訪問団が李克強首相と会談し、その席に沖縄県知事が同席している映像を見て、私は強い違和感を持ちました。沖縄県知事は何の意図と思想があっての訪問なのでしょうか。中国が近年になり沖縄の領有権さえ言い始めており、更には陰で琉球独立を支援しているとみられる中で、沖縄県知事の行動は奇怪な行動と私には映るわけです。沖縄県民はどう考えているのでしょうか。

 

中国は変わったのか

 

その1.著者の研修時代

 

 1966年から始まった文化大革命の最中、1972年の日中共同宣言後の1974年に杉本信行氏は偶然とも思える事情・経緯から香港を経由し、真っ暗闇の北京に到着します。そこでの語学研修に続き、瀋陽での語学研修で著者と中国との関わりが始まります。最初に覚えた中国語は「没有(メイヨウ)」、すなわち「ないよ」との意味で、陳列品はあるが、陳列品だけで、売る商品はなにもない、ということでした。

 一方、各国からの語学研修生は一般的には、それぞれの国の共産党支部など「対中友好分子」であり、杉本氏のような資本主義国の政府から派遣されてきた、いわば特殊な留学生には当局による露骨な差別があり、語学研修よりも非共産主義世界からやってきた非革命分子の思想を改造することに関心があったようです。中国語の上達の為、北京時代に中国人との同室を同氏が要望し認められたものの、同室の中国人とは最後まで打ち解けることはかなわず、個人的なことを含め、一切避けられた状況であった、と記しています。

 

 加えて、北京でも瀋陽でも20キロ制限での行動制限が課せられ、最後の瀋陽遼寧大学の送別会では学生を監視する責任者が、杉本氏の素行報告を、何処で何を喋ったかを延々と報告する。更には彼にではなく、ほかの全ての人に喋った内容まで正確に再現する、完全な監視社会がそこにあった、とのこと。それが40年前の中国の現実です。

 

その2.中国の人の醒めた視線、果して現状は

 

 中国の人たちは、76年の天安門事件以前を知る人と、それ以降に生まれて、以前の実態を知らない人、文化大革命の10年を知っている人とそうでない人で、考え方、意識がまったく違っている、と著者は記しています。

 

 だから、政府が躍起になって、戦争で日本がどれだけ悪かったかという教育を一生懸命してみても、その片方で彼らは「だけど、共産党はもっとひどかった」と平気で語る。もちろん、絶対に信用する人間に対し、隠れてではあるが。彼らは感覚でわかるのだ。共産党は49年以来の大躍進政策、その後の大飢饉、文化革命で4千万人もの中国人を殺してきたといわれている。更に89年6月4日の天安門での虐殺。共産党の過去の失政を隠蔽したり、現在の目に余る貧富の格差や腐敗・汚職などから国民の目をそらすために反日教育があることを。(50頁)

 

 中国認識で大切なことは、各種データーによって観念的に中国を観ることではなく、机上の理論を排した現実に即して、中国を理解することであり、中国共産党が支配する「中国人民共和国中国」の現体制と「中国人一般」を同一視しないこと。政治体制の観察は非常に重要だが、13億の民、とりわけ、いまだに封建時代のような身分制度を押しつけられている9億以上の農民の現状を直視すること。13億の人口のうちのわずか5~6パーセントの中国共産党員の一党支配による、いわば絶対政権は絶対的に腐敗すること。しかも長年中国を観てきた中で、中国の歴史に鑑み国内が安定していた時代はそんなに長く続いていない。革命第二世代、第三世代の党指導者たちの子弟の多くは海外留学に出ているが、将来、中華人民共和国のために働くというよりは、共産党の支配体制が崩れた場合に備えていると観た方が正しいのでは等々、著者は5年前ですが本書で語っています。そういえば、アメリカに留学していた習近平国家主席の子女はその後どうなっているでしょうか。

 

 現在、習近平氏が蠅、虎たたきと称し腐敗・汚職の撲滅に躍起になって取り組んでいるようです。海外に逃亡した党幹部、役人までも追及している現実は絶対権力は絶対的に腐敗する証左なのかもしれません。

 

 果して、現在では中国の人々はどうでしょうか。尖閣諸島を巡って日本の前民主党政権の対応のお粗末さもありましたが、中国共産党政権の対応は1978年の日中平和友好条約の時とは大きく変化しています。1968年にこの海域に豊富な天然資源が眠っている可能性が指摘されてから、中国は尖閣諸島の領有権を主張しだしたわけです。日中平和友好条約が締結された1978年の4月においても、すぐ撤退したものの、突如として中国漁船約200隻が尖閣諸島周辺に現れ、数十隻が領海侵犯を繰り返しました。最近ではこの尖閣諸島は核心的利益と称するように、中国共産党政権の主張は大きく変化しています。

 

 残念な現象ですが、自らは安泰の生活を謳歌しながら、ゆがんだ正義を主張する日本の一部の所謂知識人。それに同調するがごとき一部マスメディアの報道の影響もあるのでしょうか、中国政権は安倍自公政権になってからはなおのこと、日本があたかも軍国主義になったかの如く批判を強め、日本の歴史認識が大問題であるかの如き主張を続けている現状です。しかし異論も承知の上ですが、安倍自公政権は少なくとも国民による選挙の結果、誕生した政権であって一党独裁政権ではありません。

 

 中国共産党の正当性を保持する為か、徹底した反日教育が続けられ、しかも世代も大きく変わった現在では、インターネット等による情報の共有が進んだとしても、杉本氏が記していた「中国の人々の醒めた視線」を期待するのは、とても無理な状況になったと私は考えます。

 

 自らの国は自らの国民が守るのだということ基本的理念なしに、国は保持できません。平和、平和と叫んでいるだけで平和は訪れないことは、ウクライナの現実でも明らかです。自国の防衛はどうあるべきなのか、真摯に捉える時代となり、他国の善意を期待するだけでは無理な現実が来たわけです。方や、戦後教育で、なおざりにしてきた日本の近代史を再検討し、その上で戦後の日本の歩みをしっかりと世界に発信し続けることが従来に増して重要になってきた、と考えます。時間は掛かりますが日本が進めていかなければならない道です。

 

 尚、本書では台湾人の悲哀、対中ODA、深刻な水不足問題、搾取される農民、反日運動の背景、靖国神社参拝問題(私は無理と思っていますがA級戦犯分祀という解決策)、日本とドイツの異なる歩みとその事実。更にはトロイの遺跡発掘で有名なドイツの考古学者ハイリッヒ・シュリーマンによる1860年に清代の北京、上海、そして幕末の日本を訪れた際の両国比較論等々、興味深い内容が記されています。本書の発刊から10年が経過しておりますが、改めて読み直した次第です。

 

 2015年5月11日                      清宮昌章

 

 参考図書 杉本信行「大地の咆哮 元上海総領事が見た中国」(PHP