清宮書房

人生の大半を過ごしたとも言える昭和を自分なりに再検討し、今を見てみようとする試みです。

澤田克己著「韓国『反日』の真相」(文春新書)を読んで

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 はじめに 

 

 新聞報道によれば、今月の3月2日付で外務省は韓国を紹介するホームページ上の記述を更新し、「基本的価値を共有する」との文言を削除したとの報道。即ち、韓国との2国間関係を紹介する項目で「我国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する重要な隣国」だった部分を「我国にとって最も重要な隣国」とした、とのことです。さっそく韓国の主要メディアがこの削除を取り上げ4日、一斉に報道したようです。
 

1.日本のマスメディア

  私はここで、この日本の報道記事そのものについて問題視をしているわけでありせん。また、韓国のメディアがそれを取り上げることも、それは自由と考えています。ただ釈然としない思いの要因は日本のマスメディアに対し、臭いものに蓋をせよということではなく、戦前も戦後も我々は日本のメディアに躍らされてきた過去があると考えているからなのかもしれません。一方、過去も現在も我々がマスメディアから全く自由で、影響を受けないでいることは極めて難しく、永井荷風他、孤高の大人しか出来ないことなのかも知れません。 

 現在、戦後70年ということで、新聞紙上あるいはテレビで東京大空襲等々の特集を組み、当時の日本を取り上げていますが、私はなにやら違和感を覚えています。誰かに戦争責任、敗戦責任を押しつけ、自らは何らの自責の念も感じられず、惨事があたかも突然訪れたような、他人事の、したり顔で済ましているように私には思えるわけです。思い過ごしでしょうか。日頃、目にする一連のマスメディアのとり上げ方に違和感を覚えているのですが、日本のマスメディアの体質、否あり方は戦前・戦中、戦後そして現在、何か変わったのでしょうか。

 偶々、さくら舎が山本七平「戦争と靖国問題」との表題で、単行本が昨年1月に発刊し、私は今年1月に一読いたしました。その3章「忘れられた戦争責任」の中で、「戦艦大和ノ最後」を著した吉田満の文章を載せています。尚、吉田満は昨年自費出版した拙著「書棚から顧みる昭和」(言の栞舎)の「まえがき」にも触れているように、私にとっては僭越になりますが多大な影響を与えた方です。山本七平が「散華の世代」の吉田満による臼淵大尉の最後の言葉、「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ・・・」を引用し載せています。山本七平の同書を読み進めながら、自分は偉そうなことは言えないなと、自省しているところです。

2.基本的価値とは

  本題の「基本的価値」に戻しますが、この数年の韓国政府等のありようから見ても、日韓両国の間に於いて「基本的価値」が共有されているとは私にはとても思えず、むしろその文言を捉え、問題なるかの如き記事にすることを私は不自然に思うわけです。 

 毎日新聞のソウル支局長の澤田克己氏が「韓国『反日』の真相」(文春新書)を今年1月に著しました。そのあとがきで「人間というのは、訳の分からない相手により強い反感を抱くのではないか。韓国のしていることが理解不能だから、余計に反感が生まれるのだろう。そう考えるならば、私たちが『韓国にうんざりする背景』を探る試みにも、それなりの意味があったのではないか」と、記されています。

  韓国に造詣の深い同氏の試みは、ある面では成功しているのですが、私は韓国あるいは韓国人を理解し、共通の価値観を持ち、歩を前に進めようという感情にはならないわけです。むしろ同氏の分析・指摘が正しければ正しいほど、韓国との関係改善は気が遠いほど難しい、との想いが強まるのが私の心境です。

 

3.正しさとは何か

  澤田氏は本書の中で韓国が主張する「正しさ」とは何なのか、について解説されています。日本語での「正しさ」は韓国語では「オルバルン」に当たり、その「オルバルン」が登場する場面から共通して感じ取られることは、「啓蒙」や「道徳性」であり、この「オルバルン」という言葉には、「こうあるべきだ」という方向性が強く内包されている、と分析されています。そして、その道徳主義は法に対する意識にも直結し、道徳と法の領域が厳然と区分されず、むしろオーバーラップしており、それは日本社会の法に対する意識とは違い、この食い違いが日韓の相互理解を難しくしている。否、むしろ本当の問題は、そうした食い違いの存在を認識していないことなのではなかろうか、との指摘です。 

 加えて、では韓国では何故に「正しさ、なにが正義か」が常に問題となるのかについて、小此木政夫慶大名誉教授の言を以って「近世までの朝鮮は経済的に豊かでなく、軍事的に強大でもなかった。中国の儒教文明の強い影響下におかれたこともあり、『何が正しいか』という名分論で自分達の正当性を主張するしかなかった。中国との関係では、力ではかなわないから、論理的な反論をする以外方法がない。それが『正しさ』を追求する伝統を生んだのではないか。」(本書50頁) 尚、同教授はその道徳性が前面に出てきた契機は1987年の民主化だろう、と述べています。

 

41987年の韓国の民主化

 韓国の民主化が始まり、道徳性が前面に出てきてから早や30年を経てきたのに関わらず、客船セウォル号沈没事故、大韓航空ナッツリターン事件及びその裁判等々の事象は何故に次々と生じるのでしょうか。私にはとても理解できない韓国の事象です。韓国でいう「何が正義かという道徳性」が何故に国民に浸透しないのでしょうか。その道徳性という、その観点自体に問題があるのではないでしょうか。否、道徳性という観点への私の理解不足、あるいは誤解があるのでしょうか。 

 私の高校生時代からの友で、昭和史に造詣が深く、早稲田大学時代には慶応大学の夜間に通い韓国語を学び、今でも韓国の新聞の日本語版(朝鮮日報中央日報、東亜日 報、ハンギョレ新聞)をあきれながら読んでいる、という畏友がおります。

 本年1月30日のメールで畏友いわく、「日本の現代史と表裏の韓国を理解しようと言葉を勉強したのですが、結局韓国の新聞(当時は日本語版がなかったので苦労した)の『韓国内の矛盾の淵源はすべて日本統治にある』という論調に嫌気がさし勉強の気力を無くしました。今は、この非論理的なテンション民族の考え方を変えるのは無理だと、さじを投げる思いです。日本としては、事実に即した主張をしたり、謝罪する。言いがかりには屈しないとうことです。」とありました。畏友の指摘は韓国の民主化以前の時代の実感から導き出されたものですが、私としても共感を覚えるところです。

  この1月、朝鮮半島の専門家である木村幹氏著「日韓歴史認識問題とは何か・・歴史教科書・『慰安婦』、ポピュリズム」(ミネルバ書房)について、私なりの感想を交えながら、別便で紹介いたしました。長文で恐縮しますが、もしお時間とご興味があれば、一読頂ければ幸いです。

 

 2015年3月14日

                           清宮昌章

 (参考図書)

    澤田克己「韓国『反日』の真相」(文春新書)

 永井荷風断腸亭日乗」(古典教養文庫

 山本七平「戦争責任と靖国問題 誰が何をいつ決断したのか」(さくら舎)

 原彬久「岸信介証言録(中公文庫) 

 他