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清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

イアン・ブルマ「廃墟の零年 1945」(訳 三浦元博・軍司泰史 白水社)を読んで

昭和の迷走と1945年前後 自費出版「書棚から顧みる昭和」のその後

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 勘違いされる方はいないと思いますが、著者は1951年、オランダ生まれのアジア研究者です。「Gゼロ後の世界」を著したイアン・ブレマー氏ではありません。

 

 偶々、日経紙上で掲題本書の書評を見、一読いたしました。私にとっては、やや期待外れの感もありますが、訳者の三浦元博氏が記しているように本書は日本、ドイツにとどまらず北東アジア、ヨーロッパ各地、更には東南アジア等々に亘る広汎な1945年(前後)の記述です。ある意味では訳者も述べているようにジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」の世界版なのでしょう。膨大な史料・資料を調べ上げ、東西を問わず戦争に伴うのであろう人間の業をも刻銘に記していきます。ただ、その資料・資料の中身の信憑性に私はやや不安を覚えてはいますが、本書の中で、印象深く私が感じたところ、あるいは私の雑感をご紹介いたします。

  著者は第4章・帰郷のなかで、「・・(中略)ドイツはともかくも、ナチスに全ての責任を負わせることができた。ナチ党の日本版を持っていない日本人は、破局の責任を『軍国主義者』と、さらに軍部と関係していれば誰にでも押しつけた。これは戦後の米国によるプロパガンダによって促進され、日本の新聞に忠実に反映された見方でもあった。」(163頁)と記しています。

  加えて、第6章・法の支配の中では戦争犯罪法廷問題を取り上げます。有史以来はじめて戦争を法廷で裁くニュルンベルグ裁判、東京裁判という、連合国の戦争犯罪裁判が、いかに欠陥に満ちていたものであったとしても、(東京裁判ニュルンベルグ以上に欠陥があった)、アウシュヴィッツの囚人であったニュルンベルグ裁判の報道記者が「収容所でのあの困難な時期、わたしはこの体制の責任者たちが、いつか裁判所に召喚される日が来るとの信念で何とか持ちこたえていた。この信念が、わたしに辛抱する強さを与えてくれた。きょう、ついにその日が来た。わたしからわずか数フィ―とのところに、収容所にすべての囚人にとって殺戮の象徴だった男たちがいて、自らの行為の為に裁かれようとしている」(270頁)という記事は、なぜこれらの裁判がそれでも公正だったのかという一つの論拠になり得た、と記しています。いずれにもせよ本書は戦勝国の占領の実態等々も実例を挙げながら1945年という節目に焦点を当てた膨大な歴史ノンフィクションです。

  訳者は若い世代にも本書を勧めておりますが、果して若い世代はどのように見る、いや理解できるかわかりませんが、日本人だけではなく外の国の人々がどのように日本を見ているのか、を知るためには格好の著書と思います。尚、訳者あとがきで、本書に関連し日本の集団的自衛権憲法9条に言及されていますが、わたしは違和感を覚えます。種々と見方はあるでしょうが、皆さんご参考までに本書を一読下さい。

 

 最後にイアン・ブルマ氏は本書プロローグで、私にとっては極めて印象深い指摘をしておりますので、下記ご紹介いたします。

  ・・(中略)少なくとも、過去の愚行を知ることで将来の同様な過ちを防げるという意味では、われわれが歴史から多くを学べるという考えにわたしは懐疑的である。歴史はすべて解釈の問題だ。過去についての誤った解釈はたいてい無知よりも危険である。古傷と憎悪の記録は新たな闘争に火をつける。それでも過去に何が起きたかを知り、その理解に努めることが大切だ。でなければ、わたしたちは自分の時代を理解できはしない。わたしは父が体験したことを知りたかった、それは過去に生起した物事の長く暗い陰の中で自分自身を、そして実際われわれの生活総体を理解する助けになるからなのである。(17頁)

 

 平成27年4月1日

                        清宮昌章

 参考図書

 

  原彬久「岸信介証言録」(中公文庫)

  山本七平「戦争責任と靖国問題」(さくら舎)

  秦郁彦「昭和史の謎 下」(文春文庫)

  その他