清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

再・木村幹著「日韓歴史認識問題とは何か・・歴史教科書・『慰安婦』、ポピュリズム]

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再・再投稿にあたって

 

 日韓関係については弊ブログでも何度となく取り上げて参りました。取り上げてきた理由のひとつは日韓関係が年を経過するにつれ、良好な関係に近づくどころか悪化。むしろ最悪の状況は今後も続き、その改善は世紀を超えてもあり得ないのではないでしょうか。韓国側でもそうでしょうが、日本側でも日韓関係の正常化、いな良好な日韓関係を求める、望む、機運は最早ほとんどない、のが現実ではないでしょうか。謂わば、これ以上日本側が頭を下げ続け、日韓の友好関係を望むことは最早ない。それが日本国民の全てではないですが、多くの日本人の感情ではないでしょうか。

 加えて、むしろ大きな障害というか課題は、反日思想が強いと思われる在日の半島の方々は日本人への帰化を含め100万人ほど見えます。然も増加する傾向はあっても、減少することはないのでしょう。そうした動向も今後の日本にとって大きな問題・課題になってくると思います。そんな私の想いも含め、弊ブログに日韓関係を何度となく、投稿して参りました。本投稿はその出発点とも言えるもので、日韓歴史認識問題を冷静に分析し、今日の日韓関係が最悪に到った要因を分析した木村幹・神戸大学教授による研究報告書(2014年4月の発刊)ですが、改めてここに紹介する次第です。

 

 過去の関連投稿

 https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2020/10/17/161319

https://kiyomiya-masaaki.hatenablog.com/entry/2020/08/27/135610

 

  2021年3月3日

                         淸宮昌章

 

再投稿にあたって・・追記

 

 韓国内外に亘って、日を追う毎に高まる韓国の官民挙げての反日行動・発言は止まることはなく、むしろ強まっていると思います。この2月10日、韓国国会議長の、その位置づけ、その立場に関しては、私はよく分かりませんが、慰安婦問題に関して「天皇陛下が謝罪すべき」との報道が日経新聞等でされました。その後の韓国政府の動向に鑑みても、韓国の反日・敵視感情はここまで来たか、との思いは不快を通り越し、強い嫌悪感を持つに至りました。

 

 戦後74年の日本の歩みとは一体何だったのか。新憲法の下、大きく変わった象徴天皇。特に現天皇・皇后陛下は皇太子・皇太子妃時代からの火焔瓶を投げられた沖縄慰霊のご訪問を初め、国民に寄り添われ、生涯を掛けられたかの如く、慰霊の旅も続けられて来ております。今回の韓国国会議長の天皇陛下への謝罪要望発言は現憲法での日本の戦後74年の歩みの全て、並びに日本国ないしは日本国民の感情・想いをことごとく無視したものではないでしょうか。勿論、日本国内にも異論を持つ人々はおりますが、本件は決して看過できる問題ではないと考えます。改めて、日本は朝鮮半島国家との在り方を日本国家・国民として根本から考え直すことが必要と考えます。

 

 私は今までも度々、朝鮮半島国家の反日・敵視感情は世紀を超えても変わらない。その上で日本が置かれた地政学的見地をも踏まえ、改めて価値観を共有する各国との経済・文化を含めた連携強化の必要性を記してきました。先ずもって重要なことは日本国家として朝鮮半島国家に、これ以上の譲歩をしないことです。

 

 方や、度々の繰り言で恐縮しますが、国会論議と称するものは一体何なのでしょうか。予算審議でもその本論には一切触れず、関連質問に終始する異常な状態。それは単なる国会議員の自己宣伝としか私には写りません。加えて、それを報道するマスメデイア、そこに登場する識者と称する人々にも大きな問題があるのではないでしょうか。首相を初めとし、各大臣を長期間に亘り出席させ、そして答弁資料を用意・準備に費やす関連官僚の膨大な時間と経費を浪費する現状。何故にこの現状に批判が強まらないのでしょうか。若い層が政治に無関心になる、ひとつの大きな要因かもしれません。国会論議を一切観ないことも必要かな、とさえ私は思います。この現状は政党政治か否かは別として、国会と称するもの、加えて、メデイアの崩壊現象のひとつの現れと考えます。

 

 2019年2月18日

                          淸宮昌章

再投稿にあたって

 

 この度、21世紀構想懇談会編「戦後70年談話の論点」を一覧致しました。この懇談会は安倍総理が戦後70年あたり、談話を書きたいとの意向のもとに集められた有識者の談話・討論を纏めたものです。この種の編纂はどうしても纏まりのないものになる傾向は否めず、中国、韓国の歴史認識問題の解決策も、その方向性も示し得ないものになった、と僭越ながら感じた次第です。

 

 昨年12月19日に再投稿した『再び・三谷太一郎著「戦後民主主義をどう生きるか」・・・』の際に、私が「再投稿にあたって」のなかで、改めて加筆した朝鮮半島、特に韓国との歴史認識問題(いわゆる慰安婦問題等々)については、何ら解決もないまま、今後もそのまま続いていくのでしょう。ただ、はっきりとさせなければならないことは、歴史事実と歴史認識とは別の概念であることです。韓国の歴史認識を日本に押しつけることは、全く次元の異なる問題であり、それは日本として、できないことなのだ、と私は考えているのです。

 

 一方、適切な表現ではありませんが、朝鮮半島民族の持つ日本への「恨み」から来るとも思われる「怒り」は、今後も解決されることはないと思います。半島民族は大国中国との長い歴史の中にあって、中国にはひれ伏さざるをえない一方、文化的にも劣るとみる日本が敗戦後も世界第二のGDP(現在は三位)を達成した現実。その裏には朝鮮半島が自由陣営と共産主義国家の戦場となり多大の犠牲者をも出し、半島全体を荒廃にさせたにもかかわらず、日本は朝鮮戦争特需で戦後の復興を早めたこと。そうした「恨み」からくる「怒り」は戦争当事者には向かわず、況んや中国、アメリカを主体とした連合軍にも向かわず、日本に来る、と考えております。謂わば、どこかに向けなければ解消しないのが「怒り」の半島民族の感情・心情なのかもしれません。国の成立、文化的にも劣るとみなす日本、その日本による韓国併合時代の事実も含め、「恨み」、「怒り」を日本に向けざるを得ないこと。そしてその理由付けが必要なのです。それが歴史認識問題なのではないでしょうか。

 

 そして、その「恨み」から来る「怒り」は半島国家が経済的にも大きくなればなるほど、強まるのではないでしょうか。そうしたことは戦後のドイツとフランスとの状況、そして両国の戦後の和解とは大きく状況が異なるわけです。和解には同時に赦しがあって成立するのですが、残念ながら日本と半島国家にはそれが生じる状況が地政学的にもないのです。日本は韓国、北朝鮮に対し、どのように対処していけばいいのか、解くことができない難題が続くわけです。韓国との外交ではゴールポストが動くと言われるようですが、むしろゴールそのものがないというのが実体ではないでしょうか。従い、日本は観点を変えること、もちろん韓国との敵対関係を強めることではなく、日本に肝要なことは日本が世界各国との友好・連携を更に深めること、そして自らの国は自らが守る国になるしかない、との決意を固めること。一国平和主義ではもはや世界に通用しないと、認識することなのです。

 

 余談になりますが、鎌倉時代の蒙古襲来、その中継地は朝鮮、当時は高麗でした。その高麗人が蒙古人の尖兵となり、そして高麗人は壊滅し、日本攻略は失敗したわけです。ただ、その攻略失敗の影響は日本より、むしろ朝鮮民族に中国への怖れと共に、現在でも外には言えない深い心の傷を残したのではないでしょうか。大国中国には抗いできないという体験が残ったわけです。そうした時代を描いた井上靖の「風涛」は今後の朝鮮半島の国との外交を考える場合、ひとつの参考になるやもしれません。日韓関係も現在は文在寅大統領です。私が度々、記しているように、反日思想をより強く持った人物と思われます。日韓関係は更に不安定な時代に入ったと考えております。

 

 掲題の著作「日韓歴史認識問題とは何か」は2014年10月に発刊されおり、その著作への私の感想も前大統領の朴政権の時代のものですが、私の二年前の感想は現在でも変わっておりません。尚、本書の中でも、日本の一部の知識人、更にはマスメデイアにより作り出される世論と称するものに日本の政府が翻弄され、右往左往した現実をも記されております。私は何も言論・報道の自由を制限せよというのでなく、戦中も戦後も責任を取らないマスメデイア、独りよがりの正義を唱え、そして結果的には何らの責任を感じない、取ることがない、その在り方に大きな不安と危険性を抱いているわけです。しかも忖度どころか報道をしない自由さえあるのです。これは民主主義の持つひとつの欠陥から来るとも考えております。

 

 報道機関、メデイアの役割はその存在意義は時の権力を掣肘すること、権力の独走を押さえること。それが正義であり、言論の自由が持つ大きな力なのだ。それはその通りでしょう。ただ、ここに来て大きな問題はそのメデイア、報道機関そのものが巨大な権力を持ってしまったことなのではないでしょうか。そして、その権力を掣肘するものがなくなっていることなのです。掣肘できるものは宗教心、神しかいないのでしょうか。しかし日本にはその下地がないのです。ただ、あるのは商業主義、いわば儲かるか否かの次元になっていることなのです。私が昨年、改めて取り上げた「高坂正尭と戦後日本」の中で、ジャーナリストの田原総一朗氏が司会を努めた「サンデープロジェクト」の話をしております。再三の紹介で恐縮しますが、氏によれば「私はテレビというメデイアで、総理大臣を三人失脚させた」と豪語しております。その三人とは海部俊樹、宮澤喜一、そして橋本龍太郎の元総理大臣です。いみじくも、そのテレビを左右するのは視聴率だと明言しているのです。皆さん如何思われますか。加えて、あの無意味な国会討論と称するものは、いったい何なのでしょうか。どこから、いつから発生してきた現象なのでしょうか。そんな思い等々が私の中で錯綜しております。

 

 以下の元の原稿も長々しく恐縮しておりますが、改めて一覧頂ければ幸いです。

 

 2018年1月18日

                    淸宮昌章

 

はじめに

 

 昨年、拙著「書棚から顧みる昭和」の最終章「靖国参拝問題について思う」の中で、韓国との関係については別の機会に改めて触れたいと記しました。

韓国人の友人も居り、又仕事の関係で度々、韓国を訪れてはいましたが、韓国への知識は少なく、何か近くて遠い国との印象も否めず、もう少し韓国を知らなければ、と思っています。

   日本のGDPは世界第2位の位置から落ちたとはいえ、今なお世界第3位、人口も1億3千万人です。一方、韓国の領土は決して小さくはなく、人口も5千万人、GDPも世界第15位という大国です。しかも両国は一党独裁政権ではありません。地政学的見地から見ても日本と韓国との関係は極めて重要であり、両国のこの非正常な関係は極めて危険な事態を世界に招く恐れがあると、私は考えております。

 

 残念ながら現状は憂慮している韓国との関係は年を追うごとに好転するどころか、悪化しております。しかも韓国の反日感情は根深く、また戦後の世代が増えるほど悪化するように思うのですが、どうでしょうか。

 

 韓国で生まれ育ち、教育を受け、その後、日本で活躍し、悩んだ末に日本国籍を所得した呉善花女史がみえます。女史の近刊著「侮日論」によれば、韓国での反日教育は独立以後、ほぼ一貫として行なわれてきており、その実態は「反日教育」というより「侮日教育」であり、反日の起源は日本の植民地支配から発したものではなく、伝統的な「侮日観」が「反日=侮日=民族教育」を通して、「民族の心」に深く沁みこんでいる。戦前の体験のない現代韓国の若者達の中に、平気で日本を侮辱する者たちが少なくない、と記しております。そうした一面もあるのでしょうか、日韓関係改善への途は容易ではないと考えます。

 

 方や、日本においても一時のあの韓流ブームは何であったのか、と思うほど、日本の嫌韓意識も急速に強まっているのではないでしょうか。その要因のひとつは李明博前大統領による、先の天皇陛下への謝罪要求の発言に加え、現朴クネ大統領による、安倍自公政権というよりは安倍首相への常軌を逸した言動、と私は思うのですが、その言動が結果的には日本国民の嫌韓意識に繋がっていくように見えます。日本側の歴史認識を改めさせようとの朴大統領の片意地とも言える強硬な言動は「国家の首脳への対応」としては常軌を逸していると、私は思うのですが、皆さんはいかが思われますか。

 日本の総理は個人的な存在でなく、その背景には日本国民もいるのだ、との認識があって然るべきです。現状にあっては朴クネ大統領による対応は日韓両国の関係をますます危険な状況に追い込んで行く、と私は考えています。安倍首相は日本国民の直接選挙ではなくても、異論はあるでしょうが正当な「国民の民主的選挙」を経て首相になったわけです。少なくともクーデターにより首相の地位を占めたのではありません。その首相に対し朴クネ大統領の礼を欠いた、異常とも思える言動に日本国民の多くが不快というより、嫌韓感情になっていくのは至極当然の流れ、と私は考えます。

 

 日韓の現状を改善する為にどうしたらよいのでしょうか。韓国の全ての層からではないでしょうが、韓国のいう所謂「歴史認識」を我々が共通に持つことを強要されることは、果して日韓関係を好転させるのでしょうか。私としては、それはどだい無理な要求であり、又、そのような形で決着を見ることはあってはならないと、と考えています。

 では現在、我々に問われていることは何でしょうか。あるいは在り方はどうすべきなのでしょうか。我々は歴史認識という問題の原点に立ち返り、日韓関係を考え、日本政府ならびに我々が行動に移していくことが、正に問われている時代に入った、と私は考えています。

  そんな錯綜とした私の想いに居る中で、木村幹著「日韓歴史認識問題とは何か」に出会い、私自身の想いにも錯誤があり、私の感情というか今までの私の認識にも再検討を加え、別な角度で日韓関係を見る必要を感じたところです。   

 尚、木村幹氏については以前にもご紹介しましたが、朝鮮半島の研究家で現在は神戸大学院国際協力研究科の教授です。私も以前に一読をしておりますが「朝鮮半島をどう見るか」、「韓国現代史」等々も著しております。

 

 今回、取り上げる「日韓歴史問題とは何か」は木村氏がワシントン大学の客員研究者として、2010年6月から一年ほどのシアトルでの滞在時、ミネルヴァ書房より依頼された「究」のコラム(2011年4月から2014年3月)の「日韓歴史認識問題にどう向き合うか」を纏められた、とのことです。その経緯の上、本書が2014年10月に同書房より発刊されました。私は早速取り寄せ一読し、同書房に以下の感想を渡しました。折り返し、同書房の日引勝二氏より「ご高評をはげみに今後も本づくりをがんばってまいります。」とのご返事を頂いた次第です。蛇足で恐縮ですが、その時の感想文を以下、ご紹介いたします。

 

 日韓歴史共同研究にも関与され、その実態とその限界をも感じられた朝鮮半島の研究者・木村幹氏による、日韓の歴史認識問題を根本から問い直す画期的な研究成果です。戦後70年の日韓双方の現代史を敷衍しながら、両国の政治過程並びに世論の推移を分析していく、その見事な論理構成。加えて、マスメディアに対してはやや論調を押さえながらも、人を引き込む緊張感をもった文章で歴史認識の本質を解き明かし、その解決をも示唆しています。本書は政治家も含め、多くの人に読んでもらいたい文芸的価値をも備えた、極めて質の高い著作と思います。是非、皆さんに一読をお薦めします。

 

  1. 木村幹著「歴史認識問題とは何か」

 

 本書の構成は、以下のとおりです。

 

  はじめに

  序章  歴史認識問題をめぐる不思議な状況

  歴史認識を考えるための理論的枠組み

  歴史認識の問題の三要因

  日韓歴史教科書問題

  転換期としての80年代

  従軍慰安婦問題

  「失われた20年」の中の歴史認識問題

  終章  日韓歴史認問題をどうするか

  むすびにかえて

 

 上記の構成で本書の概要は推測されるでしょう。著者は「我々は時に、日韓両国、あるいは東アジアの国々の間の歴史認識問題をめぐる状況をひどく特殊なものと考えがちである。そして、その際には、お決まりのように歴史認識問題をめぐるドイツとフランスとの努力とその結果としての歴史的和解が、世界の全ての国は当然倣うべき、『当たりまえの事例』であるかのように紹介される。そして、その延長線上で、人々はそれと異なる東アジアの状況を、極めて特殊で異常なものと嘆くことになっている。」(2頁) 我々を取り巻く歴史認識問題も、世界によくある過去をめぐる問題の一つであり、大した問題ではない、というのではなく、「重要であることは、特殊であることを意味しない、否、真にこの問題が重要であればこそ、我々はその解決のためにも、我々の直面する問題の他の地域とそれとの違いに過度に執着せず、どうしてこの問題がこじれてしまったのか、という問いに正面から率直に向き合うことが必要である。そのために重要なのは、この問題がこじれてしまった理由を論理的に解明してゆくことである。(中略)著者の役割は、直面する歴史認識問題に対してできる限り正確な分析結果を提供することであり、又、それにより歴史認識問題の解決や緩和のためのアイディアを提供することである、と信じている。」(4~6頁)、と述べ、歴史認識問題の本質を説き明かしていきます。

 

 その手法は日韓両国の時代別政治・社会状況への分析、両国の新聞記事、各種の世論調査に加え、経済統計等々、従来の研究者には見られなかったと思われる幅広い研究結果を駆使し、見事な論を展開していきます。そして我々が従来常識と思われていたと、少なくとも私の感情的思考・知識を覆し、覚醒の感を与えるわけです。

 

 著者は「現実には、歴史認識問題に関わる議論の多くは、歴史認識問題そのものよりも、そこで議論されている過去の事実そのものに向けられている。注意しなければならないのは、歴史認識問題にて議論されている過去について議論することと、この問題がどうしてこじれているのかについて理解を深めることは同じではない、ということだ。」(8頁)と喝破しています。残念なことですが、現実は歴史認識問題において研究者は踏み絵を踏まされるような状況であり、いわばイデオロギー的論争に巻き込まれ、イデオロギー的論争を忌避する研究者の退出が、結果として、朝鮮半島研究においてイデオロギー的論争を好む研究者の割合を大きくさせることになると、著者は憂慮しております。僭越ながら私も自らの小さな事例を経験し、その憂慮に共感を覚えるところです。

 

 本書を皆さんが読まれることが一番よいわけですが、今回は私が本書に大きく影響というか、思い正された点をいくつか、ご紹介したいと思います。

 

その1.紛争に至る一般理論

 

 著者は日韓の歴史認識問題も国際紛争のひとつである以上、国際紛争に関わる基本的な理論枠組みにより説明可能とし、ケネス・E・ボールディングの著作「紛争の一般理論」を参照し、以下のように述べています。

 

 ある事象が紛争に発展するためには、

 その第一 この事象に意味を見いだす複数のアクターが存在すること。

 その第二 複数のアクターが異なる認識を有していることが必要であること。

 その第三 これらの複数のアクターが、彼らを実際の行動に駆り立てるに足

      る十分な利益を見いだしていなければならないこと。

 

その2. 歴史認識の重要性

 

 続き、著者はある人が日記を記す場合を例にとり、次のように述べています。

 

 ある一日の出来事が「過去」であり、それを書き記した日記が「歴史」の一種だとするならば、我々はここで「歴史」とは何かについて明確な示唆を得ることができる。それは我々が書き記す「歴史」とは、常に、無限の材料を有する「過去」の中から、特定の事実を抜き出して、我々自身が作り上げたものしかない。(中略)「歴史」を記載するには、一定の価値基準が必要である。つまりそこには自らの「歴史」において何が重要であり、どのような事実が書かれるべきか、という認識があらかじめ存在しなければならない、ということである。そして言うまでもなく、この価値基準こそが「歴史認識」なのである。つまり、「歴史」と「歴史認識」の間の関係は「歴史」があって「歴史認識」が存在するのではなく、「歴史認識」があって初めて「歴史」が成立するという関係になっている。「歴史」が人々によって選び抜かれた「過去」の事実から構成されるものである以上、そこには必ず選び出した人々の価値観が反映されている。だからこそ、「歴史」とは常に主観的なものであり、又、主観の産物しかない、ということが出来る。(37頁)

 

 そして抑えておかなければならないことは、歴史認識問題に対する世論の関心の変化は、歴史認識問題において議論されている「過去」の事実そのものからは説明できないこと。「過去」は「過去」である以上、いったん確定すれば、それ自身変化することがないにもかかわらず、この「過去」に対する我々の関心が変化しているとすれば、それは「過去」ではなく、「過去」を解釈する「現在」の我々の理解が変化しているからに他ならない。歴史認識問題とは「過去」に関わる問題である以上に、「現在」を生きる我々により直接にかかわる問題なのだ、と著者は指摘しているわけです。

  皆さん如何でしょうか。私は著者の観点に強い共感を覚えます。日本側において、私は朝日新聞を報道機関とは見ていませんが、この観点を重視しない朝日新聞を始めとした我国のマスメディアに加え、所謂「良心的知識人」に影響される世論と称するものに我国の歴代の政権が右往左往したこと。そうしたことが今日の日韓の歴史認識問題を解決できないような状況に追い込んだ要因のひとつである、と私はと考えています。皆さんどう思われますか。

 

その3.歴史認識問題の推移

 

  著者は韓国の主要日刊紙のひとつである「朝鮮日報」に現れた歴史認識問題にかかわる新聞記事の推移を1945年から5年毎の間隔で表したデーターを示します。そこで明らかにしたことは、歴史問題、歴史認識、強制連行、従軍慰安婦といった言葉は1989年以前にはほとんど見られず、特に歴史問題、歴史認識、慰安婦は90年代から急速に現れてくることです。この1990年代に入って歴史認識問題にかかわる記事の数が急速に増えている現象は、もちろん韓国の経済成長ということもありますが、1980年以前と1990年以後との断絶は明らかで、分岐点となっており、それは歴史教科書問題についても同じようなことが言えると、その分析結果が明らかにしています。

 

 では、その1990年代に何が生じたのでしょうか。著者が次のように分析しています。

 

 韓国では1979年の朴チョンヒ大統領暗殺を契機として、社会全体で大規模な世代交代が進行し、日本統治の中で手を汚していない世代が政権を掌握した。クーデターにより成立した正統性の弱い政権は、ナショナリズムの動員により、自らの正統性の強化を図るべく、歴史認識問題を積極的に提起した。1990年代以降における歴史認識問題をめぐる議論の活性化は、一面では,依然として権威主義政権下にあった韓国での、日本統治をめぐる議論のパラダイム転換の産物であった。全トカン政権が自らの弱体な正統性を補うために、過去に関わる新たな問題の提起を行い、これが後に民主化のより自由化された言論空間の中で大きく注目されることにより、1990年代以降、歴史認識問題にかかわる爆発的な増加がもたらされた、という二段階の過程があった。

 

その4.果して日本が右翼化したのか。歴史教科書をめぐる経緯は何か。

 

 日韓の歴史認識問題の中心の一つを占める日本の歴史教科書問題は、従軍慰安婦と並び、1980年代になって初めて本格的に注目されてきたのですが、それは日本が右翼化したために起きた現象なのでしょうか。著者は東京書籍の教科書「高校日本史」のデーターで分析します。

  その結果は1970年代から2005年頃に至るまで、植民地支配をはじめとする日韓関係に関する記述がむしろ増加しており、その時期に発行されたどのレベルでの日本史教科書をとってもその傾向は変わらない。むしろこの時期における日本の歴史教科書は右翼化どころか、日本の朝鮮半島侵略やその支配の実態をより詳しく記述する方向に変化している。すなわち、1980年代以降の日韓両国間の歴史教科書問題の激化を「この時期の」日本の教科書の「右翼化」によって説明することは、ほぼ不可能と、著者は断定しております。

  では何故、1980年代以降この歴史教科書問題が激化したのか。著者は極めて印象深い指摘をされています。

  1982年6月26日の日本のマスメディァによる誤報、すなわち当時の文部省がこの時の検定において、実教出版社の教科書における中国大陸への「侵略」という記述を「進出」へと書き換えさせた等との誤報に、各社が検証もせずそろって飛びついたのは、その誤報が当時の世論やマスメディアに意図せずして応えるものであり、それゆえに人々に広く事実として信じられることになった。その背景には1982年4月に当時の東京教育大学教授であった家永三郎が1965年に文部省による教科書検定は憲法違反として訴訟を開始し、その最高裁判決が誤報事件の2ヶ月前の1982年4月に、「1982年のこの時点では家永の訴えの利益は消滅している」という実質敗訴の判決が出ました。一審、二審と勝訴してきた中で教科書検定をめぐる議論の方向は大きく変わり、文部省はその最高裁判決に意を強くし、強力な締め付けが行なうだろう、との状況が生まれました。そして「侵略を進行と書き換えらされた」と、マスメディアはその事実も検証せず、報道をし、世論を信じ込ませていった。

 続き、中国の人民日報が7月20日、日本の教科書検定を公式に批判することになり、教科書問題は政治的な問題へと変える決定的は契機となっていった、と述べています。著者は以下の通り記します。

  既に具体的なデーターを挙げて示しているように、当時の日本の歴史教科書は、むしろ以前に比べて植民地支配や日本の大陸進出に対しての記述を増やすようになっており、日本の教科書と中国や韓国のそれとの記述の乖離はこの時期小さくなりつつあった。つまり、少なくとも教科書の記述だけ見れば、当時の日本におけるナショナリズムの台頭がその変化に表われていると言うことは不可能なはずだった。にもかかわらず、当時の人々は、この変化を冷静に観察せず、「日本の歴史教書の内容が中国や韓国のそれと異なっているのは、今現在、日本社会の右翼化が進行していることの証左である」というステレオタイプの理解の中に、現実を押し込んでいくことになった。比喩的な表現が許されるなら、その意味において、「歪曲」されたのは、「過去」の歴史的事実ではなく、当時の人々が生き当時の「現実」の方だった。そして重要なのは、「現実」を歪曲して理解していったのは、中国人や韓国人だけではなく、日本人もまた同様だったことである。だからこそ、日本人もまた事態の異常さに気づかず、この状況にブレーキをかけることもできなかった。こうして事態は、当時の「現実」を離れた主観的な理解の下、暴走を始めることになる。日本ではナショナリズムが台頭しつつあり、軍国主義の亡霊がその歩みを早めている。韓国の人々が歴史教科書問題をその表れとして理解するようになり、その理解が一種の「常識」とさえ見なされるまでには、さほどの時間を要しなかった。8月になると、韓国メディアは、日韓両国の歴史教科書内容に違いを大々的に報道するようになり、韓国の「識者」達はこれを日本で軍国主義が台頭しつつあることの現れであると、もっともらしく解説した。(中略)もっともここで著者は、当時の韓国の知識人やメディアを非難しようとしているのではない。なぜなら、当時の韓国の「識者」が用いた議論は、そもそも家永裁判を起こし、指示したような日本国内の一部の人々の論理をそのまま受け入れたものに過ぎなかったからである。言い換えるなら、当時の韓国の議論は日本から直輸入された論理により支えられていた。そして、この輸入された論理を下に、韓国の世論は日本の歴史教科書の対する不満を高めていくことになるのである。(87,88頁)

  皆さんどう思われますか。こうした見解には多くの反論、批判もあるでしょう。しかし朝鮮半島の研究家であればこそ言える勇気ある指摘であり、僭越ながら私は極めて高く評価をしております。むしろこうした観点に立て得なかった、否、マスメディアが作り出す世論と称するものに我国の時の政権が右往左往し、然るべき対応ができなかったことが大きな問題であり、今日のどうしようもない事態に我国が追い込まれた、と私は考えています。因みに著者は以下の文章を挙げ、誰が、いつ書いたと思われますか、と問うています。

  また、原子力発電所は資源のない日本にとって、石油エネルギーに対する重要な代替エネルギー供給源であり、その危険性を考慮に入れても、技術管理が可能であるというのが日本政府の立場である。

  にもかかわらず、日本の社会的雰囲気は反対一辺倒だ。靖国参拝や自衛隊合憲は、軍国主義の復活であり、原子力発電の建設は、日本国民の滅亡に繋がる、という社会的雰囲気がつくられつつある。

 

 第三者の目から見た時、靖国神社はどの国でもある「国立墓場」に過ぎず、世論の80%以上が既に自衛隊の存在を評価している以上、憲法をより現実的なものに改正するのは当然だ。(89頁)

 

 その答えは日本の主要紙ではなく、韓国の主要紙である「朝鮮日報」の1981年5月9日朝の一面に掲げられたものです。表題は「『反対ヒステリー』日本社会・・今度は右翼化アレルギー」とのことです。いずれにもせよ、朝鮮日報の紙面は、当時勢力を増してきた日本の社会党への批判であったわけです。

 

その5. 我国の時の政権の対応

 

 1950年代以降、日本の国内状況は保守政党である自民党の議席占有率は減少し、76年には結党以来初の過半数割れに追い込まれ、社会党が勢力を増しておりました。その社会党(今の社民党)は当時において、韓国の軍事政権と自民党との連携に対し、大韓民国政府の正統性を公式に否定し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への支持を明確に打ち出していました。

 

 その社会党幹部が正式に韓国訪問を果すのは、韓国の民主化が始まる1987年以降の1989年とのことです。その後、社会党は「保守的で歴史認識問題に非協力的」な自民党に対し、「進歩的で歴史認識問題に協力的な」勢力の代表格として、日本における「植民地支配の清算問題」を前面に出すようになり、国会においても歴史認識問題に対する活発な議論が行なわれるようなります。そして村山政権となり、1995年8月15日の村山談話、続き「韓国併合条約は当時の国際関係等の歴史事情の中で法的に有効に締結された」との村山総理による同年10月5日での国会発言に繋がっていくわけです。しかしこの韓国併合の合法・違法に関わる問題は韓国政府にとって、自らの国家としての正統性に直接関わる問題で、絶対に譲れない問題であり、村山政権が示した歴史認識は韓国の期待したものとは大きく異なってしまったことです。また村山首相自身も両国の「暗黙の了解」を崩した、そのことを理解・認識していなかったと思われる、との指摘です。

 

 結果的には以前の政権で理解していたかどうかは別として、日韓両国が曖昧模糊としてきたものとは異なり、歴史認識問題めぐる紛争が勃発する条件のふたつ、即ち歴史認識が異なること、そしてその歴史認識の違いに重要性が見出されるという、ふたつの条件を満たす結果になってしまったことなのだ、と著者は指摘しています。その指摘は従来の私の認識を改めさせるものでした。皆さんはどのように考えられるでしょうか。

 加えて、慰安婦問題が本格的に俎上に載ってきます。著者は資料をもって所謂慰安婦問題が1995年以降、急速に韓国の「朝鮮日報」の文字が出てくることを示します。 

 

 尚、1980年代末までは慰安婦問題は歴史学の専門家でなく、女性学の研究者が取り上げ、日韓間の歴史認識問題である以上に、ジェンダーに関わる問題としての性格が強かったわけですが、歴史認識問題へ、即ち韓国国民の自らの問題として俎上に載ってきます。その背景には1988年のソウル・オリンピック時がその頂点になりますが、日本人を中心とした、キーセン観光、所謂「売春観光」が韓国女性には、もはや許すことが出来なくなっていた、との著者の指摘です。私自身、その危険性を感じた経験からしても、そのことは十二分に理解できるところです。

 

 一方、注目しなければならないことは、こうした一連の日韓歴史認識問題、とりわけ従軍慰安婦問題は日本の右翼的保守政権といわれた時代に表面化したのではなく、むしろ保守政権の中ではリベラルと称される宮沢政権、そして社会党首班の村山政権時代に激しく噴出してきた事実です。何故なのでしょうか。

 

 宮沢首相が訪韓する3日前の1992年1月11日、朝日新聞は政治的意図があったのでしょう、「慰安婦に関する軍の関与があった」との一面で大きく報道を致しました。その報道に対し、宮沢政権は右往左往の状態に陥り、対応策もなく、ただ謝罪のみに終始する、所謂「誠意のない謝罪外交」の状態に陥りました。そして、同月21日に韓国政府は従来の方針を転換し、「日本政府に徹底した真相究明と、これに伴う適切な補償などの措置をとるよう求める」ことに繋がっていった、と著者は述べています。私としては正義を標榜するメディア報道がいかに危ういか、を強く感じるところです。加え、日韓両国の政治的というか世論の状況は統治エリートによる歴史認識問題統制の終焉が1980年代後半から両国で始まった、との著者の観点です。

 

 日本側においては、上にも記したように55年体制の崩壊が始まっており、宮沢政権において然り、歴史認識問題を統制できる力はなく、また、後日、自民党総裁になりますが、「河野談話」を発表した河野官房長官の政治的求心力は大きく低下しており、自民党内はおろか自らの派閥さえ満足に纏める力はもっていなかったこと。そして細川非自民政権の後、1994年4月に政権をとった、否、政権を執らされた村山首相も連立与党第二党である社会党の委員長に過ぎず、連立相手である自民党の政治家に自らの歴史認識を共有させる政治力がなかったことです。では韓国側の状況はどうでしょうか。

 

その6. 韓国側の状況

 

 韓国においても日本の統治時代を経験しない、新たな「知日派」の世代が政権の中枢を占めてくるようになります。新「知日派」は反日の教育は受けてきたものの、朝鮮半島を逃げるように追われた日本、その日本での滞在経験の中で、いまだに貧しい韓国に比し、敗戦国でありながら日本が高度成長を遂げていること。加えて半島人を蔑視する日本国民の現実を見、新たに「克日」を掲げるようになっていった、という著者の指摘です。そして、第5章・従軍慰安婦問題の冒頭で次のように述べます。

 

 1980年代末から90年代初頭、韓国においてはマルクス主義や当時流行していた従属理論に影響をうけた新しい考え方が台頭しつつあった。過度の単純化を承知で言うなら、そこで繰り返されたのはつぎのような理解であった。今日の世界は多国籍資本によって支配されており、その中心には日米両経済大国の巨大資本が存在する。彼らは自らの代理人である日米両国政府の力を借りて、朝鮮半島に支配の手を伸ばし、韓国人を容赦なく搾取している。韓国に君臨する軍事政権はそのような日米両国巨大資本の「傀儡」に過ぎず、だからこそ軍事政権が真剣に韓国国民のために奉仕するようなことなどあるはずがない。韓国の民主化とは、このような日米両国巨大資本の「傀儡」である軍事政権との戦いであり、だからこそ、軍事政権に対してのみならず、その背後にある日米両国に対しても、我々は果敢な闘争を挑まなければならない、と。(137頁)

 

 加えて、上に挙げた「キーセン観光」全盛の時代でもあった中、慰安婦問題はジェンダーの問題から歴史認識問題へと大きく転化するわけです。続いて、著者は次のように述べています。

 

 重要なのは、こうやって従軍慰安婦問題が韓国女性にとって「他人の問題」としてではなく、「自分の問題」として理解されていくようになったことである。

 つまり、従軍慰安婦とは、資本主義のその一累型である帝国主義により「歪曲された」韓国社会の早い段階の犠牲者に他ならず、この問題を放置することは、すなわち、「現在」を生きる女性の問題から目をそむけることである、というのがその理解である。だからこそ、民主化運動に立ち上がる女性たちは、従軍慰安婦にも関心を持つべきであり、また、持つのが当然なのだ、と主張されるこことになる。こうして従軍慰安婦問題は、歴史認識問題の新しい枠組みの中で、象徴的な地位を与えられることになった。そしてそこでは韓国の統治エリートは明確な敵の位置を与えられ、逆に日本国内における「良心的知識人」や女性運動は、韓国における運動の同盟者としての地位をあてがわれていくことになった。(138頁)

 

 私は著者の観点というか指摘に僭越ながら共感を覚えています。国際的にも常識となっているジェンダーをその基調にしているからこそ、日韓の歴史認識問題の中枢になった、この慰安婦問題の解決は極めて難しく、むしろ不可能ではないか、と思っています。皆さんはいかが思われますか。

 

その7.歴史認識問題の解決への途は

 

 従軍慰安婦問題が歴史認識問題の象徴的事象になります。加え、朴クネ現大統領のかたくなな、一歩も歩み寄ろうとはせず、その解決策を一方的に日本に投げ出してしまったという現状にあります。ひとつの要因と思われることは日韓基本条約を締結した、しかも暗殺された朴チョンヒ大統領を父親に持っていること。そうした経緯のある中で大統領に就任し、政権を維持していくためには、何としても自らの正統性を示すことが、その政権維持にとって最重要なのかもしれません。従い、朴クネ大統領が変わるまで、今の日本への対応を変えることはないでしょう。

 

 そうした現状下と思いますが、日本は韓国と安易な妥協は決してしてはいけないことです。過去の日本の時々の政権が取ってきた誤りを踏襲しないこと。時間が解決するわけではありませんが、今は耐える時期である、と私は考えます。極めて難しい、むしろ解決不可能な問題を安倍自公政権は抱えたわけです。ただ、決して責任をとらない、否、責任を感じないマスメディアに惑わされないこと。朝日新聞社をはじめとしたマスメディアは正義を標榜するかの如きですが、その実態は企業経営上、新聞等の購読量、あるいはテレビ等の視聴率を上げなければならない経営体質・体系、そのものに根源的な問題を孕んでいる、と私は考えています。残念ながら、マスメディアを軽視し、結果的にはそのマスメディアに左右される世論を軽視した、ともいえる祖父・岸信介元首相の轍を決して踏まないことです。

 

 極めて重要なことは、官民を問わず、いかに有能なブレーンを自公政権が集めることが出来るか。独断専行をせず、この歴史認識問題の解決の途のためには何を重視すべきなのか、が問われていると私は考えます。

 

 本来であれば安倍自公政権として、戦後70年に当たり歴史認識につき改めて見解を述べたいかもしれません。繰り返しになりますが今はその時期ではありません。残念ながら、じっと我慢を続けることです。韓国・中国、並び日本のマスメディアが喧伝する「歴史認識」についての言質に惑わされないこと。所謂村山談話、あるいは河野談話が、今まで記してきた経緯があった中ではなおのこと、直接的に言及しないことです。そして極論すれば現・朴大統領政権の自然崩壊を待つことです。安倍自公政権が取り組み進めなければならないことは、所謂「歴史認識問題」ではなく、戦後の日本の歩みを今以上にしっかりと世界に向って発信し、今後の日本の方向を明確に伝えることです。その背景に必要なことは日本の安全保障に並び日本経済の成長を確かのものに導いていくことです。それが最優先の課題であると、私は考えています。皆さんいかが考えられますか。

  

 著者が繰り返し述べていることは、「1980年代以降の日韓歴史認識問題の展開過程は、韓国における日本の圧倒的重要性を基礎とした両国エリート間の暗黙の了解が、国際環境の変化と世代交代により崩れていく過程に他ならなかった。こうして日韓関係はエリートによってコントロールされる時代から、一般の人々を中心とする世論が直接ぶつかり合う事態へと移行した。」(249頁)と、いうことです。

 

  そしてその改善の途は、日本経済は今なお、アメリカ、中国に次ぐ世界有数の大国であり、その重要性を韓国をはじめとする周辺国へ示し、働きかけることではある。そのために日本の国力をどのように使うのかの智慧を我々が出し、発信していくこと。FTA等を利用して巨大な日本の国内市場を利用して相手を誘引するのも一案、グローバル化によっても失われない地政学的な配置を利用して、送電網や原油パイプライン等、エネルギー安全保障に関わるネットワーク等の構築を提案することも一案、等々と述べています。

  そして著者は最後に「日韓の歴史認識問題が問うているもの。それは我々がこの世界においてどのような重要性を有する存在なのか、ということなのかもしれない。」(252頁)、と記して本書を閉じています。

 

 所謂歴史認識問題を改善するには遠回りと思われるかもしれませんが、著者の観点で我々は歩を進めるべきと考えます。皆さん如何でしょうか。

 

 以上、木村幹氏の研究成果に対し私が誤解、あるいは理解していない点は多々あるでしょう。しかし本書「日韓歴史認識問題とは何か」は数多くの朝鮮半島に関する著書の中では、際立って印象深く、私が逡巡している中、新たな視点・観点を示唆してくれる著書となりました。

                                                                                                            

     2015年3月18日

                                     清宮昌章

 

       参考著書

 

           木村幹「日韓歴史認識問題とは何か」(ミネルヴァ書房)

             同 「韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌」(中公新書)

          同 「朝鮮半島をどう見るか」(集英社新書)

          松本雅和「平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和」(中公新書)

          秦郁彦「昭和史20の争点 日本人の常識」(文藝春秋)

       呉善花「侮日論 韓国人はなぜ日本を憎むのか」(文春新書)

    同  「韓国併合への道 完全版」(文春新書)

    同  「反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮」(PHP新書)

    木村正史「韓国 民主化と経済発展のダイナミズム」(ちくま新書)

    田中明「物語 韓国人」(文春新書)

   同  「韓国の民族意識と伝統「(岩波現代文庫)

    鄭大均「在日韓国人の終焉」(文春新書)

   同  「韓国のナショナリズム」(岩波現代文庫)

   大谷正「日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像」(中公新書)

   櫻井よしこ・金両基「日韓歴史論争 海峡は超えられるか」(中公文庫)

   岸田秀・金両基「日韓いがみあいの精神分析」(中公文庫)

   原彬久「岸信介 権勢の政治家」(岩波新書)

   小倉紀蔵「韓国人のしくみ」(講談社現代新書)

   拓殖大学海外事情研究所「海外事情1913年2月  朝鮮半島情勢」  

   同          「海外事情 2014年9月 日本と朝鮮半島」

  21世紀構想懇談会編「戦後70年談話の論点」(日本経済新聞社)

   その他