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清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

多田井喜生著「昭和の迷走 第二満州国に憑かれて」を読み通して

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はじめに

 

    著者は1939年生まれで日本不動産銀行(日本債券信用金庫)、日本総研を経て退職され、「朝鮮銀行史」を含め数多くの著作を出されています。本書は2014年11月に発刊されました。大陸計略の黒幕であるという勝田主計蔵相の日記等の一次資料を長年に亘り収集・研究され、加えて木戸幸一内大臣とのインタビュウー記録ほか、膨大な参考文献を基に昭和史の断面を記述しています。

 

 日本が破滅的な戦争へ向った「運命の歯車」が、どのように回っていったのかを示す昭和史秘話ヒストリアなのでしょう。尚、この題名は本書の内容をよく表していると僭越ながら感じていますが、本書を読みこなす為には読み手にも昭和史について相応の基礎知識が必要なのでは、と思います。

 

朝鮮銀行による「預け合」

 

 本書の中心テーマーは著者が記していますが、支那事変の拡大を可能にした大きな要因は植民地銀行の朝鮮銀行が創案した「預け合」という財政通貨制度です。即ち、占領地に連銀などの発券銀行を設立し、「預け合」という障壁をつくり、結果的に日本銀行券を守った、とのことです。著者によれば「預け合」とは、日本円勘定で朝鮮銀行の振り込まれる華北の軍事費を、朝鮮銀行が現地に設立した中国連合準備銀行との預け合契約によって連銀券を調達して現地軍に支出し、手元に残る日本円は国債購入し回し国庫に還流させるという仕組みです。残念ながら私はその知識が乏しく、その仕組みがいまひとつ理解できません。改めて、同氏著「占領地通貨工作」などに目を通そうと思っています。

 

 私事で恐縮ですが、私が米国岡谷鋼機(株)のトレジャラーとしてニューヨーク駐在時代、1980年代の初めの事象を思い起こしました。日本では時差がない為、手形・小切手交換決済が一日で完了するわけですが、米国では東西8時間の時差がある為、小切手の交換決済には2日間を要します。私はそこに目をつけ、アメリカ連銀小切手(グリーンチェック)を利用し、本社ないしは本部に預金を集中させて資金の有効活用を図った預金集中制度(ゼロバランス・システム  私の造語)です。その企業化第一号となったわけですが、開発したその預金集中制度はその後、全米に流布し、コロンブスの卵とも称されました。そんなことを今回思い出した次第です。本書の「預け合」との比較ではなく、ひとつの制度の誕生はひょんな思い付きから生じることがあるのかもしれない、と思ったところです。

 

預け合の功罪

 

 本書は「はじめに」、「右傾と左傾の行きつくところ」、「通貨戦争と第二満州国」、「二・二六事件、そして破局へ」、「あとがき」から構成されています。尚、「はじめに」で本書の概要が記されているのも本書のひとつの特徴です。著者はその「はじめ」で、戦犯となった南次郎元陸相の日記を取り上げ、

 

満州事変の如きも・・千歳の遺憾は日支事変に伸展したるにあり。余が半生中最大の遺憾は日支事変の惹起にあり・・勢いに任せて眼前の小局に捉われて北支、中支、遂には南支に戦争区域を拡大したるは何としても日本の大失敗にして・・我等は軍部の長老として満州事変を東三省に打切り得ざるし微力に就いて遺憾に思い痛恨に堪えざるなり」(9、10頁)と引用されています。

 満州事変の立役者の板垣征四郎大将、南京で投降書を交わした支邦派遣軍総司令官岡村大将も支邦に手を出したことを悔やんでいた、とのことです。更には広田弘毅外相のもとで外務次官であった重光葵の「満州問題を・・長城線外に限定し得たならば、満州及び支邦問題解決の外交方針も結実し得たことと思われる。北支工作に乗り出したことは、遂に日支戦争を誘発し、日本を破綻に導いた導火線であった」(11頁)も合わせ載せています。

 

 著者の観点は何が関東軍参謀本部連を華北へと駆り立てることができたのか、それを「預け合」という打ち出の小槌を生み出した朝鮮銀行等の金融制度に置いているわけです。

 第一次近衛内閣の大蔵大臣であった加屋興宣が昭和13年、14年、15年と順次に日本経済が予想されたより安定したと自賛していた、とのことですが、後に悔悟して「これはわが国の運命を非常な悪い方に導いた・・戦時経済が案外困難が少なく運営されたからこそ・・対米戦争もやれるかのごとき錯角に陥ったとも解釈できるのである。もし広田内閣以後の軍事予算の大膨張による財政経済的悪影響を収拾せず、為替相場の暴落、物価の暴騰、悪性インフレと進んだなら、日支事件も拡大しなかったろうし、いわんや軍部も太平洋戦争突入などは考えなかったかもしれない」(16頁)と加屋興宣による「私の履歴書」からその「預け合」の功罪を語らせています。

 

昭和の迷走

 

 「第一次大戦の束の間の好況の反動以来、関東大震災、昭和2年の金融恐慌、昭和4年のアメリカの株式大暴落、翌年の旧平価での金解禁とデフレ政策、6年と9年と大凶作などが続いて、銀行の閉鎖休業、中小企業の倒産、木の皮草の根を齧る悲惨な飢饉などに喘いだ」(17頁) そうした切羽詰まった社会情勢を背に台頭したのが大陸積極政策を掲げる国防国家論と、それに随伴する右翼主義であり、政友会を率いる森は軍部の一部と結んで平沼騏一郎によるファッショ内閣への実現を目指した。

 方や、極度の経済的困窮と社会の混乱-国難が深まるにつれて、ミソギなどの神がかり現象も出てきて、非常時が叫ばれ、テロにテロが相次いだ。そして国家革新を志して続々と産声を上げた諸団体は、新日本建設の中心指導原理に、いかにも空虚な「日本精神」が謳われた。そして軍部の皇道派と統制派のせめぎ合い、2・26事件、日本の破局へ向っていった状況を勝田主計のポケット日記を中心に据え、「預け合」制度を一つのベースに迷走した昭和史を解き明かしていくわけです。果して、そこから何を学ぶべきなのか、何を考えなければならないのか自問自答するところです。

 

 尚、本書の本題から離れますが、私は天皇皇后陛下が皇太子時代にも沖縄慰霊され、その慰問訪問等は10回にも及ぶこと。近年では2005年のサイパンへの慰霊、そして今年4月のパラオ(ぺリリュー島他)といった一連の慰霊訪問は単なる戦没者の慰霊、平和の希求だけではないように思います。戦時中、そして戦後は象徴となられた昭和天皇を引き継がれた現天皇におかれては、更なる別の重要な想いが在るのではないでしょうか。ただ、今後もその想いを明らかにはされることは、私はないと思います。

 私としては今回の天皇皇后陛下ペリリュー島の慰霊に際し、奇跡的に生還された元兵士による亡くなった戦友への想い、そして天皇への感謝の言葉に複雑な気持ちを禁じえません。そうした想いをも抱きつつ、本書を読み通したわけです。私にとって本書は難解であり、全体を紹介することは出来ませんでしたが、本書の最終章・長城線さえ越えねば・・の中で、昭和史回顧は昭和天皇と一致しているとの木戸幸一の印象にのこる言葉をご紹介し、今回は終えることにします。

 

 あの時期にだね、陸軍と正面から対抗して自分の信念を貫こうという政治家がいなくなっちゃった時にだ、陛下がご自分でそれをおやりになるわけにはいかない。そんなことをすれば、憲法どころか、皇室まで飛んでしまう・・、しかも戦争に突入するということになればだ、これは日本の滅亡になってしまうと・・。開戦は時の勢いだけど、早期に和平に持っていくことも考えられると・・。まあ実際にはあんな形で終戦になったが、これも天皇がおられたんで、大したこんらんもなくてね。戦争を止められたんで、また戦後の再興も可能になったわけなんだな。日本には皇室が必要なんでね、ええ」(280,281頁)

 

 2015年4月27日

                           清宮昌章

 参考図書

   多田井喜生「昭和の迷走 第二満州国に憑かれて」(筑摩書房)、他